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実は長崎にも「原爆被害のシンボル」があったことを知りました
BS1スペシャル「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」
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BS1スペシャル「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」

  • 2017年8月12日(土) 午後9時00分(50分)

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当時のカトリック信徒や司教たちの苦難がよくわかりました。

投稿者:ねこ

三菱の兵器工場があり、かつて隠れキリシタンの弾圧の地でもあった長崎で、両親はあの日を境に被爆者として生きることを運命づけられた。
戦後三菱に就職し、復興の只中で私を育てた彼らは、人類の悲劇の記憶として遺構を残すか、遺恨の念という毒を吐き出すために毀棄すべきか、そのジレンマを胸に収めたまま旅だった。この番組は生前両親が私の中にわずかに残した想(おも)いを蘇生させた。

投稿者:長野とも子

私のような戦後生まれのキリスト教徒でもない人は、被爆の遺構として残して欲しかったのだが、いろいろな立場のいろいろな人間の感じ方があり、それを考えていかないといけないことを感じました。
他の立場を考えること、他の立場を認めることが平和への一歩だと思った。

投稿者:りょうじん

興味深い番組でした。
遺構取り壊しに至った田川市長と山口司祭の心境は平和の時代に生きる自分には不明ですが、その後も職を続けたことを考えれば、反対意見を封殺して行われた蛮行ではなかったのでは。またもし米国が遺構を取り壊したいのであれば占領時にいつでも行えたわけで13年待つ必要はなかったと考えます。それでも保存されていた場合の平和へのインパクトを考えるとやはり残念です。

投稿者:キムリン

一瞬にして、奪われたたくさんの命のことを思うと 未来に伝えなければならないという使命を感じただろう。しかし、その決断を迫られた本人たちもまた、被爆者であり当事者だったのだと思うと、つらい決断だっただろうと思う。

投稿者:おーさん

著名人レビュー

宮崎香蓮さん
宮崎香蓮さん

実は長崎にも「原爆被害のシンボル」があったことを知りました

今回、暑い暑い長崎の街を、当時もこんな気候だったのかと思いながら歩きました。

長崎はとてもいい街です。今でも、帰るとすごくほっとします。その地から、たくさんのいのち、たくさんの想いが、一瞬にしてなくなったというのは信じられません。しかし、当時の傷は消えてしまったわけではなく、今でも長崎の街の片隅に、色濃く残っていました。

小学生の頃から平和学習をしてきて、色んなお話を聞いてきました。「8月9日は登校日」くらいの認識でしたが、「平和とは」という果てしもない問いを、ぼんやりとは考えていたような気がします。当時、「広島の原爆ドームのようなものが、長崎にはどうしてないのだろう」と疑問に思ったことがありました。そのときはそれで終わってしまったのですが、今回のことがきっかけで、実は長崎にも「原爆被害のシンボル」があったことを知りました。

戦後13年目で、なぜ壊してしまったのか。残すべきではなかったのか。当時、多くの人たちが私と同じ思いを抱いていたそうです。しかし今回の取材で、それを壊すことで前を向けた人たちが、たくさんいたことも知りました。
もし、私が、戦後13年目の長崎に生きていたら、どう考え、どう行動していただろうか?今回の取材で、私もずいぶん自問自答しました。

平和学習をしてきた、と言いましたが、まだまだ知らないことがたくさんあります。わたしは今回の取材を通じて、たくさんのことを知り、考えました。たくさんの方に番組をご覧いただき、何かを感じていただけたらうれしいです。

■宮﨑香蓮
 女優 長崎県で生まれ高校卒業まで過ごす
 大河ドラマ「花燃ゆ」、土曜時代劇「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」などに出演

番組内容

BS1スペシャル「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」

かつて長崎にも“原爆ドーム”があった。爆心地近くにあった教会・浦上天主堂だ。戦後、原爆の悲惨さを語る遺構として、注目されていた。長崎市はずっと保存する方針だったが、突如、長崎市長と教会のトップが取り壊しを主張。市民の反対運動もむなしく、姿を消すことになった。決断の背景には何があったのか?長崎市と教会、二人のトップの足跡をたどってアメリカへ。さらに当時を知る関係者を徹底取材。大いなる謎に迫る。

出演者ほか

【出演】宮崎香蓮,【語り】松重豊

チャンネル

  • 2017年8月12日(土) 午後9時00分(50分)

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