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「太政官」建物跡か 奈良 平城宮跡

2019.09.26 :

奈良時代の都の中心だった奈良市の平城宮跡で当時の国政を担った中心的な役所「太政官」と見られる大規模な建物の跡が初めて見つかり、調査した奈良文化財研究所は「当時の律りょう国家を考えるうえで貴重な資料だ」としています。

奈良市の平城宮跡にある「東方官衙」と呼ばれる役所が集まった地区で、ことし7月から奈良文化財研究所が発掘調査をしたところ、土を固めた「基壇」という建物の土台が見つかりました。
見つかった基壇は大きさが東西およそ29メートル、南北およそ17メートルで、高さはおよそ1.2メートルあったと見られ、平城宮跡で見つかった役所の跡の中では最も規模が大きいということです。
基壇の南北ではそれぞれ3か所で階段の跡が見つかったほか、周辺には小石が一面に敷き詰められていて、格式の高い大規模な建物が建てられていたことを示しています。
さらに天皇が政務や儀式を行った大極殿の近くにあることから研究所は、国政を担った中心的な役所「太政官」の建物の跡と見ています。
太政官と見られる建物の跡が見つかるのは初めてで、奈良文化財研究所の渡辺晃宏副所長は「太政官は今で言う内閣官房のようなもので、当時の律りょう国家を考えるうえで貴重な資料だ」と話しています。

古代の官僚組織は

天皇を支えた古代の官僚組織はトップに祭しをつかさどった「神祇官」と、国政を担った中心的な役所の「太政官」の「二官」がありました。

このうち太政官では大臣や大納言など位の高い人物が政務に当たったとされています。

太政官の下には天皇の秘書の役目をした「中務省」や役人の人事などを担当した式部省など8つの省があり、合わせて「二官八省」と呼ばれています。

記事の内容は作成当時のものです

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