知床の「深み」を知る丘
夜半に降った雨でぬれた落ち葉の上、足もとのおぼつかない急しゅんな坂を登る。
ほとんど人も入らないからだろう。たどるのは誠に心細い、幾人かが残してくれたわずかな踏み跡だけ。人、というよりも、エゾシカたちの獣道と言ったほうが正しいのかも知れない。
滑落しないよう慎重に登り切ると、目指していた頂にたどり着く。うっそうと茂る広葉樹の間から、強まり始めた北風と共に荒々しいオホーツク海が水平線まで見渡せる。
ここは実は、標高にすると50メート程度の、知床の名も知られぬ頂。ごくありふれた海岸段丘の林といったところだ。だからこの場所が、5世紀から11世紀ごろまで、北海道のオホーツク海沿岸に暮らした人々の遺跡なのだと言われても、にわかには信じがたい。
よく見ると、地面に直径数メートル、深さ1~2メートルの穴がいくつも点在している。聞けば、これがいにしえの人々が暮らしていた住居跡なのだという。
確かに山頂部においては不自然なくぼみではあるが、歳月の風化によってなだらかになり、樹木が生い茂り、自然の中にすっかり調和している。知識がなければ、あるいは説明を聞かなければ、穴の存在にさえ気付くこともないかも知れない。
案内をして頂いたガイドの早坂雅賀さんが、落ち葉の中から1センチにも満たない真っ黒な石の破片を見つけ出した。
「これは黒曜石の破片です。黒曜石はやじりなどに使われていたので、それかも知れません」
よく見ると確かにその破片は先が鋭くとがっており、何かの道具にしていたかのようにも見える。
何より不思議なのは、この遺跡をのこした人々の素性だ。遺跡に残された骨格などから、明らかにそれまでの北海道で暮らしていた人々と異なる人たちであるらしい。なんとサハリンなどの北方からはるばる海を渡ってやって来た人たちだと考えられており、オホーツク人(オホーツク文化人)と呼ばれている。
オホーツク人はクジラなどを高度な武器でしとめる技術をもっていて、海岸部を暮らしの拠点としていた。日本最大の陸上ほ乳類、ヒグマに対する知識もかなり深かったようで、出土品の中には精巧な木彫りなども多数存在する。ヒグマへの信仰心もあったのではないかと考えられている。
さらに興味深いのはこのオホーツク文化が、後のアイヌ文化にも色濃く影響していることだ。アイヌ文化を代表する儀礼の一つに、イオマンテ(クマ送り)があるが、そのルーツはオホーツク文化にあると考えている研究者も多い。北海道の歴史は、まだまだ知られていないことが多すぎる。
実は、知床は北海道でも有数の、遺跡の多い場所なのだという。なんと2万年に人々が暮らしていた痕跡も見つかっている。
世界自然遺産、知床。「手つかずの大自然」にあこがれて、やって来る観光客は年間2百万人とも聞く。筆者はふだんは自然番組を担当しており、この地の大自然の魅力に深くとりつかれている一人だ。知床の自然の奥深さ、貴重さは、誰の目にも疑いようもないだろう。
しかし今回の取材で、知床の地で歴史を刻んできた人たちのことを学んだことで、さらに知床への興味は深まり、かけがえのない場所だと感じるようになった。
○斜里町立知床博物館
http://shir-etok.myftp.org/index.html
○羅臼町郷土資料室
http://www.rausu-town.jp/20060222024.html
※知床のオホーツク文化、アイヌ文化の遺跡をめぐるエコツアーをおこなっている地元NPOもあります。
○知床ナチュラリスト協会
http://www.shinra.or.jp/ainutour/index.html
投稿時間:11:00 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク