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「圧倒的な武力を持っているからといって、他国に侵略していいのか」絶対的な戦力の違いの中で終結に至ったイラク戦争。世界の構造が起こした新しい戦争は、国家と個人の根源的な問題を突きつけた。
その問題にどう対じし、個人はどうふるまうべきか、そのことを考えつづけてきた人たちがいる。
ロシアの詩人、ユーリ・キムが、2003年夏、旧友を訪ねて旅立つ。一篇の詩「臆病者」を携えて。そこにはこう書かれている。
「臆病であればすべてが保証される。誰もおまえを捕らえにこない。正当化も言い訳もできない。子供たちに馬鹿にされても仕方がない」
キムは35年前、ひそかに反ソビエト体制を語り合う知識人の輪の中にいた。そのとき、プラハの春をじゅうりんするソビエト軍のチェコ侵攻が、プラハの地下放送によって伝えられる。知識人たちはひとりひとり悩み考える。そして8人が1968年8月25日、赤の広場にプラカードを持って立ち、抗議の意思を表明する。しかし多くはそれに参加せず沈黙を守った。ある人は、無駄な抵抗だと思い、ある人は家族に引き止められた。キムも参加を思いとどまる。それぞれの選択は、その後の人生を分けた。
赤の広場に立った8人は5分後に逮捕され、家族と離されて、シベリアへ送られる。彼らの名誉は今もって回復されず、知識階級としての立場を永遠に失った。一方参加しなかった人たちは、それまでどおり、大学などでの教職を確保し、やがて、社会主義崩壊のときには全面に立つ。
キムは参加しなかった自分とのかっとうを続け、やがてみずからを臆病者と断じる。プラハの春から35年。今自分自身の選択をどう振り返り、新しい時代状況をどう受け止めるのか。キムはそれを問う旅に出て、今は露、仏、に分かれて暮らす人々と対話を重ね、国家との関係、個人の勇気とは何かを見つめていく。
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