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制作スタッフによる現場日誌

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思ってたんとちがう

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思ってたんとちがう、が今年から再開しました。
久しぶりにこのコーナーのことを考えていると、ふと昔のことを思い出しました。 

子供のころ、三人兄弟の末っ子だった僕は、兄たちにしばしば冗談でウソを教え込まれていたことがありました。
そのウソの内容は別段大したことではないのですが、小さかった僕はすっかり信じ込んでしまい、しばらく経ってそれがウソだったと知らされるようなことが何度かありました。

 昔の人が、水平線の向こうは崖になっていて海が滝のように流れ落ちていると、太陽が地球の周りを回っていると信じ込んでいたように、兄のついたウソは僕にとってしばらくのあいだ真実でした。そして新しく知った真実は、以前の自分にとっては“思ってたんとちがう”ものでした。
夜空に浮かぶ月はどこまでも自分の後を付いてくると思っていたし、星たちは空の中で輝いていると思っていました。

知識や経験が増えてくるに従って、今この瞬間、自分の目で見て、耳で聞いて、直接体で感じた情報に対して、無意識に頭の中で色々な意味を結び付けるようになってしまいます。純粋無垢な子供のように、感じたことを素直にそのまま受け取るのが難しくなってしまいます。

「思ってたんとちがう」では、一般的に想像されるであろう因果を裏切るようなことが、しばしば起こります。子供を対象にしつつも、こう来ればこういう結果を期待するだろう、という観る側の知識と経験を前提としています。

僕がこのコーナーのアイデアを練るときも、闇雲に直感や閃きを頼りにするのではなく、知識や経験をもとに僕の中である程度体系化したルールやプロセスに習って考えますが、そんな手法に頼るよりも、兄のウソを信じていたころの無垢な眼差しで再びこの世界を見ることができたらなぁ、、とそんなことを思う今日この頃です。

 

ぎりぎり

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「ガマンぎりぎりライン」というコーナーについてお話します。
このコーナーは「しきい値」を切り口にして、値の変化によって物事が遷移していくさまをとらえています。

「しきい値」を英語で書くと「threshold」で、スレッショルドと発音します。日常でスレッショルドなんて言葉を発する機会はまず無いと思いますが、僕はこの言葉の音やスペル、そしてこの言葉の持つ意味がなぜかとても好きです。そういう背景もあり、いつの日からか「しきい値」を切り口にした映像を作ってみたいなぁとぼんやり思っていました。

そんなことはさておき、「しきい値」とは、連続する二つの異なる状態Aと状態Bがあって、そのAとBの境目となる値のことです。その値を越えると状態がAからBに変化したり、逆にそれ以下だと効果や反応が現れないようなことを言います。

 例え話ですが、住宅街を歩いていると外をブラブラしていたり、昼寝している猫がいますよね。ちょっと近づくとこっちを凝視して構え、さらに近づきすぎると、そそくさと逃げてしまいます。そういった猫は自分の中に相手を脅威かどうか判断する、自分と他者との距離のパラメータ(値)を持っており、こちらが不用意に近づいてしまってその「しきい値」を越えてしまうと、危険→逃げる、という結果が待っています。

逆に、そんなギリギリのラインを攻めずに「ちょうどいい」パラメータを探れば、変化を抑え安定を維持できる、という見かたもできますね。

そういった視点で日常のいろいろ物事の変化するさまを観察してみると、その変化のきっかけとなる「しきい値」が存在していることに改めて気付くはずです。
みんなも自分オリジナルのスレッショルド、探してみてね!

人の目を借りる。

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デザインあは、デザインに関する様々な示唆に溢れており、とても勉強になるし、単純に見ているだけでも面白い番組だと思いますが、実は放送を見ること以上にもっと面白いことが裏に隠れているのを僕はここで自慢したいです。

完成された番組は、無駄がそぎ落とされて余分な情報が無いものが多く、その裏に隠れた作った人の発想や思考、人となりなどは深い部分までは感じにくくできているかと思います。
番組の1コーナーが出来上がるまでの過程には、数々の取捨選択などの意思決定があり、そこにこそ僕は面白い瞬間がたくさん潜んでいるのをいつも感じています。

その、放送では見ることができない裏の面白さというものは、企画や演出を選考したり決定する番組会議にあります。デザインあでは、僕が参加している限りでいうと、年に2回の全体会議や他にも幾度か定例会議などがあります。参加しているみんながそれを面白いと思っているかはさておき、ちょっとした判断を下す一言だったり、コンテの絵や注釈だったりを注意深く見聞きしていると、その人の思考回路が垣間見えて、その人の脳みそを経由してとらえた世界をちょっと見ることができるんです。その人の目を借りることができるんです。

極端な話ですが、その人がどうやって世界を見て、いままで取捨選択して生きてきたかを若干であるにせよ、感じることができるということです。
その借りた目でその世界を見れば、その人がいままで作ってきたものへの理解も深くなり、あわよくば、同じ考え方で新たなものが作れるということにもなります。

もし全く更新されない自分ひとりだけの世界を見ているならば、それは退屈だし飽きてしまいます。でも、掘り下げれば何か別の世界に辿りつくかもですが。

デザインの教科書みたいな人らに囲まれつつ、会議という色々な意見が生で聴ける場所、つまり人の思考回路が垣間見えやすい場所で、いろんな人の目を借りることができ、今までの自分の目を通した世界では気づかなかったような”思ってたんとちがう”新しい発見を見つけることができる機会に恵まれているというのは、有難いことです。

もしデザインに関して多少探究心があるならば、番組を見て感じ取れる範囲を深めて、テレビを通して見える世界から、もう少し突っ込んで裏側を詮索してもらえると、なにか新しい目で見える景色が広がっているかも、と思います。