8月17日(日)放送
シリーズBC級戦犯(1) 韓国・朝鮮人戦犯の悲劇

写真左:処刑された友人の墓前で頭を下げるイ・ハンネさん
写真中:右・イ・ハンネさん(日本在住のBC級戦犯)、左・キム・チョルギさん(韓国でただ一人のBC級戦犯)
写真右:イ・ハンネさん

 

一昨年、韓国の「強制動員被害真相糾明委員会」はBC級戦犯の被害認定を初めて行った。それまで対日協力者とされ、過去を語ることも許されなかった元戦犯が、戦後60年を経て、ようやく名誉回復を果たしたのである。ついで去年2月「韓国元BC級戦犯者遺族会」が発足。これまで口を閉ざしてきた元戦犯や遺族が重い口を開き始めた。一方、彼らを裁いた法廷の記録が研究者の手でオランダ、イギリスから発掘され、韓国人BC級戦犯の真実が明らかになろうとしている。

「糾明委」によれば1942年頃から約3,000人の軍属が、朝鮮半島からアジア各地の捕虜収容所などに派遣された。タイ・ミャンマー国境の泰緬鉄道の建設、インドネシア・アンボン島での飛行場建設…。過酷な労働、食糧不足で多くの捕虜が死亡したが、その告発の矛先は末端で対応した彼らに向けられた。戦後、捕虜虐待などで148人が有罪判決を受け、23人が死刑となっている。

日本は捕虜収容所の監視員としてどのように朝鮮半島の青年を動員したのか。そして収容所では何があったのか。その責任は戦後、どのように裁かれたのか。

今年に入って沈黙を守っていたBC級戦犯が韓国で見つかった。インドネシア・ジャワ島で捕虜監視員として働いていたキム・チョルギ(金哲基)さんである。6月半ば、日本に暮らす元BC級戦犯イ・ハンネ(李鶴来)さんが彼のもとを訪問、半世紀ぶりに再会した。東南アジア各地で捕虜監視員として働かされた朝鮮人の実態を元BC級戦犯の証言とオランダ・イギリスに残る裁判記録で明らかにする。そして何が問題として残されたのかを考える。

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