消えた“日本最大”の隕石を探せ

2018.02.02 #, ,

最近は、車のドライブレコーダーや屋外カメラの普及などで、大気圏に落下した小惑星などが明るく光る「火球」が、インターネット上などで話題になることが多くなっています。実は、こうした現象は、地球上のどこかで毎日のように起きているのですが、地上に落ちて隕石として見つかることはまれです。日本で隕石の落下が確認されたのは2003年が最後です。

しかし日本でも、全長が数十センチという大きな隕石がいくつか確認されています。中でも最大だったと見られているのは、今からおよそ200年前の江戸時代に、東京の八王子市に落ちた「八王子隕石」です。この「八王子隕石」、落下の事実そのものは当時の記録にたくさん残されているのですが、なぜか隕石そのものが見つかっていない「幻の隕石」なのです。このほど、唯一残されていた、八王子隕石のかけらではないかとされる石について、最新の科学技術で分析が試みられました。ついに八王子隕石が見つかったのでしょうか。

日本最大の隕石が八王子に落ちた?
東京・八王子市
文化14年11月22日、西暦では1817年の12月29日の午後2時ごろ、甲州街道沿いにある宿場町だった今の八王子市とその周辺の日野市や多摩市に、雷のような轟音と共に隕石の雨が降り注ぎました。その音は50キロ離れた江戸にも伝わったと言います。八王子隕石は落下中に爆発したと考えられ、距離にして10キロほどの範囲に、少なくとも10個以上のかけらが落下したことが、当時の日記や随筆など多くの文献に記されています。
隕石落下を記した古文書 「桑都日記稿本」(極楽寺蔵)
落下したかけらは、大きいもので、長さ90センチ、重さは60キロあったとされます。国立科学博物館によりますと、これまでに確認されている日本に落下した隕石は50個ありますが、最大のものは1850年に今の岩手県陸前高田市に落下した全長50センチの「気仙隕石」で、「八王子隕石」は日本で最大の隕石だったとも言われています。しかし、地元の八王子市内でもその存在はほとんど知られていません。何より隕石の実物が残っていないのです。
金剛院
最大とみられるかけらは、市中心部の金剛院という寺の脇の畑に落ちたと記録されています。しかし、金剛院の周りは今や住宅地になり、落下の痕跡をうかがうことはできません。住職の山田一眞さんは、昭和9年の生まれですが、子どもの頃は隕石の話など聞いたこともなかったと話します。山田さんによると、八王子は何度か大規模な火災に見舞われ、戦時中は大規模な空襲も受けたことから、古い資料なども多くは残っていないということで、江戸時代の隕石を探すのは容易ではないと話していました。
金剛院の山田一眞住職
難航する隕石探し
八王子市のコニカミノルタサイエンスドーム(こども科学館)で学芸員を務める森融さんは、およそ30年間、八王子隕石について調べ続けてきました。森さん自身、偶然にその存在を知り、地域の歴史として実態を明らかにしたいと考え、住民からの聞き取りや資料収集を行ってきました。長年の調査で、市内を中心に隕石が落ちたとされる場所を特定していき、隕石が東から西に向かって飛来して多摩川上空付近で爆発したとする推定をまとめました。
八王子隕石の落下地点(八王子市郷土資料館 加藤典子学芸員作成)
しかし、肝心の隕石そのものはなかなか見つかりません。日本最大とも言われる隕石は、どこへ言ってしまったのでしょうか。森さんによると、当時の住民は役所から「石を拾った者は届け出るように」と申しつけられていたということです。そして隕石は天体観測を担う幕府の天文方に届けられます。ところがそこで、「空から石が落ちてくる理由はなく、火山の噴火で飛んできた石だ」と結論づけられ、それ以上の調査はされなかったと言うのです。そこから先、隕石がどうなったのかは知られていません。空から石が降る現象は知られていなかったための誤解だったのでしょうか。森さんによると、そうとも言えないようです。実は、隕石という現象は古代中国の時代から知られていました。森さんは「江戸が大騒ぎになったことで、幕府が早く事態を収束させたいと考えたのではないか」と推測します。
八王子市の学芸員 森融さん 金剛院で撮影
「このままでは八王子隕石の歴史が、地元でも忘れられてしまうかもしれない」と危機感を持つ森さんは、隕石落下から200年を機に行われた、ある調査に期待をかけました。
残された「八王子隕石」は本物か
八王子隕石とされる石 写真提供:国立科学博物館
その調査とは、日本に1つだけ残されている「八王子隕石ではないか」とされる石のかけらを最新の技術で分析しようというものです。そのかけらが見つかったのは意外にも京都でした。所蔵していたのは旧公家の土御門家です。「隕石之事」と書かれた包紙の中に、「八王子横山宿内子安村に落ちた隕石」と書かれた書付と共に、重さわずか0.1グラム余りの石のかけらが入っていました。森さんの仮説では、「当時、暦を司っていた土御門家に、関わりの深かった江戸の天文方から送られたものではないか」としています(もしそうならば、はっきり「隕石」と書かれていることかも、天文方は事実を知っていて隠した可能性が高いことになるとも考えています)。ただ、包紙にはもうひとつ「丹波國隕石之事」と書かれた書付も同封されていたのです。これはどういうことなのか。
土御門家で見つかった文書 左 八王子隕石の記録 右 丹波国隕石の書付 写真提供:国立科学博物館
この石と文書を所蔵する国立科学博物館の米田成一さんによると、包紙が見つかったのは今から60年以上前。石のかけらは、科学博物館の当時の分析でも隕石だと認められました。しかし、気になるのは「丹波國」という書付です。実は八王子隕石からおよそ50年後の1866年、当時の丹波国、今の京都府京丹波町周辺に、曽根隕石と呼ばれる隕石が落下していたのです。見つかった石は、果たして八王子隕石なのか、それとも曽根隕石なのか。これまで結論は出されていませんでした。米田さんたちは、最新の技術を使って、謎の隕石を改めて分析することに挑んだのです。
国立科学博物館 米田成一さん
使われたのは「はやぶさ」の分析技術
左 八王子隕石とされる破片 右 曽根隕石の破片 国立極地研究所で撮影
わずか0.1グラムの貴重な破片をなるべく壊さずに分析したい。任されたのは国立極地研究所の山口亮さんたちのグループです。山口さんは、南極に落ちた隕石などを数多く分析してきた、この道のスペシャリストです。隕石が持ち込まれたのは去年4月。わずか0.02グラムだけ切り取り、分析を行う試料を作りました。顕微鏡での観察や特別な分析装置を使ってどのような物質からできているのかを調べました。分析に使われたのは、小惑星探査機「はやぶさ」がイトカワから持ち帰った微粒子の分析にも使われた技術です。比較を行うため、別に残されている曽根隕石の分析も行いました。果たして結果は。
国立極地研究所の山口亮さん
12月28日、ついに分析の結果が公表されました。京都に残されていたかけらは炭素を含まず、比較的鉄分の多い「H5普通コンドライト」と呼ばれる隕石でした。これは曽根隕石と同じです。さらに、詳しい組成も曽根隕石とほぼ一致することが分かりました。やはり曽根隕石だったのか。山口さんは「その可能性は高いが、H5普通コンドライトは地球で見つかった隕石全体の18%を占めるもっとも多い種類の隕石で、八王子隕石が偶然曽根隕石と同じ種類だった可能性も十分ある」と話します。
求む八王子隕石
地域の歴史を知ってもらいたいと願う森さんや、科学の力で真相を突き止めようと挑んだ米田さんや山口さん。残念ながら八王子隕石断定とはなりませんでしたが、研究グループは、今回の分析をきっかけに、一般の市民に関心を持ってもらい、自宅に隕石のような石がないか、情報提供を呼びかけています。研究グループによりますと、ほとんどの隕石は、普通の石に比べてずっしりしているほか、表面が黒っぽいガラス質な物質に覆われている、磁石にくっつくといった特徴があるということです。

八王子隕石の情報提供呼びかけページはこちら
研究グループが紹介する「隕石かどうかの見分け方」
研究グループのメンバーのひとり、国立極地研究所の片岡龍峰さんは、「科学者だけでできることには限界があり、市民に参加してもらう意義は大きいと思います。八王子隕石の謎を通して、地域の歴史や身近な科学について市民自らの関心で探求することで、市民と科学者がお互いに学びあう、新しい科学研究の形がつくられていくことを期待しています」と話していました。

どうです、興味がわいてきましたか。もしかしたら、あなたのお宅で、“日本最大”の隕石が見つかるかもしれません。
科学文化部記者
大崎要一郎
平成15年入局。平成20年から報道局科学文化部。主に原子力や科学分野の取材を担当。平成27年から2年間は福島放送局で原発事故の取材をしていました。現在は天文や海洋、先端科学など幅広く取材しています。
記事の内容は作成当時のものです

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