2020年11月27日 (金)マスク 正しく使えていますか?


庭木櫻子です。
各地で新型コロナウイルスの
感染の再拡大が止まらない状況です。

ピリッと緊張感の高まる情報も多いですが、
気をつけたいのがマスクの使い方です。

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気づけば、半年以上
マスクをつけた生活を続けています。
・マスクのつけ外しのときにさわる場所
・机の上にそのまま置いてもいいの?
・お洗濯のときのポイントは? …など、
みなさんの疑問を少しでも解決できないかと
マスクについての取材をしました。

「はっけんラジオ」でもおなじみの
医師の小野村健太郎さんも登場しますよ!

きょうの「ロクいち!福岡」で
ぜひチェックしてみてください。

投稿者:庭木櫻子 | 投稿時間:17:09 | カテゴリ:庭木櫻子 | 固定リンク


2020年11月26日 (木)4年連続の日本一!


松崎洋子です。

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ソフトバンクが4年連続の日本一!
やってくれました!!!
わたしもロクいち!後にドームへ直行。
日本一の瞬間を見届けることができました。
屋外のモニターも日本一仕様に。


異例のシーズンでしたが
最後にみんなで喜べて、最高の時間でした!


きょうは、
日本一を決めた選手たちの声や
にぎわうセールの様子などを
ロクいち!でお伝えします。

投稿者:松崎洋子 | 投稿時間:15:21 | カテゴリ:松崎洋子 | 固定リンク


2020年11月25日 (水)地元食材が決め手!宮崎ギョーザ~宮崎市~


宮崎といえば、マンゴーや地鶏などが有名ですが、実は古くからギョーザが愛されている街なんです。総務省の統計によると、2020年上半期のギョーザの購入額(外食、冷凍食品除く)で、ギョーザで有名な宇都宮や浜松などを抑え、宮崎市が第1位に輝きました。終戦直後、旧満州から戻ってきた人々が広めたといわれ、宮崎では家でギョーザを食べることが普通になっています。また、新型コロナウイルスによる巣ごもり需要もあり、あるスーパーでは売り上げが前年比2割増しだとか。

宮崎ギョーザの特徴は、野菜をふんだんに使っていること。県内のスーパーで8割のシェアを誇る製造会社では、食材の豚肉、ニラ、ニンニク、キャベツを宮崎県産で揃えるこだわりよう(キャベツは夏季のみ他県産)。豚肉は鮮度を保つため、餡をつくる際には温度を測って混ぜる時間を決め、キャベツは旨みを引き出し、シャキシャキ感を残すため、3回に分けて混ぜています。完成した餡は味をなじませるため、ひと晩寝かせます。

ギョーザづくりを担当するのは、この道11年の渡辺愛香さん。父親がギョーザ専門店を始めるものの売り上げは伸びず、廃業寸前に。その原因は当時、食材は市場で競り落とされたものが入ってきていたため、産地が安定しなかったことが理由と話します。事業を引き継いだ渡辺さんは、食材を宮崎県産に切り替えることに。地元生産者の元へ足を運び、自分の目と舌で選んだものを使用することにしました。すると売り上げは伸び、今では年間250万個を生産する、宮崎を代表するギョーザへと生まれ変わりました。

今後の目標について、渡辺さんは「夏場にキャベツを他県に頼るのが宮崎ギョーザの悩み。来年、宮崎で夏キャベツの試験栽培が始まるので、それも入れた“オール宮崎ギョーザ”をつくりたい」と意気込みます。

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【問い合わせ先】
■「宮崎ギョーザ」の製造・販売
▽屋台骨
住所:〒880-0834 宮崎市新別府町雀田1185
電話:0985-28-2945
※ギョーザは宮崎県内の各スーパーマーケットの他、インターネットでも購入可能

 

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こんにちは!中田理奈です。
今回の食いちは宮崎県の「ギョーザ」でした!!!

宮崎でギョーザ!?と驚かれた方も多かったのではないでしょうか。
私も、宮崎が全国的にもギョーザの購入額が高いということを知った時、とてもびっくりしました。
ですが、宮崎の中心部を歩いていると、宮崎のギョーザを盛り上げようと街の大画面で流れていたり、張り紙が貼ってあったり…。こんなにギョーザに熱い県だったんだ!と思いました。

さて、そんなギョーザについて、今回教えてくださったのは渡辺愛香さん。
屋台骨というお店のギョーザの責任者をしています。しかも、驚くことに「宮崎市ぎょうざ協議会」の会長までしている、とってもきれいな女性でした。お話上手で、ハキハキと話してくださり、ずっとテキパキと動いていらっしゃる、とてもかっこいい方でした!

そんな渡辺さんに、ギョーザをつくっていただきました。
今でも思い出すとお腹が空いてくるくらい、食欲をそそる見た目と匂いでした。
一口食べてみると…
噛んだ瞬間に、野菜と豚のうまみがじゅわっと口の中に広がるんです!
そして、ほんのりと、決して強すぎないにんにくの香りもして、とってもごはんが欲しくなりました。

おいしいギョーザの焼き方も教わりました。蒸し焼きにする際、多くの人は冷たい水を追加すると思いますが、渡辺さんいわく、お湯を入れるとフライパンの温度を下げずに焼くことができるそうです。ちなみに今回焼いたのは開発中の“お茶ギョーザ”。宮崎県産の煎茶を皮に練り込んだ一品です。気になるその味は、お茶の香りがほんのりとする、とってもお上品な味のギョーザでした!お茶の良い香りはするのに、独特の渋みなどはなく、おいしかったです。

宮崎のスーパーなどでは様々な種類の生ギョーザがあり、ギョーザの持ち帰り専門店なども市内にあります。新型コロナウイルスの流行が心配な現在ですが、こんなときだからこそ、宮崎ギョーザを買ってお家で楽しみたいですね。

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投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18:30 | カテゴリ:食いち! | 固定リンク


2020年11月24日 (火)博多座にて


庭木櫻子です。
先日、母と歌舞伎を観に
博多座に行ってきました。

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新型コロナウイルスの影響で
前後左右を空けた席の配置になっていました。

驚いたことは、笛や太鼓などの
お囃子さんもマスクをされていたことです。
下があいたタイプのマスクで、隙間から
スルッと笛を出し入れして演奏していて
新しいスタイルだなと思いました。

私は、母が日本の伝統文化が好きで
子どもの頃に日本舞踊などを習わせてくれて
こうした観劇が好きになりました。
江戸時代から脈々と受け継がれてきた伝統も
しなやかに形を変えながら
このコロナを乗り越えようとしていると感じて
私も力をもらえたように思います。

投稿者:庭木櫻子 | 投稿時間:18:03 | カテゴリ:庭木櫻子 | 固定リンク


2020年11月24日 (火)ジェンダー企画 不安乗り越え "女性"として生きる


いま、海外の映画祭で注目を集めているドキュメンタリー映画があります。
「息子のままで、女子になる」(英語名「You decide.」)です。

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「息子のままで、女子になる」監督:杉岡太樹 (c)2020 ‘You decide.'より

主人公は、福岡出身のサリー楓さん(27)です。
普段は東京の大手設計会社で、
女性社員としてオフィスや都市空間の設計などに携わっています。
3年前、大学院生の時に“女性として生きる”ことを公にしました。
主演したドキュメンタリー映画では、カミングアウトしたサリー楓さんの苦労や葛藤を描いています。
なぜ、ありのままの姿をさらけ出す決心をしたのか。
そして、映画への出演を通して何を伝えたかったのか。
映画に込めた本音に迫りました。

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8歳のころから夢見た建築の世界

 

―― 高校までを福岡で過ごしたサリーさんにとって、福岡というのはどんな街ですか。

福岡はコンパクトで、いろんな人がいて、大きすぎず、小さすぎず、自分が等身大で暮らすことができた街だったなって思います。8歳のころから建築家を夢見て過ごしていたんですが、福岡って名建築が実は多くて、例えば福岡銀行本店ビルは、黒川紀章さんが建てられていたりとか、西日本シティ銀行は、磯崎新さんが建てられたりとか、マスターピースみたいなのが多い場所なので、やっぱり建築家の作品みたいなものに日常から触れることができたかなって思います。

―― 実際、東京で夢だった建築の仕事に就いて、どのように感じていますか?

東京っていう街はやはりダイナミックで、海外に直接つながれるっていうのは、ほかの都市との違いだと思うんですよね。国際的なプロジェクトに直接ここから携われる。東京の一部を作っているんだなっていう感じがします。やっぱりそういうダイナミックさを日々感じながら建築の仕事をしています。

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女性社員として東京の大手設計会社に勤務するサリー楓さん

 


 

“男性”として生きた福岡

 

―― 女性として生きることを明かしたのは3年前の大学院生の時。サリーさんにとって、福岡は“男性として生きた場所”ということになりますよね。これはご自身の中では、どのような時期だったんでしょうか。

福岡にいたときは、ずっと男性として過ごしていて、やっぱり自分の記憶も男性として過ごした日々の記憶が根づいているんですけれど、そんなになんかこう、福岡に対してつらかったとか悲しかったみたいな記憶ってそこまでなくて、むしろ“今の自分”とは違うコンディションで見てきた街だったので、今思いだすとそこで過ごした時間っていうのは夢のようだったなというか、あまり実感が湧かない。なんかこう“いい思い出”だったなという感じがします。

―― 「実感が湧かない」っていうのは、自分の認識している性と、ふるまっている性との違いがあったからでしょうか。

そう思います。男性として生活していた街だったので、今の自分の価値観とか今の自分の生活のあり方と、必ずしも記憶が一致しない感じがするんですね。福岡で女性として生活した記憶がないので、今の自分のコンディションと地続きでとらえられないっていうのはあります。

―― 福岡での生活をしているときに、生きにくさなどは感じていましたか?

今の福岡はどういう感じかわからないですけど、当時、福岡ってお父さんが大黒柱だみたいな考え方が結構強かったと思うんですよ。やっぱりそれっていい面もあって、お父さんが非常に信頼されていて、お兄さんが家族を見守っていくみたいな考え方だったと思うんですけど、やっぱり、長男だからしっかりしないといけないとか、長男だからお母さんの面倒も見ていかないといけないみたいな感じで、結構頼られることが多かったかなって思っていて、それを重荷に感じるようなことはあったと思います。

キッチンに入ると怒られましたね。うちだけじゃないと思うんですけれども、キッチンに入って家事を手伝うみたいなのを良しとしない風習はあったと思います。怒られちゃうので、なかなか家事に参加できないっていうか、そういうのは当時感じていて、違和感はやっぱりありました。

 


 

明かせなかった“本当の気持ち”

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―― ご自身が女性の性を自覚しているということについて明かすことはなかったんでしょうか。

全くなかったです。性別に関する違和感みたいなのを周りに話すことはなくて、あまり話せる雰囲気でもなかったので、学校でも友達にも家族にも、特に言及することはなかったです。

カミングアウトしづらいというか、あまりそういう話をして受け入れてもらえるような雰囲気を感じなかったので、話すのがいけないというよりも、話して通じる人が果たしてこの中にいるのかなみたいなことを考えていて、それで話すことができなかったっていうのがあります。

話しやすい雰囲気のことを「ウェルカミングアウト」って言うんですけど、ウェルカムとカミングアウトで。あまり、私の当時のいた環境はウェルカミングアウトっていうものを感じることはなかったです。

 


 

心の在り方は変えられない~やっぱり女性なんだ

 

――周りの人たちに合わせて、男性として行動していたんですか?

当時、LGBTっていう言葉も当時知らなかったので、男らしくしなきゃっていう焦りがありました。どうやったら普通になれるかみたいなことを考えていて、今はそんなことないんですけど、当時は女性的であることに対する罪の意識みたいなのがやっぱりあったので、どこかで直さないといけないものなんだろうなと思いながら過ごしていました。ラグビーやってみたりとか、すぐやめちゃったんですけど柔道部とかに入ってみて、みたいなことがあったんですけれど、そういう部活動とかふだんの生活のエッセンスみたいなのを男らしくしたところで、自分の精神的な部分が変わるわけではないんだなっていうのを自覚させられるような経験だったかなと思います。

18歳まで過ごした福岡での時間っていうのは自分を形成していくような期間だったと思うので、当時の福岡の価値観みたいな中で、自分を探していくのに苦労しましたね。

―― ご家族に自分の葛藤は明かせなかったんですか。

そうですね。なかなか明かしづらかったですね。やっぱり1回話しちゃって、それで、もしうまくいったら気持ちが楽になる。けれど、うまくいかなかったら、そのあとずっとぎくしゃくしちゃうと思うんですよ。例えば、中学校3年生のときに、もしカミングアウトしてたら、そのあとの高校3年間っていうのを気まずい状態で毎日過ごさないといけないんですよね。なので、カミングアウトするなら家を出て、かつ自分で自立してある程度生きていけるようになってからにしようっていうのを考えていて、それまでは余計な波風立てないようにしようって思っていました。


 

 就職活動の時に「女性としての人生」を選択した

 

―― どうして大学院1年生の時にカミングアウトしようと思ったんですか?

狙ってそこでやったというよりは、ちょうど就職活動が始まったタイミングで、エントリーシートを女性で出したいと思ったんですよね。それまでは、男性として通学していました。メークとかも全然知らなかったんですけれども、就職活動のときに性別を変えることができなかったら、社会人の生活ってそのあと40年ぐらい続くじゃないですか。その40年の中で自分なりに性別を変えるタイミングが見つけづらいんじゃないかなと思って。本当は進学のタイミングとかで性別を変えられたら一番良かったんですけれども、大学院まで行っちゃったのでラストチャンスだと思って、就職活動にエントリーする直前にメークとか始めて、カミングアウトしました。

―― たしかに、一度社会に出てしまうと影響が強くなったりするかもしれませんね。

社会人になってから変えると、もしかしたら会社で嫌がる人が出てくるんじゃないかなとか、取引先にびっくりする人がいるんじゃないかなとか。会社って、大学よりも大きかったりするので、会社の中でも摩擦みたいなのが起こるんじゃないかなって、いろんな妄想しちゃうと思うんですよ。
本当は会社に入ってもカミングアウトできるような、そういう社会になっていくのが一番いいと思うんですけれど、当時は残念ながらそこまで進んでいなかったので、そういうふうな段取りをとりました。

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ジェンダーの“本当の壁”は、「その場にいない第三者」

 

―― 就職活動では、LGBTに理解がある企業、理解がない企業と接する機会があったと思いますが、どのように感じていましたか。

LGBT、トランスジェンダーの方でも全然大丈夫ですよって言ってくださったんですけれど、ただ、ほかの担当者の方がなんて言われるか分からないので、上のほうにも聞いてみますみたいなことを言われたときに、なんかこう、自分は理解あるけどほかの人は理解がない前提で話を進めてるのって、社内における信頼があまり構築されてないのかなっていうのを感じちゃったりとかしていて、あからさまじゃない偏見みたいなのを感じる場面が就職活動の中でありました。

LGBTの問題について考えるときに、カミングアウトしたときに何かリスクがあるんじゃないかなって思ってしまう一番の要因って、反対されることではなくて、反対する意見があるかもしれないとか、反対する人がいるかもしれないっていう、そういう「想像の中で現れてくる第三者」みたいなのが結構負担になると思うんですよ。そこにいない第三者を想像して話が進められるようなことがあったりして、そこに対する違和感は感じていました。

――それでも、“女性”として就職活動を続けたんですね。

不安しかなかったですね。やっぱり、見た目と性別が一致してないとか、もしくはメークをしてやってきているみたいなことがマイナスに働くのかもしれない。それこそ「不気味」だと思われたら嫌だなとか、別にメークして仕事しても、メークせずに仕事しても、男の人が仕事しても、女の人が仕事しても、トランスジェンダーの人が仕事しても一緒なんですよね。仕事は仕事なので、別にパンツ脱いで仕事するわけじゃないじゃないですか。仕事をすることには圧倒的な自信はあったんですけれども、一方で、あらぬ疑いをかけられるというか、LGBTであることで仕事に何か支障が出るんじゃないかみたいなことを、私がいない場で議論されたら不利に働くなって思いながら、それを不安に思いながら就職活動していました。

今の会社では一緒に考えていこうということを話してくれて嬉しくて、それって今取り組みしているかとどうかに関係なく、可能性が無限大ってことじゃないですか。

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“女性になる”ことが目的じゃない その先に何ができるかが大切

 

―― 就職活動では、夢だった建築家になれるチャンスで、ジェンダーの問題が壁になったかもしれない。夢の実現の可能性を考えて、女性である気持ちをあきらめたりはしなかったんですか。

そうですね、建築家っていう夢のためにジェンダーを、結局、私は女性で押し通したんですけれど、押し通せなかったときにどうしてたかは今でもわからないですね。

ただ、女性になるっていうのは夢でもなんでもないと私は思っていて、ある意味では、自分がどうやって生きていくかという、ステータスとかコンディションの話だと思うんですよ。私は今女性っていうコンディションで生きてますけれど、その中にはいろんなコンディションってあると思うんですよね。それと、自分がどういう仕事するかっていうのはあまり結びつけずに考えていたりします。

女性になるっていうのを人生の目標とか夢とかに据えちゃうと、あとあと女性として生活することがかなったときに、なんか、きついんじゃないかなって昔から思っていて、大学に行くことよりも大学に行って何を勉強するか、英語を勉強するんじゃなくて英語で何を勉強するかとかだと思うんですよね。

―― 就職活動のタイミングでカミングアウトをしてよかったと思いますか?

カミングアウトして良かったと思います。カミングアウトすることで、日常生活が送りやすくなりましたし、無理に抑え込む必要もなくて、カミングアウトしたからといってそんなに女性らしくしなきゃっていうものにしばられるわけでもないので、ある種、自分がいちばん心地いい状態で常にいられる。コンディションを整えることができたのかなっていうふうに思います。

 


 

海外で注目されたドキュメンタリー映画~日本のジェンダーに関心高い

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「息子のままで、女子になる」監督:杉岡太樹 (c)2020 ‘You decide.'より


―― ことしの夏にロサンゼルスで開かれた映画祭ではベスト・ドキュメンタリー賞を受賞したり、カナダからも公式招待を受けたりして海外での反響が大きいですね。

やっぱり日本のLGBTの状況って、世界的に見ても特殊だと思うんですよね。日本ではLGBTに対する暴力みたいなのは海外ほどあまり起こっていなくて。表立って大きな事件にならないので、多くの人が無関心であまり議論されてないと感じてるんですね。それが海外の人からはびっくりだったりするのかなと思います。中国人の方にお話しいただいたことがあるんですけど、その方は何で日本に住んでいるかっていうと、日本はLGBTに対してある程度無関心だから、過ごしやすいからだっていうふうに言われていて、出身の村では、男性が女性の格好するってなったら殺されちゃうと。だから、もう自分の故郷には一生帰れないってことをおっしゃっていて、こんなに違いがあるんだなっていうのを感じさせられました。

―― 日本のどんなところに課題を感じていますか。

例えば、東京の渋谷区が有名ですけど「パートナーシップ制度」があると思いますけど、同性の結婚ってすごく大事だと思うんですよね。でも、パートナーシップ制度って、パートナーシップ制度を結んでる地域にしか住めないんですよ。転勤になったらどうするんだとか、ほかの地方とかに転勤になったりするとどうするんだとか。パートナーシップ制度がない自治体にお住まいの方はどうすればいいのかなみたいなことがあったりすると思います。

同性愛の方だと、結婚を認められるかどうかで、例えば給与の額面が変わったり、転勤のときにその配慮がされるかどうかみたいなのって、いろいろ変わってくると思うんですよ。そういう社会福祉にアクセスできないっていうことが、日本の課題なのかなっていうふうに考えています。

 


 

父は、私のことを今でも“息子”と呼んでいます

 

―― 映画では、ご家族と話す場面が登場します。今はどんな関係なんですか。

映画を通して家族と初めてジェンダーについて話したんですよね。これまでは、全力で止められたことはなかったんですけれど、何となく私の性別的なものについて語り合うのは避けていたんですよね。カミングアウトした頃には就職活動も終わってたので、ある意味では無関心というか、うまくいってるんだったらいいんじゃないのみたいな、反対も賛成もしないよっていう立場だったんですけれど、今回ちゃんと親子で話すことができて、ある意味ではすっきりしたというか、それはジェンダーに関して手放しで両親に賛成されたわけではないですけれど、少なくともカメラの前で話し合うことができたっていうことが非常に大きな一歩だったなっていうふうに自分で思っています。

―― まだお父さんは自分の息子だとおっしゃっていますよね。

はい。私個人としては、父から「まだ息子だと思っている」って言われて、ショックはショックでした。ただ、父も父の世代の中で、そういう社会の中で生きてきて父なりの時代の価値観みたいなのを持っていると思うので、ある意味では間違ってないんですよね。息子だって思ってるっていう感覚は、18年間一緒に生活してきて息子として育てて、急に言われてもなかなか受け入れられないっていうのもすごくわかるので、何かこう、これから一緒に話し合っていくというか。

ダイバーシティーっていう言葉、最近よく言われると思うんですけれど、私はダイバーシティーっていうとすぐに、LGBTとLGBTに理解のある人だけ集まって盛り上がってるような印象を受けるんですけれど、LGBTのことを知らない人とかLGBTに対して違和感がある人とか、自分は認めないぞっていう人とか、そういった方々も含めてダイバーシティーだと思うんですよね。

なので、父はある意味では私に理解がなかったんですけれど、ただ、その父と話し合うことを通してしかダイバーシティーというのを実現できないのかなと私は思っているので、少なくとも話し合えたっていうことは、多様性のある社会に1つ近づけたんじゃないかなっていうふうに自分は思ってます。やっぱりLGBTに対して理解をしてない人って、わざわざメディアには出てこないんですよね。LGBTに対してよくわからないって思ってる人とか、LGBTの人たちが盛り上がってるのが怖いって思う方とかって、いると思うんですよね。そういう方々ってわざわざそういう声を上げたりしないと思います。こういう時代なので。そんな中で、父はカメラの前に出てきて自分の意見をはっきりと述べたと思うんですけど、それ自体はすごく勇気のあることだし、そういうことをしないと社会は発展していかないので、非常に重要な、貴重な機会になったんじゃないかなっていうふうに思ってます。

 


 

周りの理解があって女性として生きられる

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都市空間のデザインについてのミーティング

 

―― 映画で自分の人生をさらしたことで、ジェンダーに対する気持ちに変化はありましたか?

自分らしく生きることって、人生のスタートラインに立つうえで、とても大切なことだと思います。

だけど、自分の周りの存在も大切なんですね。映画の英語のタイトルが「You decide.」っていう名前なんですけれど、自分が女性として生きたいって思って、女性として生きるんだって決断して生きてる。一方で、自分を女性として生かしてくれてるのって、実は社会のほうだったりして、やっぱり、自分が女性として生きると同時に、社会が女性として生きさせてくれてるみたいな、そういう、自分の周りに広がる社会っていうものに意識的になりました。

自分がどうありたいかとか、自分がどう生きていくかっていうのは自分が決めることだし、LGBTの権利っていうのは当事者がたたかって獲得してきたものだと思うんですよ。一方で、自分らしく生きられるっていうのは、ある程度周りの助けも必要としていたり、周りの考え方をアップデートすることでしか自分の考え方もアップデートできないっていう側面もあるので、いろんな人とのかかわりの中で、自分らしく生きることの大切さを伝えていきたいと思います。

 


 

【取材後記】

私は、ことし入局16年目。“男”を意識して仕事をした記憶はほとんどありません。アナウンサーとして原稿を読み、取材者として原稿を書いてきました。この記事を読んでいただいている皆さんも、このニュースは男性が書いたのか、女性が書いたのかを毎回意識して聞くことはないと思います。一方で、ジェンダーの取材を進めると、毎日のように自らの「性」と向き合い、性に悩むことを強いられる人たちが多いことに気づかされました。

今回、サリーさんの取材で一番心に残ったのは、「女性になった後に何ができるか」という言葉です。そこには、建築家として社会を創る目標に突き進む力強さと覚悟を感じました。そんなサリーさんも、「周囲の助け」があって自分は女性として生きられると語っています。

今回お話を聞いて、ジェンダーの問題は、「人」としてどう生きていくかということに強く結びついていると、改めて考えるきっかけになりました。

取材
福岡拠点放送局
アナウンサー 藤澤義貴

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■NHK福岡放送局キャンペーン「さよならジェンダーバイアス」特設サイトはこちら

投稿者:藤澤義貴 | 投稿時間:16:59 | カテゴリ:WEBいち! | 固定リンク


2020年11月19日 (木)さよならジェンダーバイアス "女性"として生きるサリー楓さん


藤澤義貴です。

きょうの「ロクいち!福岡」では、
東京の大手設計会社で“女性社員”として働くサリー楓さんをご紹介します。

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サリーさんは、戸籍上は男性です。
大学院時代に女性として生きることを公にしました。

いま、サリーさんを主人公にしたドキュメンタリー映画が、
海外の映画祭でも注目されています。

映画への出演を通じて、
何を伝えたかったのかインタビューしました。

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投稿者:藤澤義貴 | 投稿時間:15:06 | カテゴリ:藤澤義貴 | 固定リンク


2020年11月18日 (水)小さな世界


松崎洋子です。

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きのうは
虫眼鏡を持って、
ミニチュアの世界に潜入しました。
会場には「食べ物」のミニチュア作品が
展示されています。

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写真だと分かりにくいかもしれませんが
実物の8分の1ほどの大きさです。
こんなに小さいのに精巧な作品たち。
リアルでおいしそうで、かわいい!

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ミニチュア作家・みすみともこさんに
お話を伺いました。

みすみさんは、
ミニチュアのお菓子を制作する前に
実際にお菓子を食べて、
食感、質感、香り、色味などを確かめるそう。
さらに、お菓子だけでなく、
包み紙や紙袋まで作るのが、こだわりです。


ほれぼれする作品ばかりで、
これを人の手で作っているのか…と
とても感激した取材でした。

投稿者:松崎洋子 | 投稿時間:13:27 | カテゴリ:松崎洋子 | 固定リンク


2020年11月17日 (火)ありがとう!琴奨菊


中山庸介です。
きのうは、水郷・柳川に取材に行ってきました。

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元大関・琴奨菊の引退を受けて、地元のみなさんの
反応をさぐるためです。
街のあちこちには、「琴奨菊」ののぼりが。

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琴奨菊が勝てば街の中では花火が打ち上げられ、
「こんばんは」ではなく、「勝ったね」があいさつがわりだったとか。
「引退は残念だったけれど、最近、ケガで苦しむ様子は見ていられなかった」
「とにかくお疲れさまと言ってあげたい」と、みなさん、ねぎらっていました。
なにより心に刻まれたのは、
「引退はしたけれど、琴奨菊の名前は永遠に柳川に残ります」という言葉でした。

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これからはこたつ舟の季節。
名力士に思いをはせながら、今度はプライベートでゆっくり回ろうと
ひそかに誓いました。

投稿者:中山庸介 | 投稿時間:16:37 | カテゴリ:中山庸介 | 固定リンク


2020年11月13日 (金)記者会見にて


中山庸介です。
きのう、NHK福岡開局90年『福岡好いとっと スペシャルマンス』の
記者発表会がありました。
そう、来月は福岡放送局が開局してからちょうど90年。
記念の番組やイベントが行われます。
私も出演者の一員として会見に臨みました。

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会見といえば、普段は取材する立場のほうが多いので、
ずらっと並ぶ記者の皆さんに向かうのが全く慣れません。
カメラの方向に向かって「視線を右に・・・左に・・・」
どんな笑顔をすればよいの?
静止画、顔がひきつるよ~・・・。
いや~な汗が出てきましたが、そこは後輩の魚住アナが
軽妙なトークで場を和ませてくれました。

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私が担当するのは、12月12日(土)午後1時50分から放送の
「みんなが出るテレビ生放送SP」です。
県内全市町村がリモートで対決!
福岡県民が“好いとっと”なあらゆる分野のランキングを発表するなど
福岡愛にあふれた2時間35分の生放送番組です。

さらに、かつての夕方ニュース番組「おっしょい!福岡」のキャスターも
つとめていた山下信アナウンサーも登場する予定です。
大先輩を前に今から緊張します・・・。

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「みんなが出るテレビ生放送SP」に続いて、
1 2日(土)の夜7時30分からは、開局90年記念ソング「好いとっと」を
歌っているMISIAさんによる、
生放送のスペシャルライブをお送りします!
生で聞く「好いとっと」、今からワクワクします。
というわけで、90年分の感謝をこめて・・・。
来月のスペシャルマンス、どうぞお楽しみに!

NHK福岡開局90年特設サイトはこちら

投稿者:中山庸介 | 投稿時間:16:56 | カテゴリ:中山庸介 | 固定リンク


2020年11月12日 (木)貴賓館パープルライトアップ


庭木櫻子です。
女性に対する暴力根絶のシンボルである
パープルリボンにちなんで、きょうから
福岡市の天神中央公園内にある貴賓館が
パープルカラーにライトアップされます。

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(写真は通常のライトアップです)

新型コロナウィルスの影響で、DVなどの
リスクが高まっているといわれています。
もしかしたら、身近なところにも
苦しんでいる人がいるかもしれません。

きょうは、
こうした女性のサポート活動をされている
筑紫女学園大学の大西良准教授にも
取材でお話を伺いました。

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私たちに見えづらい社会問題を
より多くの人に見えるかたちで伝えるのが
今回のライトアップだと感じます。

あすの「ロクいち!福岡」で
中継を交えてお伝えします。
放送を見て、街中で足を止めて、
そこに込められた願いに
思いをはせていただけたらと思います。


NHK福岡放送局の
「さよならジェンダーバイアス」キャンペーン
あわせてご覧ください。

投稿者:庭木櫻子 | 投稿時間:15:08 | カテゴリ:庭木櫻子 | 固定リンク


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