COLUMN

京アニ火災 アニメーター・井上俊之さんが語る、木上益治さん

2019.08.06 :

京都アニメーションの放火事件で犠牲者の1人として発表された、木上益治さん(61)。日本のアニメ業界で古くから活躍してきたベテランのアニメーターで、映画『ドラえもん』シリーズや、高畑勲監督の『火垂るの墓』、国際的にも評価の高い『AKIRA』などの作品で原画を手掛けるなど、数多くの作品に携わってきました。京都アニメーションでも制作の要として長年活躍し、若い才能の育成にも力を入れていました。

 

今回の事件を受け、自身も日本を代表するアニメーターである井上俊之さん(58)が、NHKの取材に対し、文書でコメントを寄せました。1980年代には木上さんと同じ作品で、原画の仕事を共にしていた井上さん。その姿は「本物のプロフェッショナル」だったといいます。

アニメーター・井上俊之さん
井上俊之さん
アニメーター。一般社団法人日本アニメーター・演出協会(JAniCA)理事。代表作に、『AKIRA』『魔女の宅急便』『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』『パプリカ』『おおかみこどもの雨と雪』『さよならの朝に約束の花をかざろう』など。
Q木上益治さんとの出会いは?
テレビアニメ『三国志』(1985)は、当時私が所属していた会社の人間が監督をしており(私はスタッフではなかったのですが)、その方から木上さんの原画を見せていただいたり、仕事ぶりなどを聞かせていただきました。木上さんの原画は大胆で伸びやかでありながら緻密に動きが表現されていて、仕事が早いと聞いたその原画の一枚一枚がとても繊細で端正だったことに大変驚きました。『三国志2 天翔ける英雄たち』(1986)、『チロヌップのきつね』(1987)、『AKIRA』(1988)などでは原画の仕事をご一緒しました。作画打ち合わせで同席しただけでお話ししたことはないのですが、その仕事ぶりに感嘆した私があくまで一方的にライバル視、というより「目標」にしていました。
Q木上さんは、どのようなアニメーターでしたか?
業界に入る前、私には目標とするアニメーターが何人もいましたが、木上さんは私が業界に入ってから出会った具体的な「目標」となる初めての方でした。その仕事の上手さと早さはまさに「本物のプロフェッショナル」という印象で、当時はその上手さにも早さにも全く太刀打ち出来ませんでしたし、今でも20代で出会った木上さんと競い合っている気分がどこかにあります。実は木上さんの『チロヌップのきつね』の生原画を3カットほど持っていて、新しい現場に入るたびに周囲の若手に見せています。30年以上前に描かれたものですが、現在のアニメーターの視点でも十分目標となり得ると思うからです。
Q木上さんの才能、人柄について思い出はありますか。
打ち合わせの席では木上さんと話せなかったので、その後なんとか話しをすべく、初号試写(放映や上映の前に行うスタッフのための試写)でそのチャンスを狙っていたのですが、結局木上さんは初号には現れませんでした。そのことを監督に尋ねると、「木上くんは初号には来ないよ」と言われ、そのことにも衝撃を受けました。というのも初号試写は自分の仕事の出来不出来を(その放映前に)確認できる機会で、それを見ないまま放映を迎えるのはとても「心臓に悪い」ことで、初号を見ないということが「確認するまでもない」という木上さんの自信の表れに、私には感じられたからです。
Q木上さんが京都アニメーションにもたらした影響、またはアニメ界に与えた影響があるとしたら、どのようなものだと思いますか?
京アニの特にその初期においては、スタッフに(私が目標としたように)プロとして仕事をする上での姿勢を示し、技術面を牽引していたことは間違いないと思います。私が仕事をする上で一番重要と考える「早さを伴った上手さ」を教えていただいたのが木上さんで、そのことは間違いなく京アニにも伝播しているはずと思います。それは何より京アニの作品群に表れています。そうでなければあのような作品群は生み出すことは出来ません。現在、アニメーターに求められるものは「上手さ」に比重が傾き、それを仕上げる「早さ」はあまり問題にされない傾向にあります。私が木上さんに教えられたその「早くて上手い」ことがプロとして一番肝心だという風土が失われていると感じています。その意味でも私は木上さんの仕事を語り継ぎたいと思います。
Q最後に、井上さんは今回の事件をどのように受け止めていますか。
今回のことで感じたことを的確に表す言葉が私にはありません。いくら言葉を尽くしても、35人もの方々の命が全く身勝手な理由で奪われ、多くの方が傷つけられたことの理不尽さ、怒り、悲しみを表すには足りません。

記事の内容は作成当時のものです

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