家庭での介護に関し、みなさまからいただき、
放送でご紹介したメッセージを掲載しております。

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【放送日:2月28日(金)】

(福井市・70代女性)
番組でとり上げられている「家庭での介護」、とても関心のあるところですが、時につらく、時にホッと拝見させていただいております。
今思って、一番つらかった事は知人などからの「あなたがつぶれたら大変なのだから」とか、「共倒れしないように」などのことばでした。

それは私自身が一番知っています。

薄氷を踏む思いの毎日でした。
励ましの言葉かもしれません。
悪気はないのですが、心が痛みました。
訪問看護も後半受けました。とても良く診ていただきました。
「頑張らなくて良いのよ」と言われた言葉が一番嬉しかったです。
看護師さん方には本当にお世話になり感謝の気持ち一杯です。色々思い出すとつらくなります。

とにかく、何気ない言葉が介護者の心の傷にも癒しにもなるのだという事に気配りが必要なのだという事を知っていただきたいと思いました。

近くにも夫さんが認知症の奥様、息子さんがガンのお母さんを、娘さんが透析のお母さんをみておられます。

私がどんな言葉をかけておあげできるのでしょうか。

「幸福度日本一ふくい」になる日の一日も早い事を願っております。

【放送日:2月21日(金)】

(福井市・70代男性)
私は76歳です。現在、認知症の74歳の妻の介護にあたっています。

妻が認知症の症状を表すようになったのは、60歳の定年を迎えた頃です。60代半ば頃から感情が高ぶる等、日々の生活の中でそれまで全くなかった姿を表わすようになり、専門の病院で認知症と診断されました。
妻に対しては、人生を少しでも楽しんでほしいとの思いから、一泊の県外旅行や家族全員の食事会を行うなどしてきました。
しかし、次第に日々の生活に支障を来す状況が多くなったため、5年前から施設のデイサービスを受けており、現在は毎日通っている状況です。
施設から帰宅する午後4時頃から翌日朝8時過ぎのお迎えが来るまでの間は私の介護時間になっています。介護の中で最も苦労するのは毎日のおむつ交換です。
私の心はごめんなさいの涙・涙です。

50年間一心同体で生活してきた夫婦です。
苦しんでいる妻を支えるのが夫としてのつとめだと考えています。まるで宇宙人のような妻と通常の会話はできませんし、自分の子供に会っても名前が言えない妻ですが、時には私を「お父さん」と呼んでくれることがあります。
心の中が何かほっとすると同時に、明日も頑張らなければと、気持ちの切り替えの助けになっています。

以上私の愚痴を申し上げましたが、介護する方々の事情は異なっても、一杯言いたい愚痴があるのではないかと考えます。

介護者の気休めの一助として、お互い愚痴を言い合える場があったらいいなあと思っています。

【放送日:2月14日(金)】

(坂井市・70代女性)
十月の中旬、私は転倒して大腿骨骨折、その二日前に夫は大動脈解離で緊急入院。
ある日突然一変した生活が始まりました。

夫はICUで、私は別の病院で手術。娘夫婦は二十キロ離れた私たちの病院へ往復する毎日でした。
私は二週間は入院が必要と言われましたが、事情を話して、一週間で退院して夫のところへ通いました。
つらい毎日でした。
四十九日目に奇跡的に一命を取り止めた夫が退院して、それからが大変でした。まさに老々介護です。

私は痛みを抱えて夫の介護。痛みと辛さに、夜中何度涙を流した事でしょう。
幸い娘夫婦が近くに住んでいて、病院の事から支援センターの手続き、介護まで一生懸命助けてくれ、私は「有難う」の感謝の気持ちで何度手を合わせた事でしょう。

私の近くに何人もの方が老々介護で難儀されていますが、遠慮しないで子供さんや近所の方、友達に甘えてみたらと思います。

【放送日:2月7日(金)】

(福井市・50代男性)
90歳になる父を62歳の姉と一緒に介護しています。
認知症で要介護ですが明るい父です。
72歳で亡くなった母に、「親孝行はいいのよ、子供達に返してあげるものよ」と言われて、その意味が今頃になってよくわかります。3人の子供達も社会人、大学生となり手がかからなくなりました。

父の介護に勿論時間を取られます。
つきっきりで自分の時間が無くなりますが、故郷福井に残ったお陰で父の面倒を見る事が出来ました。
はっきり言えます。
私にとってかけがえなく幸せな事です。父はどんどん子供に帰っていきますが、なかなか出来ない親孝行、親子の時間を楽しんでいこうと思います。幸せな家庭で育ててくれた父に感謝の気持ちで一杯です。
両親のお陰で私も幸せな家庭で子供逹を育てる事が出来ました。
故郷福井で感謝の気持ちで幸せに暮らしています。

【放送日:1月31日(金)】

(大野市・70代女性)
仕事を55才で辞めて今日一日一日積み重ねて15年、私の一日も義母の一日も同じ一日です。いつまで続くか分からない看護の毎日でした。
お互い少なくなる日々の中で趣味を見つけ、化粧して元気顔に変えたけれども老々看護となり認知症、寝たきり状態、流動食の10年間、その中でも自由時間を見つけて野菜を作り、服を作りました。
週一度の往診、一日一回の訪看、地域の方の励まし、知識をいただいて家での看護、認知症で私が誰かも分からず、全看護の日々でした。
でも信頼してくれていたのか、口の中に入れてあげる食事は全部食べてくれて、顔もすごく穏やかにきれいになり、私にとってすごく心に安らぎがありました。
後から悔やむより今出来る事、生きている間に過去にはどんな事があっても我が身についてると思い、義母は白寿の御祝いをいただいて見送ることが出来ました。
義母の子供さんがすべて私に預けて下さった事と同時にすごく喜んで下さった事が最後私のごほうびでした。そして私の体も看護が終わるまで続いた事に守られていた様な気がします。

短くても一生 長くても一生。ふりかかる孤独。野の花のようにしばらく生きようと思います

【放送日:1月30日(木)】

(福井市・60代女性)
同居していた義母は6年前に肝臓癌で86歳で、義父は腎臓透析しながら今月14日に肺炎になり94歳で天寿を全うして長い介護生活が終わりました。義母は何度も入退院を繰り返し、ケアマネージャーのアドバイスで介護施設へ待たずに入居ができました。毎月支払う介護施設の入居費用が約20万円。とても私達夫婦の家計から出せる金額ではなく、入退院費用、介護施設費用など請求される費用全て義父の年金から支払い。義父が自宅で使う歩行器やトイレや台所の手摺りなど介護用品レンタル会社への支払い、酸素ボンベ、介護タクシー、お弁当なども、すべて義父の銀行口座引き落としだったから私達への費用負担は一切ありませんでした。義母の葬儀費用も自分の葬儀費用もすべて用意してくれていたから楽でした。
私達みたいな家族はごく稀だと思いますが、義理の両親に今では感謝しかありません。

【放送日:1月30日(木)】

(福井市・60代男性)
私も、脳出血で倒れた母の介護を1人でしています。週に4日は、ショートステイで施設にお世話になっています。週に3日は、自宅に帰って来ます。母は半身不随で身体障害者1級です。私は65才で、母の介護は凄く疲れます。アルバイトをしていますが、月に5万円の所得しかありません。介護施設の費用は、母の年金で何とかなっています。税金光熱費などに支払いすると、毎月マイナスです。その分は私の年金からの支払いになります。生活は、一杯一杯です。
少しは介護している家族や、母に減税するとか、考えて欲しいです。病院に入院すると、家族は凄く大変な目に合います。

【放送日:1月29日(水)】

(嶺南地方・50代女性)
先日、出来る限り介護を理由に社会と断絶しないで。生活のバランスを上手く取って、と投稿した者です。あれを送って以降、私のメッセージが必ずしも全ての皆さんに当てはまらない事を反省しました。振り返れば、介護は大変と言えば大変。でも、それだけでもなくて、、。我が家は、かかりつけ医と訪問看護師さんに大変良くしていただきました。

初めての在宅介護は不慣れな事の連続でしたが、皆さんは丁寧に指導してくれました。また家族間でストレスが溜まりピリピリしていると、そんな空気を察知して詳しい事情は聞かずとも「どこのお宅でもこんな時はあります。どこも同じですよ」とおおらかになぐさめてくださいました。そんな看護師さんのたった一言で、家の中がすとんと丸く治まるから不思議でした。「細かい事で一喜一憂してるともちませんよ」私達も周りの助けや励ましがあって続けられました。力を貸してくれた方々には本当に感謝、これも一つのご縁でした。

四季の移ろいを敏感に感じられた事。
時間のありがたみを教えられた事。
毎日、何か一つは記録すべき小さな変化があり、決して同じ事の繰り返しではない事。
ささやかですが、介護を通じてこんな幸せも改めて知りました。今は、無事に介護が出来て良かったと思う一方、介護しない今、つまり本人がいないのはやはり寂しいのが正直なところです。
幸せの価値観が人それぞれなのと同じように、年齢や症状、環境などで介護の正解も一つではありません。お宅のやり方で良いと思います。
ただ、介護する側、される側、お互いに相手を思いやり、また自分を責めずにいられる為にも、誰にとっても負担の少ない介護の仕組みや優しい社会づくりを何より願うばかりです。

【放送日:1月28日(火)】

(越前市・60代女性)
みなさんの投稿を拝見させて頂きまして、本当に大変だと思います。
私は介護士として施設で働いてます。私も93歳になる介護度4の義母を介護していますが、本当に恵まれていまして、近くに小規模という施設があり、介護度が1、2の時から通所していて、圧迫骨折を機に寝たきり状態になっても、そのまま利用させてもらっています。
私は夜勤もしていますが、夜勤の時は、義母はお泊まりをしています。なので、離職する事なく働いています。さらに主人がとても協力的で、移乗や移動、整容、送迎等、全てにおいてお願いしています。本当に助かっています。感謝してます。
みなさんの投稿を読ませてもらって感じた事は、ケアマネジャーと話をして、もう少し公的機関を、少しでも利用した方がいいと思います。
自分で全てを抱え込まずに、家族の協力も必要ではないでしょうか!

【放送日:1月28日(火)】

(坂井市・60代男性)
8月まで在宅で母親を介護しました。4年前から入退院を繰り返し、2年前から在宅での介護をして来ました。母親の介護度は4でほぼ全介護でした。我が家は父親と自分と妻で役割分担をして、週4日のデイサービス、週2日午前午後ヘルパーさんの手助けをしてもらい、自宅で介護できたのは本人も家族も良かったと思います。でも、日中介護する人が居なかったり、老老介護では難しいかもしれません。

【放送日:1月27日(月)】

(越前市・50代女性)
「介護」と一口に言っても、対象者の状況、家族構成などによって様々な中身があると思います。今まさに渦中におかれている身は苦しいことは苦しいけれど、何をどのように他者に伝えればよいかも、まとまらない状況です。日常の具体的な場面がむしろ実情を伝える気がしますので、書き出してみます。

私は越前市から福井市に通勤しています。片道一時間。仕事でどうしても朝早く出ないといけない日は、5時半に起き7時前に家を出ます。朝食を作り、家に残る3人と自分の4人分の弁当を作り、身支度をして、さあ出発。わずか数分でラッシュに巻き込まれるか否かの境目…というまさにそのとき、母が「お父さんのおしっこが廊下にこぼれている…」と言うのです。「えっ?どこ?」と慌てて鞄をおき、雑巾をつかんで母の元にいくと、母が「もう拭いた…」と言います。「拭いた?おかあさんが拭いたんか?」
母も足が悪く家の中でも両手に杖を持ってゆっくり歩く状態です。ああ、お父さんのズボンやパンツはどうなっているのか…。そうして母は玄関まで来ると「そこの菊が広がっているやろ、ひもで括っておこうか」と言うのです。つまり私に「しておいて」という意味です。まさに出がけに母から聞かされた「父のおしっこ」「菊の始末」に私の神経は高ぶって、玄関で立ったまま子どものように大声を上げて泣きました。「もう疲れた。疲れた…」と言って。本当に、すべてが嫌になりました。母は母で腹を立ててひっこんでしまいましたが、父が私の泣き声に気付いて私に近づき、幼子に言うように優しく「どうしたの?どうすればいいの?」と言いました。「おとうさん。おとうさんがこぼしたおしっこを、おかあさんがふいたって」と、父には言えません。

私が大人の心を保って冷静に判断し行動するしかないと頭ではわかっていても、常にそれができるわけではなく、その点がストレスになって苦しいのです。

「介護」と言っても様々で、おしめを換える作業を家でしている場合や認知症がある場合は別の苦痛があるでしょう。うちは、入浴の介助を少々するだけでした。(今、母にもそうしています)。

【放送日:1月23日(木)】

(越前市・60代女性)
毎日の皆さんの言葉に同意したのでペンをとりました。介護と言っても、人それぞれの立場によって受け取り方が違うと思う。

少子化に伴い核家族が増え、介護される方も
「今迄、自分の事は一人でやってこれたから大丈夫だと。いちいちうるさい」
「子供たちの世話にはならん」

または逆に「今まで育ててきたから見るのが当たり前だ」など考え方、思い方があると介護する家族も遠慮なく厳しい口調で
「わざわざ様子を見に来てやったのに」
「こんな汚いことして」
暴力(ことば、手を挙げる)などで皆壊れていく。

家族が壊れる前に、介護サービスを利用し他人が間に入ってもらう事でお互いに思いやりが芽生え「ありがとう」と心のゆとりが出ると思う。

この私も40代で長男である夫を亡くし、父は子供のない私に「実家に帰ってこい」と言ってくれたが、義母が「私の世話は誰がしてくれるの?」と一言…。

私は今、60代。
色々ありましたが、車椅子生活の義母さんと二人笑顔のある生活を送っています。頑張らず、周りの人に「助けて!!」と助けを求めたら必ず手を差し伸べてくれる人がいます。その人達に「ありがとう、お願いします」と手を合わせ、たまには息抜きして残りの人生楽しみましょう!
周囲の人はちゃんとわかっていますよ。
介護休みの日を作っても誰も文句は言わない。

【放送日:1月22日(水)】

(福井市・50代女性)
80代の実母が一人暮らしです。昨年秋、実母に認知症疑いの症状が見られました。相談した支援センター、かかりつけ医、専門医いずれも、「世話は娘さん(私のこと)ですね?」という対応。
…そうなんですか?
近くに住んでいるだけで介護して当たり前なんですか?

子どもの頃から「嫁に行く子」と言われ、差別されて育ちました。今や実家を出てからの年数の方が長く、自分の家庭もあります。頑張ってきた仕事も持っています。県外在住の兄弟のために、私が我慢するのは納得できません。

幸い、今回は執行猶予となりましたが、介護の心配は目の前まで来ていると実感しました。体験談を拝見していると、皆様本当にえらいなと思います。
私は薄情ですか?でも本心です。
同じようにお考えの方はいらっしゃいませんか?

【放送日:1月21日(火)】

(福井市・60代男性)
親の介護のために仕事を続けられない人も多い。また、収入を十分確保できない人も多い。
家族を介護している人には介護手当てが出ないのは不当ではないか。他人が介護すれば仕事として給与が出るのに、家族だとなぜ手当て給与が出ないのか。
制度改善を。

【放送日:1月21日(火)】

(60代女性)
父も母も看取りましたが、今は寂しい気持ちで一杯です。患って10年以上経つ父より、一緒に介護していた母を先に亡くしました。母と父を診る時間を融通して分け合いショートステイも利用して診ていましたが、利用するにあたって問題が山積していて、不満が残っています。

例えば、医療と介護は保険が違うとの事で、介護保険で利用していると、本人が熱が出たら、夜中でも御構い無しで、迎えに来るように言われ、介護施設で対処してもらえませんでした。病院に入院したら、3ヶ月で転院との事で、次の病院が見つかるまで自宅介護になり、仕事を途中辞めなくてはいけなくなり、10年患っていたので何度もありました。半分ずつ時間を割り勘しても、年取った母にとってつらい事になってしまい、父より先に逝ってしまいました。
理不尽です。

【放送日:1月17日(金)】

(美浜町・70代女性)
NHKの家庭での介護を拝聴させて頂いておりますと、12年前に亡くなった義母のことが思いだされました。義母はとても働きもので行儀がよくてよく気がつき頑張り屋の人でした。
80才の頃から認知症を患い家族の留守中にガス栓をひねったり、炊飯器をあけたり電話がなるたびにとって自分で勝手に返事をしたり…と今までの家事を自分の役目だと思っていたのでしょうね。

私も地域の行事とか家の用事で家をあけることも多々ありましたので、デイサービスやショートステイを利用させて頂いておりました。そうしているうちに主人の病気が再発し入院をすることとなり、私も病院と家事で大変だったことから複数介護ということで、優先的に入所させて頂きました。そうしているうちに主人が亡くなり、最後に施設からつれて帰って主人に会わせたのですが、自分の息子の死さえわからなくなっていました。

この様な状態が義母にとってはよかったのか、今でも疑問として私の心の中にのこっています。そして1年半後に後を追うようになくなりました。
ふりかえりますと介護が大変だったことはあまり記憶になくて、義母と私がむすんでひらいて…とできたことがとてもうれしくほのぼのとして私の心にのこっております。これも認知症のおかげかな?
そして私もその年齢に近づきつつ…毎日精一杯生きております。

【放送日:1月16日(木)】

(嶺南・50代女性)
介護の為に転入し独りで義父母を介護する私に近所の方は大変優しく、まだ体が元気だった義父が夜雪の中何度も徘徊し、県内の親族から『何やってる』と怒りの電話やメールが絶え間ない中、子供を家に残し取り乱す義母をなだめながら義父を探してると近所の方が『爺さん婆さんには昔世話になったし』と一緒に探して下さり、これが地区の繋がりか、と涙が出ました。
義父が真夜中に徘徊し始め入所すると、寂しがる義母の話相手をしてくれました。
全体的に地域の繋がりが薄くなるこれからはあてはまらないかもしれませんし期待するものでもありませんが、周囲にした事が回り回って家族に還ってくるのかなと。
日々の自分の言動も気をつけようと思います。

【放送日:1月16日(木)】

(嶺北・男性)
介護に無縁の頃は、そんな非人間的な事。と思っていましたが、診る立場になると180度考えが代わりました。社会資源を使ってもいますが、どうする事も出来ず日々疲れ果てています。
介護してる者を鬼にも変えるのです。
大事にしてあげてと言われると内心、「これ以上どうしろというの」と負担になります。四面楚歌です。人の事は解らないという事を分かって欲しいのです。

【放送日:1月16日(木)】

(県内・60代女性)
うちも60代とまだ若いし、先が長いと早くから施設入れるのも、自由が無くて可哀想かなと思ってしまうし、そうかと言っても私もそろそろ限界かなと思うし、ショートスティも月に5日ほど利用しますが、それさえも何で行かなあかんのやと、私が楽したいからやと言います。
自分の中で頑張ろうという気持ちと、無理はよくないという気持ちが交錯してます。

【放送日:1月15日(水)】

(福井市・50代女性)
介護離職は良くないとよく雑誌などに書かれていますが、私は約一年前に義理の叔母や母の介護を理由に介護離職をしました。
主に食事や通院を支援していますが、もしこれが働きながらだったらと思うと到底無理です。時間的なこともありますが、何より心に余裕がなく接し方もストレスの溜まり具合も半端なく、自分がつぶれてしまっただろうと思います。今は自分にできそうなことを心を込めてしながら、働いていてはできなかった習い事や旅行を楽しませてもらっています。
介護は心に余裕がないと、できないなぁと実感する毎日です。孫が産まれて忙しかったり、働いている家族のピンチヒッターとして役所の手続きなどをしてあげられるなど、少しでも家族のためになり、家族における自分の存在意義を感じることもできます。
「できるだけ」をがんばらずに続けたいと思います。

【放送日:1月14日(火)】

(小浜市・70代女性)
毎回介護に関するいろいろな御意見、ひとつひとつが思い当たる事ばかりと思いつつ見ています。現在、私は72才、家族3人の介護を終えました。

50才代後半より2年前までの15年間は介護中心の生活でした。主人は15年前、57才で2年間の闘病もむなしく亡くなりました。嫁の私に残されたのは、高齢の両親でした。

主人の弟2人は、両親の介護は一緒に暮している、嫁の私がして当然と、まかせっきりでした。その頃義父は癌の手術後で通院し養生している状態で、義母も心不全やその他の病気をかかえてほっておけなく、私は今までの仕事を退職し、パートで時々行ける仕事に切り替えました。パートですが、少しの間出ている時間が、介護から解放された時間でもありました。4年後、義父が亡くなりました。

その頃より義母の認知症状が出はじめ、自分1人ではみていけないと、介護認定を受け、地域の人、ケアマネさんに相談し、デイサービス、ショートステイと利用しながら、家での介護、往診を…

それでも出来るだけ家中心を心において介護にあたりました。(本人の希望で)
お陰で2年前、98歳の天寿をまっとうしておだやかに旅立ちました。義母は9年間の介護でしたが、これで嫁の役目終わった、という思いでした。今思うと、日々葛藤の連続でしたが、とっても1人では無理と感じ、早くにまわりの皆さんに相談し、フォローしてもらってのりこえられたと思っています。今介護されている方、日々大変だと思います。

1人でかかえこまず、声をあげてまわりの人に手助けしてもらってください。田舎だから、まわりの目が…私も何度もそう思ったりしましたが、気にせず、介護するのは自分です。

先の見えない介護です。きっと手をさしのべて下さる人がまわりにおられます。無理されず、悔いの残らない介護される事、願っています。

【放送日:1月10日(金)】

(福井市・60代男性)
五年前に父親が脳梗塞で倒れ、半年位入院し、歩けたり話も出来るようになりましたが、入院中に認知症になり退院後週3日デイサービスに行くことになりました。

母親が病気で他界し五年位父親は一人暮らしで、自分も一人で別に住み、製造業で働き、以前飲食店を経営していたので倒れたのを機に父親と暮らすことにしてまた飲食店経営を始めました。

親の介護は当たり前と思い、なんとか介護しながら働き生活していこうと思ってましたが、病院には毎月二、三回、下の世話、洗濯、糖尿病で介護食、と毎日が地獄。

自分には兄弟が妹と弟の三人いるのですが妹は三年前病気で他界、弟はアメリカにいて、介護は自分一人、良いケアマネージャーに出会い助かってますが、父親が倒れてから自分の時間は無いし、お店もお客様から休んでばかりと言われます。

やはり介護は辛い。自分でもよくやってると思いますが、いつまでやれるか正直心配です。

【放送日:1月9日(木)】

(県内・70代女性)
介護継続中、20数年の介護者です。
テレビでいろいろな方のご意見、「社会サービスの利用を」というご意見が多いのが気になり投稿しました。

私も介護しながら、積極的に時には限度額を超えても利用してまいりましたが、サービス利用もかなり困難が伴います。
「本人に合ったサービスがない」「利用時間が自分の都合通りいかない」「ケアマネジャーさんと意見が合わない」「サービス事業所の質が悪い」などがあります。
20数年、対応を工夫しながら利用しております。
今は、事業所に少しの不満は我慢し、「これは健康にかかわる」ということだけ、対応を工夫してもらうようお願いしております。

事業所の方は家に戻ってからの本人の状態を知りません。事業所での過ごし方で、家で興奮したり、尿のお漏らしをしたり、機嫌が悪かったりします。
本人の状態が悪くなったのかと心配したのですが、本人はデイサービスで認知症のひどい方の攻撃を受けていたのです。
介護職員の方は「本人に向けてでないので・・」と言いましたが、本人は大変苦痛に感じており、家に帰って、夜、「バカ」と叫び声をあげていました。また、事業所から帰ってくると、紙おむつはおしっこでずぶずぶになっておりました。この事業所は迎えが1時間遅れてきましたが、「ごめんなさい」で済まされました。苦情申し立てをと思い、ケアマネジャーさんに訴えたら、「忘れたみたいですね」の一言でした。
ケアマネジャーさんは渋ったのですが、即サービスの利用をやめました。

今は、自分の目で、しっかりと確かめた事業所のみでサービスを受けています。
事業所は小さくても質の良いサービスを提供しているところを家族の目でじっくり探してください。

【放送日:1月8日(水)】

(福井市・30代女性)
私は一歳の子供の母であり、70歳の車椅子の母、93歳の祖母の介助をしています。
介助は二十歳過ぎから11年目です。
県外在住の時もありましたが、家族のことをしっかりしていくためにも福井県に戻りました。
年配の方が介護者となる問題、介護においての苦しみ、私なりに理解し、いつも番組拝聴しておりました。20代でも体力的に辛かった部分もあったので、年配の方の介護となると、とてもたいへんだということが痛いほど伝わります。

また介護する側の仕事の問題にも直面しました。
就活で、「介助をしながら一生懸命働いていきたい」と正直に自己PRしたことがありましたが、制度が整っている企業は少なく、「施設を使えば良いじゃない」と言われたこともあり。
仕事をしながら介護者をバックアップする取り組みが、もうすこし公に為されると良いなぁと願っています。

私は妊婦の臨月間近にお風呂介助が厳しくなり、祖母のデイサービスをあわててさがす形になりましたが、今はケアマネさん、デイサービスの担当の方がいらっしゃるというだけで心強く、どんどん積極的にささいなことでもいいから頼っていくべきだと思います。

はじめは若くしてこの状況に戸惑いもありましたが、10年が過ぎ、今心がけているのは、自分を大切にしてこそ周りを笑顔にできる、という介助・介護です。
たいへんな状況でつぶれそうになったとしても、介護する方がご自身を大切にされ、取り繕うことなく周りのプロを、他の家族や仲間の方などに、話したり頼ることが心から大切だと思います。
絶対に1人ではありません。
介護されている方々へ、ともに無理なくいきましょう。
そして町で助けが必要な場面があれば、すぐに手を差し伸べたいと思います。
どうぞ、笑顔を大切に...。

【放送日:1月7日(火)】

(福井市・80代女性)
介護者が加害者となり高齢の家族が犠牲になる事件が相次ぎ、毎日のように報道されていますが、介護のつらさ、大変さは言葉にできない程、体験した者にしか理解できないものです。
私は、夫の両親をみとり、その後、夫の病気との戦いが始まりました。

入院・退院を繰り返し、ケアマネージャーの助言をえて、デイサービス・往診ドクター・訪問看護など介護認定サービスを色々と利用しました。それでも一年先、二年先、先の自分が見えない介護は不安感、倦怠感の連続でした。
手足が不自由になり大きな体の夫は車椅子から床に落ち、持ち上げられないときなど近所の方にどれだけ助けられたかわかりません。
有りがたいことです。

ある日、私は夫に聞きました。
「こんなに介護が大変だということ、お父さんわかる?」
一瞬無言になり…その後、夫の目から涙がポロポロと流れ落ち「すまん!!」の一言、それから私の心は変りました。
今まで、ぐちばかり言って夫を責めていましたが介護者もつらいけど病人はまだまだ苦しいのだとの悟りからです。
行政の力、ご近所さん、若い息子家族達の力を借りながら夫とより添う時間を多くしていると、下の始末をしていても「有りがとう」を口にする様になりました。

七年余り介護のあと夫はこの世を去りました。
病人の夫から学んだことは、感謝の気持ちを伝える。

私も我が身が衰える、老いへの現実です。
感謝の気持ちを忘れずに、ゆく年・くる年、命の身支度をしたいと願う毎日です。

【放送日:1月6日(月)】

(県内・70代女性)
私は、実母、義母、義理の妹の3人を少しずつずれながら約20年間介護しています。今は、義理の妹ひとりの介護です。

介護20年、つらいこと、悔しいこと、悲しいこと、色々ありましたが、介護を続けました。しかし、私ももう70歳、体力的にきつくなってきました。
いろいろ考えた末、主人に「介護者辞めます、卒業です」と宣言しました。主人には「嫁なのに、わがまま」などと、言われました。後ろめたさもありましたが、自分のしたいことを少し優先し、外に出るようにしました。

主人は自分の妹なので、試行錯誤しながら介護に取り組んでくれました。今は、主人が6割、私が4割介護を分担しています。
今まで、私を苦しめていたのは、「嫁だから、家族だから、こう介護すべき」などの「べき論」が頭の中にいっぱい詰まっていたことです。

介護中、葛藤の渦の中でもがいていました。自分の限界を自覚し、「べき論」をやめ、特別な構えを捨て、「家族の中で弱者がいれば、自分のできる範囲で手伝いをする」という、軽い気持ちで介護に向かうようにしました。
離れて義理の妹を見ていると、かなりできることもある。「やり過ぎていた」と反省もしました。
今の私は、ストレスがたまると、思い切って外に出ます。いろんな方と軽い会話をし、自然に触れ、太陽を浴び、ゆっくりとした気持ちになり、また、家事(介護)に取り組んでいます。

「介護20年間が一度に来たら、私も・・・」と思います。「介護は嫁の役割ではありません」と、私自身にも、家族にも、親戚の方々にも、近隣の人々にも大きな声で言いたい。

三世代同居という中で、嫁の役割を固定化しないで欲しい。
その家族なりのやり方で、家族個々人ができる範囲でやるものだと思う。
できないところは社会に「助けて」と声をあげよう。

【放送日:12月25日(水)】

(福井市介護者家族の会、「かたらい会」事務局長 鈴木美由紀さん)
毎日夕方放送の介護者からの思いを拝聴させていただいております。
義父を四十代後半から10年の在宅介護経験、内3年は寝たきりでした。介護まっただ中の方達の思いをお聞きすると心が痛みます。
県内各市町に介護当事者の会が有り活動しています。当事者同志が悩みを語り合う事で心が軽くなって介護に向き合える事もあると思います。一人で悩まずぜひ一歩ふみ出して介護の負担をストレスにしないで下さい。

(以下、お知らせ)
福井市介護者家族の会「かたらい会」では介護中の当事者と介護経験者が語り合う例会が2か月に1回開催、次回は1月19日13時半~福井市のフェニックスプラザ4階ボランティアルームAで開催予定。参加希望の方は鈴木さんの電話番号090-2031ー1443まで

同じような介護当事者の集いは県内各地で開かれていて、詳しくはお住まいの市町の介護担当の課やお近くの地域包括支援センターなどにお問い合わせください。

【放送日:12月24日(火)】

(越前市・70代女性)
山村の小さな集落に嫁いだ私は当初、地域の繋がりに大きな期待と希望を抱いていました。姑の状態も特に隠すことなく日常会話にしていました。
ところが家の前の「デイサービス」の送迎に出くわしても、無言で眺めて通っていかれる方が殆どであったり、気遣いの声かけも殆ど頂けない等の雰囲気に接する度に、他人に期待する事の虚しさを直観しました。また、夫の兄弟姉妹も遠・近を問わず見舞いに来てくださるものの、実家の嫁である私にとってはさらにその接待が加わり、負担でした。

昔は他人の協力なしでは事が進まない事が多く、村人の繋がりは必須条件だったと推察します。
現在は代替わりに加え、特に山間地は車社会で、通勤先も様々であり、少子化も手伝い、近所の人と顔を合わさない日も殆どといってよいでしょう。作業や年中行事で集まる事はあり談笑するも密接な関係には至らず、思いの外、信頼関係は深まっていない事に最近特に痛感しています。

ここは、緊急に有識者、民間企業等多くの分野が加わり、網の目のように繋がる仕組みが構築されない限りは今日多発している悲劇は繰り返されていくと常々痛感しております。

そして、われわれ個人は「何もしてあげられないから、無言・無視でいこう・・・」ではなく、一言の「声かけ」を心がけていく必要があると思います。そしてメディアも短いフレーズでよいですから、事あるごとに呼びかけてほしいと希望します。
「学力・体力」トップの自慢より「優しい気遣いのできる大人・子供達が多い」と自慢できる「福井県」であって欲しいと希望している者からの意見です。

【放送日:12月20日(金)】

(鯖江市・30代女性)
自身が精神障害2級で年金をもらっており、精神科で治療を受けている、介護されている側です。
結婚して1年も経ちません。
私は主人に障害のことについて全て打ち明け、主人はそれを理解して、籍を入れたつもりです。しかし、籍をいれて主人と同居するようになり、主人が私に対して、想定外だったこと、受け入れられないこと。たくさん出てきてしまい...。
殴り合いの喧嘩も、暴言も、毎日でした。
原因は全て、私です。
私は今まで、「私の辛い気持ちもわかって!」と自分ばかりの気持ちを家族に押し付けていたかもしれません。

病気の家族を支える、家族の負担は計り知れないのをこのコーナーを通じて、学び、理解しました。
実家の家族なら、兄弟も両親も、頼る人はたくさんいますが、主人はひとりで、私の病気に向き合おうと努力してくれています。きっと、弱音は吐かないだけで、つらいはずです。
このコーナーを見ていると、きっと、主人もこのような気持ちで、私と向き合っているのだろう、と思い、申し訳なくなります。

【放送日:12月19日(木)】

(越前町・80代男性)
午后6時から、自分達の問題として見ています。

私達夫婦も3人の子育ても終り6人の孫にも恵まれて、今は広すぎる家で年老いた二人がポツンと暮らしています。元気そのものだった体も今では肺気腫をわずらい障害者1級の身に成ってしまいました。妻にしても色々と体をやみ通院と成ってしまいました。

そんな平凡な二人の生活に今年盆が過ぎたある日、朝から道路端の畑で草取り中の妻の体に自動車が突っ込んできたのです。妻を突き飛してそのまま逃げ去ったのです。脊髄骨折と診断されビックリ仰天、私の体調は極端に悪化してしまいました。幸福度日本一かと思われる事が次々に起きました。
「三人も子供が居るのに親の一大事に何で早く来ないのか?」とか、「すぐに子供の承諾証を書いてほしい」とか、救急車、警察、病院と次々に請求を受けた。私の体調でそんな事が出来るか手配をこころみたが不可能だった。
私の子供家族は皆離れているのです。そんな事より一刻も早く病院で診査手当を願っているのに何で変な対応かと思って涙がコボレタ。自分の体がすぐれず息たえだえで対応しているのに…と。

まだまだ深いなやみの中で苦しみながら一日一日を耐えて居るのが介護の現場だと思います。幸いにも妻は40日で退院出来たので、死とか殺すとかそんなところまで追い込まれずに済んだだけです。

社会の仕組み、一つ一つ
真の日本一でなくとも心のこもったコミュニティー、社会であれば何も特別な事は望みません。

【放送日:12月18日(水)】

(嶺南・50代女性)
県外に就職した主人は「長男なのに両親をほったらかし」と県内のきょうだいに非難され続け、しかし収入をキープする為、私が再就職も断念し子供と介護の為福井県へ転入。介護別居は10年以上。
1人で義父母を介護し義父を看取り義母の世話はまだまだ続きそう、認知症特有の暴言はありますが最近は対処法等情報も多く、また、嶺南は皆大変親切で何とか頑張れています。
放送で「いつか終わるから頑張って」との声がありましたが、それは介護頑張り終わった方の声。
施設でリハビリし元気になり認知症だから細かい事気に病むこともなくどんどん寿命が延びる義母、「いつか終わる」をあまり励ましに使わないで下さいね、皆で長ーく助け合いましょう。

【放送日:12月16日(月)~17日(火)】

(嶺南地方・50代女性)
実母以上に過ごした時間が長かった祖母が認知症になったのは、15年前。最後を看取りたい想いが強くなり、当時住んでいた街から帰省し介護に加わりました。
祖母は2年前に他界。しかし今、私の人生は予想とは少し違う方向に進んでいます。
夢中で働いていた遠い街。大好きだった仕事。今もふと懐かしさに襲われます。でも、この道を選んだのは自分。悔やんではいません。ただ、あの時もう少し心に余裕があれば、より良い選択が出来たかな?とは思います。
介護に伴い、家族の生活にも変化が生じます。様々な選択を強いられる場面も、、、。そんな時は、どうか冷静に判断し決めてください。介護が始まると体力的にも精神的にも大変になります。でも両立できる限り、今の仕事は続けてほしい。もしそれが無理でも、何か外との接点は持っていてください。介護介護では心が参ってしまいます。
特に男性は、気持ちを上手く発散させて、頼れる所は頼って。家族以外に自分を必要としてくれる場がある事は、張り合いになります。たわいもない会話もリフレッシュにつながります。仕事以外でも良いんです。ご家族に悪いと思わず、介護を離れた時間も自分に与えて。遠慮せず笑って。

(はっきり書くと)介護している相手より携わる方のほうが、きっと長い人生になるでしょう。その事も忘れないで。そうでないと、いつか相手を責めたい気持ちになってしまいます、、、。する側、される側、共に後悔ない人生を。

帰省して以降、若くも学歴もない私は就職採用の難しさを痛感しています。これを見ていらっしゃる企業の人事担当の皆様。もし、介護で離職せざるを得なかった人、介護従事を理由に履歴書に空白の時間がある方がそちらに応募してきた場合、面接の機会だけでも与えていただけないでしょうか?働きたくても無理だった理由があるのかもしれません。履歴書だけでなく、話を聞いてあげてほしいのです。どうかよろしくお願い致します。

今回、30代半ばから介護に携わった12、3年間で感じた事を書かせていただきました。ストレートな言い方もあるので、現在、社会との接点を断って懸命に介護だけに専念されている方が耳にされると、自分を否定されているような辛いお気持ちになるかもしれません。もちろん私には、そんな気持ちは全くありません。

我が家は、在宅介護(寝たきり、要介護5)で看取りました。一つ屋根の下、時には生死をさまようピリピリした状態が長く続く介護は、大変なストレスがかかります。いくら愛情があっても、心のはけ口も必要になってくると思います。ただ、ご近所の手前か、福井人の気質か、なかなかその本音を打ち明けにくいのも現状です。
今は、このような状況も理解されやすいですが、以前はもう少し閉鎖的で、実際私も、直接知人に事実を打ち明けたのは、何年も経ってからの事でした。

そんな方々にとって、このコーナーはとても共感できる救いの時間になっていると思います。そして、視聴しているだけでなく、勇気を出して、誰にも話しづらいお気持ちを文面に託すご家族の皆さん。それを拝聴しながら私まであの頃を思い出し切なくなる事も、、、。そんな介護従事者さんの心を軽くしてあげる事が、何より大切です。そして、番組からも何か明るい方向への打開策(精神的な事でも)を一言添えていただけると、、、
それだけで介護従事者にとっては希望の光になるのだと私は思います。よろしくお願いいたします。

【放送日:12月11日(水)~12日(木)】

(福井市・70代女性)
認知症の姑6年、病気の夫3年の介護から学習した事を述べます。
大変だったのは認知症の姑でした。主な症状は
・徘徊:町外、山等へ出掛ける
・収集:傘、かっぱ、干してある洗濯物の持ち帰り
・食べ物:近所の冷蔵庫あさり 等々です。

行政のお世話になり、デイホームを利用した時の事です。迎えに行くと、姑は他人のタオルを一本持っていました。それを取り返そうとスタッフの方に暴言で叱られ、叩かれていました。私はスタッフを制し、無事タオルを返しました。もちろん詫びもしました。あまりの出来事に、ホームでお世話になることは最小限にしようと思い自宅での介護を始めました。世間からはいろんな事を言われ、「鬼嫁」のレッテルも貼られました。

いろんな事を言われる中、3人の老婦人の言葉がけにすくわれました。

A婦人
「ご苦労さん」
ただそれだけです。

B婦人
「若い時、いっぱい教わった人、お礼だと思っている、気にしないで」(食べ物をあさられた人)

C婦人
「私も今にそうなるかも、その時はお願いネ」

この言葉がけをされた時、自分自身びっくり!!私はとても穏やかな気持ちになっていました。(それまでは、ストレスからいろんな症状がありました)

介護している人へ
・世間は気にしない(反対に、世間の力を利用する)
・助けを求めよう(助けてくれる人は必ずいます)
・自分の家庭、自分の出来る範囲で工夫してかかわる。
・自分が倒れない。
・がんばり過ぎない。良いかげんに!!
・自分が今行っている、行動、行為は未来に通じブーメランになる。
・明るく過そう!

地域の方々には
・自分の気持ちや考えを押し付けない。
・かける言葉は“ねぎらい”だけにして!
・聞くことはしない。(質問、家庭のこと、症状のことなど)
・介護者が話してきた時は、静かに「聴く」こと、そして共感することばがけをする。
等願いたいです。

因みに姑に臨終が近づいた時「ありがとう」を伝えたら私の手を握り振り動かし、又、私の顔を撫で回し、92才の人生を静かに終えました。(目はもう見えていませんでした)
いろんな事がいっぱいありましたが、全て学ぶことばかりです。姑は人生の教師でした。今は感謝しかないです。
現在79才の私ですが、少しは参考になれば幸いです。

【放送日:12月10日(火)】

(50代女性)
50代の夫の介護を義父母と3人でしています。大黒柱の収入がなくなり、日々の介護とこれから先の不安からか、自分自身が家事が手につかなくなり、休みの日には寝込んでしまう事が多く、生活に支障が出てきてしまいました。仕事継続の不安も出てくるこの頃です。
こんな自分がおかしくなっていくのを人に話せば、力量がないとか愚痴にしか聞こえないでしょうが、頭の切り替えもできずつらい毎日が続いています。

介護は金銭面も厳しく色々な不安材料を招いてきます。行政や福祉関係の方に、介護に携わる世帯が安心な気持ちで生活を維持できるよう細かい支援策を早急にお願いしたいです。そして、今の私に生きるヒントがほしいです。

【放送日:12月6日(金)】

(坂井市・70代男性)
母親が逝って3年になります。97歳。世話と言いますか、介護と言いますか約10年面倒を見ました。今の時代、本当に良い時代だと母親と話しました。
農業で1人暮らしで(全て生産組合任せ)所得は殆ど無く年金も最低額で途方にくれました。介護保険での相談でケアマネジャーさんに現状をありのままに、相談しました。その結果デイサービス、往診、訪問看護、介護用品の借り受けなどで快適な終末を送りました。

学んだことは、面子等を捨てて洗いざらい相談することでした。

【放送日:12月5日(木)】

(おおい町・70代女性)
私も主人の在宅介護を33年間させて頂き、出来た事は回りの方沢山の方々のお話と支えのお陰で出来たと感謝しております。
その主人も4年前に旅立って行きましたが、亡くなった事が私は受け入れる事が出来ず、2年間、うつ病状態に成りでも今は前向きに少しずつがんばっております。
在宅介護は先の見えない事で介護してもらう方も辛いと思いますが、見る方は夜、昼も無く寝る間もないぐらい大変な事です。長く続けるには自分の体調も思い、共倒れしない様上手に手抜きし、デイサービス制度を利用しなければ、体が続かないと思います。それで私も何度か目まいで倒れた事もありました。それからは頑張らずに自分の体も考えて、33年出来たと思っております。

だんだん高齢者も多くなって行くと思いますが、この道は避けることが出来ません。国はこれ以上施設をふやさないと 聞きましたが、この問題は国、政治家の方、もっと真剣に考えて、これ以上に事件を繰り返さない様、国民が安心して暮せることを願っております。

【放送日:12月4日(水)】

(美浜町・70代女性)
私の母「百四才」、今年五月にやすらかに亡くなりました。要介護5、十年、自宅介護しました。晩年は寝たきりの生活でした。
「入浴訪問」「訪問介護」「訪問医療」「訪問リハビリ」の助けで、生きて幸せでした。時には「ヘルパーさん」とお話し出来て感謝です。地域の「ケアマネージャー」さまのおかげです。
1人でなやまず、あらゆることで付き合って良かったです。私も介護予防、自主グループ活動に日々がんばっています。

【放送日:12月3日(火)】

(丹南地区・50代女性)
夫と3人で同居する義母が90歳になって歩けなくなり自宅介護が必要になりました。
紙おむつを嫌い、夜中にも2度3度トイレの介助が求められ、間に合わなくて汚してしまう廊下や衣類、湯船の中でも汚物が出てしまうため、その都度後始末が大変でした。
元々激しい性格でしたが、激高して杖で叩かれたりもしました。食事もそれなりに工夫しましたが食べようとせずジュースやゼリーばかり。どんどん痩せるため、周囲から「何を食べさせてるの」と虐待しているかのような言われ方もしました。寝不足になり、2人の姉達にも助けを求めましたが、「どこの家も嫁さんが看てる」「弟(夫)には介護をさせるな」と言われました。
永年入退院を繰り返した義父も私が休職して看取っており、姉達は実親も姑さんの介護もせずに終わっています。何より終わりが見えないことと、介護に通院と、一日中義母に生活を合わせることでストレスが溜まりました。
介護サービスにより、デイサービス、ショートステイ、入所と助けられた時には、神にも思え涙を流して心から感謝しました。普段は連休のたび実家であるわが家に家族一同で連泊しにやってくる姉達も、介護中は全く寄り付かなくなり、落胆以外はなく、頼りになるのは介護サービスのみとつくづく実感しました。

【放送日:12月2日(月)】

(福井市・50代女性)
数年前から認知症の義母86歳(デイサービス利用)と91歳の義父を自宅で主人と2人でお世話してきました。
正月早々義母は大腿骨骨折で手術、寝たきり状態となり、春に施設にやっと入所できました。義父は今年に入り、認知症の悪化と誤嚥性肺炎を繰り返し入院していましたが、昨今の医療情勢は厳しく、自宅で看取ることを前提に退院をすすめられました。
義母のケアマネージャーさんにお願いし、デイサービスと訪問看護、訪問診療。日中はそれぞれ仕事をして、朝と夜はお世話と、主人と二人で頑張りました。でもいくら頑張っても、暴言、暴力、汚物の始末等々。感謝のことば一つもらえないまま、旅立っていきました。

義父の介護期間はわずか数ヶ月でしたが、壮絶でした。だから今度の事件は他人事ではありません。私の救いは夫の積極的な介護の参加と、感謝の言葉。ケアマネージャーさんの助言と訪問看護師さんの温かい言葉でした。1人で抱え込まないで、悩まないでほしいと切に願います。

【放送日:11月29日(金)】

(福井市・60代女性)
家庭での介護について、介護も看護も「第三者」の介入を第一選択とし、どんどんと「その道のプロ」「その道に慣れた他人」に援助を遠慮なく任せるのが一番大切です。

私自身も実母や義母の介護を経験し、殺意を幾度も覚えました。自分を縛るのは親孝行という目に見えない支配です。恩返しや親孝行などという美談にキッパリさよならを告げて、世界中で一番大切な「自分」に孝行しましょう!

公私ともに介護も看護も経験した元看護師からのメッセージです!

【放送日:11月28日(木)】

(坂井市・50代女性)
家には、要介護は1ですが認知症の影響か気質か暴言をはく義理の母がいます。日々、記憶があやふやになることもありますが、嫁の私には昔から暴言をはいたり、つらくあたるのは変わりません。嫁が面倒をみて当たり前という考えも変わりません。
主人には県外にいる弟や近くにいる妹がいます。何度か家族会議をしましたが、今のところ家の中のことは主に嫁の私がしています。

ある日、あまりに理不尽な言葉を義母が私に言ったことから主人が義母に怒り、喧嘩が始まりました。怖くて身をひそめていましたが私の中でもう嫌だという気持ちが自分で抑えられなくなり、義母と主人が言い合っているところに義母に向かって「死ねー!」と言いながら飛び込んで行きました。今考えるとなぜそんなことを言ってしまったのだろうと思います。それがきっかけとなりショートステイを利用することになりました。

弟も妹も私によろしくお願いしますと言います。逆に私が弟たちにお願いしますと言いたいです。
このまま私も歳をとっていくのは嫌です。殺人が起きるのも不思議ではありません。
なんで私ばっかりと思います。つらいです。

【放送日:11月28日(木)】

(嶺南地区・60代男性)
60歳から6年以上母親の介助をしてきました。
親の介助をする地獄から逃れる方法は『親を殺す』『自殺する』『親を殺して自殺する』この3つ以外はありません。

私は30,40代の頃、月100時間以上のサービス残業、4ヶ月以上1日も休みなしの日々を送っていました。介護はもっと過酷です。
娘は介護する私の姿を見て『お父さんはどうしてこんなことが出来るの』と言いました。『お父さんは会社で血の小便を流してきたから大丈夫』と答えました。

大丈夫ですが、私の人生はなくなりました。
毎日朝8時から深夜まで仕事をしていたころ、『ああ、本が読みたい』『ああ、音楽が聴きたい、ライブに行きたい』『甲子園ボウル観に行きたい』など、会社を辞めたらできると思っていたことが何一つできません。
私は世界一不幸な人間と思っていましたが、同世代の人と話すと、世界一不幸な人は私だけではないとわかってきました。

会社で血の小便を流したことのない人が何をするか。そんな心配をしている余裕は私にありません。

【放送日:11月28日(木)】

(若狭町・50代女性)
51才の時、祖母ががんになり、仕事をやめて介護に。要介護2となりましたが、3年間、自宅で3食、3食後の薬を欠かさず続けていましたが、その間、身内に愚痴をこぼし、近所の方に聞いてもらい、を続けました。
が、主治医の先生方が『社会福祉やケアマネージャーに助けてもらわないと、私や家族が倒れる』とおっしゃり、役場を通じ助けてもらいました。週3日の入浴、昼食つきでなんとかのりこえ、合計5年間の介護を終え、平成31年1月、祖母は84才で亡くなりました。皆に助けてもらい、愚痴も言いましたが、私も大変でした。が、もっと大変なのは本人でした。
『いつまで薬を飲まんなん?』『いつまで世話にならんなん?』と。
友達や、近所の方、親せき、ケアマネージャー、どれだけ多くの方の力を借りて、5年が終わりました。

どうか、今介護をなさっている方、お疲れだと思います。が、必ず懐かしい日が来ます。頑張りましょう。
別れの日、『お母さん、世話になったなー、ありがとうー』の言葉で腹が立つ事も、いつまでかなーと思った事も、すべて水に流れました。本人が一番苦しかったんだと。

一般に愚痴が言えるのは、
○主治医
○家の主人(夫)
○同じ介護をしている方
○田舎ですから、近所の同じ年の人。

私も何度か「死」を思いました。本人を殺す、ではなく、私自身、自殺を。しかし忙しく、思っている場合ではありませんでした。
春もあり、夏の暑い日もあり、又、大雪もある福井県です。頑張りましょう。懐かしい日が必ず来ます。

【放送日:11月27日(水)】

(越前市・50代女性)
私は子供達は県外にいて夫と姑との3人暮らしだから、子供達には活気あるところで自由に暮らして欲しい、迷惑はかけたくないと思っている。
でも、事件を受けて、私は子供達に自分の弱みをみせて、『子供に迷惑も、心配もかける』親子関係を築こうと思いました。

まず身内に心配かけないで、誰が心配してくれるの?。家族で出来ることを考えて、出来ないことを行政のサービスで補って、それからご近所にも、『見守り』を子供からお願いしてもらおう。家族が頭を下げれば、ご近所も協力しやすいし、一人で抱え込む事はないと思うから。

【放送日:11月26日(火)】

(鯖江市・60代女性)
義母が15年前に認知症と診断されました。気性が激しく、口調も荒くなりました。夜中に部屋に行くと、寝ているはずが、徘徊して隣町まで行ったり、買い物に行ってる間に煮物を温め直してナベを焦がす、トイレから部屋まで汚物の垂れ流し、先の見えない介護は「誰か助けて!」心の中で叫ぶ日々が続きました。

主人も変わり果てた母親の姿にイライラが募り落胆し、兄弟に相談しても絵に描いた餅のように答え、空虚だけが残りました。その数年後にケアマネージャーさんの出会いは感謝で涙が出たことを今でも覚えています。

今は施設にお世話になり、週3回、面会や洗濯物を運び、季節ごとの衣替えも感謝で苦になりません。
「顔色いいね。髪伸びたから散髪しようね。」笑顔で言えます。

「幸福度日本一ふくい」は、嫁が親を看て当たり前になっている風潮を老々介護になりつつある現実を、事件になる前に県が見直してほしいです。

【放送日:11月25日(月)】

(勝山市・40代女性)
私の家族は、母親77歳です。時々、一過性脳梗塞になります。
今は、後遺症もなく元気に暮らしてますが、将来のことを考えると、とても不安になります。
私も、今現在適応障害で仕事もできない状況です。社会的に、結婚していない人、親と子1人だけで介護するのはとても大変なことです。本当に人ごとではすまされません。
社会として、みんなが真剣に考えてほしい問題だと思ってます。

【放送日:11月22日(金)】

(永平寺町・60代男性)
私も92歳の母を介護施設から退所させて、自宅で介護することにしました。
私の家内は東北にいる実母の介護をしなければならず、福井を離れ、東北の実家に帰りました。
第三者は、2人まとめれば、とか数字の上でのアドバイスをいただきますが、老母を生まれた地から離れさせることはできません。
これから先どれだけ時間がかかるのかわからないですが、自分がつぶれないように頑張りたいと思います。

【放送日:11月21日(木)】

(坂井市・60代女性)
実家で1人暮らしの母(89歳)の介護を続けて10年あまり。私の方が危機感を感じ、2,3日前に介護施設に入所させました。
経済的なことを考えるととても不安ですが、そんな事を言っている場合ではないと自覚しました。
介護するのは私1人で、頼れる人はいません。家族は皆男性で仕事を持っていて、私の兄弟も遠方に住んでいて、まず不可能です。

でも、担当のケアマネージャーさんと私自身の相性がとても良く、経験豊かで多くの事例を見てきている彼女のアドバイスを積極的に聞き入れ行動しました。
はっきり言って、役所の手続きや病院へ母を連れて行き診断書を書いてもらう等、仕事をしながら家事をしながらの私にとっては面倒なことばかりで とても疲れます。
でも、結果的には良い方向に進んでいけたと思います。これからも母は幸せに暮らして行けると思います。
本当にケアマネージャーさんやヘルパーさんと私の連携プレーで、良い介護経験が出来たと思います。

【放送日:11月20日(水)】

(福井市・40代女性)
私は実家住まいのバツ2で、実母と祖母を介護しています。
母はてんかんの持病があり、その発作の事故により20年ほど前から頭部外傷性の高次脳機能障害と診断されました。
祖母は10年ほど前からレビー小体型認知症と診断され 年々物忘れやおこりっぽい症状があります。
私は10年前にヘルパー2級、6年前に介護福祉士を取得しました。自宅で看ることに限界を感じ高齢マンションに預けたり、ヘルパー事業所を頼った時期もありました。今は自宅で私が2人を看ている状況です。

「介護真っ只中の方、どうか完璧を目指さず、思いっきり手を抜いてください。
ご存じのように介護生活は、おおむね先の見えない長期戦です。
介護期間をより有意義な時間とするため、要介護者と介護者の共通の二者にあてはまりそうな趣味や楽しめそうな活動をぜひ見つけてください。
それが叶いづらい場合は、介護者が1人で一時(いっとき)でも息抜きが出来る活動に身を置いて、心の元気を充電することがとても肝心だと思います。」

【放送日:11月19日(火)】

(嶺南地区・50代女性)
主人は仕事のため都会に残り、私は主人の両親の介護のため福井県に転入、11年間毎日認知症の義母からは『実の娘の方がいいのに』と冷たく介護拒否され、最低限、衛生面の世話で精一杯、友人や近隣の方の励ましで何とか事件起こさずにきましたが、通所で体力つけ義母の毒舌はまだまだ続きそうです。
気持ちがきれかかったのは、年数回日帰りで顔見に来るだけの親族から『世話が足りない』と言われていた事。その親族方で首吊ろうと本気で計画しましたが、子どもたちへの思いだけで踏みとどまりました。

これが「幸福度日本一福井」。自分は知識を取り入れ介護始めた頃から少しは改善されたのも解りますが70代は取り残されているのでは。


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