
大津波により漁港の機能を失った宮城県気仙沼。そこはかつて東洋一の港町とも呼ばれた、活気あふれる街だった。私たちはそんな気仙沼のにぎわいを震災の2年前、2009年9月に番組で記録していた。そこに映し出されていたのは台風の日、一斉に避難してくる全国各地のカツオ漁船と、それを笑顔で出迎える名もない港町の人々の姿。漁師たちを母親のように迎える風呂屋のおかみ、雑貨屋の店主や夜の街に金を落とす漁師達を待ち望むスナックの女性たち。それぞれが温かく、そしてたくましく、気仙沼の港町を支えていた。
2011年3月11日の大震災は、そうした人々の暮らしや漁師たちとのつながりを一変させた。私たちはかつて取材をした人々の姿を追って、まだ煙が残る気仙沼へと入る。探していた人々は幸いにも全員生き延びていることが確認できた。しかし、多くの人々が住まいや店舗を失い、そして漁師たちとのつながりが途切れ、再建のめども立たぬまま、なす術のない状態となっていた。
それから1年、それぞれの人々の歩みをつぶさに取材をしていく。街のがれきが徐々に片づき、漁港は復興へと向かっていく中、支援の手が届かない小さな商店主たちは何を感じながら日々を暮らしていたのか。かつての姿を取り戻すというきれい事では行かない現実の中で、それぞれがどんな希望を持ち、次の人生を選ぼうとしているのか。番組では、2年半前の映像と現在の人々の姿を交差させながら、震災後をどう生き抜いていくかを問い続けた、名もない港町の人々の姿を追っていく。