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原発事故の起きた福島で暮らすために

2019.08.09 :

「できるだけ被ばくなんてしたくない。でも、ふるさとで暮らしたい」

 

原発事故からの8年間で、福島の人たちが、多かれ少なかれ感じてきたことです。

多くの地域で避難指示は解除されてきましたが、帰還しない住民の中には放射線が不安という人も少なくありません。

でも実は、日本には原発事故のあとに住民の被ばくをどの程度までに抑えるかという基準はないんです。ある意味、住民まかせにされているような状況です。

先日、そんな状況に一石を投じる文書が公表されました。できるだけ多くの人が、安心して暮らすためには何が必要なのでしょうか。

ICRPが公表した新文書

公表されたのは「Update of ICRP Publications 109 and 111」という、耳慣れない名前の文書の改訂案です。原発事故の教訓を元に、事故が起きたあとの地域で暮らす住民の被ばくをどのように抑えていくか、新たな考え方をまとめています。
ICRPの会議
ICRPは、日本語で国際放射線防護委員会と呼ばれる、世界中の放射線の専門家で作る民間の組織です。あまり知られていませんが、民間組織とは言うものの、各国はICRPが出すさまざまな勧告を取り入れて、放射線に関する基準を整備していて、影響力はとても大きなものがあります。

1ミリと20ミリ

この文書について知る上で、覚えておいてほしい数字があります。「1ミリ」と「20ミリ」という数字、何の数字かピンときますか?見当もつかないという方もいるかもしれませんが、原発事故が起きた福島県では皮肉にもなじみ深くなってしまった数字です。

単位は、放射線の被ばく量を示す「シーベルト」です。「1ミリシーベルト」というのは、事故の前、通常私たちが暮らしていく上で、1年間に浴びても差し支えないという被ばく量です。国のさまざまな安全基準は、この1ミリシーベルトを超えないように決められています。

では「20ミリシーベルト」は?こちらは避難指示を解除する基準になっている数字です。その地域で暮らした場合の被ばく量が年間で20ミリシーベルトを下回ることが解除の要件のひとつになっています。

ちなみになぜ20ミリが基準かというと、改訂前のICRPの文書で、避難指示などを出す際の目安として示されていた100ミリから20ミリという範囲の下限を取っているのです。(事故直後でも、被ばく量は100ミリを超えないようにするというのが、ICRPの基本的な考え方)

事故後に被ばくを抑える目標は?

あれ?でもおかしいなと思った方もいますよね。20ミリを下回っても、すぐに平常時の基準である1ミリまで下げられるわけではありません。じゃあその間は何を基準にすればよいのでしょう。

そこで重要なのが先ほどの新文書。1ミリと20ミリの間で、被ばくを抑える目標値を決めるべきだと提言しているのです。そして、その目標値は「年間10ミリシーベルトを超える必要はないだろう」としています。

実は、改訂前の文書でも、目標値を定めることは推奨されていたのですが、そこでは1ミリから20ミリの下方部分のどこかとされていて、今回、より具体的に絞って改めて提言し直したのです。

福島への影響は?

ICRPの推奨値と日本の基準
この提言は福島にとって、どんな影響があるのでしょうか?先ほども述べたように、日本には20ミリを下回ったあと、1ミリになるまでの間は、何の基準も目標もありません。

長期的には1ミリを目指すとしていますが、避難指示が解除された地域の中には、事故前より放射線量が高く、年間1ミリシーベルトを超えるような場所もあります。その場合、被ばくをここまでに抑えるという基準や目標がないと、戻りたくても不安を感じるという住民もいると思います。

ICRPはこの目標値について、「10ミリを超える必要はないだろう」として、10ミリから1ミリの間で設定すべきと提言していて、日本の(福島の)状況に一石を投じた形です。

10ミリは高くないか?

ただ、目標とはいえ、福島で暮らしていても、年間10ミリシーベルトは高い気がします。

なぜ10ミリなのか。

その意味について、ICRPの委員を務める大分県立看護科学大学の甲斐倫明教授に話を聞きました。すると甲斐教授は、「ICRPは、10ミリを下回れば安全だと言っているわけではない」と言います。あくまで段階的に被ばく量を下げていくための出発点であり、目標を決めること自体に意味があるというのです。
大分県立看護科学大学 甲斐倫明 教授
「10を超えていなければいい、超えていたらダメという数値ではないということが一番大切な点だ。仮に10を目標にした場合、それを超えていれば、なぜそこは高いのか、下げるためにはどういう防護策をしていけばいいかを考えることが優先されるようになる。
防護策を講じた結果、多くの地域で10を超えなくなる状況になってくれば、さらに次の目標値は何だろうかという段階に移っていける。そのスタートとなる目標は、10ミリにこだわる必要はなく、場合によっては5ミリでもいい。
最終的には元に近い状態に近づけていくための、プロセスだということを理解してほしい」

行政や専門家が住民と考える

大分県立看護科学大学 甲斐倫明 教授
では、実際の目標値はどう決めたら良いのか。甲斐教授は、行政や放射線の専門家が、その地域で暮らす住民と一緒に考えていくことが重要だと話しました。
「放射線にどのように向き合うのかということは、やはり専門家や行政がきちんと支援していかないといけない。
従来よりも、放射線量が少し高いレベルである場合、住民としては、そのレベルでいいのかということに当然なる。そこに暮らすのかどうかは、住民の1人1人が選択していかざるを得ないし、どこで生活をするのか、何で生きていくのかは、それぞれの価値観で変わってくるが、行政や専門家は、もっと対話をして、住民が何を求めているか考えなければ、なかなかできるだけ多くの人が納得できるような解決策につながらない。
この文書の中でも対話を通して、いろんな解決策を見つけていくしかないということは書いている」

日本でも必要?

ICRPの提言を受けて、日本でも何らかの目標を作る必要があるのか。

実際には、避難指示が解除された地域の大半で、住民の被ばく量が年間1ミリシーベルトを十分下回るほどに放射線量が下がっています。いまさら1ミリを超えるような目標を作ることに意味があるのかと考えるのが自然だと思います。

しかし私は、福島にとって重要なある課題に向き合う上で、目標の議論は必要になるのではないかと考えています。それは、今も比較的放射線量が高く、立ち入りが厳しく制限されている帰還困難区域の解除をどうするかという課題です。

帰還困難区域ってどれくらい高いの?

帰還困難区域のモニタリングポスト
しかし、意外と知られていないのが、現在の帰還困難区域の放射線量がどのくらいなのかということです。

そこで、自分で調べてみることにしました。国が設置しているモニタリングポストの詳細なデータを取り寄せ、その場所で生活した場合の年間の被ばく線量を、国が使っている計算式を使って算出しました。
結果はグラフの通り。試算した45地点のうち、年間10ミリシーベルト以上に相当するのは18地点。この中には、20ミリシーベルトを超える場所も7か所ありました。一方、残りの27地点では10ミリシーベルトを下回りましたが、1ミリを下回る場所はありませんでした。

こうした地域では、避難指示を解除できたとしても、これまで解除された地域以上に、住民の不安は大きくなることが予想されます。

国はどうするつもりなのか

帰還困難区域と特定復興再生拠点区域
国は、来年3月までに帰還困難区域のごく一部を、先行的に解除し、その後特別に指定した「特定復興再生拠点区域」と呼ばれる地域(帰還困難区域全体の8.2%)について、除染やインフラ整備などを行って解除していく方針です。対象外の地域については、「長い年月がかかっても解除する決意」だとしています。

帰還困難区域の解除にむけて、被ばくを押さえる上での目標を検討するつもりはないのか。政府の原子力災害対策本部の事務局を務める、原子力被災者生活支援チームの野口康成参事官に尋ねましたが、「ICRPの文書は、改訂案がパブリックコメント中であり、何らかのコメントができる状況ではない」と回答を避けました。

一方で、帰還困難区域の解除に向けては、住民の不安に応える対応をしていくと述べました。
原子力被災者生活支援チーム 野口康成 参事官
「詳細な線量マップを示して、より詳しくそのあたりの線量状況がわかるようにしたり、線量の推計値で、この中で行動した場合はこのぐらいの線量になるということを、住民が理解できるようにしたい。なんらかの不安を感じている方は、しっかり誰かに相談できる、そうした態勢を町と一緒になって構築しているところだ」

福島はこれからだ

放射線をどう受け止めるかや、そこに住むかどうか、選択するのはもちろん住民自身です。ただ、そこで生活したいという住民に安心してもらうために、どこまで被ばくを抑えることが必要なのかは、行政や専門家が住民と一緒に考えていく責任があるのではないでしょうか。

私は、これまで5年間、福島で取材を続けてきましたが、原発事故とその影響への関心は年々薄れていくように感じていました。しかし、いまだに、何万人もの人がふるさとに帰れていない状況を、過去のものにするわけにはいかないと思います。その責任は、私たちメディアにも問われているのだと認識し、取材を続けていきたいと思います。

科学文化部

長谷川拓

平成26年入局。初任地の福島放送局では南相馬支局や福島県政を担当し、震災と原発事故からの復興や課題を取材。令和元年から科学文化部で原子力分野を担当。

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記事の内容は作成当時のものです

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