COLUMN

論文発表されてないのに10大成果に!?    ~ことしの「サイエンス」トップ10に異例の出来事~

2019.12.24 :

アメリカの科学雑誌「サイエンス」が選んだことしの10大ニュース。その中に日本の海洋研究開発機構などのグループの研究が選ばれました。生物の進化の謎に迫ると高い評価を得ているのですが、選ばれた研究者はコメントを発表し「論文は投稿している途中なので、詳細は後日、発信する予定です」とのこと。実はこの研究、論文で正式に発表はされていないのです。発表されていない研究がサイエンスの10大ニュースに選ばれるという異例の事態の背景には、激しい競争を受けて変化する研究現場の事情がありました。

ことしのサイエンス10大ニュース

科学雑誌「サイエンス」から 世界で初めて撮影されたブラックホール
アメリカの有名科学雑誌、「サイエンス」が、ことしの画期的な科学成果を10選んで公表しました。最も重大な成果として日本の国立天文台も参加した国際研究グループが行った世界初のブラックホールの撮影が選ばれました。
科学雑誌「サイエンス」から 井町さんが12年かけて培養に成功した微生物
そして、その中には日本の海洋研究開発機構の井町寛之 主任研究員などの研究グループの成果も入りました。その内容は、私たちヒトを含む多細胞生物が分類される真核生物というグループに進化した可能性がある微生物を発見し、生物の進化の謎に迫る重要な業績をあげたとされています。

コメントは「途中なので・・・」

海洋研究開発機構 井町寛之さん
これを受けて井町主任研究員はコメントを発表しました。「大変光栄に思います。私たち人間を含む生物の進化の謎に迫るもので、論文は投稿している途中なので詳細は後日、発信する予定です。引き続き注目してもらえるとうれしいです」。

あれ?論文は投稿途中??

つまりこの成果はまだ論文としては発表されていないというのです。これまでの科学の世界では、論文で発表される前に業績として認められることは基本的にはありません。なぜ、この研究は論文発表前にサイエンスの10大ニュースに選ばれたのでしょうか。

最新の手法「プレプリント」

今回、井町主任研究員は「プレプリント」と呼ばれ、これまでとは違う、新しい手法で公表していたのです。「プレプリント」とは、研究者が成果を論文にまとめると、雑誌社に投稿するとともにこの段階の論文をネット上の専門のサーバーで公開するものです。雑誌に正式に出版される前の論文なので「プレプリント(=出版前)」と呼ばれています。

従来は雑誌で公表

一般的に、研究者が研究内容を論文にまとめて雑誌社に投稿すると、ほかの研究者がその論文を審査します。そこで実験結果の解釈や気づかなかったポイントなどが指摘され、それに基づいて修正する作業が何回か行われ、ようやく雑誌社は論文を受理します。受理された論文が雑誌として出版されると、ここで初めて研究内容が広く知られることになります。これは、ピアレビュー(査読)と呼ばれるシステムで、研究の正確性と発展を担ってきた、いわば現代科学の根幹です。
こうしたピアレビューを経て発表されることで、正式に研究者の業績として認められることになります。

プレプリントの台頭

一方の「プレプリント」は、ピアレビューの前に研究の内容を広く公開します。研究の進展が早いコンピューターサイエンスなどの分野で普及しましたが、生命科学の分野ではまだまだ浸透していません。それでもなぜ「プレプリント」に投稿したのか。井町主任研究員は、この研究に1番初めに成功したという事実を残しておきたかったからだと言います。雑誌社に投稿した後に行われるピアレビュー(査読)と論文の修正には長い時間がかかるケースが多く、数か月以上や、場合によっては1年に及ぶこともあるのです。その作業をしている間にほかの研究者が論文を発表してしまうと、せっかく最初に成功していても2番手と見なされてしまうのです。

「プレプリント」の反響

プレプリントに投稿するやその反響は思った以上に大きかったと井町主任研究員は言います。同じ分野の研究者からは講演の依頼が次々ときたほか、さまざまな科学雑誌の編集者からも「この論文を私どもの科学雑誌から出版しませんか」と持ちかけられたと言います。なんと、井町主任研究員がすでに投稿した雑誌社の編集者からも「ぜひ我が社に投稿しないか」と連絡が来て「すでに投稿しましたよ」と返答する一幕もあったということです。論文の正式な発表は最終段階に来ていて、間もなく雑誌社が出版するとみられるとしています。



研究者に不信感も・・・

微生物(左)に取り込まれるバクテリア(右) イメージ 画像提供 海洋研究開発機構
こうした「プレプリント」が普及する背景として、ささやかれているもうひとつの理由があります。それは、研究者側にある現在のピアレビューのシステムへの不信感です。有名科学雑誌は欧米の出版社や学会が取り仕切っていることが多く、重要な研究成果を雑誌社に投稿した段階でライバルの欧米の研究者にその内容が漏れて競争が不利になっているのではないかとまことしやかに言われることがあるのです。そのため、1番手であることを揺るがぬものにしておきたいという心理が働くというのです。

プレプリントの課題と今後の展開は

ただ、「プレプリント」に対しては、課題を指摘する専門家もいます。ピアレビューを受けずに公表すると、内容の信頼性が担保されていないものが入り込み、かえって科学が混乱するという指摘です。そのため、現段階でもほとんどの研究者はピアレビューの考え方を支持しています。それでも、「プレプリント」の流れはさらに拡大すると見られています。今回の異例の選出は研究者が激しい競争にさらされ、従来のシステムへの信頼も揺れ動く中で現れた新しい科学の側面でもありました。

科学文化部記者

寺西源太

 関西の民放から転職し2016年にNHK入局。初任地の広島では原爆の記憶の継承をテーマに主に取材したほか、マダコ養殖や赤潮を撃退するウイルスなど最新の科学研究を特集。2019年から科学文化部で海洋や宇宙、生物を主に担当。


 

 
寺西源太記者の記事一覧へ

記事の内容は作成当時のものです

COLUMN一覧に戻る

関連記事