育成初!大リーガー千賀滉大投手のルーツ
- 2022年12月22日
『ストライクやろ!』天真らんまんな高校時代
2008年、蒲郡高校の野球部監督として千賀投手を迎えた金子博志さん。3年間、直接指導しました。
仮入部でやってきたときの印象が忘れられません。
第1印象はマッチ棒かというくらい細かった。その後、生徒同士でキャッチボールをさせた時に、すごいボールを投げる子がいたというのを明確に覚えている。とにかくボールの回転数が多くて、垂れない、伸びのあるボールだった。今までにないような球筋だったので、『この子はピッチャーだな』と思った。(金子さん)
実は、中学校ではサードを守っていたという千賀投手。高校でもそのままサードを希望していたそうですが、金子さんたちがピッチャーを勧めて転向させたそうです。
バッティングが好きで、野手で活躍したいと思っていたと思う。想像がつかないかも知れないが、天真らんまんな性格だった。『うわ~うれしい!』『なんでそんなボールとれんのや!』『ストライクやろ!』とことばにするタイプの選手だった。昔からどん欲で、探究心を持ち、負けん気が強かった。(金子さん)
千賀“投手”始まりの地 当時の練習場へ
千賀投手のピッチャーとしてのキャリアが始まった蒲郡高校野球部の練習場を訪ねました。
案内してくれたのは蒲郡高校の石原敦仁教頭。当時、野球部の副部長として千賀投手を指導しました。
がむしゃらな練習の様子を今でも思い出すといいます。
グラウンドのポールからポールの間をよく走らされていた。別に苦しくはなかったのではないか。苦しい顔をしつつも、優しい顔をしていたというか、笑っていた。(石原教頭)
さらに千賀投手が高校を卒業し、育成選手として過ごしたプロ1年目のオフ、2人でこのグラウンドでキャッチボールをしました。
90メートル弱の距離だと思うんですけど、グーンと物理の法則に反したようなボールを投げた。『何キロ投げるんだ』と聞いたら『今151キロですかね』と。そのとき1年目で、もしかしたらプロで活躍できるかと一瞬、思った。あの球を見た時にこれはすごいと思った。彼は見ているレベルが違った。いいものを見て、自分もそこへ行きたい、行けそうだ、という手応えがあったのではないか。『もっともっと』という精神があった。(石原教頭)
「もっともっと」の精神でプロ野球、さらには、大リーグへの道も切り開いたのでしょう。
蒲郡市の誇りを胸に
千賀投手の故郷の蒲郡市への思いは今も変わりません。
そのあらわれがグラブに施された模様です。
グラブのウェブと呼ばれるパーツの表面にあしらわれているのは蒲郡市の市章と地図です。
地元を背負って野球に取り組みたいという思いから、長年、この模様をメーカーにお願いして取り入れているそうです。
蒲郡で培った「もっともっと」の精神と郷土愛を抱きながら、千賀投手は、大リーグ・メッツで新たな輝きを放ってくれるに違いありません。