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桜だけじゃない!福井市 湊地区で江戸の世のにぎわいをたどる

  • 2023年05月26日

福井市の足羽川(あすわがわ)の堤防は言わずと知れた桜の名所。でも、その川沿いには桜が散ったあとも楽しめる見どころがあることをご存じの方は案外少ないのではないでしょうか。今回は、福井市の西部、足羽川の右岸に広がる湊地区を訪ね、江戸の世のにぎわいをいまに伝える歴史スポットを2か所ご紹介します。

足羽川の水運で栄えた湊地区

湊地区は、福井市中心市街地の西部に位置し、福井市を流れる足羽川の右岸に広がる地域です。この湊地区、江戸時代には、足羽川沿いに船着き場の「河戸」があり、米や塩、木材等の取引で繁栄しました。このことが「湊」の地区名の由来であり、今も「塩町」「木町」等の自治会名が残っています。

城下町の風物を伝える絵巻

ふるさとの歴史探訪みなと塾 塾長 今川康弘さん

案内してくれたのは、地区の歴史を伝えているグループの今川康弘さんです。

最初の歴史スポットは、川沿いに並ぶ12枚のレリーフ。江戸時代に福井城下で行われていた月ごとの行事や風物を描いた「福井藩十二ヵ月年中行事絵巻」です。そのほとんどの行事が廃止された今となっては極めて貴重な資料です。

こちらは1月14日に行われたとされる「馬威し(うまおどし)」です。若武者が馬に乗って城下町を駆け抜けた様子が描かれています。この日だけは、町人が武士の進路を妨害することが許されていたそうで、見物客も多く、当時の城下町のにぎわいが伝わってきます。

今川さん

町民が、例えば旗、鳴り物とかを鳴らして馬を驚かせて、落馬させるという行事です。今ではありえないんですが、武士の馬術の鍛錬でもあったといわれています。

変わってこちらは3月の様子。今では桜並木が有名な足羽川沿いですが、江戸時代は一面桃の花が覆っていたそうです。描かれているのは、足羽川に架かる九十九橋(つくもばし)です。幕末までは足羽川に架かる唯一の橋で、この橋を渡らないと福井城下には入れなかったそうです。この九十九橋、じつはとても珍しい構造をしていて、全国でも奇橋として知られていました。

いったいなにが珍しいのか。レリーフをよく見てみると、途中で色が変わっているのがわかりますか?「半石半木」といって全長160mのうち、南側が石材、北側が木材でできているんです。いざというときに橋を燃やして、敵の侵入をふせぐためにこのような構造にしたといわれています(※諸説あります)。

足羽川が水運で栄えたことを示す絵も。薪にする木材を筏に組んで上流から流し、城下町に運んでいたと伝わっています。江戸時代から止まることなく流れ続ける足羽川を前に、当時の情景を描いたレリーフを眺めていると、江戸時代にタイムスリップした気分を味わうことができるかもしれません。

日常の“たのしみ”を歌った歌人

次にやってきたのは、福井を代表する幕末の歌人・橘曙覧(たちばなのあけみ)の宅地跡です。

橘曙覧

当時、花鳥風月を詠むことが主流だったなかで、曙覧は日常生活におけるささやかな楽しみや喜びをテーマに歌を詠んでいました。 

今川さん

橘曙覧は今で言うブログ的な発想でたくさん短歌をつくりました。

そんな曙覧を代表する歌が、「たのしみは」で始まり「~とき」で終わる形式の連作「独楽吟(どくらくぎん)」です。 

たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時

朝起きて花が咲いているのを見つけたり、子どもたちが魚を「おいしい」と言いながら食べたりと、まさに生活の中のちょっとした喜びを52首の歌にしました。

湊地区では曙覧にあやかり、5年前から独楽吟のコンクールを開催。小学生から大人まで幅広い年代が親しんでいます。

37歳の時に湊地区に移り住み、およそ20年間過ごしたといわれている曙覧。その宅地跡には、曙覧が妻を思って詠んだ歌にも出てくる井戸が残されるなど、偉人の歴史を今に伝えています。


一乗谷や永平寺のような壮大な歴史とは一味違う、江戸の庶民の暮らしに触れるスポットが湊地区にはあります。いつもの散歩にちょっと彩りを添えてくれる《まちなかの歴史スポット》、みなさんの身の回りにもあるかもしれませんよ。

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