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あブログ

制作スタッフによる現場日誌

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  2. 2014年10月

意識してみる

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こんにちは。牧野愛といいます。

贅沢なことに、「デザインあ」がスタートした頃から、このステキな番組スタッフのひとりとしてかかわっています。

私の役割は、モデルとしてテレビの中にいることです。いや、おかしな言い方になりましたので、今担当している『考えていない』のコーナーで説明すると、テーマが「ラーメン」ならば、私はカメラまえで実際にラーメンを食べます。

自身で表現してみなさんにお届けする係なのです。

私の係、とても単純なようでちょっとだけ変わっています。
スタジオ、照明、カメラ、セットされた非日常的な世界で日常的な事をするのです。

仕事柄、普段の何気ない動作や表情、カメラの前でも同じようにお願いします! と、求められることが多くあります。

私が出来ることは、普段の無意識の自分の行動を、ふと、意識してみたり、
また、人の動きを観察してみたり、考えていないをちょっと考えてみたり。

まさにこのコーナー 『考えていない』にちかいものがあります。

でも、この'"無意識"を"意識"してみるとちょっとおかしなことにもなるのです。

先日、『考えていない』の「ラーメン」編をみた友人が、本当に自分も普段こういう動きをしているのか、疑問に思った彼女は確認しながらラーメンを食べてみたのですが・・・とってもとても不自然!(笑)
意識しすぎたことで動きがおかしなことになったのです。

私も現場で、あれ・・カーディガンってこうやって着てた?!普段どうやってドア閉めていたかな?とわからなくなったり、考えすぎて不自然な動きになったりということがありました。

 

 

何気ない動作ひとつ、
みなさんもちょっとだけ意識してみてください。

おもしろい発見がきっとみつかりますよ。

私は今こうして記事を考えながら無意識のうちに、椅子からソファそしてベランダ、床にへばりつき、これで最後かと思いきや、またベランダに戻りやっと書き終えました。

線表をひく

 

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リソースデスク さくらです。
番組の制作スケジュールのプランニング・NHK内の設備・機材・技術スタッフ・編集室の手配から 放送がでるまでを見守っています。

「デザインの観察」の場合・・・
―どうして しゅうゆさしの物撮りに100坪のスタジオが要るの?
5坪の接写室で十分じゃない?こども番組だよね?出演者は?
物撮りだよね?―
理詰めのエライ人たちに囲まれ 気の弱い女子なら泣き出してしまうだろう。
(※最近はやさしくなってますが)
おっしゃることはわかります。限られた協会の設備 渋谷の1等地の100坪のスタジオ 2日押さえて 2分半のコーナー撮影なんて あまりに効率悪い。
60分くらい作ってもらわないとって 割り当てる人からすれば当然だ。
―「デザインあ」は特別なんです。単焦点レンズ使ってて 美しいボケ味だすためには 被写体と壁、被写体とカメラの距離 結構必要なんです、光量もいるし・・・
ことばをいれないで映像だけで表現しているから 映像がいのちなんです。
まだことばがわからない幼児の脳にダイレクトに届く画期的な番組なんです・・・etc-
図面・絵コンテ・サンプル映像を携え 説明説得してまわる。
―そうですか・・やっぱり特番とか芸能が優先ですよね?日本の未来を背負ってたつ大切なこどもたちを育てる番組なんかより・・・-
時には毒づき 涙を浮かべて交渉にあたる。
そうして押さえたスタジオでも 超忙しい監督と技術スタッフ、特別な機材などが その日に集約できなければ 手放すことになる。今度は 平謝りに謝って。スタジオ申請の締切りは 放送日から3~4ヶ月も前だから 運と勘に頼るところが大きいのだ。
わたしは常に未来の神様に照準を合わせ 勘を頼りにスケジュールの線を引く。
わたしの巫女的ギャンブラー魂が この仕事を支えている。
今日も これからも 心静かに見守っていたい。

『考えていない』を考える

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歩く、飲む、食べる・・何気ない動作を見つめるコーナー『考えていない』。
「語り」の三宅です。如何に沢山の「考えていない」動作のお陰で暮らせているか!私も驚いています。
 意識せずに行っている最も複雑な動作、つまり究極の「考えていない」は何だろう?と思いを巡らせました。
 アナウンサーだからかもしれませんが、思いついたのは「声」。そう「発音発声」です。生きるための「呼吸」を利用し、肺からの空気で声帯を振るわせ「声」に。そして舌、歯、唇などの共同作業で「五十音」に変え、無数の言葉を生み出す。まさしく神業です!
 さらに不思議なのは、私たちは一体いつ、このような神秘の動作の数々を身につけたのか?ということです。
 思案するうち、3歳になる孫の様子を見て、ハタと気づきました。転けながらのヨチヨチ歩き。口や前掛けを汚しながらの食事。大人を真似つつ身につけてゆく言葉・・・
 「考えていない」動作の一つ一つは、遙か幼き頃、こうやって身につけてきたのだと、教えられたのです。父、母、祖父、祖母・・忘却の彼方にあった家族との時間を思い、「考えていない」個々の所作が、かけがえないものと感じられるようになりました。
私は今、還暦も過ぎ62歳。足腰の動きも若い頃のようにはゆかなくなり、これまで考えずに出来ていた動きを、徐々に意識せざるをえなくなっています。
一つ一つの動作を考えずに出来るって、素晴らしいこと!『考えていない』コーナーは、思いも及ばなかった人生の深奥を考えさせてくれています。