COLUMN

マリアナ沖に眠る沈没軍艦を探せ

2018.10.11 :

太平洋戦争で沈没した戦艦「武蔵」を71年ぶりに発見し、世界を驚かせたマイクロソフトの共同創業者、ポール・アレン氏のチームが、新たな沈没船調査に向けて動き始めました。

先月になってアレン氏のチームからNHKに連絡があり、今度は旧日本海軍の「ある別の軍艦」を探すというのです。しかも、初めて調査船に同乗し、調査の様子を撮影してもよいとのこと。

調査の過程では、秘密主義を徹底しているアレン氏は、これまで世界のどのメディアにも、調査中に乗船を許可したことはありません。発見までは、探している船の名前を明かさないことが取材の条件です。

これは、広大な海の一点から沈没船を探しだす、エキスパートたちの仕事を間近に見られるだけでなく、アレン氏を突き動かす“情熱の正体”に迫るチャンスです。

私たちはさっそく、調査船が停泊しているマリアナ諸島のグアム島へと飛びました。

特殊な深海調査船、現る!

アレン氏の所有する調査船は、グアムのアメリカ海軍基地に隣接する、厳重に警備されたふ頭に停泊していました。船首部分にヘリポートがある、何だか変わった形をした船です。

その名は「ペトレル」。カモメにちなんで名付けられました。
全長76m、幅15m、排水量は3300トンもあります。

実は3年前、「武蔵」を発見したのはこの船ではなく、「オクトパス」というアレン氏の巨大ヨットでした。
しかし、「オクトパス」は、自然保護活動家や映画プロデューサーとしての顔も持つアレン氏のほかの活動にも使うため、1年を通して沈没船の調査には使えなかったのです。

そこでアレン氏は、石油探査用に建造された「ペトレル」を2年前に購入し、1年かけて、世界に1隻しかない沈没船調査船へと改造したのです。
資金力もさることながら情熱がなければできないことだと感じました。

1万の船が眠る太平洋

日本と、アメリカをはじめとした連合軍が激突した太平洋戦争では、軍艦や民間の商船合わせて1万隻以上が沈没したと言われています。

戦後、引き揚げられた船もありますが、その数はごくわずかで、ほとんどの船は、沈没した場所もわからないままとなっています。

アレン氏は、そうした沈没船を10年以上にわたり、比類ない情熱で探し続けています。
ポール・アレン氏
3年前にフィリピン・シブヤン海で「武蔵」を発見したのに続き、去年8月には、広島に投下する原子爆弾の部品を運んだアメリカ海軍の巡洋艦、「インディアナポリス」をフィリピン沖の海底で発見。

その後、12月にはスリガオ海峡で沈んだ戦艦「扶桑」「山城」など5隻、ことし3月には珊瑚海海戦で沈んだアメリカの空母「レキシントン」も探し出しました。

船内部に潜入

いよいよ乗船です。

飛行機、自動車、船と、種類を問わず乗り物好きの私は、胸の高鳴りを抑えることができませんでした。

甲板でクルーに迎えられ、まずブリッジに案内されました。
「ペトレル」は上から下まで7つの階に分かれています。
下の2つの階はエンジンや発電機などの機械室。3階から6階は乗組員の居住区です。ブリッジがあるのは最上階の7階です。

最新鋭の船だけあって、舵をとるための「舵輪」などはなく、飛行機の操縦かんのようなコントロールスティックがあるだけでした。
船長によると、最低2人いれば操船できるそうです。
私とカメラマンのためにも、航海中に宿泊する部屋が割り当てられ、二段ベッドの一般船員用の部屋を1人で使うことができました。

「ペトレル」には最大75人が乗船できますが、ふだんは半分程度しか乗船していないため、余裕をもって部屋割りができるそうです。

部屋には何と、温かいお湯の出るシャワーや、水洗トイレもあります。過酷な船旅を覚悟していた私としては、少し拍子抜けしてしまいました。ちょっとしたビジネスホテルより、立派な設備です。
もうひとつの驚きは食堂です。食事の時間は午前5時半、午前11時半、午後5時半と決まっていて、そのたびに温かい食事が出されます。

キッチンのスタッフがフィリピン人ということもあり、食事のメニューはパスタやステーキといった洋風のものから、アジア風の味付けのものまで豊富にあります。

日曜日は「スシ・サンデー」だということで、船で釣った魚を寿司にするんだとか。
食後にはケーキやアイスクリームを食べることもできます。
私もステーキをおいしくいただきました。
乗組員のひとりは、「成果があがるまでは、食事くらいしか楽しみがないんだよ」と話していましたが、後述するように、長期間の調査を続けるには、何より食事で英気を養う必要があるのでしょう。
なお、船内にはほかにも、ビリヤード台などが備え付けられた娯楽室や、トレーニングルームがあります。
「スシ・サンデー」のための立派な釣り竿も備えられています。

海上の豪華ホテルとまではいかないまでも、さながら海上の「社員寮」といったところでしょうか。

調査の進め方は?

多忙なアレン氏は、この船に乗ることがなかなかできません。その代わりに調査チームのリーダーを務めるのは、ロブ・クラフト氏です。
調査チームのリーダー ロブ・クラフト氏
潜水士を振り出しに、深海調査の経験を積んできました。3年前に「武蔵」を発見したのもこの人です。

クラフト氏以下、35人のクルーが調査チームのメンバーです。12時間交替、24時間態勢で調査を行います。
チームのほとんどは、北海の海底油田を潜水艇で調査したり、海底のパイプラインを修理したりといった、深海作業のエキスパートです。

2つの難しい挑戦

クラフト氏は今回の調査について、丁寧に解説してくれました。

探している船がわかってしまうため、詳しくはお伝えできませんが、今回の調査がかつてなく難しい調査であることを強調していました。

その主な理由は2つあります。

まずは、フィリピン海という、深いところで6000mを超える海域での調査であることです。
深い海で作業をするためには、潜水艇をそこまで潜らせなくてはならず、長い時間がかかります。海面でのわずかな動きも、潜水艇の操作の障がいになります。

発見まで8年かかった武蔵は1200mの地点に沈んでいましたが、今回はその4倍も5倍も深い海での作業です。
もう一点は、沈没地点を特定することの難しさです。

太平洋戦争当時、GPSはありません。海の上で自分の位置を確認する手段は、天体観測しかありませんでした。

アメリカ軍も日本軍も、自分の船の位置を観測することは義務づけられていましたが、旧日本海軍の航海記録は船に保管されていたため、沈没直前の記録は船と共に沈んでいます。

一方、アメリカ側の記録は残っていますが、戦闘中の位置観測のため、正確性には疑問が残ります。

このため、地図上の一点を調査すればいいわけではなく、可能性のある広い海域を調べて、場所を絞り込んでいかなくてはならないのです。

クラフト氏は、「砂浜から、ある特定の砂つぶを見つけるようなもので、調査の最中は『やっぱり不可能なんじゃないか』と思うこともあるよ」と笑いながら話していました。

テストは入念に

「ペトレル」が出航してすぐ、搭載機器のチェックが始まりました。
搭載する潜水艇がプログラムどおり動くかどうか、動作に異常はないのかをチェックする作業を夜を徹して行います。

個人で保有しているのは、世界でもアレン氏だけという潜水艇を扱うだけあって、作業は慎重です。船そのものも潜水艇の動作にあわせて、30cm単位で位置を調整します。

潜水艇の動きに合わせて、操船チームが全長80m近い船を、わずかに前後左右に動かしているのを見るのは、息の合った芸を見るようでした。

今回、調査する海域は1000平方km以上。東京23区の1.5倍以上の広さです。

食料や生活用品の備蓄は30日間分。沈没船が見つかるまで、30日間の航海を繰り返していきます。

2つの『切り札』

調査には、2つの最新鋭の潜水艇が投入されます。AUV(Autonomus Underwater Vehicle/自律型潜水艇)という、魚雷のような形をした潜水艇と、ROV(Remotely Operated Vehicle/遠隔操作型潜水艇)という、カメラやロボットアームを備えた潜水艇です。

どちらも、「武蔵」の時からパワーアップし、最大6000mまで潜れるようになりました。
調査海域にたどりついたら、まずAUVを海中に投入します。

AUVには音波を発して地形のデータを得るための装備が搭載されていて、海底より100mくらい浅いところをプログラムされたとおり動きます。

一回あたりおよそ40平方kmのエリアを20時間かけて探索します。
その後、AUVは自動で浮上。クルーが回収して、データを船上で解析すると、詳細な海底の地形が得られます。

この地形を詳しく見ていくと、自然の地形なのか、それとも人工物なのかといったことがわかるほか、物体の大きさや材質まで推定できます。

この調査を繰り返し、船らしい物体が見つかったら、探索範囲を狭めて、さらに詳細な海底の地形図を作り上げます。
そして、最後にROVの出番です。

目標の物体のところまで、ワイヤーでつないだROVを下ろし、8台の高解像度カメラで映像を船まで送ります。

最終的に、この映像を見ることで、探している船かどうかを見分けるのです。

調査への情熱とその意味

今回の取材では、残念ながらアレン氏に会うことはできませんでした。しかし、調査チームには氏の思いがしっかりと伝わっているようでした。

アレン氏と調査に関して密に連絡をとっているクラフト氏は「アレン氏は、歴史的な意義だけではなく、戦争で命を落とした人たちのために、生存者や遺族のために、この事業をしているのです」と話していました。
調査チームが去年、発見した巡洋艦「インディアナポリス」は、終戦直前に日本の潜水艦に撃沈され、900人近くが命を落とした「悲劇の船」として知られる船です。

海底から送られてきた映像を見た調査チームのひとりは、船の中にシェービングクリームやブラシといった生活用品があるのを見て、胸が詰まったと言います。

「この船に乗っていた自分より若い水兵たちは、戦争の終わりを前にして、家に帰れなかったのです。自分たちがしていることは、その彼らを家に届けるという重要な意味があると感じるようになりました」と話してくれました。
旧日本海軍の歴史に詳しい広島県呉市の「大和ミュージアム」の館長で、調査チームに資料を提供している戸高一成さんも、この調査の意義について「二度と戦争しないためには、どんな悲惨なことがあったかということをきちんと理解しないといけません。その時、沈んだ船があって、その乗組員がこの中にまだいるんだという現実を過去の話ではなくて、今の話として捉えるためにも、探して確定していく作業は本当に大切なのです」と強調しました。

メディアのインタビューにはなかなか応じてくれないアレン氏。
船に乗っている広報担当者が、アレン氏がことしの戦没将兵追悼記念日に向けて書いたというメッセージを私に見せてくれました。

「父はヨーロッパ戦線で戦い、幸いにも家族のもとへ帰ってきましたが、その幸運に恵まれなかった多くの家族がいます。祖国に命をささげた人々が最期に眠りについた場所を記録することは、彼らの献身的かつ英雄的な自己犠牲の記憶を新たにすることです。これからも、こうした人々のためにこの事業は続いていきます」
「ペトレル」を下り、グアム島へと戻る時が来ました。

すると、クルーが私たちのために、お別れのバーベキューパーティーを開いてくれました。

船上での生活や調査の苦労話を聞きながら、70年余り前ならば、敵味方として向き合わなければならなかった人たちと、いまは友人として出会うことができた幸せをかみしめました。
アレン氏のチームから、「ある軍艦」発見の報が一日も早く届くことを祈っています。

国際部記者

添徹太郎

平成17年入局。甲府局・神戸局を経て、平成23年から科学文化部で、文芸・歴史・ポップカルチャー・ロボット・AI・感染症・再生医療など幅広い分野を取材。平成30年から国際部で相変わらず幅広い分野を取材中。

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記事の内容は作成当時のものです

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