12月6日(日)放送
障害者たちの太平洋戦争

写真・左:戦時中の「点字毎日」に掲載されたスローガン
写真・右:番組収録の様子 左から吉田裕(一橋大学大学院教授)、岸博実(京都府立盲学校教諭)、木塚泰弘(日本ライトハウス理事長)

 

太平洋戦争の最中、日本は障害者たちを軍属、あるいは工場労働者として動員に踏み切っていた。視覚障害者は、敵機を見分ける「防空監視員」として、あるいはパイロットの身体をほぐす「技療手」として、そして軍需工場の労働者として・・。聴覚障害も工場労働者として動員された。戦前、差別に苦しんできた障害者の側も「国の役に立ちたい」と、政府や軍に協力を申し出た。障害者団体、障害者学校は軍に「嘆願書」を出し、戦地に赴いた。戻らぬ人もいた。
 障害者が太平洋戦争をどう闘ったのか、戦後は体験した障害者もどちらかと言えば口を閉ざし、語られることが多くはなかった。
しかし、最近、筑波大学附属視覚特別支援学校の教員・卒業生たちが中心となって、当事者の証言を集め始めた。また、資料室からは戦争中の写真や文集が見つかり、障害者の戦争との関わりが明らかになってきた。「防空監視員」として視覚障害者を訓練するためのレコード(爆音で敵機を判別するなど)や教材も見つかっている。
番組では、視覚障害・聴覚障害などの戦争中の記録を発掘する動きをきっかけに、戦争の時代を障害者たちはどう過ごしたのか、どう戦争と関わったのか、新しい資料と証言に基づいて明らかにする。

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