スタッフブログ

『花子とアン』#58 第11週「グッバイ!はな先生」(1)

ごきげんよう!!
 
『花子とアン』の"アン″です。
連続テレビ小説『花子とアン』第61回、いかがでしたか?
f02.jpg
 
 
娘の冬子に、最高の淑女教育を受けさせようと修和女学校への編入を勧める蓮子。
 
anne_58.2.JPG
 
今日は、ドラマの中よりちょっと前の、明治期の女子教育についてのお話。
 
 
明治4(1871)年、開拓使次官であった黒田清隆はアメリカへ渡り、日本の女子教育の必要性を痛感。
女学校の設立に先駆けて、同年11月に5名の女子をアメリカに留学させました。
 
これを受けて翌年2月、初めて官立の女学校が東京に誕生
生徒が日毎増加したため場所を竹平町に移し、東京女学校と改称しました。
 
これを皮切りに、女学校や女子師範学校が続々と開校したのだけれど、
明治10(1877)年に始まった西南戦争のため財政的に苦しくなると、女子教育の予算は真っ先に削られ次々に廃校
わずか二、三校を残すのみとなってしまったの。
 
明治初期、西洋に追いつけと日本の女子教育は急激に進んだけれど、それも束の間のことで、
その後は経済状況に左右される不遇の時代に入ってゆきました。
 
政府主導の女子教育が奮わなかった分、
明治期、女子の専門教育機関はすべて私立学校に委ねられます。
 
キリスト教主義を教育精神の中心に据えた、ミッションスクールが開校され始めたのもこの頃で、
そのひとつが、明治17(1884)年に創立された東洋英和女学院だったの。
 
明治37(1904)年には、日露戦争が勃発。
国際関係の緊張により、キリスト教主義の学校は国から様々な抑圧を受けたそうよ。
 
キリスト教主義の廃止や、廃校に追い込まれる学校が多かった中、
女性の可能性を信じて耐え抜いた私立学校があったからこそ、
現在の女子教育の姿があるのでしょうね。
 
 
そんな歴史があったことを踏まえて、
あらためて卒業式でのブラックバーン校長のスピーチを思い出すと、
なんだか重みが増してくるわね…!
 
 
さて、冬子の修和女学校への編入はうまくいくのでしょうか…?
 
 
続きは、また明日。
 
ごきげんよう、さようなら。
 

投稿者:スタッフ | 投稿時間:08:15 | カテゴリ:花子とアン

新着記事

新着ブログ

月別から選ぶ

2021年

開く

2020年

開く

2019年

開く

2018年

開く

2017年

開く

2016年

開く

2015年

開く

2014年

開く

放送終了番組

開く
ページトップへ