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それでも真っ向から挑み続ける

2022年1月14日(金)

私は何にもわかっていなかった。
「やるなら日本一を目指すべきだ」
そう思っていた。

「そうは言っても難しいんだよ」
そう聞いても、まだわからなかった。

地方大学のアメフト部と、それを見続けた強豪校出身の私。
2つの「敗者」が歩んだ、1年間の記録です。

(福井放送局 二村康介 編集:ネットワーク報道部 國仲真一郎)

【細い、少ない…】

体格の小ささ、選手の少なさ。

グラウンドに出た私がまず衝撃を受けたのはそのことだった。

私は入局2年目の記者。
福井県内の事件や事故を追いかける、いわゆる「サツ担」だ。
福井赴任後、仕事では思うように情報が取れず悩みが尽きない日々。

そんな生活の中で福井県立大学にアメリカンフットボール部があることを知り、何かできることがないかな…と様子見程度のつもりで休日に練習を見に行ったのが始まりだった。

私の出身は早稲田大学のアメリカンフットボール部。大学アメフト界では名の知れた強豪で、部員は100人を超える。
なんとか試合に出るために苦しいトレーニングを続け、筋肉のよろいをまとった私のピーク時の体重は120キロ。
日本一の頂きに立つことはできなかったが、そこを目指して戦い続けた4年間だった。

そんな自分にとって、最初に会った時の彼らは正直なところ「ちょっとガタイのいい学生たち」くらいに見えてしまった。
人数も40人程度と少なく、自分が学生時代を捧げたアメフトと重ね合わせようとしてもどうしても難しい。そのくらいの差を感じていた。

「二村くんの学生時代と比べて、どう?」

ある日の練習中、長年チームを見続けているコーチにこう尋ねられ、感じていたモヤモヤを正直に答えた。真剣さはあるが、殺気立っていない。もっと緊張感を持って厳しくやるべきだ。せっかくやるのだから目標は高く持つべきじゃないか――

コーチはひと通り私の話に耳を傾けたあと、こう答えた。

「厳しくしすぎると辞めちゃうからね。強豪校みたいに殺気を持ってやるってのは、難しいんだよ」

そういうものかと、妙に納得させられた気分になった。

【こんなんじゃダメだ】

アメフト部のキャプテン、木村光貴くん。毎回の練習で「このままではダメだ」「もっと真剣に取り組む必要がある」と熱弁を振るうのだが、部員たちの反応はいまいち。どこか上の空というか、何を言っているのかわかっていないように見える子たちがほとんどだった。

理由のひとつが、試合経験のなさだ。
コロナ禍の影響で、去年の対外試合は1試合だけ。いまのチームで試合経験があるのは4年生と一部の3年生くらいで、大半の部員が1試合も経験したことがない状態だった。木村くんもチーム発足時に例年以上の練習試合を組んだが、感染拡大の勢いは収まらない。
去年(2021年)秋の本番、北陸地区のリーグ戦までに予定していたすべての試合がキャンセルとなってしまった。
試合をするには県境を越えて遠征しなければならない地方の部活ならではの苦悩だった。

「他の地域の強豪校とかは同じ地域に試合が出来るチームがいるので、この時期でも試合ができる。でも僕たちは県外移動が厳しく制限されていて、試合は許可できないという大学の判断だった。焦りもあったし、うらやましかったし、悔しかった。何で僕らだけ、こんなに厳しいのかって」

【マジかよ】

試合経験を積めないまま、本番が迫ってきたある日。 週末のたびに指導を手伝うようになっていた私にとって衝撃的な出来事があった。どうしても試合をしたいと、チームを2つに分けた紅白戦をやるというのだ。

思わず「マジかよ」と口に出してしまった。

アメフトで試合に出るのは1チーム11人、サッカーと数では同じ。そう聞くと部員40人は十分そうに見えるが、サッカーと違うのは攻撃時と守備時では選手が総入れ替えすることもあることだ。強豪校では1試合あたり最低でも40人から50人は出場している。

そんな中で「紅白戦をやる」という選択。1チーム20人ずつでは圧倒的に人数が足りない。ケガの危険性も大きくなる。100人以上部員がいる強豪校でもこんなことはしない。
やめたほうがいいんじゃないか、そこまでリスクをとらなくても――

それでも、彼らは実行した。それほど試合に飢えていたのだ。

予定より時間は短くなった(さすがにバテてしまったのだ)が、彼らは本気でぶつかっていた。初めて見た、本気のぶつかり合いだった。規模は小さいかもしれないが、そこには間違いなく、情熱があった。

「きょうの負けを忘れないでほしい。悔しい思いをしたぶん、俺らは強くなれる。
この思いを忘れずに、練習に挑んでいこう」

キャプテンの木村くんは、紅白戦で敗れたチームの後輩たちにこう語った。
上の空の表情をしている選手は、もう1人もいなかった。

【挑む】

北陸代表戦を勝ち抜いて、チームは全国大会を迎えた。初戦の相手は東海地区代表の中京大学。格上だ。当然ながら押し込まれる。攻撃もなかなかつながらない。点差が徐々に開いていく。仕方ない、ここまでよく頑張った…私が試合後に選手たちにかける言葉を考え始めていた、試合後半のことだった。

どうしても点がほしい場面で、チームは「スクリーン」というプレーを選択した。相手の注意を引き寄せて、警戒が薄いであろう場所に短くパスを投げる。守備の選手が追いつく前に、パスを受け取った選手が走り抜ける。
一発でタッチダウン(6点)が狙えるが、相手にばれてしまうと対応されてしまう、いわば諸刃の剣のプレーだ。
チーム全員の力が合わないと成功しないプレーだが、前の試合では失敗していた。

プレーが始まる。
選手たちが動いて、相手を引きつける。
その隙間を縫って、パスが投げられる。
短くなった。これではボールは取れない。

また失敗した、と思った。

観客席から歓声が上がる。走っていた。ボールをぐっと抱きかかえた福井県立大の選手が、グラウンドを切り裂かんと走っていた。行け、行け。地鳴りのような声が沸き起こる。走れ、走れ!そのまま最後まで駆け抜けろ!

タッチダウン。
私は、情熱を注いだあの4年間と同じように、大きな声を上げていた。

【「敗者」の1人として】

試合終了の瞬間、選手たちはグラウンドに倒れ込んだ。1年生から4年生まで、涙が止まらなかった。目標だった全国での1勝はかなわなかったし、タッチダウンもあの1度だけだった。全国大会、初戦敗退。

それでも、チームを見始めた1年前に抱いていた物足りなさや不満感はもうなかった。

地方の部活は決して恵まれた環境では行われていない。チーム規模も、経済力も、大都市圏の学校とは歴然とした差がある。それに追い打ちをかけるコロナ禍だ。どれだけ挑んでも、たやすく跳ね返される。正直、それが多くの場合の現実だ。

ただ、私には肌身にしみて実感したもうひとつの現実がある。相手に「格下」と呼ばれようとも、どんなに不利な条件のもとで練習する日々であろうとも、選手たちは常に挑み続けていることだ。真っ向から立ち向かい、真っ向からぶっ倒されてもまた立ち上がる。何度「敗者」になろうと諦めることなく、彼らは何度でも立ち上がるのだ。

私は学生時代、日本一という目標を達成することはできなかった。福井県立大の選手たちも「全国大会1勝」という彼らの目標を達成することができなかった。それでも私は、彼らのことを見続けていこうと思う。

同じように挑み続けた、「敗者」の1人として。

記者紹介

二村康介


記者 福井放送局 二村康介

2020年入局。休日は福井県立大学のグラウンドで偉そうに指導しているが、平日は上司に厳しく指導されている。好きなチームはNFLのロサンゼルスラムズ。

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