「デザインあ」のデザイン
2014年03月31日
「テレビの映像をデザインする」ということは、「テレビのある空間をデザインする」ことでもある、と思います。
僕は、大のテレビ好きの一家で育ちました。両親兄弟そろって、本当によくテレビを見ていました。私の父(中村博といいます)も、自分の好きな番組(駅伝です)になると「いけっ!そらっ!走れっ!抜けっ!」とテレビの目の前にかぶりついて応援していたものです。そんな様子をうしろからぼーっと眺めていると、時々、きらきらー、って光るんですね。父が。
テレビから発する光を、ポマードで脂ぎった父の禿げ頭がうけとめて、反射してるんです。
(大阪の道頓堀の水面が、ネオンの光を映しながら、ゆらめいている風景を思い描いてください。ちょうどあんな感じです。)
駅伝番組の本編、選手達が箱根の山道を走ってるあたりでは、一定の緑色の光をうけて、かるく照りかえす程度なんですが、CMの時間帯にもなると、赤、白、黄色と、目まぐるしく変化する光の色を反射して、父の禿げ頭は、それはもうド派手に、妖しく、ゆらめいているんです。
そう、テレビって実はすごく光ってます。かなり大きな、面状の発光体なんです。
テレビは、あなたが映像を視聴するための画面であると同時に、あなたや、あなたのいる空間を照らす、ひとつの照明装置でもあります。さらに音もガンガン鳴ります。同じ情報メディアである新聞や雑誌、本に比べ、「発する」ものが圧倒的に強い。
空間全体に対してテレビが及ぼす影響は、実はとても大きいんです。
これは建築の世界などで議論されることに、少し通じるものがあります。たとえばある住宅は、住む人のためにつくられる「単体」であると同時に、街並みの風景を形成する「全体の一部」でもあります。ある住人が「俺は真っ赤でド派手な家を建てたいんだ!」と言っても、「いや、それはこの街の調和を乱すから勘弁してくれ!」あるいは「いや、このあたり地味すぎるから、逆にアクセントになっていいんじゃない?」といった、街並み全体を視点とした議論は大切です。
すべてのものは「単体」であると同時に、「全体の一部」でもあります。
それはテレビにおいても全く同様です。もちろんそれぞれのテレビ番組「単体」が魅力的であることは大事ですが、それと同じくらい大切なのが、「全体の一部」としての視点です。
どこかの部屋のどこかのテレビで、その番組が流れているときの、その空間の雰囲気とか。
どこかの子供が、番組から発する光を浴びているときの、その光景とか。
もっというと、テレビのある生活、その一日の佇まいとか。
そういったことが、テレビには、とても大切なことのように思います。
僕が関わっている「デザインあ」には、「あなたの身の回りの日常を、もっとゆっくり観察してみよう」というテーマがあります。そんなメッセージを伝えたい番組自身が、部屋の中で超ド派手に主張しまくってたら、なんかちょっと興ざめですよね?でも、だからといって、控えめに渋くまとまりすぎても、なんかつまんないですよね?その「ちょうどいい頃合い」ってどこらへんかな~?と探りながら、番組全体のデザインを考えています。
そしてもちろん、番組の内容も大事です。そしてそれは、「デザインあ」の各コーナーをつくっているメンバーのみんなが、きっとこのブログに色々書いてくれることでしょう!(まる投げ)
それでは~!