2020年12月02日 (水)悩む女性市議 変わる議会
福岡市議会では、今まで認められていなかった
「育児」と「介護」を理由とした欠席が認められる見通しになりました。
変わろうとする議会と、仕事と育児の両立に悩む女性議員。
その思いを取材しました。
(報告 米山奈々美)
去年、福岡市議会議員に初当選した築地原(ついちはら)陽子(39)さん。
5歳の長女を育てています。

現在、妊娠5か月で、来年、第二子を出産予定です。
つわりがひどい時も休むことができず、
長時間に及ぶ議会も気持ち悪さを我慢しながら出席していました。
出産後、育児休暇をとることも難しいのではないかと
不安を抱えていました。

福岡市議会の規則で、これまで本会議の欠席理由として認められていたのは、
「病気」、「出産」、「その他事故」だけでした。
実際、育児を理由に休んだ議員は記録に残っていません。
しかし、去年、議長から欠席理由に
「育児」と「介護」も加えることが提案されました。

提案した阿部真之助 福岡市議会議長は
「育児・介護というのはどうしてもやっぱり、
必要要件というか生活には絶対欠かせないものに
なっていくだろうということで(改正は)
社会通念上の常識感と議会の常識感が近づいた第一歩である」と話します。


築地原(ついちはら)議員が所属する会派です。すべての会派が改正に賛成し、
早ければ来月にも規則が変わる見通しとなったことが報告されました。
「そのスピードがすごいなと思ったし、ありがたかったし。
こうやってどんどん変わっていけばなっていろんなことが」。(築地原(ついちはら)陽子さん)
一方、議会以外の活動では、まだ課題も残っています。
この日は日曜日。
保育園が休みのため、集会に子どもと一緒に参加します。
夫も出勤で、両親は高齢のため預けることができません。

「(子どもを)公的な場にって、たまに言われることも
あるんですけど、でもどうしようもないですからね。
誰も預かってもらえなくて1人で5歳の子を家には置いていけないので」。
(築地原(ついちはら)陽子さん)
2人目の子どもを出産したあとは、ベビーシッターを雇うか、
それができなければ、赤ちゃんを抱えたまま仕事を
しなければならないかもしれないと不安を抱えています。
日曜日に子どもを預けられず困っているのは、
もちろん議員ばかりではありません。
福岡市にある275の認可保育園のうち、
日曜日も預かってくれるのはわずか7園。
増やすため、築地原議員は、保育士の確保などに
取り組んでいきたい考えです。
「土日に仕事に行く方もたくさん
行かなきゃいけない場面があると思うので
そういう保育所だったり安心して預けられる場所の整備を
まずは整えていきたい」。

政令指定都市の市議会で「育児」や「介護」が
欠席理由として認められているのは、
まだ岡山市と熊本市だけです。
世界的に見ても日本の女性議員は少ないまま。
女性の政治参画を阻む壁は何なのか、
それは私たちの暮らしにも当てはまることです。
どうすれば取り除けるのか考えたいと思います。
投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:14時00分 | 固定リンク
2020年12月01日 (火)妊娠で悩むあなたへ... 産前産後支援センターが開設
予期せぬ妊娠、親に言えない、どうしたらいいかわからない…。
妊娠にまつわる悩み、
ひとりで抱え込んでいませんか?
10月、福岡市に妊娠中から産後まで支援する
新しい施設ができました。
全国的にも珍しい施設の取り組みを取材しました。
(報告 米山奈々美)
【切実な声】
「若年妊娠」、「経済的困窮」・・・

10月、福岡市に開設した
産前・産後母子支援センター
「Comomotie」(こももティエ)に
寄せられた切実な声です。

開設から1か月の間に集まった相談は22件。
そのおよそ半数が25歳以下の若者でした。
センターには看護師や保育士の
専門スタッフ3人が常駐しています。
電話やメールなどで匿名でも相談に応じるほか、
病院や役所などへ同行する支援もしています。

支援コーディネーターの佐藤さんは
「彼女が妊娠してしまった」という男性からの連絡も含め、
想像していた以上の相談が寄せられているといいます。
「ニーズとしてはですね、高いのかなというのは
すごく感じています。
このコロナの影響で1人で抱え込んじゃってとか、
誰にも言えなくてっていうのも
あるのかなっていうのも感じています」(佐藤さん)
【出産前から滞在可能】
特に、家族やパートナーのサポートがなく
経済的に困窮している人や、
未成年など出産や子育てに
困難を抱える人は、
出産前からセンター内に滞在できます。

今まで、出産前にこうした理由で入所できる施設は
なかったということですが、
このセンターでは出産前から出産半年後まで
切れ目なく支援し、子どもが1歳半になるまで
状況確認などのアフターケアも行います。
さらに、就労支援も受けることができます。
企業と連携して実践的な接客講習や
社会人としてのマナー講習のほか、
資格の取得支援も行っています。
【利用者は・・・】
このセンターに身を寄せている
20代前半の女性が、手紙で心境をつづってくれました。

「夜泣きが大変。
すごいってきいてたけど、やっぱりすごかった」(利用した女性)
女性はことし4月新型コロナウイルスの影響で
仕事を解雇されたと言います。
妊娠中で新しい仕事は見つからず、
家賃が払えなくなりました。
家族とは疎遠で、パートナーは当時、未成年。
養育環境が整わないため、
出産直前にセンターに入り、
先月末に男の子を出産しました。

「子の1歳の誕生日までには彼と子どもと3人で暮らし、
安定した生活を送りたい」(利用した女性)
女性は、支援を受けながら、
自立に向けて一歩ずつ歩き始めています。
妊娠や生活の不安などから
病院の受診が遅れていた女性。
センターと出会いサポートを受けることで
1人で抱え込まなくてよくなりました。
支援にあたっている佐藤さんによると、性は、
「今回Comomotieと出会うことによって
本当に助かったし、ありがたかった。
他の人たちもそれを知ってもらいたい」と
話しているということです。
【若者とつながるために】
一方で、妊娠で悩む若年層は、
母子手帳をもらいに行けなかったり、
病院に行けなかったりすることで行政による把握が難しく、
支援が十分に届いていないのが現状です。

センターでは、若い世代とつながるため、
ツイッターでの広報に力を入れています。
会議では、どのような言葉で訴えれば、
悩んでいる人に届くのか意見が交わされました。

「検索しやすいキーワードの方がいいのかなと思うから、
『生理が来ない』とか。親に相談できない子とかも
いるから『親』のキーワードは
あってもいいかなと思うし」(佐藤さん)
センター長の大神嘉さんは、
今後、LINEなども活用し、
支援につなげたいとしています。
「とにかくSOSを出さないというか、
出すエネルギーがそもそもなかったり、
つながらない、公的支援が受けにくい、
そういった方々に手をさしのべることが重要だと思います。
赤ちゃんの未来を、そんな簡単に終わらせたくない」

【支援拡大を】
厚生労働省の調査では、
虐待を受けて死亡した子どもの
およそ40%が0歳児でした。
センターでは支援を通じて
虐待の芽も摘むことができればと考えています。
Comomotieのような
取り組みが全国に広がって、
悩みや困難を抱える妊婦の
支援につながってほしいと感じました。
▽Comomotie(こももティエ)の相談窓口はこちら
電話 :092-400-0780
メール:comomo@fukubo.or.jp
24時間無料で相談を受け付けています。
電話は、月曜~土曜(8:30~17:30)で専門職員が対応しています。
投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:16時01分 | 固定リンク
2020年11月24日 (火)ジェンダー企画 不安乗り越え "女性"として生きる
いま、海外の映画祭で注目を集めているドキュメンタリー映画があります。
「息子のままで、女子になる」(英語名「You decide.」)です。

「息子のままで、女子になる」監督:杉岡太樹 (c)2020 ‘You decide.'より
主人公は、福岡出身のサリー楓さん(27)です。
普段は東京の大手設計会社で、
女性社員としてオフィスや都市空間の設計などに携わっています。
3年前、大学院生の時に“女性として生きる”ことを公にしました。
主演したドキュメンタリー映画では、カミングアウトしたサリー楓さんの苦労や葛藤を描いています。
なぜ、ありのままの姿をさらけ出す決心をしたのか。
そして、映画への出演を通して何を伝えたかったのか。
映画に込めた本音に迫りました。

8歳のころから夢見た建築の世界
―― 高校までを福岡で過ごしたサリーさんにとって、福岡というのはどんな街ですか。
福岡はコンパクトで、いろんな人がいて、大きすぎず、小さすぎず、自分が等身大で暮らすことができた街だったなって思います。8歳のころから建築家を夢見て過ごしていたんですが、福岡って名建築が実は多くて、例えば福岡銀行本店ビルは、黒川紀章さんが建てられていたりとか、西日本シティ銀行は、磯崎新さんが建てられたりとか、マスターピースみたいなのが多い場所なので、やっぱり建築家の作品みたいなものに日常から触れることができたかなって思います。
―― 実際、東京で夢だった建築の仕事に就いて、どのように感じていますか?
東京っていう街はやはりダイナミックで、海外に直接つながれるっていうのは、ほかの都市との違いだと思うんですよね。国際的なプロジェクトに直接ここから携われる。東京の一部を作っているんだなっていう感じがします。やっぱりそういうダイナミックさを日々感じながら建築の仕事をしています。

女性社員として東京の大手設計会社に勤務するサリー楓さん
“男性”として生きた福岡
―― 女性として生きることを明かしたのは3年前の大学院生の時。サリーさんにとって、福岡は“男性として生きた場所”ということになりますよね。これはご自身の中では、どのような時期だったんでしょうか。
福岡にいたときは、ずっと男性として過ごしていて、やっぱり自分の記憶も男性として過ごした日々の記憶が根づいているんですけれど、そんなになんかこう、福岡に対してつらかったとか悲しかったみたいな記憶ってそこまでなくて、むしろ“今の自分”とは違うコンディションで見てきた街だったので、今思いだすとそこで過ごした時間っていうのは夢のようだったなというか、あまり実感が湧かない。なんかこう“いい思い出”だったなという感じがします。
―― 「実感が湧かない」っていうのは、自分の認識している性と、ふるまっている性との違いがあったからでしょうか。
そう思います。男性として生活していた街だったので、今の自分の価値観とか今の自分の生活のあり方と、必ずしも記憶が一致しない感じがするんですね。福岡で女性として生活した記憶がないので、今の自分のコンディションと地続きでとらえられないっていうのはあります。
―― 福岡での生活をしているときに、生きにくさなどは感じていましたか?
今の福岡はどういう感じかわからないですけど、当時、福岡ってお父さんが大黒柱だみたいな考え方が結構強かったと思うんですよ。やっぱりそれっていい面もあって、お父さんが非常に信頼されていて、お兄さんが家族を見守っていくみたいな考え方だったと思うんですけど、やっぱり、長男だからしっかりしないといけないとか、長男だからお母さんの面倒も見ていかないといけないみたいな感じで、結構頼られることが多かったかなって思っていて、それを重荷に感じるようなことはあったと思います。
キッチンに入ると怒られましたね。うちだけじゃないと思うんですけれども、キッチンに入って家事を手伝うみたいなのを良しとしない風習はあったと思います。怒られちゃうので、なかなか家事に参加できないっていうか、そういうのは当時感じていて、違和感はやっぱりありました。
明かせなかった“本当の気持ち”

―― ご自身が女性の性を自覚しているということについて明かすことはなかったんでしょうか。
全くなかったです。性別に関する違和感みたいなのを周りに話すことはなくて、あまり話せる雰囲気でもなかったので、学校でも友達にも家族にも、特に言及することはなかったです。
カミングアウトしづらいというか、あまりそういう話をして受け入れてもらえるような雰囲気を感じなかったので、話すのがいけないというよりも、話して通じる人が果たしてこの中にいるのかなみたいなことを考えていて、それで話すことができなかったっていうのがあります。
話しやすい雰囲気のことを「ウェルカミングアウト」って言うんですけど、ウェルカムとカミングアウトで。あまり、私の当時のいた環境はウェルカミングアウトっていうものを感じることはなかったです。
心の在り方は変えられない~やっぱり女性なんだ
――周りの人たちに合わせて、男性として行動していたんですか?
当時、LGBTっていう言葉も当時知らなかったので、男らしくしなきゃっていう焦りがありました。どうやったら普通になれるかみたいなことを考えていて、今はそんなことないんですけど、当時は女性的であることに対する罪の意識みたいなのがやっぱりあったので、どこかで直さないといけないものなんだろうなと思いながら過ごしていました。ラグビーやってみたりとか、すぐやめちゃったんですけど柔道部とかに入ってみて、みたいなことがあったんですけれど、そういう部活動とかふだんの生活のエッセンスみたいなのを男らしくしたところで、自分の精神的な部分が変わるわけではないんだなっていうのを自覚させられるような経験だったかなと思います。
18歳まで過ごした福岡での時間っていうのは自分を形成していくような期間だったと思うので、当時の福岡の価値観みたいな中で、自分を探していくのに苦労しましたね。
―― ご家族に自分の葛藤は明かせなかったんですか。
そうですね。なかなか明かしづらかったですね。やっぱり1回話しちゃって、それで、もしうまくいったら気持ちが楽になる。けれど、うまくいかなかったら、そのあとずっとぎくしゃくしちゃうと思うんですよ。例えば、中学校3年生のときに、もしカミングアウトしてたら、そのあとの高校3年間っていうのを気まずい状態で毎日過ごさないといけないんですよね。なので、カミングアウトするなら家を出て、かつ自分で自立してある程度生きていけるようになってからにしようっていうのを考えていて、それまでは余計な波風立てないようにしようって思っていました。
就職活動の時に「女性としての人生」を選択した
―― どうして大学院1年生の時にカミングアウトしようと思ったんですか?
狙ってそこでやったというよりは、ちょうど就職活動が始まったタイミングで、エントリーシートを女性で出したいと思ったんですよね。それまでは、男性として通学していました。メークとかも全然知らなかったんですけれども、就職活動のときに性別を変えることができなかったら、社会人の生活ってそのあと40年ぐらい続くじゃないですか。その40年の中で自分なりに性別を変えるタイミングが見つけづらいんじゃないかなと思って。本当は進学のタイミングとかで性別を変えられたら一番良かったんですけれども、大学院まで行っちゃったのでラストチャンスだと思って、就職活動にエントリーする直前にメークとか始めて、カミングアウトしました。
―― たしかに、一度社会に出てしまうと影響が強くなったりするかもしれませんね。
社会人になってから変えると、もしかしたら会社で嫌がる人が出てくるんじゃないかなとか、取引先にびっくりする人がいるんじゃないかなとか。会社って、大学よりも大きかったりするので、会社の中でも摩擦みたいなのが起こるんじゃないかなって、いろんな妄想しちゃうと思うんですよ。
本当は会社に入ってもカミングアウトできるような、そういう社会になっていくのが一番いいと思うんですけれど、当時は残念ながらそこまで進んでいなかったので、そういうふうな段取りをとりました。

ジェンダーの“本当の壁”は、「その場にいない第三者」
―― 就職活動では、LGBTに理解がある企業、理解がない企業と接する機会があったと思いますが、どのように感じていましたか。
LGBT、トランスジェンダーの方でも全然大丈夫ですよって言ってくださったんですけれど、ただ、ほかの担当者の方がなんて言われるか分からないので、上のほうにも聞いてみますみたいなことを言われたときに、なんかこう、自分は理解あるけどほかの人は理解がない前提で話を進めてるのって、社内における信頼があまり構築されてないのかなっていうのを感じちゃったりとかしていて、あからさまじゃない偏見みたいなのを感じる場面が就職活動の中でありました。
LGBTの問題について考えるときに、カミングアウトしたときに何かリスクがあるんじゃないかなって思ってしまう一番の要因って、反対されることではなくて、反対する意見があるかもしれないとか、反対する人がいるかもしれないっていう、そういう「想像の中で現れてくる第三者」みたいなのが結構負担になると思うんですよ。そこにいない第三者を想像して話が進められるようなことがあったりして、そこに対する違和感は感じていました。
――それでも、“女性”として就職活動を続けたんですね。
不安しかなかったですね。やっぱり、見た目と性別が一致してないとか、もしくはメークをしてやってきているみたいなことがマイナスに働くのかもしれない。それこそ「不気味」だと思われたら嫌だなとか、別にメークして仕事しても、メークせずに仕事しても、男の人が仕事しても、女の人が仕事しても、トランスジェンダーの人が仕事しても一緒なんですよね。仕事は仕事なので、別にパンツ脱いで仕事するわけじゃないじゃないですか。仕事をすることには圧倒的な自信はあったんですけれども、一方で、あらぬ疑いをかけられるというか、LGBTであることで仕事に何か支障が出るんじゃないかみたいなことを、私がいない場で議論されたら不利に働くなって思いながら、それを不安に思いながら就職活動していました。
今の会社では一緒に考えていこうということを話してくれて嬉しくて、それって今取り組みしているかとどうかに関係なく、可能性が無限大ってことじゃないですか。

“女性になる”ことが目的じゃない その先に何ができるかが大切
―― 就職活動では、夢だった建築家になれるチャンスで、ジェンダーの問題が壁になったかもしれない。夢の実現の可能性を考えて、女性である気持ちをあきらめたりはしなかったんですか。
そうですね、建築家っていう夢のためにジェンダーを、結局、私は女性で押し通したんですけれど、押し通せなかったときにどうしてたかは今でもわからないですね。
ただ、女性になるっていうのは夢でもなんでもないと私は思っていて、ある意味では、自分がどうやって生きていくかという、ステータスとかコンディションの話だと思うんですよ。私は今女性っていうコンディションで生きてますけれど、その中にはいろんなコンディションってあると思うんですよね。それと、自分がどういう仕事するかっていうのはあまり結びつけずに考えていたりします。
女性になるっていうのを人生の目標とか夢とかに据えちゃうと、あとあと女性として生活することがかなったときに、なんか、きついんじゃないかなって昔から思っていて、大学に行くことよりも大学に行って何を勉強するか、英語を勉強するんじゃなくて英語で何を勉強するかとかだと思うんですよね。
―― 就職活動のタイミングでカミングアウトをしてよかったと思いますか?
カミングアウトして良かったと思います。カミングアウトすることで、日常生活が送りやすくなりましたし、無理に抑え込む必要もなくて、カミングアウトしたからといってそんなに女性らしくしなきゃっていうものにしばられるわけでもないので、ある種、自分がいちばん心地いい状態で常にいられる。コンディションを整えることができたのかなっていうふうに思います。
海外で注目されたドキュメンタリー映画~日本のジェンダーに関心高い

「息子のままで、女子になる」監督:杉岡太樹 (c)2020 ‘You decide.'より
―― ことしの夏にロサンゼルスで開かれた映画祭ではベスト・ドキュメンタリー賞を受賞したり、カナダからも公式招待を受けたりして海外での反響が大きいですね。
やっぱり日本のLGBTの状況って、世界的に見ても特殊だと思うんですよね。日本ではLGBTに対する暴力みたいなのは海外ほどあまり起こっていなくて。表立って大きな事件にならないので、多くの人が無関心であまり議論されてないと感じてるんですね。それが海外の人からはびっくりだったりするのかなと思います。中国人の方にお話しいただいたことがあるんですけど、その方は何で日本に住んでいるかっていうと、日本はLGBTに対してある程度無関心だから、過ごしやすいからだっていうふうに言われていて、出身の村では、男性が女性の格好するってなったら殺されちゃうと。だから、もう自分の故郷には一生帰れないってことをおっしゃっていて、こんなに違いがあるんだなっていうのを感じさせられました。
―― 日本のどんなところに課題を感じていますか。
例えば、東京の渋谷区が有名ですけど「パートナーシップ制度」があると思いますけど、同性の結婚ってすごく大事だと思うんですよね。でも、パートナーシップ制度って、パートナーシップ制度を結んでる地域にしか住めないんですよ。転勤になったらどうするんだとか、ほかの地方とかに転勤になったりするとどうするんだとか。パートナーシップ制度がない自治体にお住まいの方はどうすればいいのかなみたいなことがあったりすると思います。
同性愛の方だと、結婚を認められるかどうかで、例えば給与の額面が変わったり、転勤のときにその配慮がされるかどうかみたいなのって、いろいろ変わってくると思うんですよ。そういう社会福祉にアクセスできないっていうことが、日本の課題なのかなっていうふうに考えています。
父は、私のことを今でも“息子”と呼んでいます
―― 映画では、ご家族と話す場面が登場します。今はどんな関係なんですか。
映画を通して家族と初めてジェンダーについて話したんですよね。これまでは、全力で止められたことはなかったんですけれど、何となく私の性別的なものについて語り合うのは避けていたんですよね。カミングアウトした頃には就職活動も終わってたので、ある意味では無関心というか、うまくいってるんだったらいいんじゃないのみたいな、反対も賛成もしないよっていう立場だったんですけれど、今回ちゃんと親子で話すことができて、ある意味ではすっきりしたというか、それはジェンダーに関して手放しで両親に賛成されたわけではないですけれど、少なくともカメラの前で話し合うことができたっていうことが非常に大きな一歩だったなっていうふうに自分で思っています。
―― まだお父さんは自分の息子だとおっしゃっていますよね。
はい。私個人としては、父から「まだ息子だと思っている」って言われて、ショックはショックでした。ただ、父も父の世代の中で、そういう社会の中で生きてきて父なりの時代の価値観みたいなのを持っていると思うので、ある意味では間違ってないんですよね。息子だって思ってるっていう感覚は、18年間一緒に生活してきて息子として育てて、急に言われてもなかなか受け入れられないっていうのもすごくわかるので、何かこう、これから一緒に話し合っていくというか。
ダイバーシティーっていう言葉、最近よく言われると思うんですけれど、私はダイバーシティーっていうとすぐに、LGBTとLGBTに理解のある人だけ集まって盛り上がってるような印象を受けるんですけれど、LGBTのことを知らない人とかLGBTに対して違和感がある人とか、自分は認めないぞっていう人とか、そういった方々も含めてダイバーシティーだと思うんですよね。
なので、父はある意味では私に理解がなかったんですけれど、ただ、その父と話し合うことを通してしかダイバーシティーというのを実現できないのかなと私は思っているので、少なくとも話し合えたっていうことは、多様性のある社会に1つ近づけたんじゃないかなっていうふうに自分は思ってます。やっぱりLGBTに対して理解をしてない人って、わざわざメディアには出てこないんですよね。LGBTに対してよくわからないって思ってる人とか、LGBTの人たちが盛り上がってるのが怖いって思う方とかって、いると思うんですよね。そういう方々ってわざわざそういう声を上げたりしないと思います。こういう時代なので。そんな中で、父はカメラの前に出てきて自分の意見をはっきりと述べたと思うんですけど、それ自体はすごく勇気のあることだし、そういうことをしないと社会は発展していかないので、非常に重要な、貴重な機会になったんじゃないかなっていうふうに思ってます。
周りの理解があって女性として生きられる

都市空間のデザインについてのミーティング
―― 映画で自分の人生をさらしたことで、ジェンダーに対する気持ちに変化はありましたか?
自分らしく生きることって、人生のスタートラインに立つうえで、とても大切なことだと思います。
だけど、自分の周りの存在も大切なんですね。映画の英語のタイトルが「You decide.」っていう名前なんですけれど、自分が女性として生きたいって思って、女性として生きるんだって決断して生きてる。一方で、自分を女性として生かしてくれてるのって、実は社会のほうだったりして、やっぱり、自分が女性として生きると同時に、社会が女性として生きさせてくれてるみたいな、そういう、自分の周りに広がる社会っていうものに意識的になりました。
自分がどうありたいかとか、自分がどう生きていくかっていうのは自分が決めることだし、LGBTの権利っていうのは当事者がたたかって獲得してきたものだと思うんですよ。一方で、自分らしく生きられるっていうのは、ある程度周りの助けも必要としていたり、周りの考え方をアップデートすることでしか自分の考え方もアップデートできないっていう側面もあるので、いろんな人とのかかわりの中で、自分らしく生きることの大切さを伝えていきたいと思います。
【取材後記】
私は、ことし入局16年目。“男”を意識して仕事をした記憶はほとんどありません。アナウンサーとして原稿を読み、取材者として原稿を書いてきました。この記事を読んでいただいている皆さんも、このニュースは男性が書いたのか、女性が書いたのかを毎回意識して聞くことはないと思います。一方で、ジェンダーの取材を進めると、毎日のように自らの「性」と向き合い、性に悩むことを強いられる人たちが多いことに気づかされました。
今回、サリーさんの取材で一番心に残ったのは、「女性になった後に何ができるか」という言葉です。そこには、建築家として社会を創る目標に突き進む力強さと覚悟を感じました。そんなサリーさんも、「周囲の助け」があって自分は女性として生きられると語っています。
今回お話を聞いて、ジェンダーの問題は、「人」としてどう生きていくかということに強く結びついていると、改めて考えるきっかけになりました。
取材
福岡拠点放送局
アナウンサー 藤澤義貴

■NHK福岡放送局キャンペーン「さよならジェンダーバイアス」特設サイトはこちら
投稿者:藤澤義貴 | 投稿時間:16時59分 | 固定リンク
2020年11月11日 (水)オンラインで"誰もが自分らしく"~コロナ禍の九州レインボープライド~
去年まで福岡市の冷泉公園で開かれていた「九州レインボープライド」。
性的マイノリティーの当事者などが多様性を象徴するレインボーの旗を持って、
中心部をおよそ3キロパレードし、理解を求めてきました。
しかし、ことしは新型コロナウイルスの影響で、初めてオンラインで開催。
これまで参加をためらっていた人もオンラインで参加しやすくし、つながるきっかけ作りを目指した主催者の思いを取材しました。(報告 米山 奈々美)
福岡市中央区から、2日間14時間に及ぶ生配信で開催された性的マイノリティーの人たちのためのオンラインイベント。趣旨に賛同したミュージシャンによるライブや
トークショーなどが行われました。

実行委員会代表の三浦暢久さんです。自身もゲイであることを公表していて、
これまで「誰もがその人らしく生きられる社会を」と広く理解を訴えてきました。
しかし、ことしは、新型コロナウイルスの感染が拡大。イベントを中止するか 悩みました。
「すごく悩みましたよ、やっぱりリアルに歩いて皆の前で手をふっているよって存在を伝えることで成り立ってると思うので」(三浦暢久さん)。

一方で、これまでは実際のイベントに参加することで性的マイノリティーと
知られるのが怖いという声もありました。このため、三浦さんはことしはオンラインでの開催によって、性的マイノリティーの人たちが参加しやすくし、参加者どうしがつながるチャンスにしたいと考えました。
「スマホ1台で参加できるようになるので、家を出るのも怖いって方たちからすればスマホの中にフェスタ会場があって、何かのきっかけ作りにしたいなと思ってたりしますし」(三浦暢久さん)。
オンラインイベントでは事前に登録した人だけが参加できる意見交換の場も設けました。参加したHIROさんです。みずからはゲイであることを公表していて、同性婚への理解を呼びかける活動をしていることなどを紹介し、参加者からの質問に答えながら交流を深めました。
「(オンラインは)顔出しの選択も出来るのですごく注目度が高まると思って、オンライン開催はすごくいいなと思ってます」(HIROさん)。

イベント2日目。目玉であるオンラインによるパレードが行われました。コロナ禍で当事者や支援者がつながることが難しくなったことし、実際のパレードと同じように、思いを分かち合おうという企画です。それぞれが公園や部屋など思い思いの場所からテレビ会議でつながりました。

これまでは行進しながら掲げていたプラカードを、画面に向けてそれぞれの思いを訴えます。

初めてのオンライン開催。三浦さんは、今まで参加をためらっていた人とも
つながることができたと感じています。
「一歩を踏み出せたような気がします。来年、再来年ももっと何かできるんじゃないかなって思います」(三浦暢久さん)。
■NHK福岡放送局キャンペーン「さよならジェンダーバイアス」特設サイトはこちら
投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18時00分 | 固定リンク