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三好長慶の飯盛城で石垣整備 信長に先行か

2019.07.03 :

戦国時代、いまの大阪・大東市と四條畷市にまたがる飯盛山に築かれた山城、「飯盛城」で、広い範囲にわたって石垣が整備されていたことが大東市の調査でわかりました。
これまで、城全体に石垣を整備したのは織田信長の小牧山城が始まりとされていましたが、専門家はこれを数年さかのぼる発見だと評価しています。

飯盛城は、戦国武将の三好長慶が居城としていた山城で、織田信長によって攻め落とされたため当時の姿がほとんど残っていないことから「幻の山城」と呼ばれています。
大東市は国の史跡指定を目指して城の跡地で3年かけて調査を行い、その結果、50か所で石垣が見つかったということです。
このうち、居館を構えていた「千畳敷郭(せんじょうじきくるわ)」では推定で長さ30メートル、高さ3メートル以上に及ぶ、城最大の石垣が発見され、1.6メートルを超える巨大な石が使われていたということです。

これまでの研究では、城全体に石垣を整備したのは1563年に織田信長が築城した小牧山城が始まりとされていて、今回の調査で、これを数年さかのぼる可能性が出てきたということです。
調査した専門家で滋賀県立大学の中井均教授は、「城域のすべてに石垣が構えられていた可能性が高く、長慶が信長に先行して石垣造りの城郭を志向していたことは間違いないのではないか」と評価しています。

今回の調査成果は、今月28日まで大阪府大東市立歴史民俗資料館で展示されています。

記事の内容は作成当時のものです

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