COLUMN

肌に貼るディスプレーが変える人間関係

2018.02.26 :

たとえば地方の山あいの小さな集落で1人暮らしをしている高齢の女性を想像してみましょう。昼ご飯を終えてくつろいでいる午後のひととき。女性の手の甲には、一見すると湿布薬のようにも見える四角いシートが貼られています。そのシートには、赤いLEDライトで心電図の波形が写し出されています。休むことなく手のひらに写し出される波形。じつは、その情報は医療クラウドを通じて遠く離れた町の病院で医師がモニターしています。女性の身体に異常があれば、すぐに分かる仕組みになっているのです。

これは東京大学の染谷隆夫教授や大手印刷会社などが参加する研究グループが開発した、伸び縮みする薄型ディスプレーが描く近未来の1シーンです。染谷教授は「心電図の波形を見て、ドクターが『大丈夫ですよ』という表示を患者さんに送ることもでき、双方向で情報を共有しやすい環境が期待されます」と話します。

今回開発されたスキンディスプレー

電子機器に有機材料を

東京大学 染谷隆夫教授
 染谷教授はプラスチックやゴムなどの「有機材料」を活用して、まったく新しい電子機器を作り出す研究で世界的に知られています。高分子フィルムを使った世界で最も薄い電子回路や電気を通すインクなど、これまで大きな注目を集める研究を続けてきました。染谷教授がいま取り組んでいるのが、医療や健康分野で生かせる電子機器の開発です。今回、記者発表したのが伸縮自在な薄型のスキンディスプレーです。

常識外!?「固い素材」と「柔らかい素材」のコラボレーション

スキンディスプレーの作製方法(画像提供:東京大学染谷研究室)
 基本構造は、ごく薄いフィルムの上に小型の発光ダイオードを銀の配線で結んだ回路を作り、それを厚さ1ミリの薄いゴムシートと貼り合わせたもの。こう書くと簡単そうですが、そもそもゴムのような柔らかい素材と、発光ダイオードという固い素材を共存させるというのは常識外れなのです。普通であれば固い素材と柔らかい素材が混在した状態では、外から力が加わると、双方を接合した部分が、すぐに破断してしまいます。それを克服したのが、「柔らかい配線」の伸び率を段階的に変化させている独自の伸び縮みする回路です。ゴムシートが伸びるのは当然ですが、固い素材が一緒でも壊れずに回路が伸び縮みするのです。予めゴムシートを伸ばした状態で回路を貼り合わせ、伸ばした状態を緩和すると全体的にアコーディオンのような蛇腹構造が生まれます。この工夫によって伸び縮みするディスプレーを実現できました。もっとも伸ばした状態で64ミリ×96ミリのディスプレーに、16×24個の384画素の発光ダイオードで表示が可能になっています。
折り曲げ可能なスキンディスプレー(画像提供:東京大学染谷研究室)

心電図の波形も計測可能に

ナノメッシュ電極の仕組みと実際に貼った様子(右上)(画像提供:東京大学染谷研究室)
 このディスプレーと組み合わせるのが、2017年7月に開発に成功した「ナノメッシュ電極」です。高分子で水溶性のポリビニルアルコールと金で、ごく微細なメッシュ状の構造を作り出し、水でポリビニルアルコールを溶かすと皮膚に微細な金のメッシュが貼り付きます。皮膚呼吸が可能な優れた通気性と伸縮性を兼ね、極薄型のため装着していることを感じさせない上、1週間装着していても皮膚に炎症反応は起きなかったということです。この電極を胸に貼り付けることで心電図の波形が計測できるようになりました。
 スキンディスプレーとナノメッシュ電極を組み合わせれば、自分の心電図の波形を手の甲に貼ったディスプレーで確認することも可能になります。冒頭に紹介したように、医療クラウドを通じて遠隔地の医師に心電図の波形をチェックしてもらうこともできるのです。高齢化社会が進行する中で、こうした新たな技術を活用すれば在宅でのヘルスケアに大きく貢献することも期待できます。

キーワードは“優しさ”

 ただ記者会見を聞いていて、ふと、私たちの身体のデータを集積して、健康管理に生かす取り組みというのは現在でもスマートフォンなどで行われているのではないかと思いました。そこで、会見後に染谷教授に改めて話を聞くと、返ってきた答えは意外にも「優しさ」でした。「スマートフォンやタブレットと違って、スキンディスプレーはお年寄りや子供にとって難しい操作は必要ありません。さらに、自分の手は一日に何度も見る場所で、そこに装着感の無いディスプレーがあれば、それはあたかも自分の身体の一部のように感じられることでしょう。そこに表示される情報は、スマートフォンやタブレットでは伝えられない優しさや温もりも伝えられるのではないでしょうか」と染谷教授は話していました。

 染谷教授は今回、固い発光ダイオードと柔らかいゴムシートを融合させて、ユニークなスキンディスプレーを開発しましたが、そこには固くて冷たい機械と柔らかくて温かい人間を調和させる“優しい”エレクトロニクスを追求する思いがあるように感じられました。

 冒頭の高齢の女性をもう一度想像してみましょう。夕ご飯を終え、居間で休んでいる時間。一人暮らしで話す相手も居ないので、テレビから流れる音だけが静寂を破っています。その時、手の甲に貼られたディスプレーに不意にメッセージが点滅したのに女性は気づきます。表示されたメッセージは「おばあちゃん、お誕生日おめでとう!」。LEDの赤いライトが彩るメッセージは、はるか遠くの都会に住む孫から送られたものでした。女性は目を細め、孫を慈しむように手の甲を何度もなでました。そこには確かに、スマートフォンでは感じられない優しさや温もりがあるのかもしれません。

科学文化部記者

斎藤基樹

平成13年入局。沖縄放送局を経て平成19年から科学文化部で環境問題、生物多様性、文化などを取材。平成25年から3年間、和歌山放送局に在籍した後、平成28年から再び科学文化部で宇宙や先端科学分野を担当。“本業”の昆虫記者歴は30年超。

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記事の内容は作成当時のものです

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