家族の食卓に忍び込んだ猛毒。ある者は死に、ある者は絶望を抱えながらその後の人生を歩み続けた…。西日本各地で1万4千人もの被害届が出された食品公害、カネミ油症。事件発覚から38年を経て、埋もれた被害にようやく光が当たろうとしている。
長崎県五島列島の南部・五島市。ここはカネミ油症事件がもたらした悲劇の縮図だ。全国の認定患者の4割が同市の島々に集中する。その一つ、 奈留島(なるしま)では150人近い被害者が出た。ここで生まれ育った主婦の宿輪敏子(しゅくわ としこ)さん(45)は、小学時代に油を口にして以来、重いけん怠感や突然の内出血などさまざまな健康被害に悩まされている。6年前、厚労省の見解に宿輪さんは衝撃を受けた − 「原因物質はダイオキシン」。
ダイオキシン被害であることを知ってから、宿輪さんは被害者や関係者を訪ね歩いての聞き取り調査に乗り出した。医者から見放された健康被害、奇病といじめられた辛い思い出、家族や地域のきずなの崩壊、子どもや孫にまで及ぶ猛毒の影響への不安…。放置されてきた現実が録音テープに次々と収められている。この春、国会では、与党の法案提出で患者救済がようやく審議される。
事件は何をもたらしたのか。なぜ被害の拡大を防ぐことができなかったのか。番組では、宿輪さんの取り組みを通して、国内最大級の食品公害にして、“ダイオキシンを食べた世界で初めての食品公害” でもあるカネミ油症事件の実相に迫る。
|