WEBいち!

2020年12月02日 (水)悩む女性市議 変わる議会 


福岡市議会では、今まで認められていなかった
「育児」と「介護」を理由とした欠席が認められる見通しになりました。

変わろうとする議会と、仕事と育児の両立に悩む女性議員。
その思いを取材しました。

(報告 米山奈々美)

 

去年、福岡市議会議員に初当選した築地原(ついちはら)陽子(39)さん。
5歳の長女を育てています。

w_201202_01.jpg

現在、妊娠5か月で、来年、第二子を出産予定です。
つわりがひどい時も休むことができず、
長時間に及ぶ議会も気持ち悪さを我慢しながら出席していました。
出産後、育児休暇をとることも難しいのではないかと
不安を抱えていました。

w_201202_02.jpg

福岡市議会の規則で、これまで本会議の欠席理由として認められていたのは、
「病気」、「出産」、「その他事故」だけでした。
実際、育児を理由に休んだ議員は記録に残っていません。
しかし、去年、議長から欠席理由に
「育児」と「介護」も加えることが提案されました。

w_201202_03.jpg

提案した阿部真之助 福岡市議会議長は
「育児・介護というのはどうしてもやっぱり、
必要要件というか生活には絶対欠かせないものに
なっていくだろうということで(改正は)
社会通念上の常識感と議会の常識感が近づいた第一歩である」と話します。 

w_201202_04.jpg

w_201202_05.jpg

築地原(ついちはら)議員が所属する会派です。すべての会派が改正に賛成し、
早ければ来月にも規則が変わる見通しとなったことが報告されました。
「そのスピードがすごいなと思ったし、ありがたかったし。
こうやってどんどん変わっていけばなっていろんなことが」。(築地原(ついちはら)陽子さん)

一方、議会以外の活動では、まだ課題も残っています。
この日は日曜日。
保育園が休みのため、集会に子どもと一緒に参加します。
夫も出勤で、両親は高齢のため預けることができません。

w_201202_06.jpg

「(子どもを)公的な場にって、たまに言われることも
あるんですけど、でもどうしようもないですからね。
誰も預かってもらえなくて1人で5歳の子を家には置いていけないので」。
(築地原(ついちはら)陽子さん)

2人目の子どもを出産したあとは、ベビーシッターを雇うか、
それができなければ、赤ちゃんを抱えたまま仕事を
しなければならないかもしれないと不安を抱えています。

日曜日に子どもを預けられず困っているのは、
もちろん議員ばかりではありません。
福岡市にある275の認可保育園のうち、
日曜日も預かってくれるのはわずか7園。
増やすため、築地原議員は、保育士の確保などに
取り組んでいきたい考えです。

「土日に仕事に行く方もたくさん 
行かなきゃいけない場面があると思うので
そういう保育所だったり安心して預けられる場所の整備を
まずは整えていきたい」。

w_201202_07.jpg

政令指定都市の市議会で「育児」や「介護」が
欠席理由として認められているのは、
まだ岡山市と熊本市だけです。
世界的に見ても日本の女性議員は少ないまま。
女性の政治参画を阻む壁は何なのか、
それは私たちの暮らしにも当てはまることです。
どうすれば取り除けるのか考えたいと思います。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:14時00分 | 固定リンク


2020年12月01日 (火)妊娠で悩むあなたへ... 産前産後支援センターが開設


予期せぬ妊娠、親に言えない、どうしたらいいかわからない…。
妊娠にまつわる悩み、
ひとりで抱え込んでいませんか?

10月、福岡市に妊娠中から産後まで支援する
新しい施設ができました。

全国的にも珍しい施設の取り組みを取材しました。
(報告 米山奈々美)

【切実な声】

「若年妊娠」、「経済的困窮」・・・

w_201201_01.jpg

10月、福岡市に開設した
産前・産後母子支援センター
「Comomotie」(こももティエ)に
寄せられた切実な声です。

w_201201_02.jpg

開設から1か月の間に集まった相談は22件。
そのおよそ半数が25歳以下の若者でした。

センターには看護師や保育士の
専門スタッフ3人が常駐しています。
電話やメールなどで匿名でも相談に応じるほか、
病院や役所などへ同行する支援もしています。

w_201201_03.jpg

支援コーディネーターの佐藤さんは
「彼女が妊娠してしまった」という男性からの連絡も含め、
想像していた以上の相談が寄せられているといいます。

「ニーズとしてはですね、高いのかなというのは
すごく感じています。
このコロナの影響で1人で抱え込んじゃってとか、 
誰にも言えなくてっていうのも 
あるのかなっていうのも感じています」(佐藤さん)

【出産前から滞在可能】

特に、家族やパートナーのサポートがなく
経済的に困窮している人や、
未成年など出産や子育てに
困難を抱える人は、
出産前からセンター内に滞在できます。

w_201201_05.jpg

今まで、出産前にこうした理由で入所できる施設は
なかったということですが、
このセンターでは出産前から出産半年後まで
切れ目なく支援し、子どもが1歳半になるまで
状況確認などのアフターケアも行います。

さらに、就労支援も受けることができます。
企業と連携して実践的な接客講習や
社会人としてのマナー講習のほか、
資格の取得支援も行っています。

【利用者は・・・】

このセンターに身を寄せている
20代前半の女性が、手紙で心境をつづってくれました。

w_201201_06.jpg

「夜泣きが大変。
すごいってきいてたけど、やっぱりすごかった」(利用した女性)

女性はことし4月新型コロナウイルスの影響で
仕事を解雇されたと言います。
妊娠中で新しい仕事は見つからず、
家賃が払えなくなりました。
家族とは疎遠で、パートナーは当時、未成年。
養育環境が整わないため、
出産直前にセンターに入り、
先月末に男の子を出産しました。

w_201201_07.jpg

「子の1歳の誕生日までには彼と子どもと3人で暮らし、
 安定した生活を送りたい」(利用した女性)

女性は、支援を受けながら、
自立に向けて一歩ずつ歩き始めています。

妊娠や生活の不安などから
病院の受診が遅れていた女性。
センターと出会いサポートを受けることで
1人で抱え込まなくてよくなりました。

支援にあたっている佐藤さんによると、性は、
「今回Comomotieと出会うことによって
本当に助かったし、ありがたかった。
他の人たちもそれを知ってもらいたい」と
話しているということです。

【若者とつながるために】

一方で、妊娠で悩む若年層は、
母子手帳をもらいに行けなかったり、
病院に行けなかったりすることで行政による把握が難しく、
支援が十分に届いていないのが現状です。

w_201201_08.jpg

センターでは、若い世代とつながるため、
ツイッターでの広報に力を入れています。


会議では、どのような言葉で訴えれば、
悩んでいる人に届くのか意見が交わされました。

w_201201_09.jpg

「検索しやすいキーワードの方がいいのかなと思うから、
『生理が来ない』とか。親に相談できない子とかも
 いるから『親』のキーワードは
 あってもいいかなと思うし」(佐藤さん)

センター長の大神嘉さんは、
今後、LINEなども活用し、
支援につなげたいとしています。
「とにかくSOSを出さないというか、
 出すエネルギーがそもそもなかったり、
 つながらない、公的支援が受けにくい、
 そういった方々に手をさしのべることが重要だと思います。
 赤ちゃんの未来を、そんな簡単に終わらせたくない」

w_201201_10.jpg


【支援拡大を】

厚生労働省の調査では、
虐待を受けて死亡した子どもの
およそ40%が0歳児でした。
センターでは支援を通じて
虐待の芽も摘むことができればと考えています。

Comomotieのような
取り組みが全国に広がって、
悩みや困難を抱える妊婦の
支援につながってほしいと感じました。

▽Comomotie(こももティエ)の相談窓口はこちら
電話 :092-400-0780
メール:comomo@fukubo.or.jp
24時間無料で相談を受け付けています。
電話は、月曜~土曜(8:30~17:30)で専門職員が対応しています。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:16時01分 | 固定リンク


2020年11月24日 (火)ジェンダー企画 不安乗り越え "女性"として生きる


いま、海外の映画祭で注目を集めているドキュメンタリー映画があります。
「息子のままで、女子になる」(英語名「You decide.」)です。

w_201124_01.jpg
「息子のままで、女子になる」監督:杉岡太樹 (c)2020 ‘You decide.'より

主人公は、福岡出身のサリー楓さん(27)です。
普段は東京の大手設計会社で、
女性社員としてオフィスや都市空間の設計などに携わっています。
3年前、大学院生の時に“女性として生きる”ことを公にしました。
主演したドキュメンタリー映画では、カミングアウトしたサリー楓さんの苦労や葛藤を描いています。
なぜ、ありのままの姿をさらけ出す決心をしたのか。
そして、映画への出演を通して何を伝えたかったのか。
映画に込めた本音に迫りました。

w_201124_02.jpg

 


 

8歳のころから夢見た建築の世界

 

―― 高校までを福岡で過ごしたサリーさんにとって、福岡というのはどんな街ですか。

福岡はコンパクトで、いろんな人がいて、大きすぎず、小さすぎず、自分が等身大で暮らすことができた街だったなって思います。8歳のころから建築家を夢見て過ごしていたんですが、福岡って名建築が実は多くて、例えば福岡銀行本店ビルは、黒川紀章さんが建てられていたりとか、西日本シティ銀行は、磯崎新さんが建てられたりとか、マスターピースみたいなのが多い場所なので、やっぱり建築家の作品みたいなものに日常から触れることができたかなって思います。

―― 実際、東京で夢だった建築の仕事に就いて、どのように感じていますか?

東京っていう街はやはりダイナミックで、海外に直接つながれるっていうのは、ほかの都市との違いだと思うんですよね。国際的なプロジェクトに直接ここから携われる。東京の一部を作っているんだなっていう感じがします。やっぱりそういうダイナミックさを日々感じながら建築の仕事をしています。

w_201124_03.jpg

女性社員として東京の大手設計会社に勤務するサリー楓さん

 


 

“男性”として生きた福岡

 

―― 女性として生きることを明かしたのは3年前の大学院生の時。サリーさんにとって、福岡は“男性として生きた場所”ということになりますよね。これはご自身の中では、どのような時期だったんでしょうか。

福岡にいたときは、ずっと男性として過ごしていて、やっぱり自分の記憶も男性として過ごした日々の記憶が根づいているんですけれど、そんなになんかこう、福岡に対してつらかったとか悲しかったみたいな記憶ってそこまでなくて、むしろ“今の自分”とは違うコンディションで見てきた街だったので、今思いだすとそこで過ごした時間っていうのは夢のようだったなというか、あまり実感が湧かない。なんかこう“いい思い出”だったなという感じがします。

―― 「実感が湧かない」っていうのは、自分の認識している性と、ふるまっている性との違いがあったからでしょうか。

そう思います。男性として生活していた街だったので、今の自分の価値観とか今の自分の生活のあり方と、必ずしも記憶が一致しない感じがするんですね。福岡で女性として生活した記憶がないので、今の自分のコンディションと地続きでとらえられないっていうのはあります。

―― 福岡での生活をしているときに、生きにくさなどは感じていましたか?

今の福岡はどういう感じかわからないですけど、当時、福岡ってお父さんが大黒柱だみたいな考え方が結構強かったと思うんですよ。やっぱりそれっていい面もあって、お父さんが非常に信頼されていて、お兄さんが家族を見守っていくみたいな考え方だったと思うんですけど、やっぱり、長男だからしっかりしないといけないとか、長男だからお母さんの面倒も見ていかないといけないみたいな感じで、結構頼られることが多かったかなって思っていて、それを重荷に感じるようなことはあったと思います。

キッチンに入ると怒られましたね。うちだけじゃないと思うんですけれども、キッチンに入って家事を手伝うみたいなのを良しとしない風習はあったと思います。怒られちゃうので、なかなか家事に参加できないっていうか、そういうのは当時感じていて、違和感はやっぱりありました。

 


 

明かせなかった“本当の気持ち”

w_201124_04.jpg

 

―― ご自身が女性の性を自覚しているということについて明かすことはなかったんでしょうか。

全くなかったです。性別に関する違和感みたいなのを周りに話すことはなくて、あまり話せる雰囲気でもなかったので、学校でも友達にも家族にも、特に言及することはなかったです。

カミングアウトしづらいというか、あまりそういう話をして受け入れてもらえるような雰囲気を感じなかったので、話すのがいけないというよりも、話して通じる人が果たしてこの中にいるのかなみたいなことを考えていて、それで話すことができなかったっていうのがあります。

話しやすい雰囲気のことを「ウェルカミングアウト」って言うんですけど、ウェルカムとカミングアウトで。あまり、私の当時のいた環境はウェルカミングアウトっていうものを感じることはなかったです。

 


 

心の在り方は変えられない~やっぱり女性なんだ

 

――周りの人たちに合わせて、男性として行動していたんですか?

当時、LGBTっていう言葉も当時知らなかったので、男らしくしなきゃっていう焦りがありました。どうやったら普通になれるかみたいなことを考えていて、今はそんなことないんですけど、当時は女性的であることに対する罪の意識みたいなのがやっぱりあったので、どこかで直さないといけないものなんだろうなと思いながら過ごしていました。ラグビーやってみたりとか、すぐやめちゃったんですけど柔道部とかに入ってみて、みたいなことがあったんですけれど、そういう部活動とかふだんの生活のエッセンスみたいなのを男らしくしたところで、自分の精神的な部分が変わるわけではないんだなっていうのを自覚させられるような経験だったかなと思います。

18歳まで過ごした福岡での時間っていうのは自分を形成していくような期間だったと思うので、当時の福岡の価値観みたいな中で、自分を探していくのに苦労しましたね。

―― ご家族に自分の葛藤は明かせなかったんですか。

そうですね。なかなか明かしづらかったですね。やっぱり1回話しちゃって、それで、もしうまくいったら気持ちが楽になる。けれど、うまくいかなかったら、そのあとずっとぎくしゃくしちゃうと思うんですよ。例えば、中学校3年生のときに、もしカミングアウトしてたら、そのあとの高校3年間っていうのを気まずい状態で毎日過ごさないといけないんですよね。なので、カミングアウトするなら家を出て、かつ自分で自立してある程度生きていけるようになってからにしようっていうのを考えていて、それまでは余計な波風立てないようにしようって思っていました。


 

 就職活動の時に「女性としての人生」を選択した

 

―― どうして大学院1年生の時にカミングアウトしようと思ったんですか?

狙ってそこでやったというよりは、ちょうど就職活動が始まったタイミングで、エントリーシートを女性で出したいと思ったんですよね。それまでは、男性として通学していました。メークとかも全然知らなかったんですけれども、就職活動のときに性別を変えることができなかったら、社会人の生活ってそのあと40年ぐらい続くじゃないですか。その40年の中で自分なりに性別を変えるタイミングが見つけづらいんじゃないかなと思って。本当は進学のタイミングとかで性別を変えられたら一番良かったんですけれども、大学院まで行っちゃったのでラストチャンスだと思って、就職活動にエントリーする直前にメークとか始めて、カミングアウトしました。

―― たしかに、一度社会に出てしまうと影響が強くなったりするかもしれませんね。

社会人になってから変えると、もしかしたら会社で嫌がる人が出てくるんじゃないかなとか、取引先にびっくりする人がいるんじゃないかなとか。会社って、大学よりも大きかったりするので、会社の中でも摩擦みたいなのが起こるんじゃないかなって、いろんな妄想しちゃうと思うんですよ。
本当は会社に入ってもカミングアウトできるような、そういう社会になっていくのが一番いいと思うんですけれど、当時は残念ながらそこまで進んでいなかったので、そういうふうな段取りをとりました。

w_201124_05.jpg

 


 

ジェンダーの“本当の壁”は、「その場にいない第三者」

 

―― 就職活動では、LGBTに理解がある企業、理解がない企業と接する機会があったと思いますが、どのように感じていましたか。

LGBT、トランスジェンダーの方でも全然大丈夫ですよって言ってくださったんですけれど、ただ、ほかの担当者の方がなんて言われるか分からないので、上のほうにも聞いてみますみたいなことを言われたときに、なんかこう、自分は理解あるけどほかの人は理解がない前提で話を進めてるのって、社内における信頼があまり構築されてないのかなっていうのを感じちゃったりとかしていて、あからさまじゃない偏見みたいなのを感じる場面が就職活動の中でありました。

LGBTの問題について考えるときに、カミングアウトしたときに何かリスクがあるんじゃないかなって思ってしまう一番の要因って、反対されることではなくて、反対する意見があるかもしれないとか、反対する人がいるかもしれないっていう、そういう「想像の中で現れてくる第三者」みたいなのが結構負担になると思うんですよ。そこにいない第三者を想像して話が進められるようなことがあったりして、そこに対する違和感は感じていました。

――それでも、“女性”として就職活動を続けたんですね。

不安しかなかったですね。やっぱり、見た目と性別が一致してないとか、もしくはメークをしてやってきているみたいなことがマイナスに働くのかもしれない。それこそ「不気味」だと思われたら嫌だなとか、別にメークして仕事しても、メークせずに仕事しても、男の人が仕事しても、女の人が仕事しても、トランスジェンダーの人が仕事しても一緒なんですよね。仕事は仕事なので、別にパンツ脱いで仕事するわけじゃないじゃないですか。仕事をすることには圧倒的な自信はあったんですけれども、一方で、あらぬ疑いをかけられるというか、LGBTであることで仕事に何か支障が出るんじゃないかみたいなことを、私がいない場で議論されたら不利に働くなって思いながら、それを不安に思いながら就職活動していました。

今の会社では一緒に考えていこうということを話してくれて嬉しくて、それって今取り組みしているかとどうかに関係なく、可能性が無限大ってことじゃないですか。

w_201124_06.jpg

 


 

“女性になる”ことが目的じゃない その先に何ができるかが大切

 

―― 就職活動では、夢だった建築家になれるチャンスで、ジェンダーの問題が壁になったかもしれない。夢の実現の可能性を考えて、女性である気持ちをあきらめたりはしなかったんですか。

そうですね、建築家っていう夢のためにジェンダーを、結局、私は女性で押し通したんですけれど、押し通せなかったときにどうしてたかは今でもわからないですね。

ただ、女性になるっていうのは夢でもなんでもないと私は思っていて、ある意味では、自分がどうやって生きていくかという、ステータスとかコンディションの話だと思うんですよ。私は今女性っていうコンディションで生きてますけれど、その中にはいろんなコンディションってあると思うんですよね。それと、自分がどういう仕事するかっていうのはあまり結びつけずに考えていたりします。

女性になるっていうのを人生の目標とか夢とかに据えちゃうと、あとあと女性として生活することがかなったときに、なんか、きついんじゃないかなって昔から思っていて、大学に行くことよりも大学に行って何を勉強するか、英語を勉強するんじゃなくて英語で何を勉強するかとかだと思うんですよね。

―― 就職活動のタイミングでカミングアウトをしてよかったと思いますか?

カミングアウトして良かったと思います。カミングアウトすることで、日常生活が送りやすくなりましたし、無理に抑え込む必要もなくて、カミングアウトしたからといってそんなに女性らしくしなきゃっていうものにしばられるわけでもないので、ある種、自分がいちばん心地いい状態で常にいられる。コンディションを整えることができたのかなっていうふうに思います。

 


 

海外で注目されたドキュメンタリー映画~日本のジェンダーに関心高い

w_201124_07.jpg
「息子のままで、女子になる」監督:杉岡太樹 (c)2020 ‘You decide.'より


―― ことしの夏にロサンゼルスで開かれた映画祭ではベスト・ドキュメンタリー賞を受賞したり、カナダからも公式招待を受けたりして海外での反響が大きいですね。

やっぱり日本のLGBTの状況って、世界的に見ても特殊だと思うんですよね。日本ではLGBTに対する暴力みたいなのは海外ほどあまり起こっていなくて。表立って大きな事件にならないので、多くの人が無関心であまり議論されてないと感じてるんですね。それが海外の人からはびっくりだったりするのかなと思います。中国人の方にお話しいただいたことがあるんですけど、その方は何で日本に住んでいるかっていうと、日本はLGBTに対してある程度無関心だから、過ごしやすいからだっていうふうに言われていて、出身の村では、男性が女性の格好するってなったら殺されちゃうと。だから、もう自分の故郷には一生帰れないってことをおっしゃっていて、こんなに違いがあるんだなっていうのを感じさせられました。

―― 日本のどんなところに課題を感じていますか。

例えば、東京の渋谷区が有名ですけど「パートナーシップ制度」があると思いますけど、同性の結婚ってすごく大事だと思うんですよね。でも、パートナーシップ制度って、パートナーシップ制度を結んでる地域にしか住めないんですよ。転勤になったらどうするんだとか、ほかの地方とかに転勤になったりするとどうするんだとか。パートナーシップ制度がない自治体にお住まいの方はどうすればいいのかなみたいなことがあったりすると思います。

同性愛の方だと、結婚を認められるかどうかで、例えば給与の額面が変わったり、転勤のときにその配慮がされるかどうかみたいなのって、いろいろ変わってくると思うんですよ。そういう社会福祉にアクセスできないっていうことが、日本の課題なのかなっていうふうに考えています。

 


 

父は、私のことを今でも“息子”と呼んでいます

 

―― 映画では、ご家族と話す場面が登場します。今はどんな関係なんですか。

映画を通して家族と初めてジェンダーについて話したんですよね。これまでは、全力で止められたことはなかったんですけれど、何となく私の性別的なものについて語り合うのは避けていたんですよね。カミングアウトした頃には就職活動も終わってたので、ある意味では無関心というか、うまくいってるんだったらいいんじゃないのみたいな、反対も賛成もしないよっていう立場だったんですけれど、今回ちゃんと親子で話すことができて、ある意味ではすっきりしたというか、それはジェンダーに関して手放しで両親に賛成されたわけではないですけれど、少なくともカメラの前で話し合うことができたっていうことが非常に大きな一歩だったなっていうふうに自分で思っています。

―― まだお父さんは自分の息子だとおっしゃっていますよね。

はい。私個人としては、父から「まだ息子だと思っている」って言われて、ショックはショックでした。ただ、父も父の世代の中で、そういう社会の中で生きてきて父なりの時代の価値観みたいなのを持っていると思うので、ある意味では間違ってないんですよね。息子だって思ってるっていう感覚は、18年間一緒に生活してきて息子として育てて、急に言われてもなかなか受け入れられないっていうのもすごくわかるので、何かこう、これから一緒に話し合っていくというか。

ダイバーシティーっていう言葉、最近よく言われると思うんですけれど、私はダイバーシティーっていうとすぐに、LGBTとLGBTに理解のある人だけ集まって盛り上がってるような印象を受けるんですけれど、LGBTのことを知らない人とかLGBTに対して違和感がある人とか、自分は認めないぞっていう人とか、そういった方々も含めてダイバーシティーだと思うんですよね。

なので、父はある意味では私に理解がなかったんですけれど、ただ、その父と話し合うことを通してしかダイバーシティーというのを実現できないのかなと私は思っているので、少なくとも話し合えたっていうことは、多様性のある社会に1つ近づけたんじゃないかなっていうふうに自分は思ってます。やっぱりLGBTに対して理解をしてない人って、わざわざメディアには出てこないんですよね。LGBTに対してよくわからないって思ってる人とか、LGBTの人たちが盛り上がってるのが怖いって思う方とかって、いると思うんですよね。そういう方々ってわざわざそういう声を上げたりしないと思います。こういう時代なので。そんな中で、父はカメラの前に出てきて自分の意見をはっきりと述べたと思うんですけど、それ自体はすごく勇気のあることだし、そういうことをしないと社会は発展していかないので、非常に重要な、貴重な機会になったんじゃないかなっていうふうに思ってます。

 


 

周りの理解があって女性として生きられる

w_201124_08.jpg
都市空間のデザインについてのミーティング

 

―― 映画で自分の人生をさらしたことで、ジェンダーに対する気持ちに変化はありましたか?

自分らしく生きることって、人生のスタートラインに立つうえで、とても大切なことだと思います。

だけど、自分の周りの存在も大切なんですね。映画の英語のタイトルが「You decide.」っていう名前なんですけれど、自分が女性として生きたいって思って、女性として生きるんだって決断して生きてる。一方で、自分を女性として生かしてくれてるのって、実は社会のほうだったりして、やっぱり、自分が女性として生きると同時に、社会が女性として生きさせてくれてるみたいな、そういう、自分の周りに広がる社会っていうものに意識的になりました。

自分がどうありたいかとか、自分がどう生きていくかっていうのは自分が決めることだし、LGBTの権利っていうのは当事者がたたかって獲得してきたものだと思うんですよ。一方で、自分らしく生きられるっていうのは、ある程度周りの助けも必要としていたり、周りの考え方をアップデートすることでしか自分の考え方もアップデートできないっていう側面もあるので、いろんな人とのかかわりの中で、自分らしく生きることの大切さを伝えていきたいと思います。

 


 

【取材後記】

私は、ことし入局16年目。“男”を意識して仕事をした記憶はほとんどありません。アナウンサーとして原稿を読み、取材者として原稿を書いてきました。この記事を読んでいただいている皆さんも、このニュースは男性が書いたのか、女性が書いたのかを毎回意識して聞くことはないと思います。一方で、ジェンダーの取材を進めると、毎日のように自らの「性」と向き合い、性に悩むことを強いられる人たちが多いことに気づかされました。

今回、サリーさんの取材で一番心に残ったのは、「女性になった後に何ができるか」という言葉です。そこには、建築家として社会を創る目標に突き進む力強さと覚悟を感じました。そんなサリーさんも、「周囲の助け」があって自分は女性として生きられると語っています。

今回お話を聞いて、ジェンダーの問題は、「人」としてどう生きていくかということに強く結びついていると、改めて考えるきっかけになりました。

取材
福岡拠点放送局
アナウンサー 藤澤義貴

w_201124_09.jpg

■NHK福岡放送局キャンペーン「さよならジェンダーバイアス」特設サイトはこちら

投稿者:藤澤義貴 | 投稿時間:16時59分 | 固定リンク


2020年11月11日 (水)オンラインで"誰もが自分らしく"~コロナ禍の九州レインボープライド~


去年まで福岡市の冷泉公園で開かれていた「九州レインボープライド」。
性的マイノリティーの当事者などが多様性を象徴するレインボーの旗を持って、
中心部をおよそ3キロパレードし、理解を求めてきました。
しかし、ことしは新型コロナウイルスの影響で、初めてオンラインで開催。
これまで参加をためらっていた人もオンラインで参加しやすくし、つながるきっかけ作りを目指した主催者の思いを取材しました。(報告 米山 奈々美)

福岡市中央区から、2日間14時間に及ぶ生配信で開催された性的マイノリティーの人たちのためのオンラインイベント。趣旨に賛同したミュージシャンによるライブや
トークショーなどが行われました。

w_201111_01.jpg

実行委員会代表の三浦暢久さんです。自身もゲイであることを公表していて、
これまで「誰もがその人らしく生きられる社会を」と広く理解を訴えてきました。
しかし、ことしは、新型コロナウイルスの感染が拡大。イベントを中止するか     悩みました。
「すごく悩みましたよ、やっぱりリアルに歩いて皆の前で手をふっているよって存在を伝えることで成り立ってると思うので」(三浦暢久さん)。

w_201111_02.jpg

一方で、これまでは実際のイベントに参加することで性的マイノリティーと
知られるのが怖いという声もありました。このため、三浦さんはことしはオンラインでの開催によって、性的マイノリティーの人たちが参加しやすくし、参加者どうしがつながるチャンスにしたいと考えました。
「スマホ1台で参加できるようになるので、家を出るのも怖いって方たちからすればスマホの中にフェスタ会場があって、何かのきっかけ作りにしたいなと思ってたりしますし」(三浦暢久さん)。
オンラインイベントでは事前に登録した人だけが参加できる意見交換の場も設けました。参加したHIROさんです。みずからはゲイであることを公表していて、同性婚への理解を呼びかける活動をしていることなどを紹介し、参加者からの質問に答えながら交流を深めました。

「(オンラインは)顔出しの選択も出来るのですごく注目度が高まると思って、オンライン開催はすごくいいなと思ってます」(HIROさん)。

w_201111_03.jpg

イベント2日目。目玉であるオンラインによるパレードが行われました。コロナ禍で当事者や支援者がつながることが難しくなったことし、実際のパレードと同じように、思いを分かち合おうという企画です。それぞれが公園や部屋など思い思いの場所からテレビ会議でつながりました。

w_201111_04.png


これまでは行進しながら掲げていたプラカードを、画面に向けてそれぞれの思いを訴えます。

w_201111_05.jpg

初めてのオンライン開催。三浦さんは、今まで参加をためらっていた人とも
つながることができたと感じています。
「一歩を踏み出せたような気がします。来年、再来年ももっと何かできるんじゃないかなって思います」(三浦暢久さん)。

■NHK福岡放送局キャンペーン「さよならジェンダーバイアス」特設サイトはこちら

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18時00分 | 固定リンク


2020年08月28日 (金)キャンパスに行きたい~孤独な大学生たち~


web_200828_01.jpg

「私は大学一年生 春から東京の美大に進学・・・したけれど 」
「ひとり部屋にこもり画面と向き合い オンライン授業を受ける毎日」

ネットで話題になった大学1年生の心境を描いた4コマ漫画です。新型コロナウイルスの影響で大きく変わってしまったキャンパスライフ。大学生たちは、今どんな思いを抱いているのか。ことし九州大学に入学した1年生を取材しました。

web_200828_02.jpg
 
先週、九州大学のキャンパスを訪れてみました。いまは夏休みの期間とはいえ、サークル活動などで賑わっているはずですが、いつもの活気はありませんでした。
新型コロナウイルスの感染予防のため、今も学内への立ち入りの制限が続いているからです。5月に授業は始まりましたが、原則オンラインだけで、対面での授業がないまま夏休みを迎えました。

web_200828_03.jpg
 
福岡市の伊藤光希さんです。自宅を訪ねると、勉強部屋には飛行機の模型がずらりと並んでいました。航空機関連のことを学びたいと、第1志望の九州大学工学部に入学しました。しかし、入学後、キャンパスを訪れたのは、学生証を受け取りに行った1度だけです。

(伊藤光希さん)
「入学したら、サークルに入ったり、興味のある航空関連の専門的な教授の話を、直接会って聞いたりできると思っていたのに。思い描いたキャンパスライフとはまったく違っていました。何となく勉強内容だけが変わっているだけで、気分はまだ高校を卒業したままで止まっている感じです」

web_200828_04.jpg
 
家族以外、誰とも会うことなく自宅でオンライン授業を受ける日々。入学後の新しい友だちは、ほぼ出来ていません。孤独感や寂しさを埋めるように、夜遅くまで部屋にこもって、
高校時代の友人たちとオンラインで会話していました。

「小中学校や高校は始まったのに、なぜ大学はだめなんだろうとずっと思ってました。100歩ゆずって、授業はオンラインでも我慢します。でも人間関係は、どうしようもない。私は、地元の大学なのでまだましかもしれませんが、遠方から来た1人暮らしの1年生は、どんなに寂しいだろうなって。大学側には、なんとか1度でもいいからキャンパスに集まって、人間関係を構築できる機会を作ってほしいです」

web_200828_05.jpg
 
九州大学は、ことし6月、学部生と大学院生を対象にアンケート調査を行い、3割ほどのおよそ6000人から回答を得ました。それによりますと、4割の学生が、「孤独感や孤立感を感じる」と答え、人間関係が希薄化して、孤独感を強めている学生の実態が浮き彫りになりました。また「この1か月、友人と直接話をしたか」聞いたところ、「全くしない」、「あまりしない」と答えた学生があわせておよそ3割に上りました。

web_200828_06.jpg
 
学生へのアンケートを行った九州大学キャンパスライフ・健康支援センターの梶谷康介准教授は、次のように話しています。

(梶谷康介准教授)
「こういった状態が続けば学生の心身ともに影響を与える。特に新入生には、本当に自分は大学生になったのかと思うという疑問もあったと思う。コミュニケーションが苦手な学生も少なくないので、大学側からもっとアプローチして、孤立感や孤独感を解消していきたい」

web_200828_07.jpg
 
大学に学生たちが集まって、対面で授業を受ける日はいつなのか。文部科学省の調査では、7月の時点で、全面的に対面の授業を再開させる時期については、全国のおよそ6割の大学が「検討中」となっていました。九州大学は、夏休み明けの10月からは対面での授業の再開を検討しているとしています。


【取材後記】
伊藤光希さんは、「本当はテレビに出るのは恥ずかしいんです。でも僕たち大学生の現状を多くの人に知ってもらいたくて」と緊張した様子で取材に応じてくれました。
「団塊の世代」「ゆとり世代」など、過去、若者の世代の名称には色々ありますが、新型コロナウイルスの影響を受けた若者たちを指して、“ロックダウン世代”という名称も出てきています。国際労働機関(ILO)が名付けたもので、教育や就職の機会が減少し、将来に不利益を受ける可能性があると懸念しています。
前例のないコロナ禍の若者について、私たちは今後も取材を続けていきたいと考えています。読んでいただいた方からのご意見や情報提供を、NHK福岡拠点放送局にお寄せください。(放送部記者 森並慶三郎、島田尚朗)

web_200828_08.jpgweb_200828_09.jpg

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:12時05分 | 固定リンク


2020年08月06日 (木)"フランスに焼酎ブームを"


web_200806_01.jpg

ことし7月、熊本県などを襲った記録的豪雨。その被害は特産の焼酎の蔵元にも及びました。そうしたなか、九州各地の蔵元が参加してワインの本場、フランスに焼酎を売り込もうという取り組みが始まっています。被災地の支援につなげるためにもフランスに焼酎ブームを起こしたい。蔵元の挑戦を取材しました。

web_200809_02.jpg

今年7月、福岡市にある九州経済産業局とフランスを結んで、オンライン会議が開かれました。フランスから参加したのは世界的ソムリエのグザビエ・チュイザさんです。

web_200806_03.jpg

実はこの会議は、九州各地の24の蔵元から送った焼酎の選考会です。芋、麦、米、黒糖など様々な原料からつくられた焼酎をソムリエが試飲しました。

web_200806_04.jpg

選考会は九州経済産業局がフランスに焼酎を輸出しようと企画しました。
「日本酒に比べて、圧倒的にまだ認知されていない。蔵元の方々がすばらしいものを作っていることを海外に広げるために側面支援したい」(九州経済産業局樋口一郎統括係長)

web_200806_05.jpg

しかし、最初の選考会を3日後に控えた7月4日。九州を記録的な豪雨が襲いました。熊本と大分の少なくとも4つの焼酎の蔵元も大きな被害を受けました。

web_200806_06.jpg


この状況で選考会を開くべきなのか、樋口さんは判断を迫られます。検討を重ねた結果、被災した地域と蔵元の支援につなげるためにも選考会を予定どおり開くことを決めました。



web_200806_07.jpg

選考会に参加した球磨地方の蔵元「豊永酒造」を訪ねました。
この蔵元はかろうじて今回の豪雨被害を免れました。4代目、豊永史郎さんは原料の米の栽培からすべてこの土地で行うことにこだわっているといいます。

web_200806_08.jpg

特に、大切にしているのが球磨川に注ぐ地下水です。
「降った雨が何十年、何百年と経過して地下に浸透して、まさに球磨の自然そのものの水だと思います」(豊永酒造・豊永史郎さん)



web_200806_09.jpg

球磨地方の豊かな自然のもとで生み出した焼酎。味や香りだけでなく、産地にもこだわるフランス人にも受け入れられると豊永さんは考えていました。「絶対、世界の人に通じると思います。欧米の人にも訴える力があると思いますので飲んでもらって、我々のこの風土をイメージしていただきたい」(豊永酒造・豊永史郎さん)


web_200806_10.jpg

そして行われた選考会。豊永さんの焼酎を試飲したソムリエは、「花の香りがしてさわやかでピュアな印象」「エキゾチックで見事な焼酎」とその味や香りを絶賛します。さらにソムリエは、豊永さんの焼酎づくりの考え方が、「テロワール」と呼ばれるフランス人特有の思想に似ていると評価しました。テロワールは、原料の栽培から出荷までを同じ土地で行うワインでよく知られる考え方です。


web_200806_11.jpg

ソムリエに高く評価された豊永さんの焼酎は、次の商談会に進むことが決まりました。後日、豊永さんとソムリエはフランス人バイヤーに売り込むため、直接打ち合わせを行い、思いを共有します。「一緒にフランスで新しい焼酎ブームを作りましょう」(ソムリエ グザビエ・チュイザさん)

web_200806_12.jpg

球磨地方の風土を表現した焼酎を多くのフランス人にも味わってもらいたい。豊永さんの挑戦が始まります。「やはり、通じ合えるところがあり、手応えは十分です。日本のすばらしい焼酎文化をぜひ、ヨーロッパ、それから世界中に伝えていきたい」(豊永酒造・豊永史郎さん)



【取材後記】
ワインの本場・フランスで本当に焼酎が受け入れられるのか?今回の話を聞いたときの率直な感想でした。しかし、焼酎を口にしたソムリエの反応は予想を裏切るものでした。九州の蔵元が送り出した焼酎はソムリエの心をしっかりとつかんだのです。「リキュールと混ぜたり、ソーダで割ったりせずに、まず『焼酎』そのものを知ってもらうべきだ」。ソムリエからのアドバイスです。取材を通して、焼酎を知ってもらうことは、その焼酎がつくられた土地の文化や風土を知ってもらうことにもつながると改めて思いました。「球磨の土地を焼酎で表現するのが使命」豊永さんのことばです。記録的豪雨の被災地ではいまも多くの人たちが復興に向けて懸命に復旧作業にあたっています。球磨地方の焼酎が海外に広がり、それを通じて球磨地方の土地に多くの注目が集まる。それも復興支援のひとつの形ではないかと思います。

(福岡放送局 記者 陶山美絵/野依環介)

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18時00分 | 固定リンク


2020年03月23日 (月)新型コロナウイルス "入国制限"ビザ問題に揺れる日韓の人々


【韓国在住日本人からの手紙】

「ビザの問題は海外在住者にとってはすぐに“犯罪者”にされるかもしれないような、怖い問題です。政府がきちんと詳細を発表し、メディアもそれをきちんと伝えてほしいです。」

w_200319_01.jpg

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、日本と韓国が互いの国からの「入国制限」を開始した翌日。韓国に住む日本人女性が不安な思いを文章につづり、私たち取材陣に送ってくれました。

入国制限の発表後、主に注目が集まったのは「(日本入国後)14日間の隔離措置(待機要請)」、そして韓国から事実上の「対抗措置」がおこなわれたことでした。ネットでは日本語で「そのまま国交断絶を希望」「韓国からの入国なんて永遠に制限しろ」という声も並んでいます。

その裏で、韓国に住む日本人、日本に住む韓国人にとって大きな心配の種となったのが「ビザ」の問題。今回の入国制限の一つとして両国がおこなったのが「発給済みビザの効力停止」です。今後の人生にも関わる大きな問題―。入国制限が日韓を行き来する人々にどのような影響を与えたのか、取材しました。


【突然の“ビザ効力停止”】

w_200319_02.jpg

文章を送ってくれた日本人女性に電話取材ができました。韓国ソウル近郊に住む、成川彩さんです。3年前から大学で学びながら、映画の解説や講評をするライターとして活躍。日本人に向けて韓国の魅力を発信するなど、交流活動にも積極的に取り組んでいます。

成川さんは、家族が東京にいるため、日本と韓国を毎月行き来しています。3月7日にも日本に行く予定で航空券を予約していました。

ところが―。5日、日本側で「入国者を2週間隔離」というニュースが流れました。確認したところ「9日から始まるので7日入国であれば大丈夫」ということが分かりましたが、「韓国からの対抗措置が出る」という話を聞き、成川さんは発表を待ちました。

6日、韓国側の発表の中に「すでに発給されたビザの効力停止」という内容がありました。成川さんは「もし日本へ行ったら再び韓国に戻れないのではないか」「でもこのまま韓国にいたら“不法滞在”になるかもしれない」―疑問と不安な気持ちを抱きます。


【“入国制限”とは?ネックとなったビザ問題】

日韓政府がおこなった「入国制限」とはどのようなものだったのか。改めて整理をしていきましょう。

w_200319_03.jpg

日本政府は「待機要請」に加え、「すでに発給されたビザの効力停止」、90日以内であればビザ無しで渡航できた「ビザ免除措置の停止」などを発表しました。これに対し韓国政府も、「すでに発給されたビザの効力停止」、「ビザ免除措置の停止」、「新規ビザの発給審査強化」などを決定しました。事実上の対抗措置と受け止められています。

w_200319_04.jpg

w_200319_05.jpg
 
「14日間の隔離措置」が自宅やホテルでの待機要請であることが分かった後、この中で在韓日本人や日本にいる韓国人にとってネックとなったのは「ビザ」の問題でした。このまま「住み続けていいのか」、「母国に帰国したら再び韓国(日本)に入国できるのか」「申請したビザはこのまま無効になってしまうのか」―。ネット上にも混乱の声が多く上がりました。


【伝わらなかった詳細―そして混乱】

「私もビザの発行を受けて韓国に滞在しているので、その意味がよく分からなくて。即不法滞在になってしまうのか、まさかそんなことはないと思いましたけど。例えばいったん日本に出たらその効力が無くなってしまうのかとか。詳しい部分がよく分からなくて。」(成川さん)
 
w_200319_06.jpg

自分の今後の滞在や入国に影響が出るのか確認をしたかった成川さん。日韓どちらのニュースも見ていましたが、「既に発給されたビザの効力停止」を繰り返すばかりで、その詳しい内容は伝えられず、インターネットで検索してもよく分からなかったと言います。

そのまま(日本に行く予定だった)7日を迎え、日本に行った方がいいのか、行かない方がいいのか、成川さんは迷いました。飛行機は午後の便。朝のうちにソウルの日本大使館に電話、この日は土曜日だったため緊急窓口につないでもらいました。その結果、「ビザの効力停止は、これから韓国へ入国する人が対象で、すでに韓国にいる人は対象ではない」と説明を受け、9日以降に不法滞在になることはないと分かりました。「では逆に日本に行ったらだめなのか」と聞くと、「再入国許可を事前に取って出れば、ビザの効力は失われない。ただ、9日以降は隔離されますよ」という答え。一方、日本の外務省の関係者を通して「一度日本に帰ると次は新しくビザを取らないと韓国に入れない。期間内は韓国に留まった方が良い」という情報も入り、成川さんは混乱します。韓国にとどまらざるを得ませんでした。

もちろん成川さんだけでなく不安な思いをした人はたくさんいました。「詳細について政府から連絡がない」、「韓国のニュースでは「ビザの効力停止」、日本のニュースでは「韓国が対抗措置をとった」ことを繰り返すばかり」。インターネット上には様々な情報が飛び交い、混乱はさらに広がりました。自分で大使館に電話して確認する様子を動画として上げるユーチューバーも現れ、それを頼りにせざるを得ない人たちもいました。

取材陣も今回の措置について詳しく知るために両国の省庁や大使館領事部、出入国在留管理庁などに問い合わせをしましたが、当初はなかなか電話がつながりにくく、返ってくる答えが違うケースもありました。

「韓国・日本、いずれの報道を見ても、その詳細が説明されているのをまだ見ていません。見逃しているのかもしれないですが、これだけその情報を求めても入ってこないのは問題だと思います。ビザの問題は海外在住者にとってはすぐに“犯罪者”にされるかもしれないような、怖い問題です。政府がきちんと詳細を発表し、メディアもそれをきちんと伝えてほしいです。」(成川さん)


【ビザの無効で閉ざされた門】

取材の結果、成川さんのように韓国で外国人登録をして在留している日本人の場合、滞在し続けることも、一時日本に戻ってから韓国に再入国することも問題ないことが分かりました。実は多くの人が「ビザ」と「在留資格」の意味を混同して使っているのですが、ビザは「入国を許可する証書」であり、在留するためのよりどころとなっているのは「外国人登録(韓国)」や「在留資格(日本)」です。再入国も「ビザ」ではなく、この「外国人登録」と「在留資格」があれば可能です。しかし、省庁の関係者やビザの取得をサポートする会社なども「ビザ」と「在留資格」を混同して説明することが多く、これもまた混乱を招いた原因となりました。

すでに在留している人はビザ問題で大きな影響を受けることはないと考えられますが、「在留期間の延長自体も難しくなるのではないか」という不安な声も多く耳にします。また、措置が開始された9日までに入国できなかった人は、時間と労力をかけて取得したビザが「無効」となってしまいました。日韓両国の人に取材をしましたが、申請中だったビザが保留になったままの人、ビザが発給されず留学ができなくなった人が実際にいました。特に韓国の人が日本へ留学や就職をする場合、3月はまさに渡航の時期。「就職、入学の大事な時期でもあるのに、ビザを無効にして行き来が必要な人たちの門まで閉ざす必要があったのか」と話す日本人もいました。

韓国は日本の入国制限発表に対し「非友好的だ」という抗議をしました。防疫の問題になぜ「非友好的」という言葉を使ったのか。取材をする中で「措置が日韓を往来する人にどんな影響を与えるか、それらの問題にどう対応していくか、曖昧なまま措置が取られていたのではないか」という疑問の声にたくさん出会いました。「日本政府が事前協議や通報なしに一方的な措置をとったことは遺憾」と韓国は強調していますが、「これほど多くの人に影響の出る問題を、もし“協議なしに”進めたのであれば“非友好的”だと言われてもしかたがない」と話す人は日本の中にもいました。事実、日本の措置が発表された時点で、無効となるビザは中国(香港・マカオ含む)が280万件、韓国が1万7000件にも上っていました。

電話取材に応じてくれた成川さんは最後にこのように話していました。

「努力をして、お金も払って取得したビザが、納得のいかない形で瞬時に無効になるのには憤りを感じます。日本でも韓国の人が同じ思いをしています。改めて外国人として暮らすのってこんなに不安定なことだと本当に実感しました。」


【取材後記】

両国の入国制限の措置が発表されたとき、「14日間の待機要請」や韓国の「対抗措置」ばかりが注目され、「ビザ効力停止」の問題について詳細を知る機会があまりなかったように思います。「ビザ」を取る必要のない人には関係のないことですが、当事者にとっては切実な問題で、日韓の往来が活発な今、不安を抱えている人はたくさんいます。それは韓国の人も同じで、福岡に住んでいる韓国人や、日本に来る予定だった韓国人にも取材をしましたが、かなり混乱していました。両政府の対応だけでなく、詳しく報じなかったメディアの責任を問う声は多かったです。どの立場で物事を見るか、物事の裏で人々にどんな影響が起きているか、常に意識していきたいと思いました。

番組ではお伝えしきれなかった内容も含め、措置の詳細と、よく出る質問に対する回答(外務省・出入国在留管理庁・各国大使館領事部・韓国法務部などへの取材を基にしたもの)を以下に掲載します。(内容は2020年3月17日現在のものです。)

ディレクター 大木莉衣


 

Q&A

Q ビザの効力停止の対象者は?
A 既にビザは取ったが9日までに韓国/日本に入国できなかった人 ※ビザの種類関係なくすべて

Q ビザ免除措置(ノービザ)が停止すると?
A 観光など短期間の滞在でもビザがなければ入国できなくなった(新規にビザを発給する必要あり)

Q 韓国から入国 14日間の隔離措置とは?
A 国籍問わず韓国からの入国者はすべて検疫所長が指定した場所で14日間待機・公共交通機関使用の自粛(日本に自宅がある場合は自宅、旅行者の場合はホテルなどで待機・外出自制)

Q 日本から入国 「特別入国手続き」とは?
A 検疫で「入国不適切」と判断された場合「入国拒否」/さらに「自己診断アプリ」のダウンロードが必要(滞留期間中の症状を確認)

Q ビザの効力が停止すると韓国/日本に住んでいられなくなるか?ビザは取り直し?
A 「ビザ」≠「在留資格」(外国に住むことができるよりどころはビザではなく「在留資格」や「外国人登録」)→韓国在住日本人は外国人登録か居所申告が有効であれば/日本在住韓国人は在留資格があれば問題ない

Q 日本/韓国に一時帰国した場合、再入国は可能か?
A 韓国在住日本人 ) 外国人登録証があればこれまで通り再入国が可能 ※再入国までに1年以上かかる場合は再入国許可を取る必要あり
    日本在住韓国人 ) 在留資格があればこれまで通り再入国が可能 ※これまで同様に出国時にみなし再入国/再入国許可を取っておく必要あり

Q すでにビザを取得していたが9日までに入国できなかった人はビザを再取得する必要がある?
A 韓国へ行く場合 ) ビザ「停止」で「無効化」になるか未定→措置終了後もビザの再取得が必要か未定
    日本へ行く場合 ) ビザ「停止」であり「無効化」ではない→措置終了後は効力が再発生し入国可能(満了日に注意)※しかし3月中に日本に行く場合はビザの再発行が必要(可能だが時間がかかる)

Q 新規ビザの取得は難しくなるか?
A 韓国のビザ )直筆の「健康状態確認書」の提出が義務化(今後は診断書が求められる可能性も)/代理申請ができなくなる/申請から発給までに時間がかかる見込み ※緊急で人道的な事由が認められる場合は例外を認める
  日本のビザ ) 特別な手続きはないが申請から発給までに時間がかかる見込み ※緊急の場合は大使館や領事館へ問い合わせを


【問い合わせ先】

■日本に住んでいる韓国の方
*お住まいの地域管轄の「地方出入国在留管理局」
*駐日韓国大使館では日本政府の発表をもとに把握した詳細内容・よくある質問を随時更新中
 ※韓国語版HPに掲載「領事ニュース」

■韓国に住んでいる日本の方
*韓国・法務部「外国人総合案内センター」
 韓国からかける場合:(局番なしで)1345/日本からかける場合:+82-2-6908-1345

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:11時54分 | 固定リンク


ページの一番上へ▲