2022年03月29日 (火)My Daily Routine

撮ってみました♪デイリー・ルーティーン☆
1人暮らしデビュー編!です。
新生活を迎えるみなさん、ファイトです!
#大谷チャンネル
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Dino★ラジ!スペシャル
【聞き逃し配信中】
#高橋愛 です!
まさかまさかの登場にびっくりでしたよね!笑
鹿ちゃんへのサプライズも無事に成功して、嬉しかったです
~28日(月)正午まで
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=6822_01
Dino★ラジ!スペシャル
【聞き逃し配信中】
鹿沼憂妃さんに
「本当に劇団!?」と衝撃を与えた
さよならキャンプのみなさん!
鹿沼さんが手に持つ、ひよこの意味とは…?
聞き逃し配信をチェック
~28日(月)正午まで
チーム福井アナウンスで記念撮影♪
4月の異動で福井から旅立つことになった角谷直也です。
4年間、上司や先輩、後輩に恵まれました(^^)
壁にぶち当たることもありましたが、大きな支えでした!感謝の気持ちで一杯です。
太田実穂です!
きょうで福井局が最後の角谷さん。「俺らってなんかいいよね~」とひとこと。
角谷さんと同じ時期に福井局に入った私は
優しいお兄ちゃん角谷さんにたくさん支えてもらいました。
感謝でいっぱいです。
国際報道2022では、今までとは違った角谷さんを楽しみにしています!
Dino★ラジ!スペシャル
【聞き逃し配信中】
#theshamisenists が注目の新曲を初披露!?
“三味線バンド”の圧巻のパフォーマンスを
聞き逃し配信でもう一度
~28日(月)正午まで
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=6822_01
羽生ちひろです。
きょうは鍋奉行!?
いえいえ、「おてんキッチン」のお手伝い。
鍋の差し替えのタイミングを見計らう角谷さん(リハーサル中)です。
羽生との出演はきょうが最後。楽しい4年間でした!
2018年撮影の仲良しスリーショットを添えて。
「桜イメトレ」を開始!毎年、桜が楽しみで、楽しみで♪
去年の足羽神社も、
おととしのさくら通りも、
3年前の足羽川も、
4年前の竹田のたけくらべ広場も、
どれも見とれてしまいました。(写真も新しい順です)
さあ、ことしはどんな桜を愛でることができるのでしょうか!?
暖かくなってきましたね!
春を感じる今日この頃 「春と言えば○○」を大谷アナに聞きました。
みなさんは春といえば何を思い浮かべますか?
ミュージックスタート!
3月14日(月)放送の「ほやほやみつけ隊」は、鯖江市河和田地区をご紹介しました。
鯖江市の東部、山あいに広がる河和田地区。1500年もの歴史がある漆器の産地です。
河和田小学校には、漆器のまちならではのものが!
漆器を頭にかぶったキャラクターです!去年誕生しました。
デザインを考えたのは児童です。
鯖江ならではの、眼鏡もかけていますよ。
名前はかわどん!こちらも児童が考えました。
頭がどんぶり、そして河和田地区なので、“かわどん”と付けたそうです。
毎月1回、季節に合わせて衣装チェンジをしています。
おじゃました時は卒業シーズンだったので、袴を着ているんです。
作った井上毅(いのうえ・たけし)先生によりますと、
紙飛行機に乗せて、子どもたちが中学校へと羽を広げて旅立ってほしいという
メッセージが込められているそうです。素敵ですよね。
今回は、そんな漆器のまち・河和田地区で、子どもたちに夢を与えるヒーローを訪ねましたよ。
まず、1人目のヒーローは、塗り職人の堀江一男(ほりえ・かずお)さんです。
堀江さんは、旅館などで使われる業務用の漆器を中心に作っています。
模様はもちろん手書き!まさに職人技です?
実は堀江さん、小学校で絵付け体験の指導をしているんです!
40年近く続く行事で、堀江さんが中心となり、地元の職人などで行っています。
堀江さんは、河和田の産業に触れて、ものづくりの楽しさを知ってほしいと言います。
私も体験させてもらいました!
手がプルプル震えるので、まっすぐに線を引くのが難しいんです。
子どもたちに教えているとあって堀江さん、丁寧に教えてくれました!
子どもたちは作品ができあがると、目を輝かせ、宝物を持つようにして教室に持って帰るそうです。
堀江さんは、ものづくりの楽しさを教えてくれるヒーローでした!
続いて、2人目のヒーロー!
写真を撮るのが趣味だという、大門優(だいもん・まさる)さんです。
中でも、蛍の写真を多くとっています。
ステキな写真ですよね!思わずうっとりしちゃいます。
実は大門さん、蛍が好きすぎて、自分でゲンジボタルの幼虫を育てているんです!
大門さんは、地区の人や子どもたちに、
成虫の姿だけでなく、幼虫や卵の姿をより深く知ってもらいたいと言います。
蛍の餌になる貝のなかまカワニナも、自ら川の中に入って集めてくるそうです。
まさに、愛情たっぷりですよね。
幼虫は、コミュニティセンターのロビーにも展示しています。
館長の藤原春天(ふじわら・しゅんてん)さんによりますと、
みなさんもの珍しそうに、じ~っとのぞき込んでいるそうです。
大門さんは、蛍の魅力を伝えたいと小学校で授業をしています。
また、小学生と一緒に幼虫を育てて、放流もしているんですよ。
子どもたちは、初めて見た時はインパクトが強かったけど、
お世話をするにつれて、だんだん成長していく姿が嬉しかったと言っていました!
大門さんは、蛍の魅力を伝えるヒーローでした!
河和田公民館
住所:鯖江市河和田町19ー6ー1
電話: 0778-65-0001
越前市の東部に位置する味真野地区。
桜の名所としても知られ、味真野小学校の校庭に咲く桜は大人気です!
また、味真野地区は、万葉集に登場する、
夫婦がお互いの思いを歌にした「相聞歌(そうもんか)」の舞台になっていることなどから
万葉集ゆかりの地としても知られています。
味真野小学校の桜
撮影:池田 博さん
今回は、そんな歴史ロマンあふれる味真野地区で神社仏閣巡りをしてきました!
① 霊泉寺(れいせんじ)
霊泉寺は、曹洞宗のお寺で、
室町時代の武将、斯波義敏の菩提寺として知られています。
霊泉寺には、寺の名前の由来になったあるものがあります!
それがこちら「活泉(いくいずみ)」。
活泉は、甘露が湧き出ていたと伝えられます。
むかし、家から追い出されてしまった幼い子がこの水を飲んで生き延び、
丈夫に育ったと伝えられていて、この泉は「活泉(いくいずみ)」と呼ばれています。
この伝説をきっかけにこの地域は「池泉町(いけいずみちょう)」、
「霊泉寺(れいせんじ)」となったと言われています。
そんな霊泉寺の中でもひときわ目立つものが!
黒漆塗りの木造の大仏・阿弥陀如来立像です。高さ8メートル!
個人から寄贈されたもので明治時代初期に作られたとされています。
② 五(ご)皇(おう)神社
五皇神社は、継体天皇が学問所を設置したとされる地にあり、
5人の皇族がまつられていることから「五皇神社」と言われているそうです。
また、鳥居をくぐり参道を歩いていると立派な門が迎えてくれます。
「楼門(ろうもん)」と言い、越前市の指定文化財になっています。
そんな五皇神社では、毎年4月18日に「ほうき祭り」というお祭りが行われています。
撮影:池田 博さん
石段や境内をほうきで掃き、お参りするお祭りで、
ほうきはお供えします。
腹痛に悩まされなくなるご利益があるそうです!
言い伝えでは、昔、腹痛に苦しんだ女性が五皇神社にお参りすると腹痛が治り、
お礼に石段をほうきで掃いたことから始まったとされているそうです。
③興(こう)徳寺(とくじ)
興徳寺は、鎌倉時代に開かれた時宗のお寺です。
興徳寺は、大太刀を振るったことで知られる戦国武将、
真柄十郎左衛門(まがら・じゅうろうざえもん)の菩提寺としても知られています。
お寺には、真柄十郎左衛門のお墓や位牌などが残ります。
真柄十郎左衛門は、朝倉氏の家臣で、味真野地区内に館を構えていたと伝わります。
朝倉・浅井連合軍と織田・徳川連合軍が激突した姉川の戦いで、
大太刀を振り果敢に戦ったがそこで戦死したとされています。
大太刀は、一説には、およそ3メートルだったそうです。
「姉川合戦図屏風」 福井県立歴史博物館 所蔵
興徳寺には、真柄十郎左衛門の巨大な人形があるほか御朱印や絵馬が用意されています。
味真野地区は、歴史をたっぷり味わえるまちでした(^▽^)/
■お問い合わせ
越前市味真野公民館
住所:福井県越前市味真野町7-2-1
電話:0778-27-1926
福井で「ともに、生きる」人たちの声を集め、その活動や思いを紹介します☺
それぞれの記事はこちらから ↓
みんなが快適に暮らせる建物をつくりたい
カンボジア・留学生
なぜ日本に?
中学生の時、世界史の授業で日本の戦後からの急速な復興と成長を学び、日本に興味を持ったのが、日本に留学したいと思った最初のきっかけでした。
高校生の時に、大震災が日本で起こりましたが、地震で激しく揺れても倒れないビルの映像を見て、その技術力の高さに驚き、日本に留学して建築を学ぶことを決めました。
今は大学院で、建物の温熱環境について研究しています。将来はカンボジアで、みんなが快適に暮らせる建物をつくるのが私の夢です。
なぜ福井に?
留学先に福井を選んだのは、海と山に囲まれた豊かな自然があり、ゆとりのある住みやすい環境だからです。福井の自然は季節によって多彩な表情を見せ、夏には海の綺麗なビーチ、サマースポーツを楽しむことができ、冬になると雪国の風景やウィンタースポーツを楽しむことができます。春には、足羽川の桜並木(桜に包み込まれたような幻想的な雰囲気の中)を自転車で走り抜け、自然をいっぱい楽しんでいます。でも、来日した当初は、日本語が話せず、文化はもちろん電車の乗り方さえも分からず、都会では人との距離感も遠くてとても苦労しました。でも、大阪の日本語学校を卒業し、福井に来てからは、人と人との距離も近く、誰とでもすぐに仲良くなれました。学校やそのほかの活動で、たくさんの友達もできました。福井に来て本当に良かったです。
鯖江市地域おこし協力隊
カナダ・川口サマンサさん
Sabae Local Revitalization Cooperation Group
Canada / Samantha Kawaguchi
まずは知ること、そして行動へ。
国連の「持続可能な開発目標 SDGs」がきっかけで鯖江市で暮らすことになりました。鯖江では、市を挙げて積極的にSDGsを推進しています。2018年には、当時の牧野市長が国連本部でSDGsに関する市の取り組みについて演説しました。その際に通訳を務めたことから鯖江市の魅力にひかれ、「さばえSDGs推進センター」の開設に合わせて2020年10月に移住しました。
センターでは、県内外の学校や企業でSDGsについての講演を行うほか、SDGsに関する展示パネルの作成などをしています。最近、色々なメディアで発信がなされているのでSDGsへの関心は高まっているように感じます。でも、知っているだけではだめなんですよね。行動しなきゃ何も変わらない。それが大切だと思っています。SDGsは「かたい」というイメージがありがちだと思うんですけど、実はすごく単純なことだったり、意識していなかったけれど昔からやっていたことだったり、身近にできることがすごく多いんです。
SDGsの17の目標の中でも、目標5「ジェンダー平等を実現しよう」に力を入れて活動しています。LGBTQの啓発活動を行う団体「なろっさ!ALLYさばえ」を立ち上げ、イベントや研修を開催するなど2022年度から本格的に活動しようと考えています。目標の一つは、鯖江市・福井県における同性同士のパートナーの関係性を認める「パートナーシップ制度」の導入です。
海外から日本に来ている外国人たちは、主に外国人同士のコミュニティの中で交流しているイメージがあるんですよね。ホームシックになったり寂しくなる気持ちも分かりますが、せっかく自分の国とは全く違う環境にいるんだから、もうちょっと溶け込むようにしたらどうかなと思います。地域の人たちと関わりを持つことで、自分の生活にもすごくプラスになりますし、地域全体がより多様で暮らしやすい環境になると思います。
Start by knowing, then take action!
The United Nation’s SDGs (Sustainable Development Goals) are the reason I decided to live in Sabae. Sabae City actively promotes the SDGs. In 2018, the then mayor Makino gave a speech about the city’s efforts towards the SDGs at the UN headquarters. At that time I served as an interpreter and became enthralled by Sabae’s charm. I moved to Sabae in October 2020 with the opening of the Resource Center for Implementation of the SDGs in SABAE.
For my work at the Center, I primarily give seminars on the SDGs for schools and businesses both within and outside the prefecture, as well as create and design exhibition panels about the SDGs. As various media platforms have been spreading awareness about the SDGs recently, people seem to be growing more interested in them. However, just knowing isn’t enough. Nothing changes unless you take action, and it is so important to do so. The SDGs may seem difficult to achieve, but many things that contribute to them are actually very simple, and some are even things that you have been doing all along.
Out of the 17 SDGs, I focus largely on goal 5: gender equality. I, along with locals who hold similar values, established “Narossa! ALLY Sabae”, a group to spread awareness on LGBTQ issues throughout the community by holding seminars and events, and we plan to strengthen our activities in 2022. One of the objectives for our group is to see the introduction of Japan’s Partnership System, a municipal system recognizing same-sex partnership, in not only Sabae City, but the whole Fukui Prefecture.
A lot of foreigners in Japan tend to interact mainly with other foreigner communities. I understand getting homesick and feeling lonely, but since they are in an environment completely different from their country, I think they should try a little more to blend in. Getting involved more with local people is very beneficial on a personal level, and in addition makes the whole local community a more diverse and easier-to-live environment.
キャサリン・コーネリアスさん Catherine Cornelius
ALT アシスタントランゲージティーチャー
【経歴】
アメリカ カリフォルニア州出身、ケンタッキー州育ち。
高校生の時に、東日本大震災後のボランティアとして初来日。
その後、高校生・大学生の時に日本に語学留学。
2018年からALTとして大野市に配属される。
福井県から委嘱されているFukuiレポーターズとしても活躍中。
Personal history
Born in California and grew up in Kentucky, USA.
Came to Japan for the first time as a volunteer following the Great East Japan Earthquake when in senior high school.
Later came to Japan to learn Japanese language when in senior high school and university.
Assigned to Ono City as ALT in 2018.
Also active as a member of Fukui reporters entrusted by Fukui Prefecture.
日本語を勉強するきっかけは、ささいなこと
高校生の時から日本語の勉強を始めました。本当はドイツ語を学ぼうと思っていたけど、ドイツ語は英語と似ているから、全然違う日本語にチャレンジしたいなって(あとは、ドイツ語の先生が苦手だった(笑))。隣に住んでいた家族が日系人で、一緒にお寿司や水ようかんを食べていたし、日本の文化には元々興味がありました。漢字とか、覚えるのに時間がかかって大変だけど、詳しく勉強すれば共通の部首があることが分かります。読み方が分からなくても、漢字の形で意味が分かるからおもしろい。
I started learning Japanese from little things
I started learning Japanese when I was a senior high school student. At first, I thought of learning German, but I wanted to learn a language completely different from English. German is similar to English and I didn’t like the German teacher (laughter). The next-door family was of Japanese descent and I had sushi and mizu-yokan together with them. And I was interested in Japanese culture. That’s why I chose Japanese language. It is hard to learn kanji and it takes time, but by learning kanji in detail you can see that there are common radicals. If you don’t know how to pronounce a certain kanji, you can understand its meaning by its shape, which is interesting.
「つかまえた!」子どもたちのそんな顔がみたい
ALTの仕事は大好き。みんな毎日一生懸命で元気いっぱい。私が授業にきたら喜んでくれるけど、少し喜びすぎかな(笑)。子どもたちは今まで分からなかったことが理解できた時、「つかまえた!」みたいな顔をするの。その顔が見たくて、歌をまじえるとか、分かりやすい授業を心がけています。
I want to see children giving the “got it” facial expression
I really like ALT’s job. Children work hard and are energetic every day. They look happy to see me in class. Maybe a little too overjoyed (laughter). When they come to understand what they didn’t, they give the “got it” facial expression. To see the expression, I try to teach in an easier-to-understand way, for example, by mixing songs.
Fukuiレポーターズの反響
Fukuiレポーターズの仕事は、自分らしく福井の魅力を発信できるから、超楽しい!
私のインスタグラムの投稿を見て、アメリカの友達が福井に遊びに行きたいと言ってくれています。彼女は芸術に興味があるから、コロナが落ち着いたら越前陶芸村に連れていきたい!体験できる場所がたくさんあるのも福井の特徴ですよね。
Response to Fukui reporters
I have a lot of fun doing the job as a Fukui reporter because I can convey Fukui’s charm in my own way. A friend of mine in the US saw my Instagram and wants to come to Fukui. She is interested in arts, so I want to take her to Echizen Pottery Village when the COVID-19 situation calms down. There are many places to experience, which is one of the characteristics of Fukui.
福井にある「本当の日本らしさ」
包丁や眼鏡や漆とか、日本でよく使っていて、大切な伝統芸能が福井にはたくさんある。
海外で禅は有名なんだけど、永平寺があるから禅も感じられる。昔の日本とのつながりが今も残っているから、「本当の日本らしさ」を福井なら感じることができます。
自分で生活のテンポをチョイスできるのも、福井の魅力。都会はどこでも都会。生活が速すぎるとか、人が多すぎるとか。でも、福井は速く生活をすることもできるし、ゆっくり生活をすることもできる。生活の選択肢があります。
You find real Japanese atmosphere in Fukui
Fukui has many important traditional arts such as kitchen knife, glasses and lacquer that are in common use in Japan. At Eiheiji Temple you can feel Zen that is famous abroad. Things connecting with old Japan still remain, so you can feel real Japanese atmosphere in Fukui.
You can choose the tempo of life, which is the attraction of Fukui. Big cities are the same everywhere; the tempo of life is too fast and there are too many people. In Fukui, you have choices in life; you can live a fast life or a slow life.
将来は福井で通訳にもチャレンジしたい
今は通訳の勉強中。福井が大好きだから、将来は通訳としても福井で働いてみたい。勉強していてつまらない時もあります。そんな時は辛いなと思うけど、辛いのはきっと新しい情報だから、いつか辛くないになるので。
「この言葉は日本語にあって英語にはない」とか、その逆もありますけど、できるだけ一番近い言葉を使って伝えられるように勉強しています。
通訳が上手になって、外国人観光客の役に立ちたい。魅力ある福井県にたくさんの人が遊びに来てくれたら嬉しいです。
In the future, I want to work as an interpreter in Fukui
Now I am studying to become an interpreter. I like Fukui so much that I want to work as an interpreter in Fukui in the future. Sometimes I feel bored while studying. The study is tough, but it’s probably because I was getting new information. So it will not be tough someday. There are Japanese expressions that don’t exist in English, and vice versa. I try to learn how to convey the meaning with the closest words. I want to serve foreign tourists by becoming a good interpreter. I hope a lot of people will come and have fun in attractive Fukui Prefecture.
【聞き逃し配信中☆彡】
3/5放送のDino★ラジ!
調査員の上原美穂 です!
今回は、野外インストラクターの松本拓也さんと
「まがりかんじき」を使った雪山探検ツアーの魅力をお伝えしました!
ぜひ聞いてくださいね☺
~21日(月・祝)夕方6時まで
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=6822_01</>a
【聞き逃し配信中☆彡】
高橋愛 です!福井の皆さーん!
今年初のDino★ラジ、めちゃめちゃ楽しくって、あっという間の時間でした!
髙鍬さんとはお話しできませんでしたが、またお話しできるのが楽しみです^ - ^
今年もどうぞよろしくお願いします!!!
~21日(月・祝)夕方6時まで
【聞き逃し配信中☆彡】
3/5放送の「Dino★ラジ!」
ジュニア和太鼓チーム「八ツ杉太鼓 遊心」のメンバーから、2人に来ていただきました!
息の合った太鼓の演奏が、ネットやアプリから聴けます❣
~21日(月・祝)夕方6時まで
「Emotet(エモテット)」
聞いたことありますか?
可愛い名前に騙されてはいけません。
世界中で拡大しているコンピューターウイルスで、
県内でも確認されています。
感染すると個人情報が流出するなど、
特殊詐欺に悪用される恐れもあります!
皆さん、電子メールを開く時は要注意です!
特殊詐欺撲滅アンバサダーの羽生でした。
エィゼィン・ミンツさん
အေဇင်မြင့်
会社員(かいしゃいん)
ကုမ္ပဏီ ဝန်ထမ်း
将来(しょうらい)の夢(ゆめ) 母国(ぼこく)に日本語学校を
日本人と一緒(いっしょ)に働(はたら)いている外国人で、相手に対して悪い考えで何かをすることはほとんどないんです。もし外国の人の態度(たいど)で、日本の人にとって気分が悪くなることがあれば、「これは文化(ぶんか)が違うかな」という風に思ってほしいです。
外国人のほうも、日本の文化を勉強(べんきょう)してから日本に来ればそんなことは防(ふせ)げるんじゃないかと思うんです。私は日本語も日本の文化もまったく分からないうちに来たので、とても困りました。将来は、自分と同じくミャンマーから技術者(ぎじゅつしゃ)として来る人のために、日本語だけじゃなく日本の文化も教える日本語学校を作りたいと思っています。そのために今は福井で頑張(がんば)って働きます。
အနာဂတ်အိပ်မက် - မြန်မာနိုင်ငံမှာ ဂျပန်စာသင်တန်းကျောင်း တည်ထောင်ချင်တယ်
ဂျပန်လူမျိုးနဲ့ အတူတူ အလုပ်လုပ်နေတဲ့ နိုင်ငံခြား သားတွေမှာ တမင်တကာ မကောင်းတဲ့ အတွေးစိတ်ကူးနဲ့ တစ်ဖက်သားကို တစ်ခုခုလုပ်တဲ့သူဆိုတာ မရှိသလောက်ပါပဲ။ တကယ်လို့ နိုင်ငံခြားသားရဲ့ ကိုယ်နေဟန်ထားတွေကြောင့် ဂျပန်တွေ စိတ်အနှောင့်အယှက် ဖြစ်သွားတာမျိုး ရှိရင် “ဒါ ယဉ်ကျေးမှု မတူတာကြောင့်ပဲ” လို့ စဉ်းစားပေးစေချင်ပါတယ်။
နိုင်ငံခြားသားဖက်ကလည်း ဂျပန့်ယဉ်ကျေးမှုကို လေ့လာပြီးမှ ဂျပန်ကို ရောက်လာရင် အဲလိုမျိုး မဖြစ်အောင် တားဆီးနိုင်မယ် ထင်ပါတယ်။ ကျွန်မကတော့ ဂျပန်စာရော ဂျပန့်ယဉ်ကျေးမှုပါ လုံးဝ မသိဘဲ ရောက်လာတာမို့ တော်တော် အခက်တွေ့ရပါတယ်။ အနာဂတ်မှာ ကျွန်မနဲ့ အလားတူ မြန်မာကနေ အင်ဂျင်နီယာအဖြစ် ရောက်လာမယ့်သူတွေအတွက် ဂျပန်စာတင်မက၊ ဂျပန့်ယဉ်ကျေးမှုကိုလည်း သင်ကြားပို့ချပေးတဲ့ ဂျပန်စာသင်တန်းကျောင်းကို တည်ထောင်ချင်ပါတယ်။ အဲဒီအတွက် အခုတော့ ဖုကုအိမှာပဲ ကြိုးစားပမ်းစား အလုပ်လုပ်ပါမယ်။
母国のクーデター 福井の人に知ってほしいのは
今、私のふるさとミャンマーでは軍事政権(ぐんじせいけん)が政治(せいじ)を握(にぎ)っています。幸(さいわ)い、私の家族はミャンマー国内でも無事(ぶじ)な場所(ばしょ)で暮らしていて影響(えいきょう)は少ないです。しかし、クーデターの影響(えいきょう)がいつそこまで広がるか分かりません。正直(しょうじき)、すごく怖(こわ)いです。
日本のみなさんもコロナで大変(たいへん)な中ですが、少しでもミャンマーのことについて理解(りかい)して、そして応援(おうえん)してくれたら嬉(うれ)しいです。応援といっても、大きなことではありません。「頑張ってください」とか「ミャンマー大変ですね」とか、そんな「言葉」だけでもとても嬉しいんです。
私たちは毎日自分の国のニュースを見て、落ち込んでいるときもあるし、言えないけれど心の中で毎日悔(くや)しくなっている人もいると思います。なので、少しだけでも、「頑張ってください」の言葉だけでももらえたら、気持ちが明るくなるなぁと思います。
မြန်မာနိုင်ငံမှ စစ်တပ်အာဏာသိမ်းမှု - ဖုကုအိက လူတွေကို သိစေချင်တာများ
အခုတော့ ကျွန်မ ဇာတိ မြန်မာနိုင်ငံမှာ စစ်အစိုးရက နိုင်ငံရေးအာဏာကို သိမ်းပိုက်ထားပါတယ်။ ကျွန်မတို့ မိသားစုဟာ မြန်မာနိုင်ငံမှာရှိတယ်ဆိုပေမယ့်လည်း ကံကောင်းစွာနဲ့ ဘေးကင်းစိတ်ချရတဲ့ နေရာမှာ နေထိုင်တာကြောင့် ဆိုးကျိုးသက်ရောက်မှု သိပ် မရှိသေးပါဘူး။ ဒါပေမဲ့ အာဏာသိမ်းမှုရဲ့ ဂယက်တွေ ဘယ်တော့ ရိုက်ခတ်လာမှာလဲ မသိရပါဘူး။ ပွင့်ပွင့်လင်းလင်း ပြောရရင် အတော် ကြောက်ရွံ့ စိုးရိမ်နေရပါတယ်။
ဂျပန်က ပြည်သူတွေ အားလုံးဟာလည်း ကိုရိုးနာဗိုင်းရပ်စ်ကြောင့် တော်တော် အခက်တွေ့နေကြတယ်ဆိုတာ သိပေမဲ့၊ အနည်းငယ်ပဲ ဖြစ်စေ၊ မြန်မာနိုင်ငံအကြောင်းကို နားလည်ပေးပြီးတော့၊ အားပေးထောက်ခံပေးမယ် ဆိုရင် ကျွန်မ ဝမ်းသာပါတယ်။ အားပေးတယ်ဆိုတာကလည်း ကြီးကြီးမားမား ကိစ္စမျိုးတော့ မဟုတ်ပါဘူး။ ”အရှုံးမပေးဘဲ ကြိုးစားပါ”၊ “မြန်မာပြည် တော်တော် ဒုက္ခရောက်နေတယ်နော်” စသဖြင့် အဲဒီလို “စကား” တွေ ကြားရုံနဲ့ သိပ် ဝမ်းမြောက်ပါတယ်။
ကျွန်မတို့ဟာ နေ့စဉ်နေ့တိုင်း မြန်မာနိုင်ငံအကြောင်း သတင်းကို ကြည့်ရှုဖတ်ရှုကြတာကြောင့် စိတ်ဓာတ်ကျနေရတဲ့ အချိန်လည်း ရှိသလို၊ စကားနဲ့တော့ မပြောပြနိုင်ပေမဲ့ စိတ်ထဲမှာ နေ့တိုင်းလိုလို မချင့်မရဲ ဖြစ်နေရတဲ့သူတွေလည်း ရှိတယ် ထင်ပါတယ်။ ဒါကြောင့် နည်းနည်းလောက်ပဲ ဖြစ်ဖြစ်၊ ”အရှုံးမပေးဘဲ ကြိုးစားပါ” ဆိုတဲ့ စကားလောက်နဲ့ပဲ ဖြစ်ဖြစ် အားပေးထောက်ခံပေးမယ်ဆိုရင် စိတ်အားထက်သန်လာမယ်လို့ ထင်ပါတယ်။
बायाँबाट सूर्य र बिशेसोर
福井市のホテル勤務
फुकुई शहरको होटलमा काम
ダハル・スリヤさん、ポクレル・ビセショルさん
दाहाल सूर्य पोखरेल बिशेसोर
私たちはいずれも8年前に来日し、4年前からは福井市内のホテルで働(はたら)きながら接客(せっきゃく)を学んでいます。
将来(しょうらい)は母国(ぼこく)で日本のおもてなしが感じられるホテルを作りたいと思っています。
हामी सबै आठ वर्षअघि जापान आएका थियौं र चार वर्षअघिदेखि फुकुई शहरको होटलमा काम गर्दै ग्राहकलाई सेवा दिने तरिका सिकिरहेका छौं। भविष्यमा, म मेरो देशमा जापानी आतिथ्यता महसुस गर्न सक्ने होटल बनाउन चाहन्छु।
新型(しんがた)コロナウイルスの影響(えいきょう)で、接客の仕事ができない日々が続いています。
しかし、私たちは決して夢(ゆめ)を諦(あきら)めて帰ることはせず、ホテルの事務(じむ)の仕事や日本語(にほんご)の勉強(べんきょう)を頑張っています。
नयाँ कोरोनाभाइरसको प्रभावका कारण ग्राहकहरूलाई सेवा दिन नसक्ने दिनहरू जारी छन्। तर, हामीले आफ्नो सपना कहिल्यै त्यागेनौं र घर फर्केनौ, र हामी होटेल अफिसको काममा कडा परिश्रम गर्दै जापानी भाषा पढिरहेका छौं।
(スリヤさん)सूर्य
「人生(じんせい)は1秒1秒の積(つ)み重(かさ)ねだと思います。
今ネパールに帰ってしまうと、今まで学んだことが無駄(むだ)になってしまいます。だから、福井に残って、今の空いた時間を無駄にせず、勉強やホテルの事務の仕事をしています。」
मलाई लाग्छ जीवन भनेको १ - १ सेकेन्डको संचय हो। अहिले नेपाल फर्किएँ भने मैले सिकेको कुरा खेर जान्छ । त्यसैले फुकुईमा बसेर मेरो फुर्सदको समय खेर नफालिकन पढाइ र होटेल अफिसको काम गरिरहेको छु।
(ビセショルさん)बिशेसोर
「私の学ぶホテル接客とは、フロント業務(ぎょうむ)だけでなく、会話(かいわ)を通じて日本人の所作(しょさ)や心根(こころね)を知り、お客様への心地(ここち)よい対応(たいおう)を身につけることです。私は一生懸命(いっしょうけんめい)ホテルのノウハウを身(み)につけ、祖国(そこく)ネパールに持ち帰るまで、諦(あきら)めることはしません。」
मैले सिकेको होटेल ग्राहक सेवा भनेको फ्रन्ट डेस्कको काम मात्र होइन, कुराकानीको माध्यमबाट जापानीजको व्यवहार र हृदय बारे बुझ्ने र ग्राहकहरूलाई सहज प्रतिक्रिया प्राप्त गर्नु पनि हो। म होटेलको ज्ञान प्राप्त गर्न कडा परिश्रम गर्नेछु र यसलाई मेरो मातृभूमि नेपालमा नल्याउञ्जेल सम्म हार मान्नेछैन।
左からビセショルさんとスリヤさん
बायाँबाट बिशेसोर र सूर्य
ジャクリン・ランディさん
カナダ人 ハンター
Randy Jaklin
Canadian and hunter
【経歴】
・大学で学んだ日本の文化に憧(あこが)れ25歳のときに来日。
・平成17年に妻の恵美さんと結婚。
・現在16歳と10歳の娘と12歳の息子1人の5人家族。
・永平寺町に暮らし始めて10年。
・現在、ベビー用品の輸入代理店(ゆにゅうだいりてん)の社長
【Personal history】
- Came to Japan at age 25 longing for Japanese culture he learned in university
- Got married to Emi in 2005
- There are five people in his family. He has two daughters aged 16 and 10 and one son aged 12.
- Ten years have passed since living in Eiheiji-cho
- Currently president of a baby goods import agency
【カナダの大自然(だいしぜん)で育ったジャクリンさん】
カナダの大自然の中で育ったジャクリンさんは、12歳から祖父(そふ)の教えで狩猟(しゅりょう)を始めました。
狩猟ではキジなどを捕獲(ほかく)していました。狩猟をする上で、祖父から教わったことは、「狩猟したものは必ず食べなさい」ということでした。生き物の命の大切さを教わったといいます。
Jaklin grew up in Canada’s beautiful nature
Jaklin who grew up in Canada’s beautiful nature started learning hunting from his grandfather when he was 12 years old. When he went on a hunt, he caught pheasants and other animals. His grandfather told him to eat what he hunted. It was his grandfather’s way of teaching the importance of life.
【近所の農家を助けたい・永平寺町で有害(ゆうがい)鳥獣捕獲隊に】
当初、福井市で暮らしていたということですが、妻の恵美さんの地元、永平寺町に移り住みました。
海外に比べて、日本はベビー用品が少ないと感じたジャクリンさんは、輸入代理店を始めました。
永平寺町で会社を経営していましたが、最初は地域に溶け込めず、「寂(さび)しいな」と感じる毎日だったといいます。しかし、近所の農家が突然(とつぜん)会社を訪れ、農作物をお裾分(すそわ)けしてくれたりと、段々(だんだん)と地域になじむようになっていったといいます。そんなある日、近所の農家から「農作物がシカに荒らされている」という相談を受けました。ふだんお世話になっている近所の農家を助けたいと、ジャクリンさんは、カナダでの経験を生かして、狩猟の免許(めんきょ)を取得(しゅとく)。地域を困らせるシカやイノシシなどを捕獲する町の有害鳥獣捕獲隊に任命されました。
To help farmers in the neighborhood, he became a member of the harmful birds and mammals capture team in Eiheiji-cho
Jaklin moved from Fukui City to Eiheiji-cho, his wife Emi’s hometown. Thinking that Japan has fewer baby goods compared to other countries, he started running an import agency in Eiheiji-cho. At first, he was unable to blend into the community and felt lonely every day, but one day a farmer in the neighborhood came to the office without notice and gave farm produce. And he gradually began to blend into the community. The farmer told him that deer damages the crops. He wanted to help him who was kind to him. Taking advantage of his experience in Canada, he obtained a hunting license. And he was appointed as a member of the town’s harmful birds and mammals capture team that captures deer, wild boar and other animals that are harmful to the community.
【捕獲した生き物をジビエに】
有害鳥獣捕獲隊の活動を始めたジャクリンさんですが、捕獲した生き物を山に埋設(まいせつ)することに違和感(いわかん)を覚えたといいます。カナダで教わった祖父の教えで、捕獲した生き物は必ず食べなさいと教わったジャクリンさんは、この埋設している生き物をなんとか有効活用(ゆうこうかつよう)したいと考えました。そこで考えたのが、捕獲した動物を「ジビエ」として出荷(しゅっか)することです。2年前の10月、会社の近くに食肉加工施設(しょくにくかこうしせつ)を新たに建設。シカ肉の活用し、ペット用の餌(えさ)を開発(かいはつ)。地元(じもと)の道の駅などで販売(はんばい)を始めました。さらに最近では、飲食店への出荷のスタート。勝山市にある飲食店の店長は、「ジャクリンさんのシカ肉は血抜(ちぬ)きがしっかりしてあって臭(くさ)みがない。ジャクリンさんの愛情(あいじょう)が込められている」と話していました。お客さんにも好評(こうひょう)で連日(れんじつ)売り切れだということで、入荷(にゅうか)が待ち遠しいとのことです。
Making use of animals captured as wild game meat
Jaklin began activities as a member of the harmful birds and mammals capture team. He felt uncomfortable to bury in the mountains the animals captured, because his grandfather taught him to eat the animals captured. He wanted to make use of the animals and came up with the idea of providing wild game meat. In October two years ago, he built a new meat processing facility near his office, developed venison pet food, and began offering it at local roadside stations. Recently he started providing it to restaurants. The manager of a restaurant in Katsuyama City said, “Jaclyn’s venison is not gamey because blood is removed thoroughly. His love is put into his meat. Restaurant customers like the meat and it is all consumed every day. The manager says that he looks forward to the arrival of the next meat.
【技術継承(ぎじゅつけいしょう)へ】
さらに最近は、町から狩猟の技術継承して欲しいとお願いを受けました。年々、狩猟をする人の高齢化(こうれいか)が進み、後継者(こうけいしゃ)不足が課題(かだい)となっていたのです。町のためになるならと引き受けたジャクリンさん。まずは、隣の家に住む男性に狩猟の方法について教えることにしました。狩猟の免許を持っているものの、一度も獲物を捕獲したことがない南保(なんぽ)さん。ジャクリンさんは、シカの足跡の見つけ方や、シカの歩くルートを予測してわなをかけることなど、1つ1つ丁寧(ていねい)に教えていました。取材から1週間後、男性に連絡をしてみると、初めてシカを捕獲したと喜びの報告(ほうこく)がありました。男性は70代の高齢ですが、今後も、ジャクリンさんに教わった狩猟のやり方で、シカやイノシシなどの鳥獣を捕獲していきたいと話してくれました。
Passing on the skills
Recently Jacklin was asked by the town to pass on his hunting skills. Aging of hunters progresses year after year, and a lack of successors has become a problem. He took on the job for the town. First, he decided to teach the next-door neighbor Nampo how to hunt. Although Nampo had a hunting license, he had never captured an animal. Jaclyn was teaching him skills one by one, such as how to find deer tracks and how to set a trap by predicting the walking route of deer when we went to meet him for an interview. When we called Nampo one week later, he said joyfully that he caught deer for the first time in his life and that, although he is in his 70s, he will continue to capture animals such as deer and wild boar in the way learned from Jaclyn.
ファンチョ・サンタマリア Juancho・Santamaria
アメリカ合衆国・ALT(Assistant Language Teacher 外国語指導助手)
なぜ日本に?
10歳の時、初めて日本の女性アーティストの曲を聴いて、日本語に興味を持ちました。
言葉の意味はわからなかったけど、その時に聴いた日本語の音がとても綺麗で好きだったのを覚えています。一方、その後の進路に関しては、地元の小学校、中学校、高校で学び、大学では、安定した職業である歯科医になることを目指して勉強していました。
しかし、ふとあるとき一つの疑問が頭をよぎったのです。
「本当に自分がやりたい事は何なのか?」
その時に思い出したのが、10歳の時に初めて耳にした日本語の美しさでした。
「そうだ、日本語を一生の仕事にしよう!」
そう決めて、大学での専攻を日本語に変更し、日本語を学ぶ日々が始まりました。
Why Japan?
When I was 10 years old, I happened across a Japanese female artist’s music. From there, I was hooked. I didn’t understand the words, but I remember being fascinated with the language and its cadence. I attended elementary school, middle school, and high school without incident. In college, I began studying to get a stable job as a dentist, but wondered if it was what I really wanted to do. In that uncertainty, I recalled the beautiful language I’d heard in my youth and my days of studying Japanese began.
なぜ福井に?
大学での勉強の末、日本語が話せるようになったものの卒業後の具体的な進路に悩んでいた頃、日本からの留学生の友達に、日本語を交えながら英語を教えていたら「教え方が上手。先生になったら?」と褒められとても嬉しく感じました。そんな時に大学の教授から「姉妹都市である日本の福井市で小学生に英語を教える仕事があるんだが、やってみないか?」と勧められ、ALTとして日本の福井に来ることを決意しました。
実際に日本に来るまでは、「自分の中の日本のイメージと大きなギャップがあったらどうしよう?」という不安もありましたが、来てみれば杞憂に終わりました。福井の街は故郷のオレンジ市と似ていて、のどかで人混みも無く、のんびりしている雰囲気が好きになりました。福井に来て7年目になりますが、来日したばかりの頃、上司に越前おろし蕎麦を食べさせて貰ってから、すっかり虜になり、今は蕎麦と言えば、越前おろし蕎麦しか食べません。
好きな日本語を交えて母国語である英語を子供たちに教えることは、とても楽しいです。子供たちが会うたびに成長し、英語が上達していく姿を見るのが嬉しいです。私が日本語に出会って世界が広がったように、福井の子供たちが世界中の人達とコミュニケーションが取れるようになり、将来の可能性が大きく広がるよう、これからも授業を続けて行きます。
Why Fukui?
I learned to speak Japanese by majoring in it in university, but I was worried about life after graduation. Around then, I was teaching a Japanese friend English with a mix of English and Japanese. Said friend complimented my effort, saying, “You are good at teaching. Why don’t you become a teacher?” This pleased me greatly. My university professor then informed me of a job opportunity teaching English to elementary school students in our sister city, Fukui. With the professor’s recommendation, I decided to come to Fukui as an ALT.
Before moving to Japan, I was worried about any preconceived notions or biases I might have about the country. My worries ultimately proved unfounded. Fukui City is very similar to my hometown, the City of Orange: It’s tranquil, relaxed, and uncrowded. I like this sort of atmosphere. When I first moved came to Fukui, my supervisors treated me to a bowl of Echizen oroshi soba. Even now, with seven entire years having passed since I moved to Japan, the only soba I eat is Echizen oroshi soba.
I enjoy mixing my English and Japanese when teaching children English, and seeing them improve day by day is very satisfying. In the same way that learning Japanese opened my life to new possibilities, I hope to continue teaching English to Japanese students and broaden their horizons.
【Dino★ラジ!スペシャル】
およそ2時間の生放送!
世界へ羽ばたく“三味線バンド”に
新たな表現を追求する“劇団”が登場 ❣
お聞き逃しなく☺
<ラジオ第1>午後5:05~
スタッス・ポンパンさん
PORNPAN SUTAS
คุณพรพรรณ สุทัศน์
◆思い切って来た福井
博士後期課程(はかせこうきかてい)に進学するタイミングでタイから福井に来ました。
タイにも日本に来たいと思っている人はたくさんいますが、英語が通じる国と比べ、日本に行くには準備が大変だそうです。
タイの人から見て、日本語は勉強が大変なイメージです。
周りのみんなが暮らそうと思わなかった日本、だからこそ私は行ってみようと思いました。
◆การตัดสินใจมาที่ฟุกุอิ
ฉันได้เดินทางจากไทยไปจังหวัดฟุกุอิ ในช่วงจังหวะที่ไปศึกษาต่อในระดับปริญญาเอก
ถึงแม้ว่าคนไทยจะชอบการไปท่องเที่ยวญี่ปุ่น แต่การมาอาศัยระยะยาวไม่เป็นที่นิยมเมื่อเทียบกับประเทศที่ใช้ภาษาอังกฤษได้ เพราะในมุมมองของคนไทย จะมีความรู้สึกว่าภาษาญี่ปุ่นเป็นภาษาที่ยากมาก แต่กระนั้นฉันก็มีความคิดว่าอยากจะลองไปญี่ปุ่น ซึ่งเป็นประเทศที่ทุกคนรอบตัวฉันไม่คิดจะไป
◆福井での研究生活
大学院で工学研究科(こうがくけんきゅうか)社会システムを専攻(せんこう)し、陶芸(とうげい)を通してどのようにすれば人の精神状態(せいしんじょうたい)が改善するか、そのプロセスを研究していました。
プロジェクトでは、病院の医療(いりょう)スタッフや患者の皆さんが病院で楽しい時間を過ごし、元気になってもらえるように、陶芸ワークショップと展示会を行いました。
陶芸ワークショップの開発を通して、今後、分析的(ぶんせきてき)な裏付けをもって精神状態の向上を正確に行うことができるとわかりました。
また、参加者の作品を一般公開し、メンタルヘルスの向上の一環(いっかん)として参加型アートを取り入れることを提案しました。
◆ชีวิตการทำงานวิจัยที่ฟุกุอิ
ฉันได้เรียนเอกวิศวกรรมระบบสังคม โดยทำวิจัยเกี่ยวกับกระบวนการในการพัฒนาจิตใจของบุคคลผ่านเครื่องปั้นดินเผา กิจกรรมทดลองได้จัดขึ้นร่วมกับโรงพยาบาลไซเซไก จังหวัดฟุกุอิเพื่อศึกษาความสัมพันธ์ระหว่างเทคนิคการขึ้นรูปที่หลากหลายกับประสิทธิภาพการพัฒนาอารมณ์เชิงบวกในคนไข้และบุคลากรทางการแพทย์ งานวิจัยพบว่าการศึกษาเอกลักษณ์ทางองประกอบศิลปะของผลงานทำให้เข้าใจถึงการเลือกใช้และออกแบบเทคนิคการขึ้นรูปที่เหมาะสมในการพัฒนาอารมณ์เชิงบวกให้มีประสิทธิภาพเหมาะสมกับกลุ่มเป้าหมาย
◆陶芸指導員として
今は金津創作の森で陶芸指導員(とうげいしどういん)として働いています。
静かで自然に囲まれているここは、気持ちよく仕事ができます。
生徒のみなさんに対しては、私が一方的に教えるだけではなくて、それぞれの得意技・技法を勉強させてもらうこともあります。
私の日本語の上達もみなさんのおかげです。いろいろな言葉を教えてくれたり、言い間違えたら直してくれたり、助かっています。
ここは特に、陶芸に興味がある人が集まっているからか、生徒のみなさんとも同僚たちともとても話しやすいです。私にとって今までで一番働きやすい環境です。
自分の研究と同僚(どうりょう)の知識を使い、楽しく気分を改善できる教室や陶芸ワークショップを行いたいです。
◆การเป็นผู้สอนการปั้นดินเผา
ตอนนี้ฉันทำงานเป็น ครูสอนเซรามิกอยู่ที่ คะนะซุโซซาคุโนะโมะริ
ที่นี่รายล้อมไปด้วยธรรมชาติที่เงียบสงบ ทำให้สามารถทำงานได้อย่างสบายใจ
ฉันไม่ได้เป็นผู้สอนแต่เพียงฝ่ายเดียว เพราะว่านักเรียนแต่ละคนที่นี่มีทักษะและเทคนิคพิเศษเฉพาะตัว บางครั้งฉันก็เป็นผู้เรียนรู้จากพวกเขา
การพัฒนาภาษาญี่ปุ่นของฉันก็ได้ความช่วยเหลือจากพวกเขา ในการสอนคำศัพท์ต่างๆ และแก้ไขเวลาฉันพูดผิด ซึ่งช่วยฉันได้เป็นอย่างมาก
อาจเป็นเพราะว่าเหล่าคนที่สนใจเรื่องการปั้นดินเผามารวมตัวกันอยู่ที่นี่ นักเรียนและเพื่อนร่วมงานทุกคนจึงคุยกันง่าย และเป็นสิ่งแวดล้อมที่ทำให้ฉันทำงานได้ง่ายมากๆ
ฉันมีเป้าหมายที่จะใช้งานวิจัยของฉันร่วมกับความรู้ความสามารถของเพื่อนร่วมงานเพื่อพัฒนากิจกรรมและชั้นเรียนเซรามิกที่ทุกคนสามารถสนุกและใช้เพื่อบำบัดจิตใจได้
◆コロナ禍で制作したアマビエ
コロナ禍の最中に作ったのが、陶器の大きいアマビエ。
アマビエをこの創作工房の外に置くことで、ここが陶芸をやっている場所だと一目でわかるような作品になればという思いも込めました。
いろいろな人がこのアマビエちゃんと写真を撮ったり、「よく作りましたね」と声をかけたりしてくれます。
でもまだ満足しているわけではなくて、もっとインパクトのあるものを作りたいなと思っています。
◆ การสร้างภูตพรายอะมะบิเอะในช่วงวิกฤตโควิด-19
ท่ามกลางวิกฤตโควิด-19 สตูดิโอของเรามีความตั้งใจในการสร้างสรรค์ผลงานที่จะทำให้คนเห็นแล้วสามารถรู้ได้ทันทีว่า
“ตรงนี้เป็นสถานที่ทำเครื่องปั้นดินเผา” ฉันเลยสร้างภูตพรายอะมะบิเอะเป็นเซรามิกขนาดใหญ่ตั้งไว้ด้านนอกเวิร์คช็อปเพื่อเป็นเครื่องลางป้องกันโรคร้ายไปด้วยมีคนมากมายได้ถ่ายรูปอะมะบิเอะไว้บ้างก็บอกกับเราว่า “สร้างออกมาได้ดีนะ”
อย่างไรก็ตามฉันคิดว่าอยากจะสร้างสรรค์งานที่สร้างอิทธิพลให้ได้มากกว่านี้
◆1989年・タイ生まれ
◆職業:金津創作の森 陶芸指導員
◆趣味:キックボクシング
◆福井の好きなところ:住んでいるところから見える景色がきれい・野菜が美味しい
◆ เกิดปี 1989 ที่ประเทศไทย
◆อาชีพ:ผู้สอนการปั้นดินเผาอยู่ที่ คะนะซุโซซาคุโนะโมะริ
◆งานอดิเรก:มวยไทย
◆สิ่งที่ชอบในจังหวัดฟุกุอิ:ชอบทัศนียภาพที่มองเห็นจากสถานทที่พักอาศัยอยู่・ผักมีรสชาติอร่อย
モハマド シャイリルさん
(越前町役場職員)
マレーシアと日本の架け橋になりたい
私は2002年にマレーシアから留学生(りゅうがくせい)として、来日しました。どこの県の学校に入学するか考えた時、人に安易(あんい)に頼らず学びたかったのでマレーシアの人が少ない場所に行こうと考えて、福井県の学校を選びました。
はじめは、日本食や文化の違いに戸惑(とまど)いました。特に生(なま)ものである刺身(さしみ)などは慣れるまで時間(じかん)がかかりましたね。だいたいの日本食は慣れてきたけど、納豆(なっとう)に関しては今も食べられません。
また人との距離感(きょりかん)の違いにも戸惑(とまど)いました。マレーシアでは、「名前を覚(おぼ)えたら友達(ともだち)」みたいな感じですが、日本では友達になるまで距離を感じました。今は自国との違いにも慣れましたよ。マレーシアの人は東京とかの大都市は知っているけど、福井の魅力も知ってもらいたくて、NPO法人(ほうじん)マレーシア国際交流協会(こくさいこうりゅうきょうかい)を立ち上げました。越前町は国際交流が盛んで、毎年、外国の中高生(ちゅうこうせい)を受け入れています。私もマレーシアの学生に伝統工芸など、様々な魅力がある越前町を知ってもらえるよう取り組んでいます。
今後は留学生だけではなくて、中高生から社会人まで、様々な年代の人を呼べるように取り組みたいと考えています。マレーシアから福井へ留学し移住した経験を持つ私だからできる、マレーシアと日本の架け橋になれたらいいなと思っています。
I hope to become a bridge between Malaysia and Japan
Malaysian Echizen Town, Administrative Officer
Mohd Syairir Bin Abd Malek
I came to Japan as an international student in 2002. I chose a school in Fukui prefecture where there are few Malaysian so that I can study without relying on others too easily.
At first, I was puzzled by Japanese food and cultural differences. It took time to get used to eating raw fish like sashimi in particular. Now I have gotten used to eating most Japanese dishes, but I cannot eat natto even now.
I was also confused by the difference in distancing with another person. In Malaysia, you make friends with anyone once you remember his/her name. In Japan, it takes time before making friends. Now I have gotten used to the difference from my country.
Malaysians know of Tokyo and other major cities in Japan, but I wanted them to know Fukui’s charm too. So I established NPO corporation “Malaysia International Association”.
Echizen Town is active in international exchange; it accepts foreign junior and senior high school students every year. I am working on letting Malaysian students know Echizen Town that has a lot of charm, such as traditional crafts. In the future, I will work on attracting to Echizen Town people of all ages from junior and senior high school students to working adults in addition to international students.
I came to study and live in Fukui from Malaysia. With this experience, I hope to become a bridge between Malaysia and Japan.
▼ロドルフ ジェフリーヨ ▼Rodolphe Geffriaud
▼フランス ▼France
▼シャンパン販売(はんばい) ▼Vente de champagne
世界中(せかいじゅう)を飛び回って、今は福井に
私は福井出身の奥さんと結婚したことで福井に住み始めたんだ。
日本の歴史や侍(さむらい)が好きで、ずっと日本に憧(あこが)れを持っていて、フランスの銀行員(ぎんこういん)をしていたんだ。でも人生(じんせい)は一度きりだと思って、仕事を辞(や)めて奥さんと福井に移り住んだよ。約20年前、2003年のことだった。その当時、全く日本語は話せなかったけど、すぐに習得(しゅうとく)できるだろうと思っていた。でも当時は今より外国人が働く場所も少なくて、その上日本語が話せない外国人には仕事さえ紹介(しょうかい)してもらえなかったよ。少し日本語をなめていたことを反省(はんせい)したよ。
そんな状態(じょうたい)だからしばらく仕事なんてなくて、たまたまレストランでフランス語を教えながらバイトさせてもらったり、知り合いの紹介で越前海岸(えちぜんかいがん)の海産物(かいさんぶつ)の加工(かこう)の仕事をさせてもらったりしていたよ。でも全く言葉が分からなくて、少しずつ日本語を教えてもらったり、スクールに通ったりしたよ。今くらい話せるようになるまでに2年もかかったけどね。
福井にきて13年間色んなバイトをしていたけど、一度フランスに帰り、世界中を飛び回ってワインの産地各国のワイナリーとコネクションを作って、ワインのディプロマ、OIV MASTER WINE とWSET 3取ったよ。そして、カンボジアのワイン輸入(ゆにゅう)会社でセールスマネージャーに就(つ)いた。でもそこでも外国人だからコロナ禍が始まってクビになったから、子供たちに会えなくなる前にまた福井に帰ってくることにしたんだ。
またしばらくは仕事もやることもなかったけど、シャンパンを作っている方から日本でうちのシャンパンを広めてくれないかと声がかかったんだ。今はSNSやレストランを通じてシャンパンの普及にも取り組んでいて、販売する会社に勤めているよ。
福井で困ったことはいくつかあるけど、まずはやっぱり日本語が話せなかったことかな。
ただでさえ話せなかったけれど、越前海岸でバイトしていた時は福井弁が全く聞き取れなくて、より難しかったよ。日本語が話せるようになってしばらくしてからバイト先に行った時、結構話せたけど福井弁はやっぱり聞き取れなかったね。方言は難しいよ。
他は雪だね。雪の降らない地域で育ったから、最初の2年は雪が綺麗(きれい)で嬉(うれ)しくてはしゃいでたけれど、3、4年も経つと雪かきが大変だったり、車の運転(うんてん)が難しかったりとても困ったね。雪道は危なくて単独(たんどく)スリップ事故も起こしちゃったよ。
でも困ったことがあっても福井は田舎(いなか)らしくて、みんな優しいし、海も山もきれいで素敵(すてき)。越前海岸をドライブしているよ。
Après avoir couru le monde, me voici à Fukui
J’habite à Fukui car je me suis marié avec ma femme originaire de Fukui.
Passionné d’histoire du Japon et de samouraï, j’étais toujours attiré par le Japon tout en travaillant dans une banque en France. Mais je me suis dit qu’on n’a qu’une vie et j’ai quitté mon travail pour vivre à Fukui avec ma femme. C’était il y a une vingtaine d’années, en 2003. A ce moment-là, je ne parlais pas du tout le japonais mais je croyais que j’arriverais vite à le maîtriser. Mais à cette époque où il y avait moins d’emplois ouverts aux étrangers qu’aujourd’hui, un étranger ne parlant pas japonais comme moi n’a même pas pu avoir une proposition de travail. J’ai regretté d’avoir négligé un peu trop la langue japonaise.
C’est ainsi que je restais sans emploi pendant certain temps mais j’ai eu la chance de faire un job dans un restaurant en donnant des cours de français ou de travailler pour la transformation des fruits de mer à la côte d’Echizen grâce à la présentation par un de mes connaissances. Mais je ne comprenais pas du tout le japonais. Je l’ai appris de petit à petit et j’ai pris des cours à une école aussi. Pourtant il m’a fallu 2 ans pour parvenir à le parler comme aujourd’hui.
Après avoir fait différents petits boulots pendant 13 ans depuis ma venue à Fukui, je suis une fois retourné en France、et fait un tour du monde pour nouer des relations avec des vignobles de chaque pays producteur de vin et obtenir les diplômes du vin, OIV MASTER WINE et WEST3. Ensuite j’ai occupé un poste de directeur de ventes dans une société d’importation des vins en Cambodge. Mais en étant étranger là-bas aussi, j’ai été viré au commencement de la crise du Covid 19. Je me suis donc décidé à retourner à Fukui avant que les retrouvailles avec mes enfants ne deviennent impossibles.
Après avoir passé un certain temps encore une fois sans travail ni quelque chose à faire, un producteur de champagne m’a demandé de faire la promotion de ses champagnes au Japon. Aujourd’hui, je suis employé dans une société qui vend du champagne et je travaille aussi à promouvoir le champagne à travers les réseaux sociaux et les restaurants.
J’ai rencontré plusieurs difficultés à Fukui mais la premiére c’est sans doute mon incapacité de parler japonais. Quand je travaillais à la côte d’Echizen, c’était encore plus difficile parce que pour moi qui avais déjà du mal à parler le japonais, le dialecte de Fukui était complètement incompréhensible. Quand je suis allé à mon lieu de job quelque temps après être arrivé à parler japonais, j’ai pu parlé assez bien mais le dialecte de Fukui était toujours incompréhensible pour moi. En effet le dialect est difficile.
Une autre difficulté, c’est la neige. Comme j’ai grandi dans une région où il ne neige pas, pendant les 2 premières années j’étais ravi et excité de voir la belle neige mais au bout de 3 ou 4 ans la neige m’a beaucoup embêté avec le déneigement pénible et la difficulté de couduire une voiture. C’est dangereux de conduire sur une route enneigée et j’ai eu un accident de voiture tout seul dû au dérapage.
Malgré ces difficultés, Fukui est merveilleux. Ici il y a du charme de la campagne, tout le monde est gentil et la mer et les montagne sont belles. Je me promène en voiture le long de la côte d’Echizen.
ロバート・ヘネシーさん Robert Hennesey
アイルランド Irish
バー経営(けいえい) Bar manager
福井をもっと、にぎやかに
鯖江市立東陽中学校でALTとしての仕事が決まり、福井に来ました。2010年から5年間勤(つと)めました。
日本語が全然(ぜんぜん)分からなかったので、郵便局(ゆうびんきょく)や銀行(ぎんこう)でコミュニケーションを取るのが難しかったです。そんな中、東陽中の先生たちがとても親切(しんせつ)にしてくれたり、ALTの仲間(なかま)が支えてくれたりました。
初めて福井に来た時の印象(いんしょう)は、福井駅前がめっちゃ寂(さび)しい感じで、めっちゃダーク。本格的な外国スタイルのバーもありませんでした。そこで、チャージなしの、オープンで誰でも入れるバーを作ろうと思ったんです。
アイルランド人の国民性(こくみんせい)はフレンドリーな人が多いこと。誰とでも話します。もし、首都(しゅと)のダブリンで一人でバーに入ると、自分から話しかけてくる人が多いと思います。アイルランドの文化にふれながらカウンターでお酒を飲んで、気軽(きがる)に会話できる、にぎやかで明るい雰囲気(ふんいき)のお店にしたいと考えました。
Making Fukui More Vibrant
I came to Fukui when I landed a job as an ALT at Sabae City Toyo Junior High School. Starting from 2010 I worked there for five years.
At first, I didn’t understand Japanese at all, so it was hard communicating with people at the post office or bank. At times like that, the teachers at Toyo Junior High would be very kind to me and my ALT colleagues supported me as well.
My first impression of Fukui was that the area around the station looked really bleak and dark. There wasn’t even an authentic Western-style bar. That’s what gave me the idea to start a bar that doesn’t have a table charge and where it would open its doors to anyone dropping by.
The Irish people are generally very friendly, and they strike a conversation with anyone. If you would enter a bar alone at Dublin, the capital, many people would naturally come to talk to you. I aimed to make my bar bright and lively, a place where people could enjoy drinks at the bar counter while getting a feel of Irish culture and enjoy casual conversation.
イ・マデ・アグス・アリアナさん(農家)
Imade Agus Ariana
農業(のうぎょう)の可能性(かのうせい)
日本の農業には可能性があると思うよ。
日本では四季(しき)ごとに様々な種類(しゅるい)の野菜や果物が市場に出てきて、そんなところは世界を見ても日本以外あんまりないと思うんだよね。それに、伝統(でんとう)野菜があるのも日本の良いところだよね。地域の気候(きこう)にあった代々(だいだい)受け継(つ)がれている野菜があるのがいいよね。
脱(だつ)サラして農家をする場所に福井を選んだ理由は、四季がしっかりしているからなんだよね。寒暖差(かんだんさ)があると野菜もおいしくなるしね。今はいろんな品種の野菜や果物を作っているけど、越廼(こしの)ルビーという品種のトマト栽培(さいばい)に一番力を入れているよ。自分が自信をもっておいしいといえるトマトを皆に食べてもらいたいな。
将来的には、まだ農業が上手くできていない外国へ農業を教えにいきたいな。技術(ぎじゅつ)をしっかり覚えれば、農業が進んでいない外国でも、いろんな野菜を作れると思うよ。今は、農業をすることが趣味(しゅみ)だから、多くの時間を農業に費(つい)やしたいね。
The Possibilities of Farming
I believe Japanese farming has possibilities.
Whether it’s winter, spring, summer, or fall, Japanese markets abound with various seasonal fruits and vegetables, and when you look around the world there aren’t many places like this. Another great point is that there are traditional vegetables. It’s good that you have vegetables passed on for generations that have adapted to the local climate.
When I quit working as a company employee and decided to start farming, I chose Fukui because there was a clear distinction between the four seasons. You see, vegetables become tastier when there’s a temperature difference. I’m now making a variety of fruits and vegetables, and the one I’m putting in the most effort is a tomato called “Koshi no Ruby.” I would like to have many people eat these tasty tomatoes that I pride in.
In the future I would like to go abroad to countries struggling with agriculture and teach them farming. Even in countries like that, I’m sure people would be able to make various vegetables if farming technology is taught properly. For the time being, farming is my hobby, so I’d like to spend a lot of time on it.
キム・ウォンヒさん(会社員)
김원희(회사원)
【経歴】
・韓国 ソウル市出身。
・2008年日本の大学院(だいがくいん)への留学(りゅうがく)のため来日。卒業後は、横浜市の会社で勤務(きんむ)。日本人と結婚し、子どもが2人。
・2021年6月、転職(てんしょく)をきっかけに家族そろって福井市へ移住。
[경력]
・한국 서울시 출신
・2008년 일본 대학원 유학을 위해 방일. 졸업 후 요코하마시의 회사에 근무. 일본인과 결혼하여 자녀 둘을 두었다.
・2021년 6월, 전직을 계기로 가족 모두 후쿠이시로 이주.
日本のキムチはマイルド
日本食が大好きで、そばや納豆(なっとう)などなんでも食べます。父親が日本の食品関連の仕事をしていたので、幼いころからなじみがありました。日本食の中でも、寿司(すし)が一番のお気に入りです。福井は、新鮮(しんせん)でおいしい魚が手ごろな値段で食べられるので最高です!
韓国の人はキムチをたくさん食べるというイメージがあるかと思いますが、私自身は、韓国のキムチは辛すぎて苦手でした。でも、日本に来てから日本のキムチを食べるようになって、キムチが好きになりました。辛さがマイルドなので、日本のキムチは私に合っていると思います。
일본 김치는 매운맛이 부드럽다
일식을 아주 좋아해서 소바나 낫또 등 뭐든지 먹습니다. 아버지께서 일본 식품 관련 일을 하셨기 때문에 어렸을 때부터 친숙 했습니다. 일식 중에서도 스시가 제일 마음에 듭니다. 후쿠이는 신선하고 맛있는 생선을 저렴하게 먹을 수 있어 최고에요!
한국사람은 김치를 많이 먹는다는 이미지가 있으시겠지만, 저 자신 한국의 김치는 너무 매워서 잘 못 먹었습니다. 하지만 일본에 오고 나서부터 일본의 김치를 먹게 되어 김치를 좋아하게 되었습니다. 매운맛이 부드러워서 일본의 김치는 저한테 맞는 것 같아요.
今、自分がいる場所を最大限に楽しみたい
休日は、家族そろって海や山へ出かけます。自宅から車で約30分の距離に海や山があって、気軽に自然(しぜん)を楽しむことができます。これまでに訪れて気に入った場所は、文殊山(もんじゅさん)や刈込池(かりこみいけ)、三国(みくに)海岸の雄島(おしま)などです。これからも、家族みんなでウインタースポーツや登山など、福井の自然をもっと楽しみたいと思っています。
福井へ移り住む前は、すごく田舎(いなか)をイメージしていましたが、スーパーマーケットなどの店も近くにたくさんあって、買い物には困りません。生活もしやすいです。
でも、雪と寒さは苦手です。雪が積もると、駐車場(ちゅうしゃじょう)から車を出すために雪かきをしなければならないのが、少し嫌(いや)です。
지금 내가 있는 곳을 최대한 즐기고 싶어
휴일은 온 가족이 함께 바다나 산으로 나갑니다. 집에서 차로 약 30분 거리에 바다와 산이 있어 부담없이 자연을 즐길 수 있습니다. 지금까지 방문해서 마음에 들었던 곳은 몬주산, 카리코미이케, 미쿠니해안의 오시마 등 입니다. 앞으로도 가족 모두 겨울 스포츠나 등산 등 후쿠이의 자연을 더 즐기고 싶습니다.
후쿠이로 이주 오기 전에는 굉장히 시골의 모습을 상상 했었는데 슈퍼마켓 등의 가게도 근처에 많이 있어 쇼핑에는 곤란하지 않습니다. 생활하기도 좋아요.
하지만 눈과 추위는 질색입니다. 눈이 쌓이면 주차장에서 차를 빼기 위해 눈을 치워야 하는 게 좀 싫습니다.
子どもたちも福井が大好き
子どもたちが福井の環境(かんきょう)になじめるか心配(しんぱい)でした。でも、登校(とうこう)初日に映画やSNSの動画を見て予習した福井弁で自己紹介のあいさつをしたところ、周囲の反応も良かったみたいで、すぐ仲良くなれたようです。
給食(きゅうしょく)には地元産の米や、羽二重餅(はぶたえもち)などの郷土(きょうど)料理がよく出るので、「給食がおいしい」と言っています。
宿題(しゅくだい)がたくさんあって教育にも熱心(ねっしん)だと思います。子育てに福井はいいところだと思います。
아이들도 후쿠이가 너무 좋아
아이들이 후쿠이 환경에 친숙해질까봐 걱정이었습니다. 그러나 등교 첫날에 영화나 SNS 동영상을 보고 예습한 후쿠이 사투리로 자기 소개 인사를 했더니 주위의 반응도 좋았던 것 같고 금방 친해진 것 같습니다.
급식에는 현지산의 쌀이나 하부타에모치 등 향토 요리가 자주 나와서 “급식이 맛있다”고 해요.
숙제도 많이 내주고 교육에도 열심히 라고 생각합니다. 후쿠이는 육아에 좋은 곳이라고 생각합니다.
地域と深くつながりたい
これから長く福井に住み続けたいと考えています。
住み始めてまだ1年未満なので、知らないことも多いですが、地域の活動にも積極的(せっきょくてき)に参加したいです。具体的(ぐたいてき)に何ができるかは模索中(もさくちゅう)ですが、地域にも貢献(こうけん)し、福井とのつながりをどんどん深めていきたいです。
지역사회와 깊이 연결되고 싶다
앞으로 후쿠이에서 오래 살았으면 좋겠습니다.
살기 시작한지 아직 1년 미만이라서 모르는 것도 많지만 지역 활동에도 적극적으로 참여하고 싶구요. 구체적으로 무엇을 할 수 있을지 모색 중이지만 지역에도 공헌해 후쿠이와 유대를 깊게 해가고 싶습니다.
羽生ちひろです。
あれ、ちょっと緊張気味?
角谷アナが初めて「ニュースザウルスふくい」に登場した、2018年4月2日。
あれからもうすぐ丸4年。
今やもう貫禄にあふれて・・・いますよね??
角谷アナと共に成長した(はずの)4年間。
あっという間でした!
桜のつぼみを発見!去年は22日に福井市で開花でした。ことしはいつかな?
リツイートでお伝えしましたが、4月から福井を離れることに。
福井県の皆様には感謝の言葉しかありません。4年間、数々の貴重な経験をさせて頂きました。
ラストザウルスまで気合いを入れて臨みます!
田谷 徹(たや とおる)さん
(株式会社農園たや 代表取締役)
【経歴】
・インドネシアにあるボゴール農科大学大学院で農村社会学を専攻
・福井市高屋町にある、農園たやを経営
・2008年からインドネシア農業技能実習プログラムを開始
・インドネシアにあるタンジュンサリ農業高校の卒業生を対象に、実習生の
調査から実習・卒業研究・帰国後の支援まで、ビジネスプランの作成を軸に実習プログラムを実施
「夢を現実にするチャンス」がある実習生
平均月収(へいきんげっしゅう)が日本に比べて低いインドネシア。実習生たちは日本で実習することで、彼らからしてみれば多額の資金(しきん)を得ることになります。しかし、これまで多くの実習生は自分が成功者(せいこうしゃ)になったかのようにお金を使い、すぐに使い切ってしまっていました。そこで、実習生に有意義(ゆういぎ)なお金の使い方を考えてもらうプログラムを作成したのです。実習生には金融(きんゆう)に関する知識や情報を正しく理解し、主体的(しゅたいてき)に判断(はんだん)することができる能力(のうりょく)を学んでもらったり、両親(りょうしん)の仕事の詳細(しょうさい)を調べさせたりしています。こういったことが実習生たちのマネジメント能力を養(やしな)うのです。
地元のスーパースターにインタビュー!?
自身が仕事にしたい分野で目立った実績(じっせき)を残している人を「スーパースター」と呼び、実習生にリサーチをさせています。実績を残している生産者には必ず何かしらの理由があります。実習生は自分の足で取材をし、どういった点が他の生産者と違うのか、自分にはスーパースターの工夫(くふう)を実現できるのか、実現するためにはどれくらいの投資が必要なのかなどを考えることで、マネジメント能力(のうりょく)を養(やしな)っています。
コミュニケーションツールは「俳句(はいく)」
外国人が日本で実習をする上で、最も重要なのは「日本語の習得(しゅうとく)」です。俳句は五・七・五の十七音でできています。「取り合わせ」は季語と自分が感じたことを合わせて俳句をつくる方法です。自分が感じたことは同じでも、季語を変えることで俳句の印象は大きく変わるのです。その印象の変化は実習生も理解できます。自分で俳句をつくってみる、みんながつくった俳句の感想を言い合ってみる、そんなところからコミュニケーションは生まれ、日本語の習得につながるのです。
企業は外国人の受け入れをすべき
私は実習生を受け入れたことで、人事・総務(そうむ)系の業務の「効率化(こうりつか)」につながりました。要因(よういん)の1つには「「ユニバーサルデザイン」を取り入れたことがあります。日本人とは全く価値観や文化が異なる彼らが効率的に働くことができる仕事場を作ることができれば、実は、日本人も効率的に働くことができるのです。経営者は外国人が活躍できる場を作ることで職場全体の生産性の向上を実現できるのです。
2月28日(月)の「ほやほやみつけ隊」は、福井市の安居(あご)地区をご紹介しました。
ホタルの名所として知られる地区です。
さて、今回の一福丸からの指令は、
指令 “進化”が止まらない安居地区に迫れ!
住民活動が盛んな安居地区。その最新の話題に迫りました。
1つ目の“進化”は「交通手段」。
新しく、お買い物バス「あごころ」が誕生しました。
公共交通機関が少なく、老後の買い物や通院が不安だという声を聞き、安居地区社会福祉協議会と、安居ふるさと創り委員会、公民館などが、県の補助を受けて運行に踏み切りました。
思いに賛同した地区の福祉施設も力を貸し、デイサービスの車両を貸し出してくれることに。
みんなの期待を乗せて、3月から運行が始まります。
2つ目の“進化”は、公民館の中にある「資料室」。
地区住民から寄贈のあった昔の道具などが展示されています。
この資料室を管理しているのが、「安居みらい塾」の皆さん。
8年前にグループを発足して以降、展示物の配置や模様替えなどの整備を行って、資料室を進化させ続けています。
今、さらなるリニューアルに向けて動き出していました!
それは、「オシッサマのお渡り」の展示。
オシッサマのお渡りとは、地区の神社の秋の例祭でおこなわれる神事のこと。
「オシッサマ」と呼ばれる獅子が平和を願ってお宮へ渡る姿や、子ども達が練り歩く様子をミニチュアで再現しようと考えています。
今は、展示のメインとなるオシッサマ作りの真っ最中。
お祭りが行われる10月頃の完成を目指しています。
進化が止まらない安居地区。
そこには、地域を思う愛がありました。
マグラブナン ポリン アンナ テレーゼ マラヤさん
福井高等専門学校教師
Maglabunan Pauline Anna Therese Malaya
Assistant Teacher (Fukui Technical Institute)
着物(きもの)のつながり
福井の人は恥(は)ずかしがり屋さんだけど、みんな優しくて、家族(かぞく)の結びつきが強い、そしてみんな教育熱心(きょういくねっしん)。
福井に来た当時、日本語も分からないし、誰かから声をかけてもらえるわけではなかったから、自分から頑張って日本語で話しかけたよ。話しかけてみると、誰も嘘(うそ)を教える人はいなくてびっくりした。海外だと教えてもらったことに嘘が含まれていることも多いからね。大学院で着物サークルに所属していたから、着物をきっかけにして交流を広げているのだけど、小学生(しょうがくせい)の子たちも含めて、みんなとても優しく教えてくれる。日本や福井の文化はそこで教えてもらったの。
また、受験生(じゅけんせい)がいると、先生も教育委員会も熱心だし、なにより家庭がみんな受験生のようにチーム一丸となるの。例えば「冬休みにどこに行かれるの?」に対して「私の家は受験生なので…」って返ってくるのよ。それくらい教育熱心。
Ang Koneksiyon Ko Sa Kimono
Mahiyain ang mga tao sa Fukui, pero mabait sila, malapit sa isa’t isa ang magkakapamilya, at masigasig sila sa pag-aaral.
Noong dumating ako sa Fukui, hindi ako marunong mag-Japanese at wala ring nagsimulang makipag-usap sa akin, kaya nagsikap akong makipag-usap sa sa mga tao sa Japanese. Noong kausapin ko sila, nagulat ako na walang nagsabi ng kasinungalingan. Dahil sa ibang bansa, madalas na may kasamang kasinungalingan ang sinasabi ng mga tao.
Naging member ako ng Kimono Circle noong nasa graduate school ako, at ginamit ko ang nalalaman ko tungkol sa kimono para lalong dumami ang mga kaibigan ko. Talagang napakabait sa akin ng lahat, pati mga estudyante ng elementary school. At doon ko natutunan ang tungkol sa kultura ng Japan at Fukui.
At kung may mga estudyanteng naghahanda para sa entrance examination, masigasig ang mga titser at mga educational advisers. At mas mahalaga, parang nagiging isang team ang mga pamilya, na parang silang lahat ang naghahanda para sa iksam. Halimbawa, tatanungin mo sila, “Saan kayo pupunta sa winter vacation?” Sasagot sila ng “Ah, naghahanda ang pamilya namin para sa entrance examination.” Kaya diyan ko nakitang masigasig sila sa pag-aaral.
コマラ・デヴィさん(インドネシア料理店店主)
Ibu Komala Dewi (Pemilik restoran Indonesia)
19年前、日本人の夫(おっと)と結婚(けっこん)して福井に来たの。
最初の頃は大変(たいへん)なことがいっぱいあった。特に日本は食べ物が一番難しい。
イスラム教徒(きょうと)は豚やアルコールの入った食べ物は食べられない。最初は何が入っているかも分からなくって食べちゃったで。
食べちゃいけないものを食べたことに、あとから気がついた時には神様(かみさま)に謝(あやま)った。イスラム教徒にとって日本での外食(がいしょく)は緊張(きんちょう)の連続(れんぞく)。だから、自分のお店ではイスラム教徒の人も安心(あんしん)して食べられるものを出したい。
19 tahun lalu saya telah menikah dengan suami saya orang Jepang, dan datang ke Prefektur Fukui.
Pada awalnya banyak kesulitan yang telah saya alami. Yang teramat sulit bagi saya di Jepang terutama dalam hal makanan.
Pemeluk agama Islam tidak diperbolehkan memakan makanan dan minuman yang mengandung babi dan alkohol. Pada awalnya saya telah memakan makanan yang tidak saya ketahui campuran bahannya, tetapi ketika saya sadar telah memakan makanan yang dilarang dimakan tersebut saya menyampaikan permohonan ampun kepada Tuhan. Bagi pemeluk agama Islam yang berada di Jepang makan di luar merupakan rentetan ketegangan yang membuat stress.
Oleh sebab itu di restoran kami ingin menyajikan juga makanan yang dapat dikonsumsikan dengan aman bagi pemeluk agama Islam.
ここで泣いたり、笑ったり、店はみんなが集まる場所
子どもがまだ小さい頃にね、私2年間、心が病気(びょうき)になってしまったことがあって。
昔はぎゅーって気持ちを自分の中に押し込めて、絶対(ぜったい)人には言わなかった。今でも心配(しんぱい)をかけたくないから、インドネシアの親には言わないけどね。
私は冗談(じょうだん)を言い合って笑(わら)うのが好きだけど、日本では家に家族3人。そのころは友達(ともだち)もいない。誰と話して笑えばよかったの?
Restoran ini tempat semua berkumpul, menangis dan tertawa
Saat anak saya masih kecil, saya telah mengalami sakit gangguan emosi selama dua tahun.
Dulunya saya kerap menahan perasaan di dalam diri saya sendiri dan tidak pernah menceritakannya kepada orang lain. Sekarang pun karena saya tidak ingin membuat orang lain khawatir, maka saya tidak pernah menceritakan permasalahan saya kepada orangtua saya di Indonesia.
Saya suka bercanda, bersenda-gurau dan tertawa, di dalam keluarga di Jepang saya memiliki tiga anggota keluarga. Pada saat itu saya tidak punya teman. Saya tidak tahu kepada siapa saya bisa berbicara dan tertawa?
そういう小さなストレスを、自分はずーっと一人で抱(かか)え込んでたで。日本では、本当はそれはダメだと思う。特に外国人は。
だからお店をオープンしたの。ここはみんなが集まる場所。ここで相談(そうだん)したり、泣いたり、笑ったり。みんなのために私が作った居場所(いばしょ)なの。
ここに来る学生たちにはいつも言ってるで。「お姉ちゃんは昔はね、自分の問題をぎゅーって心の中に押し込めて病気になったから、友達のことでも、家族のことでも何か苦しいことがあったら言ってね」って。
Saya terus memendam rasa stres-stress kecil seperti itu seorang diri. Menurut saya di Jepang hal semacam itu merupakan hal yang tidak baik. Khususnya bagi orang asing.
Oleh sebab itu saya telah membuka restoran. Restoran ini menjadi tempat semua berkumpul. Di sini mereka berkonsultasi, mencurahkan perasaan, menangis dan tertawa. Tempat yang yang saya buat untuk semua.
Kepada para pelajar asing yang datang ke sini selalu saya mengatakan kepada mereka bahwa “Dulu saya saat menghadapi masalah saya selalu menahan perasaan stres di dalam diri sehingga saya mengalami sakit, jadi kalau kamu ada kesulitan, masalah teman, masalah keluarga dan lain-lain yang berat jangan segan-segan ceritakan ya kepada saya”.
お店に来るのは学生が多いかな。福井大学の学生も、技能実習生(ぎのうじっしゅうせい)も。みんなインドネシアの家族のために、慣(な)れない日本で本当に頑張っている。
彼らは私のことウンバ(インドネシア語でお姉ちゃん)って呼ぶ。イヴ(お母さん)って呼ぶ人もいる。今の学生からみれば、たしかに私はお母さんの年齢(笑)。
コロナ禍の前はよく学生たちを連れて色々なところに行った。学生は、なかなか遠出できないからね。恐竜博物館とか、東尋坊とか、県外にもよく行ったかな。
Yang paling banyak datang ke restoran ini bisa dikatakan adalah para pelajar ya. Yaitu Mahasiswa Universitas Fukui dan trainee praktek kerja. Mereka semua meskipun belum terbiasa beradaptasi hidup di Jepang, namun mereka berjuang keras sungguh-sungguh menjalani kehidupan di Jepang demi keluarga mereka di Indonesia.
Mereka memanggil saya dengan sebutan “Mbak” (kakak wanita). Dan ada juga yang memanggil saya “Ibu”(wanita yang sudah menikah) juga ada. Memang kalau dibandingkan usia saya dengan usia para pelajar sekarang, maka usia saya seusia dengan ibu-ibu para pelajar. (tertawa).
Sebelum pandemi Corona melanda, saya sering mengajak berjalan-jalan para mahasiswa ke berbagai tempat. Tetapi sayang sekali para pelajar sulit untuk dapat pergi ke tempat-tempat yang jauh. Apakah para pelajar sudah pergi atau belum ya ke luar prefektur(daerah) seperti ke Musium Dinosaurus atau ke Tojinbo dan lain-lain ?.
これからは福井に恩返し
福井のおかげで私は幸せになれたと思ってる。素敵な家族に出会って、自分のお店を持って、インドネシアの家族も幸せにできた。だからこれからは福井のために何かしていきたいなと思ってるで。
そうね、まずは、恐竜(きょうりゅう)の形をしたナシゴレンをメニューに増やそうかな(笑)。
Mulai sekarang adalah saat membalas budi kepada Fukui
Menurut saya, Prefektur Fukui telah membuat saya bahagia.
Saya bisa bertemu dengan keluarga yang luar biasa, dan bisa memiliki toko sendiri, juga bisa membuat keluarga saya di Indonesia bahagia. Karena itulah mulai sekarang saya ingin berbuat sesuatu untuk Prefektur Fukui.
Yah, pertama-tama, saya mungkin akan menambahkan nasi goreng berbentuk dinosaurus ke dalam salah satu menu restoran saya (tertawa).
デヴィさんの誕生日(たんじょうび)を祝うため集まった学生たちと。左から2番目がコマラ・デヴィさん
Para pelajar yang telah berkumpul untuk merayakan hari ulang tahun Ibu Dewi. Yang kedua dari kiri adalah Ibu Komala Dewi.
アーロン・ブラウンさん
AARON BROWNE
~金津弁ペラペラの陶芸家~
あわら市の金津創作の森美術館・創作工房で陶芸指導員として働いているアーロン・ブラウンさんにお話を聞きました。
ご自身の思いや陶芸作品のこと、福井の楽しみ方など、たくさんのことをお話ししてくださいました。
―A ceramic artist fluent in the Kanazu dialect―
Aaron Browne works as a ceramic art instructor at the workshop in Kanaz Forest of Creation in Awara City. In the interview, Aaron talked about various things such as his feelings, ceramic works, and how to enjoy Fukui.
◆“理想の田舎”金津で陶芸
アメリカと日本で陶芸を学んで、今、金津創作の森で働いています。
自然がたくさんあってのんびりした所で陶芸をしたかった。
その理想がここ金津なんです。
来たばっかりの時は、「やべえ、田舎だ」って思ったけど、こここそが求めていた場所。大好き。
◆Creating pottery at the “ideal country town” Kanazu
I studied ceramics in the US and Japan, and now work at the Kanaz Forest of Creation. I had always wanted to create ceramics at a peaceful place abound with nature, and Kanazu was the ideal location. When I first came here, I thought, “Wow, this place is so rural,” but this was exactly the place I was looking for. I love it here.
◆癒し(いやし)の教室をめざして
生徒さんは100人以上。かわるがわるやってきて、いろんなお話をしてる。
家族(かぞく)の相談(そうだん)までも受けちゃう。みんなの孫の名前まで覚えてる。
季節のパーティーも開いちゃう。コロナ前はよく飲みに行ったりもしてたな。
もちろん陶芸の魅力(みりょく)を伝えるのが一番の仕事だけど、
人はここに癒し(いやし)を求めに来てると思う。僕が癒しをあげたい。それが希望(きぼう)。
◆Aiming for a class that provides healing
I have more than 100 students. They turn up one after another and talk about a variety of things. I discuss matters about their family and even remember their grandchildren’s names. We hold seasonal parties; before the pandemic we often went out drinking. Of course, my main job is to convey the charm of making ceramics. At the same time, though, people come here to gain a peace of mind. That’s something I want to provide them with. I would like to give them a healing time.
◆かっこつけずにいられる場所
福井の人って、フレンドリーで気さく。だからこっちも何もかっこつけなくてよくて、
本当の自分でいられる。遠慮しないで本当のことも言える。
都会だと、何年つきあっても、常にバリアがないといけないみたいなところあるよね。
ここではそれがいらないから、すぐに溶け込めた。
ここの人たちのこと、超信頼してる。
◆A place where you don’t have to act cool
People of Fukui are friendly and amiable, so in turn there’s no need to act cool and you can be your normal self. You can express your thoughts without holding back. In the city, I feel you always need a barrier between people however long you know each other. Here, there is no such thing, so I was able to fit in smoothly. I really trust the people here.
◆陶芸の楽しさをみんなへ
夢? ただ平和にここで暮らしたい。
死ぬまで陶芸できたらいいな。
できるだけ多くの人に陶芸の楽しさを提供したい。
みんなに楽しさを体験してもらいたい。
◆Conveying the pleasure of pottery
My dream? I just want to live here peacefully. It would be great if I could create ceramics until my death. I’d like to convey the pleasure of making pottery to as many people as possible. It would be great to have many people experience this wonderfulness.
◆無心で作品づくり
西洋と東洋の美意識の違い、黄金比、理想の美、いろんなことを勉強してきたけど、
結局今はもう何も考えずに手が勝手に動くんだ。
気づくんですよ、作っている途中、すごくうまくいっているときは頭の中は無の世界。
そんな時に一番いい形ができたり、土がいきいき伸びてくる。
ふわっと形のイメージが湧いて、手が動いて、自分が好きな形になっていく。
土がやばいくらい好き。
◆Absorbed in making works
I studied many things, such as the difference in the sense of beauty between the West and the East, the golden ratio, and ideal beauty, but now my hands work automatically without thinking. When making something and everything is going well, I realize midway that my mind is blank. It’s at times like that when the best shape is made or the clay is given life through my hands. An image comes to mind and my hands go to work, resulting in a shape that I desire. I simply love clay.
◆豊かな自然が作品へ
もちろん、子どものときに見てきたものの影響も大きいと思う。
日本にいるからできた作品だってきっとある。
例えば、この壷(↓)のこの波は、すぐそこの自然からきてる。
ここ(金津創作の森・創作工房)と美術館の間に池があるんだけど、
晴れた日はよくそのあたりを歩いたりして。
池に石が落ちて、波紋が見えて。その波紋の広がり、これこそ表現できるなって。
◆Reflecting rich nature in artwork
The things I saw in childhood made a big influence on what I make. There are also works that were made because I live in Japan. For example, the waves on this pot come from the nature just over there. Between the workshop of Kanaz Forest of Creation and the museum is a pond where I often walk around on sunny days. When I saw a stone fall into the pond and ripples fan out, I thought this could be expressed.
◆楽しみ方は福井流
福井といったら、やっぱり自然がいい。山も海も。
もう自然しかないね!山にはよく登りに行く。
全然晴れない福井に長く住むと、青空が恋しい
ふと青空が見えると、もう涙が止まらない。
食べ物は、魚はおいしいし、日本酒もおいしい。芦原温泉に泊まって蟹も食べた!
◆Enjoying things the Fukui-way
You can’t miss the nature in Fukui, which is wonderful. Both the mountains and the sea are great. It’s a nature wonderland! I often go climb mountains. The weather is usually cloudy here, and since I’ve lived here long, I long for blue skies. When I catch a glimpse of the blue sky, I can’t stop the tears coming to my eyes. The food, especially fish, is tasty and sake is great too. I’ve stayed at Awara Onsen and had crabs as well.
November 2021, at Mt. Toritateyama.
◆福井に来たばかりの“ネイバーズ”へ
まずは、僕のこの工房に来ていただいて、一緒に楽しみましょう。
一緒に土を触って、リフレッシュしましょう!
いつでも待っていますよ。
◆To new “neighbors” who just arrived at Fukui
For a start, visit me at my workshop and let’s enjoy pottery together. Let’s touch clay and have a refreshing time! I’m always here for you.
◆1975年・アメリカ生まれ
◆職業:金津創作の森 陶芸指導員
◆好きな金津弁:ほやほや
◆好きなお菓子:芋きんつば・くるみ入りの羽二重餅
◆おすすめスポット:雄島 島をぐるっとまわる遊歩道があります。
◆次の個展(@東京)のテーマ:「お花」
◆Born in the United States in 1975
◆Occupation: Ceramic art instructor at the Kanaz Forest of Creation
◆Favorite Kanazu dialect word: Hoyahoya
◆Favorite Japanese sweets: Kintsuba (cubed cakes made from adzuki bean paste and coated with a thin layer of wheat flour dough); habutae mochi (soft and light glutinous rice cakes) with walnuts
◆Place recommended for visiting: Ojima (a promenade runs around the island)
◆Theme for the next one-man exhibition at Tokyo: Flowers
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