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海に眠る潜水艦が投げかけるもの

2017.08.24 :

長崎県の五島列島の沖合およそ30キロの海底に、「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所があります。太平洋戦争終結直後、アメリカ軍によって沈められた旧日本軍の潜水艦24隻が眠っているのです。
この場所で今週、東京大学の名誉教授らでつくる調査チームが、無人潜水機を使い初めての撮影に挑みました。

海中深くに沈んだ潜水艦に、なぜ今、光を当てるのか。そして72年前の搭乗員たちは今、何を思うのか。それぞれの思いを取材しました。

旧日本軍の潜水艦って?

みなさんは、太平洋戦争中の日本軍がどれだけの潜水艦を持っていたか、想像できますか。旧防衛庁防衛研修所がまとめた「潜水艦史」によると、多い時期で187隻に上ったとあります。

しかし、終戦時には3分の1以下の58隻になっていました。その太平洋戦争を生き残った潜水艦もほとんどがアメリカ軍によって処分されます。
このうち24隻が終戦の翌年、昭和21年4月に長崎県五島列島沖に沈められたのです。沈められた詳しい状況や場所などは記録が少なく、わかっていませんでしたが、2年前、海上保安庁の測量船が、音波を使った調査で潜水艦とみられる船影を確認したことで注目を集めました。

調査に挑む研究者

「沈められた潜水艦の姿をとらえたい」
今回、70年以上にわたって海底に眠っていた24隻の潜水艦の姿を映像で捉えたいと挑んだのが、海底探査機研究の第一人者、浦環東京大学名誉教授らのチームです。
歴史の研究者や技術者の仲間たちと調査チームを作って潜水艦の撮影に挑戦することを決め、ことし5月に事前調査を行うなどして準備を進めてきました。

そして今月22日、浦さんたちが乗った調査船は午前9時ごろから無人潜水機を海底に降ろし4日間の調査が始まりました。

「伊58」運命的なタイミングに

浦さんたちがまず狙ったのは、大型潜水艦「伊58」の特定です。
「伊58」は、太平洋戦争の開戦の前月に急きょ建造が決まった大型潜水艦で、起工からおよそ1年9か月後の昭和19年9月に完成しました。
終戦間際の昭和20年7月には、広島に投下する原子爆弾の部品を運んだあとのアメリカ軍の巡洋艦「インディアナポリス」を撃沈したことで知られています。

実は、今月19日に、この「インディアナポリス」をフィリピン沖の水深5500メートルの海底で発見したとアメリカの民間調査チームが発表しています。「伊58」の調査直前の発見は、全くの偶然だということですが、この2つの船が時を同じくして再び姿を現そうとしていることに、驚かされました。
発見されたインディアナポリスの映像

元乗組員の男性が語る潜水艦の日々

今回の調査を特別な思いで迎えた人がいます。
昭和20年2月、艦の運航を任される航海長として「伊58」に乗り組んだ伊津野省三さん(93)です。最近は、物忘れが多くなったという伊津野さんですが、調査の1週間ほど前に私が訪ねると、潜水艦での日々を鮮明な記憶とともに話してくれました。
艦内では、限られた空間で100人以上の乗組員が生活を共にし、狭い通路の両脇に設置されたベッドやハンモックで寝起きしていたということですが、戦争中とはいえ、港に着くと労をねぎらってか、ごちそうも食べられたと言います。

ただ、海の中では新鮮な野菜も手に入りません。「1か月ほどの航海中は、冷凍の魚や肉が中心で、あとは缶詰を食べた。ふだんはのんびりしていたが、一度戦闘が始まれば、全員が配置につくので、あまりゆっくり寝るわけにもいかなかった」と話します。

伊津野さんが潜水艦の乗組員になったのは、海の中は比較的、安全だと考えたからでしたが、実際には多くの潜水艦が海に消えました。「伊58」も敵艦に追い詰められると、見つからないよう音を立てずに海底にひそみ、敵が離れていくのをじっと待ったと言います。

伊津野さんは、当時の心境について「海の中には逃げ場もなく、これで終わりかなという気持ちだった。しかし、多くの人がいる潜水艦の中では、死にたくないなどとも言えない。そんなことを言えば、馬鹿と言われる時代だったし、自分も死ぬつもりだった」と語ってくれました。

調査結果は…

無人潜水機が降りた海底は水の濁りが激しく、視界は照明を当てても数メートルに限られます。調査チームは慎重に潜水機を操作して、潜水艦を探していきます。

調査開始からおよそ10分後、水深200メートル付近で、無人潜水機のカメラが海底に横たわる潜水艦の一部を撮影しました。沈められる際に爆破された影響か、船体はところどころ大きく壊れています。それでも撮影を続けていくと、甲板や艦橋とみられる部分が続々と映像にとらえられました。
果たして「伊58」なのか。調査チームの中では、造船会社で潜水艇の製造に携わった人など、船の構造に詳しい人たちが意見を交わします。その結果、同じ大型艦ではありましたが、「伊58」ではないということがわかりました。

この文章を書いている時点では、まだ「伊58」は特定できていませんが、浦さんたち調査チームはそれぞれの潜水艦の撮影に加え、海底の地形の詳細な測定も行っていて、将来的には潜水艦の眠るこの海域をバーチャルリアリティーとして再現し、広く公開したいとしています。

「伊58」と人間魚雷「回天」

「伊58」には、通常の魚雷のほかに、魚雷に人間が乗り組んで敵艦に体当たりする「回天」が積まれていました。太平洋戦争末期、局面の打開を狙って日本軍が導入した特攻兵器です。終戦までに、搭乗した20歳前後の若者ら100人以上が戦死したとされます。

艦内で出撃を待つ搭乗員たちは、ほかの乗組員とは別の部屋で待機していたと言います。伊津野さんは「回天の搭乗員は4、5人乗っていたが、騒いだりもせず静かにしていた。20歳にもならないような若者もいたが、みな死ぬつもりでいるから、喜び勇んでいくという人ばかりだった」と話します。

実は、伊津野さんの親しい後輩も「回天」で命を落としています。出征前、後輩から意向を聞いた伊津野さんは「本当に行くのかと何度も聞いたが、彼の決意は固かった。戦死してから墓参りに行ったが両親や兄に会うと、かわいそうでならなかった」と話してくれました。
「伊58」に強い思い入れを持つ伊津野さんは、自らが乗り組んだ潜水艦の姿が映像に捉えられることについて、複雑な気持ちを抱えています。「長年海の底にいれば鉄板は朽ち果てているだろうし当時の姿は見る影もないだろう。乗組員の一人としては変わり果てた姿を見るのは忍びない。戦争はしない方がいいですよ・・。」と話してくれた伊津野さんの心境は、推し量ることも難しいように感じました。

今 見ることの意味とは

では今、海に沈んだ潜水艦を見ることの意味は何なのでしょうか。歴史家で長年、潜水艦やその乗組員の調査を続けてきた勝目純也さんは「戦争でこれだけ大きなものが実際に使われていたことや、潜水艦でたくさんの方が犠牲になったことを知る1つの大きなツールになる」と撮影の意義を話します。
勝目さんによりますと、太平洋戦争の3年8か月で、出撃した潜水艦の8割以上が沈没し、その多くが全員戦死という悲劇的な最期を遂げたと言います。

そのうえで勝目さんは「巡洋艦インディアナポリスの撃沈も、日本軍にとっては最後の戦果だが、アメリカ軍にとっては、多くの乗組員が救助されずに犠牲になった悲劇の船であり、戦争には両方の側面がある。それぞれの潜水艦にストーリーがあり、今回の調査をこうした事実を知る機会にしてほしい」と話します。

私たちへのメッセージ

戦後72年、実際に戦地で戦った人が少なくなる中、社会にとっても戦争の記憶が薄れていくことが懸念されています。

「伊58」の乗組員だった伊津野省三さんは取材の最後に、「召集令状1枚で命を投げ出さなければならないのが戦争だ。今は死にたくないと言えるし、戦争はしたくないと言えるが、今後誰かが『命を投げ出して戦争に行け』と旗を振った時、自分ならどうするか。若い人たちに考えてもらいたい」と私に話しかけました。

戦争に行くことが当たり前だったという、あの時代を知らない私たちは、いざという時、時代の流れにあらがうことができるのか。伊津野さんの言葉は、それが容易ではないという警句にも、歴史を知り戦争のない世界を守れ、という励ましにも聞こえました。

科学文化部記者

大崎要一郎

平成15年入局。平成20年から報道局科学文化部。主に原子力や科学分野の取材を担当。平成27年から2年間は福島放送局で原発事故の取材をしていました。現在は天文や海洋、先端科学など幅広く取材しています。

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記事の内容は作成当時のものです

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