第八回 はじめに
『立花登 青春手控え』最終回放送御覧頂きありがとうございます。
第八回ブログでは、実際にあった牢(ろう)破りについてお話します。
牢(ろう)破り
牢破りというのはドラマのように牢格子や羽目板を壊して外へ出ることで、対して隙を見て看守の目を盗み縄脱けすることは牢抜けと称したそうです。
ドラマで御覧になったように、牢屋敷は幾重にも厳重な警備が施されて脱獄など中々出来るものではありません。そのため脱獄を狙う囚人は様々な手段を講じたのです。
最も有名なのは蘭学者・高野長英の脱獄でしょう。天保10(1839)年、彼は幕府の鎖国政策を批判して蛮社の獄で捕えられ、永牢(無期懲役)を言い渡されました。牢内では医療の知識を活かして囚人の看護をするなど人望を得て、牢名主にまでなりました。弘化元(1844)年6月30日、長英は非人栄蔵をそそのかして牢屋敷に放火させた。火災の場合囚人は一旦解き放ちとなって三日に限り市井へ放たれます。約束通り戻れば罪一等を減じられたのですが、長英は戻らずに逃亡を続けました。
長英は逃亡先で蘭学書の翻訳や伊予宇和島藩の兵制洋式化に務めるなど活躍しましたが、嘉永3(1850)年10月30日、江戸に戻って潜伏中のところを捕縛され死亡しました。捕吏の暴力が死因とも、或いは自害したともいわれています。
おわりに
前回(第七回)のブログで、水茶屋の看板娘たちが浮世絵などのメディアによって、江戸のアイドルとなっていったお話しをしましたが、ちょうど前回に、京都のご当地アイドルさんに協力で出演していただいておりましたので遅ればせながらご報告します。
京都発アイドル Purpure☆の渡邊さえさん、西山ゆかさん、北野有梨さんのお三方です。
初めてのかつらと着物に少し緊張気味でしたが最後には楽しんで帰られたようでした。
BS時代劇「立花登 青春手控え」全八回。 これにて終了です。
キャスト、スタッフの皆様お疲れさまでした。
そして御覧いただいた視聴者の皆様、ありがとうございました。
投稿者:スタッフ | 投稿時間:20:45 | カテゴリ:立花登青春手控え