スタッフブログ

★こちらのページは2022年2月で更新を終了いたしました。

神戸先生に聞いてみよう②〜キルケゴールの言葉〜

高柳(山田裕貴)がドラマの中で引用したキルケゴールの「不安は自由のめまいだ」という言葉。
今週も高校倫理考証 神戸和佳子先生に詳しく解説してもらいます。


rinri_210122_01.jpg

ドラマの前半、倫理の時間に、対話型の授業が行われていました。
テーマは、「自由であることは幸せなことか」
高柳が印象的に問いかけていましたが、幸喜が居眠りを始めてしまったので、
私たちはその後の授業に参加できませんでした。
少し残念なので、ここでご一緒に、続きを考えてみましょう。

いち子は「そりゃあ自由な方が幸せでしょ!」と応えていました。
たしかに、そうですよね。
どこかに閉じ込められたり、他人に勝手にあれこれ決められたりして、
自由が失われてしまったとしたら、とても不幸ですから。

けれど、幸喜はどうでしょう。
授業中寝るのも、夜遊びをするのも、「俺の自由じゃん」。
そう言いながら友達とカラオケやゲームセンターで遊んでいるのに、どこか、あまり幸せそうではありません。
こんなに自由を謳歌しているのに、どうしてでしょうか。

キルケゴールは、人間が自由であることこそが、「不安」を引き起こすのだと言います。
不安は、自由のめまい、可能性のめまい、と表現されています。

たとえば高柳は、携帯電話の例で語っていましたが、
自由であるということは、善いことも悪いことも自分の決断次第でできてしまうということです。
自分の手の中には、世の中を混乱させたり、人を破滅させたりする可能性も握られている。
普段はそんなことは考えないわけですが、その可能性と真剣に向き合うと、なんだかくらくらしてきませんか。

日常生活の中でも、私たちはときどき、「自由」から生じる不安を感じているはずです。
私もこのブログ、「何でも書きたいことを自由にどうぞ」とプロデューサーから言っていただいたのですが、
ありがたい反面、「自由が一番困るよ…!」と、実は思ってしまいました。
自由に話して、自由にやって、などと言われて、かえって戸惑ってしまった経験は、きっと誰にでもあるでしょう。
誰かに咎められるわけではなくても、何も決まっていないという、ただそれだけのことで、
私たちはなんだか不安な気持ちになってしまいます。

何でもできる、ということは、どうするのか、自分で描いていかないといけないということ。
することもしないこともできる、ということは、するかしないか、自分で決断しなければならないということ。
私たちは「自由」ですが、自由だということは、すべての可能性にひらかれているということです。
目の前には、ただ「無」が広がっています。
その「無」に向かって立ち尽くすときの、くらくらとめまいのするような気持ち、それが「不安」なのですね。
幸喜は、家に帰ったら誰にも指図されずに自由だからこそ、そうした不安に押し潰されそうになって、
それほどしたくもない夜遊びに出ることで、その不安を紛らわしていたのかもしれません。

ところで、2話の中で私が好きな場面のひとつは、幸喜のお母さんのDVDコレクションです。
(見落とした方はぜひ、再放送か配信でご覧になってみてください。)
たしかに「お母さん、センスいいですよ!」と高柳でなくても言いたくなるような、
きっと思い入れがあるのだろうなという作品が並んでいます。

けれど、幸喜のお母さんは、いまは夜遅くまで働いて、とても忙しそうです。
とてものんびりDVDを見ている様子はありません。
それでも、これだけ大切にとってある。もしかしたら引越しのときにもわざわざ運んだのかもしれません。
いつ、見ていたんでしょう。

もしかしたら、若い頃、幸喜のように、自分の自由を持て余して。
もしかしたら、何かとても大きな束縛から解放されて、自由になったけれど、その自由に茫然とした日に。
もしかしたら、赤ちゃんの幸喜をひとりであやした夜に。あるいは、寝かしつけた後ぽっかりあいた時間に。
お母さんも、不安になったときに映画を見ていたのかな……。
どこにもそんな場面は出てこないけれど、私はそんなことを想像しました。

みなさんは、不安になったとき、どんなふうに過ごしていますか。
不安になるということは、あなたがいま自由だということ、そこにたくさんの可能性があるということです。
その自由をどうやって使おうかと、ぜひ楽しみに、考えてみてください。


〜キルケゴールについて〜
1813年生まれ、1855年没。デンマークの哲学者です。父との関係や結婚生活に悩み、享楽的な生活を送ったこともありましたが、いかに生きるべきかについて誠実に考えようとしました。高校倫理では「実存主義」の単元で学びます。客観的真理ではなく「それのために生き、それのために死にたいと思うような」主体的真理を求める、という言葉が印象的です。主著に『死に至る病』『あれか、これか』、そして今回の言葉が登場する『不安の概念』などがありますが、いずれも日本語訳が手に入れやすい形で出版されています。


高校倫理考証 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
哲学・倫理教師。中学校・高等学校・大学等の非常勤講師として、哲学的な対話の手法を用いた授業を行っている。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。共著書に『子どもの哲学−−考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版、2015年)など。


よるドラ「ここは今から倫理です。」

kokoima_banner_1209_ol.jpg

ミニ番組「ここはぺこぱと倫理です。」

pecopa_hero_1.png

投稿者:スタッフ | 投稿時間:00:00 | カテゴリ:ここは今から倫理です。

月別から選ぶ

2022年

開く

2021年

開く

2020年

開く

2019年

開く

2018年

開く

2017年

開く

2016年

開く

2015年

開く

2014年

開く