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降旗康男監督逝き、『大人の映画』の終焉を想う

2019.05.31 :

「鉄道員(ぽっぽや)」や「居酒屋兆治」などの作品で知られた映画監督の降旗康男さんが、5月20日、84歳で亡くなりました。

訃報を聞いたとき、私の脳裏に浮かんだのは、物静かな降旗さんの笑顔と、これからの日本映画の行く末でした。

(神戸放送局 放送部長 菊地夏也)

降旗康男さん
昭和9年、長野県生まれ。東京大学文学部を卒業して昭和32年に東映入社、昭和41年に監督デビュー。「現代やくざ」シリーズや「新網走番外地」シリーズなどのヒット作を手がける。昭和49年にフリーとなり、「駅 STATION」や「あ・うん」など、高倉健さんが主演する映画を次々に発表。「鉄道員(ぽっぽや)」で日本アカデミー賞の最優秀監督賞と最優秀脚本賞を受賞。
私が降旗康男監督に初めてお会いしたのは、今から18年前の平成13年5月。NHK科学文化部の記者として、高倉健さんの単独インタビューを中心にした「クローズアップ現代」の取材にあたるなかで、高倉さんの主演映画の監督を長年、務めてきた降旗監督にインタビューしたのです。
当時のロケスケジュール
当時のロケスケジュールを見ますと、インタビューは5月11日13時から。場所は東京・練馬区東大泉の東映東京撮影所でした。
映画の試写を行うスクリーニングルームで行われたインタビューでは、シャイな降旗監督らしく、饒舌ではなく、考え考え、お話をされたことが今でも記憶に残っています。

そうしたところは、高倉健さんと似通ったところで、長年、高倉さんとタッグを組むことができた理由の1つかもしれません。

当時の取材メモには、降旗監督の高倉健さん評として「2度、同じ事は出来ない俳優。面倒くさい俳優だが、面白い俳優だと思う。」という言葉が残っています。
当時の取材メモ
その言葉は、まさに降旗監督自身のことも言い表していて、そのまま降旗監督評として返してあげたくなります。
一方、高倉健さんは男らしく剛直な物言いをすることもありますが、それは降旗監督と高倉さんの映画の撮影監督を長年、務めてきた木村大作キャメラマンに似通っています。
木村大作監督(当時はキャメラマン)
降旗監督と木村キャメラマンが、それぞれ高倉健さんのような資質を持っていたことが3人のタッグが成立した秘訣かもしれません。

また、私が取材した時は、東映の創立50周年記念作品「ホタル」という映画の制作中でした。

東映というと、「不良性感度」を売り物にし「やんちゃ」なイメージがある会社で、その中で「東京大学仏文卒」という高学歴の降旗監督が、映画関係者にからかわれていたのも印象に残っています。
平成26年、高倉健さんが死去。高倉さんは当時、新しい主演作の構想を進めていた。この作品でメガホンをとる予定だった降旗監督は「残念の一言です。来春の撮影を楽しみにしていましたが、できなくなってしまいました。無念です」とコメントした。
今年11月で高倉健さんが亡くなって5年、「ホタル」撮影当時に東映東京撮影所長だった坂上順さんも5月18日、降旗監督が死去した2日前に亡くなりました。

降旗康男監督、高倉健さん、坂上順さんは、いずれも自分の道を力強く生きてきた「大人の男」という表現がふさわしい人たちでした。
私が取材してきた「大人の映画」を支えてきた映画人、「大人の時代」が終わりを迎えつつあることを感じます。
現在の日本映画で盛況なのは若者向け作品。観客動員が多いのはコンサートのように上映される映画。映画も映画館ではなく、ネットで見られる時代になってきました。

昭和、平成、令和と時代が変わるなかで、映画も変わりゆくことを改めて実感した、降旗監督の5月の訃報でした。

神戸放送局放送部長

菊地夏也

昭和63年入局。平成8年から15年まで科学文化部の文化担当記者。平成7年の阪神・淡路大震災当時は神戸局記者。平成29年から2度目の神戸局勤務。

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記事の内容は作成当時のものです

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