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小惑星「リュウグウ」に名を残した科学者~「イイジマ岩」の物語~

2019.12.03 :

地球への帰還を開始した「はやぶさ2」。探査の舞台となった小惑星「リュウグウ」では、表面にある岩が「イイジマ岩」と名付けられました。プロジェクトに貢献しながら44歳の若さで亡くなった科学者の名前です。取材をすると、「はやぶさ2」に残された時間をささげた、科学者の思いがありました。

「イイジマ岩」と名付けられた小惑星の岩

「プロジェクトメンバーとして思い入れが深い名前をリュウグウの上に残したい」
JAXAの吉川真ミッションマネージャがことし8月に語りました。小惑星「リュウグウ」の2つの岩に、プロジェクトに貢献したものの、ミッションを見届けることなく亡くなった2人の関係者の名前が付けられました。そのひとつが「イイジマ岩」です。それは、長さ5メートルほどで、はやぶさ2が作った人工クレーターの中にある岩でした。
画像提供=JAXA, 東京大など (一部加工)
名前の由来となったのはJAXAの助教だった飯島祐一さん。「はやぶさ2」打ち上げの2年前(2012)、がんのため44歳の若さで亡くなりました。

飯島祐一さんとは

飯島さんは「はやぶさ2」プロジェクトが発足してまもない2011年夏頃、チームに参加しました。

名古屋大学で学生だった時から惑星科学の研究に没頭する日々を送り、惑星がどのように誕生するのか、その過程を明らかにする実験に励んでいました。
大学院生の頃の飯島さん(写真中央)1990年代中頃撮影
JAXAでポストを得て月や小惑星に送り込む探査機の開発に携わるようになり、「はやぶさ2」プロジェクトでは、「はやぶさ2」の本体から分離して撮影を行う「DCAM3」というカメラの開発を担当しました。このカメラは、金属弾を小惑星に打ち込んで人工的にクレーターができる一部始終を撮影し、小惑星の内部構造を明らかにすることを目指していました。
JAXAで実験中の飯島さん 2009年5月撮影
しかし、飯島さんはプロジェクトに参加する前にがんと診断され、転移も見つかるなど、がんのステージは4でした。飯島さんは、惑星科学の発展に大きく貢献する可能性のある「はやぶさ2」のプロジェクトを成功に導くことが、自分の最後の仕事だと心に決め、残された時間を使って文字通り身を削って貢献したといいます。

そんな飯島さんを、妻の江里奈さんは心配していました。
飯島江里奈さん
「自分の最後の仕事になるだろうっていう予感はあった上で、はやぶさ2に関わっていたと思います。かなり痛みが強かったにも関わらず、自分の持ってる体力を全部、はやぶさ2にかけていたので、相当なこだわりや熱意があったんだろうなと思います」

貢献した飯島さん

当初の「DCAM3」のカメラはアナログ撮影しかできない仕様になっていました。飯島さんは、それでは詳しいことがわからないとして、高解像度のデジタル撮影に変更することを提案。すでに基本的な方針が決まった後での仕様変更の提案に、関係者から強い反対を受けました。
画像提供 JAXA
それでも、粘り強く交渉を続けて、プロジェクトの合意を取り付ける道筋をつけ、アナログカメラに加えてデジタルカメラの搭載を実現させました。さらに、プロジェクトで取り組む科学をもっとハイレベルなものにしようと、自分のつてで、惑星科学のトップレベルの研究者を次々とプロジェクトに参加させていきました。

こうした飯島さんの仕事に没頭する姿を見て、妻の江里奈さんは、もっと家族との時間を大切にして欲しいと思っていました。
飯島江里奈さん
「家族としては、とにかく体優先でゆっくりとした気持ちで過ごして欲しかったのに、仕事の方に時間を割いていた。最後の時間をはやぶさ2に持って行かれちゃったという気持ちがあったので、当時は悔しさというか、残念な思いがありました」
飯島さんと一緒にカメラの開発を担当したJAXAの小川和律さんは、飯島さんの執念にも似た仕事ぶりを見ていました。
小川和律さん
「飯島さんは気丈に振る舞っていましたが、歩くのも座るのも辛いという状況でした。それでも、惑星探査にかける情熱は最後まで衰えませんでした。はやぶさ2に搭載する科学観測機器の検討が甘く、俺がちゃんと言わないとダメだといつも話していました」

「イイジマ岩」が待ち望む科学的成果

飯島さんはカメラの完成を見届けることなく2012年12月に亡くなりました。
亡くなる1か月前の飯島さん 2012年11月撮影
飯島さんが開発したカメラは、ことし(2019年)4月、金属弾を小惑星に撃ち込み、人工クレーターができる瞬間を高い解像度で撮影しました。そのデータを解析する作業が続けられています。
画像提供=JAXA, 神戸大, 千葉工大, 高知大, 産業医科大
妻の江里奈さんはプロジェクトの経過を見た今、飯島さんの気持ちがわかってきたと言います。
飯島江里奈さん
「こうして成果として結実しているのを見ていて、今はあれでよかったんだと思っています。亡くなって7年が経ち、本人はもういませんが、チームの皆さんが覚えていてくれていて、岩に名前をつけてくれて、彼はそういうところに今も生きているんだと思います」
「はやぶさ2」プロジェクトでは、2020年の末に小惑星の岩石が入ったカプセルが地球に戻ってくるなど、科学的成果があげられるかはこれからが本番です。

「はやぶさ2」プロジェクトがどのような成果を出すのか、「リュウグウ」に残された「イイジマ岩」が静かに見守っています。
実験室で語る飯島さん 2009年5月撮影

科学文化部記者

春野一彦

平成15年入局。鹿児島局を経て、科学文化部で主に宇宙分野を担当。小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還をオーストラリアの砂漠で目の当たりにした。その後、京都局で「iPS細胞」の取材などを担当し、平成30年から再び科学文化部で取材。

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記事の内容は作成当時のものです

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