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資料発見!「国民義勇戦闘隊」に見る戦争とは

2019.12.12 :

終戦直前の昭和20年、本土決戦に備えて女性や少年を含めた一般国民を戦闘員として組織した「国民義勇戦闘隊」。その具体的な動員計画などをまとめた資料が福井県に残されていました。中身から見えてきたのは、民間人が戦闘員として戦う「国民総動員」の戦争が寸前まで迫っていたという現実でした。

こんなところに知られざる機密文書が

北陸の霊峰として名高い白山の山頂に、うっすらと雪が積もり始めた11月末。私は、恐竜で有名な福井県勝山市の平泉寺町という地域に足を運びました。戦争関連の研究を続けている、学習院大学の斉藤利彦教授の研究グループの調査を取材するためです。福井駅から車で50分ほど離れた公民館に、調査の目的となる資料が残されていました。

建物の一室から取り出されたのは、色あせた文書の束。表紙には「義勇戦闘隊関係法規綴」と記されていました。

本土決戦を見据えて「国民皆兵」を実現しようと準備が進められていた「国民義勇戦闘隊」に関する資料で、戦後すぐに焼却処分されたと考えられていました。研究グループのメンバーも、貴重な資料が残っていたことに驚きを隠せない様子でした。

召集対象には少年や女性も

「国民義勇戦闘隊」は、昭和20年6月に施行された「義勇兵役法」にもとづく組織で、この年の5月から全国各地に設けられた「国民義勇隊」から移行する形で、編成や動員の準備が進められました。国民義勇隊が、空襲被害の復旧や軍の後方支援など戦闘には直接関わらない組織だったのに対し、国民義勇戦闘隊は、本土決戦となった場合には兵士とともに武器を持って戦闘に加わることを義務づけられています。男性は15歳から60歳、女性は17歳から40歳までが召集の対象とされました。

研究グループによると、旧ソビエト軍の侵攻を受けた樺太、今のサハリンでは、戦闘に参加して犠牲者が出たほか、地域ごとだけでなく職業ごとに設けられた部隊もありました。しかし、まもなく終戦を迎えたため実際に編成されたのは一部にとどまり、関連する資料もほとんど残っていないため、部隊の実態については多くの謎が残されています。

調査にあたった斉藤教授は、戦闘隊に関する資料が存在する可能性を求めて各地の公文書のデータを地道に調べ上げ、平泉寺町に残されていることを突き止めたのです。

具体的な動員計画が明らかに

見つかったつづりには、2冊の冊子がとじられていました。その1つが、陸軍の「福井地区司令部」が作成した文書です。

そこには、本土決戦に備えて国民義勇戦闘隊を編成・動員する計画が、およそ10ページにわたって具体的に記されていました。それによると、▽敵の攻撃を受ける可能性がある沿岸部などでは8月10日から15日にかけて編成を行い、8月中には福井県内のすべての部隊の編成を完了。その後ただちに動員する計画だったことや、▽部隊の編成は地域ごとに行われ、派遣された軍人らが、隊員の特徴を踏まえて部隊の戦闘能力や役割を判断することなどが記録されていました。

もう1つの冊子は、召集の具体的な手順を定めた軍の機密文書でした。そこには戦闘隊の編成を見据えて、事前に戦闘訓練などの準備を進めておくことなどが記されていました。その内容をつぶさに見ていくと、本土決戦に備えて、民間人を戦闘員として編成しようとしていたことが現実的に考えられていた当時の状況が伝わってきました。

斉藤教授は「8月15日に終戦を迎えていなければ、若者や女性までもが兵士として戦うという国民総動員の戦争が寸前まで迫っていたことをはっきりと示す資料だ」と話していました。

村全体が臨戦態勢

このつづりのほかに、戦闘隊のもとになる「国民義勇隊」に関係する資料も残されていました。

その1つ、「国民義勇隊書類」というつづりの中には、▽状況が切迫した場合には隊員は戦闘隊に参加するという規則が記されているほか、▽昭和20年7月に義勇隊の結成式が神社で開かれ、およそ500人の村民が竹やりを使って戦闘訓練を行ったことなどが記録されていました。村が「国民義勇戦闘隊」への移行を速やかに進めようとしていたこと、そして村全体で戦争に臨もうとしていたことがうかがえます。

この地域は、白山信仰の拠点の1つとして宗教都市として栄えた歴史があり、研究グループによりますと、戦前から戦時中にかけては天皇による国家統治を重んじる思想を持つ人が多くいたと見られるということです。

斉藤教授は「早い段階から戦闘隊の準備が進められていたことから見ても、村全体で国土を守るんだという意識が高まっていた地域であったと言えるのではないか」と指摘しています。

残された時間が・・・

処分を免れ、74年間、保管されてきた資料。今回の調査に同行した福井県文書館の柳沢芙美子副館長は、過去の文書を調べることの大切さを指摘します。

「県内のほかの地域にも重要な記録が出てくる可能性もあるので、何かの機会に資料を見てもらうことで新しい発見につながり、研究が進んでいくことを期待したい」
斉藤教授は、ほかの地域にも資料が残されていないか調査を続けるとともに、資料の内容をさらに分析して書籍などで公表したい考えです。国民義勇戦闘隊は福井だけではなく全国で準備が進められていたことから、部隊に関する資料がほかにも残されている可能性があると見ています。
「来年で戦後75年となることからも、こういった資料を風化させないために調査して残していく作業はまさに喫緊の課題だ」
少年や女性までもが武器を持って戦うような状況を二度と生み出してはいけない。「戦後75年」を前に見つかった今回の資料は、教訓とさらなる調査の重要性を私たちに伝えています。

科学文化部記者

富田良

平成25年入局。金沢局を経て平成28年から長崎局で勤務し、原爆を中心に戦争関連の課題や文化財をめぐる問題点などを取材。令和元年夏から科学文化部で文芸や学術などを担当

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記事の内容は作成当時のものです

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