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「みかづき」スタッフブログ その11 さっとん先生の「みかづき」特別講座④ 『千明の教室展開』

教育専門誌編集者のさっとんです。みなさんこんにちは。

 

第4回は、吾郎が居なくなって3年。

千明は自社ビルを建設する傍ら、校舎も増やし、経営する塾を中堅どころにまで成長させていましたね。

今回は、「塾企業の校舎展開」についてお話をさせていただきます。

 

八千代台で産声をあげた八千代塾。

その後、盟友・勝見先生の塾と合併し、八千代進塾に。

そして、1979年、八千代進塾は千葉進塾となりました。

 

八千代台、船橋、そして津田沼と校舎展開をしていきます。

 

1970年代から80年代初頭は、あるベテラン塾長によると、「塾を出せば生徒が集まった」と

昔を懐かしむようにおっしゃられます。

機を見るに敏な経営者である千明も激戦区である船橋、津田沼に校舎進出を決めます。

 

では、なぜ、船橋と津田沼なのでしょうか。

 

当たり前のように、

 

そこに市場がある(=生徒がいる)

 

からなのですが、もう少し、踏み込んでみましょう。

 

塾は「何が何でもトップ校を目指す生徒が行く、行かせるところ」から、

塾は「少しでもいい学校を目指す生徒が行く、行かせるところ」へ変わっていきました。

 

所謂、「塾の大衆化」です。

 

この頃、塾の経営者たちは、切磋琢磨し、他の業界の経営を研究し、自塾の経営に活かしていました。

代表的に使われたのは、「ランチェスター戦略」(市場ニーズをつかんだ差別化戦略)や

「ドミナント戦略」(地域を絞って集中的に出店する戦略)です。

 

経営資源をどう采配するか、どのターゲットに届けるかを競い合いました。

 

今現在、塾に行くのが当たり前となっていますが、当時はまだまだ一般的な認知はありませんでした。

 

ドラマでは吾郎はあくまで、ボトムアップの「補習塾」を主張します。一方、千明は、「進学塾」を主張します。

当時は「塾に行きたい人の奪い合い」の時代です。

如何に経営資源を確保するか、今ある経営資源をどこに投資するか。

千明の経営手腕には脱帽です。

 

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千明はなぜ船橋、津田沼に拠点をもったのか。

結論を言うと、千明は東京進出を目指していた、と読み取ることができます。

私鉄、国鉄の乗り入れ、宅地開発、公立私立学校の新設、ベットタウンを如何に取り込むか、

優秀な生徒、優秀な講師を如何に集めるか、を鑑みると、本部機能を津田沼に集約し、

東京進出の足がかりとしたということとなるでしょう。

 

他塾も千明の目論見と同じように、多数津田沼周辺に進出しました。千葉県内からだけでなく、

東京や、首都圏以外などからも。

他塾だけでなく、スーパー、小売業なども同様です。

 

しかしながら、激戦区への進出は他塾との消耗戦となってしまい、大変な苦労があったと推察されます。

 

吾郎が主張する「残り2割の生徒は?」という考え、哲学は、今でも多くの塾に引き継がれています。

どうしても「未来」を見据えると多少の犠牲は仕方がない、と考えてしまいます。

でも、もう一つ、もう少し、もうちょっとその犠牲にも目をかけてみてください。

犠牲を出さない方法もあるかもしれません。

 

総合テレビ 毎週土曜 夜9時(連続5回)

公式ホームページはこちら

投稿者:スタッフ | 投稿時間:17:44 | カテゴリ:みかづき

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