8月20日(土)放送
アンコール(第59回・2004年7月10日放送) 海峡を越えた歌姫 〜在日コリアン声楽家の20年〜
 日本と韓国は、来年、国交正常化から40周年を迎える。長い時間を費やしながらも、日韓の文化交流は着実に深化している。一方、北朝鮮と日本は、2年前のピョンヤン宣言以降も拉致問題など解決すべき問題を抱えたままだ。

 在日コリアン2世の女性声楽家チョン・ウォルソン(田月仙)さん(46歳)は、分断された「祖国」と日本の間に横たわる複雑な国際政治にほんろうされながらも、20年にわたり一流の声楽家として活躍を続けてきた。日本や祖国朝鮮半島の歌をそれぞれの言語で歌い続けている。

 日本で生まれたウォルソンさんは、父親の事業の失敗や音大の受験資格の壁(在日という理由で願書を受け付けてもらえなかった)を乗り越え、1983年に声楽家としてデビュー。在日で唯一のオペラ歌手(二期会会員)として高い評価を得ることに成功した。
 85年、ウォルソンさんは北朝鮮に招かれ、金日成国家主席(当時)の前でアリアを歌った。訪朝の動機のひとつが、59年に始まった帰還事業で北朝鮮に渡っていた兄たちに会うことだった。4人の兄は強制収容所に入れられ、そのうち一人が死亡していた。

 94年、今度は韓国に招かれ、オペラ「カルメン」の主役を務めた。98年には、東京都の親善大使としてソウルで日本の歌を歌うことになる。両親の生まれ故郷は韓国にある。ウォルソンさんは日韓の明るい未来を願って「夜明けの歌」を歌いたいと申し出た。しかし韓国政府は童謡以外の日本の大衆歌謡を歌うことを許さなかった。

 ウォルソンさんはその後、日本の大衆歌謡に警戒感を抱く韓国社会の深層を知りたいと、韓国中を旅しながら、日本統治下時代の歌を探して回った。そして見つけた古いレコード「息子の血書」。“お母さん、敵弾の下、立派に戦い死んで帰ります”と歌うその歌は朝鮮半島の若者を日本の戦争に徴用するために、朝鮮半島の人々自身の手によって作られ歌われた曲だった。

 ウォルソンさんは、戦後作られた祖国統一を願う歌にも出会う。「高麗山わが愛」。
 “南であれ北であれ、いずこに住もうとみな同じ兄弟ではないか”と歌うこの歌は朝鮮戦争中アメリカに逃れた在米コリアンの男性が作った曲で、ウォルソンさんは日本でも韓国でもコンサートなどで歌い続けてきた。しかし「日本人拉致事件」以降、「被害者と家族の気持ちを考えると歌えない・・・」と、一時、歌うのをためらわざるを得なくなる。

 日本と朝鮮半島の海峡を越え、歌い続けるウォルソンさん。自分の歌は、歴史や国家の枠組みにほんろうされ、犠牲になったすべての人々の魂にささげたいと、彼女は言う。番組は、韓国・北朝鮮・日本という三つの国のはざまで生きる、チョン・ウォルソンさんの半生を通じて、東アジアの激動の現代史を描いてゆく。

(2004年7月10日に放送した番組の再放送です)
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