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告発された東京大学研究不正

2017.08.08 :

東京大学は8月1日、所属する教授が発表した論文5本のデータにねつ造と改ざんの研究不正があったと認定し記者会見を開きました。
その翌日、私のもとに1通のメールが届きました。差出人は「Ordinary Researchers」。今回の不正を告発し、不正を明らかにするきっかけを作った匿名のグループからでした。
そこには今の科学界に対して、「問題を黙殺あるいはわい小化する研究機関・研究者が得をし、問題に誠実に向き合う者が損をする現状がある」と記されていました。

告発したグループが科学界に突きつけようとしたものはなんなのでしょうか。

研究不正を認定した東京大学

8月1日、記者会見に臨んだ東京大学の福田裕穂副学長は集まった多くの報道陣を前に「学術への信頼を揺るがす事態で重く受け止めなければいけないと考えている」と厳しい表情で述べました。

実験データにねつ造と改ざんの研究不正があったと認定を受けたのは、東京大学分子細胞生物学研究所の渡邊嘉典教授らが平成27年までの8年間に、国際的な科学雑誌、ネイチャーやサイエンスなどに発表した5本の論文です。
これらの論文では、実際には行われていない架空の実験データを元にグラフが作られていたほか、比較する2枚の画像に、差がうまれるように加工ソフトを使って色合いや明るさを変えるなどしていました。
大学は全部で16のグラフや画像に研究不正があったと認定しました。そして、不正行為は渡邊教授と当時の助教の合わせて2人が行ったとしています。研究不正が認定された5本の論文に関係する公的な研究費は14億8000万円余りにのぼります。

今後、大学は返還額について文部科学省などと協議したいとしています。

調査結果について渡邊教授は「今回の論文の調査結果を真摯(しんし)に受け止め、私どもの論文に不適切な画像操作を含む図表が掲載されましたことを心よりお詫び申し上げます。各実験から得られる結論を覆えそうとする意図で行ったものではなく、不正認定を受けたことに対しては自己の不明を深く反省します」とコメントしました。

研究不正は国内有数の研究室で行われた

渡邊教授は、生殖細胞が分裂する際に起こる「減数分裂」と呼ばれる現象の重要な鍵となるタンパク質を発見した成果で世界的に知られ、日本学士院学術奨励賞や上原賞など、科学・医学分野の賞を数多く受けている著名な研究者でした。

渡邊教授の研究室からはネイチャーやサイエンスなど、「研究者が一生に一度発表できるかどうか」と言われるほど掲載されるのが難しい科学雑誌に毎年のように論文が掲載されていました。

始まりは「Ordinary Researchers」だった

疑惑の発端は、「Ordinary Researchers」と名乗る匿名のグループの告発でした。

渡邊教授を含む6人の東京大学の教授らが発表した合わせて22本の論文に対してグラフや画像に不自然な点があり研究不正の可能性があると指摘する文書が平成28年8月、大学や文部科学省など関係する機関に送られたのです。

繰り返される研究不正

東京大学ではここ数年、論文のデータのねつ造や改ざんなどの研究不正や臨床研究をめぐる倫理上の問題などが相次いで発覚しています。

平成26年に渡邊研究室と同じく分子細胞生物学研究所に所属する別の研究グループが、33本の論文でねつ造と改ざんの研究不正を行ったと認定されました。このグループもネイチャーなどの科学雑誌に多くの論文を掲載する国内トップクラスの研究室で、不正認定された論文には巨額の公的研究費が費やされていました。

また、同じ平成26年には医学部が関わる臨床研究でも製薬会社の社員が重要なデータ解析に関与し研究の客観性が疑われる事態が発覚するなど、問題が次々と明らかになっていました。

このため東京大学では不正防止対策の実施などを行う研究倫理の専門部署を設け、実験データを保存したり論文のデータをチェックしたりする体制を整備するなどの対策を進めてきました。

しかし、今回、不正認定された論文の中にはこうした対策がとられた後に発表された論文も含まれていて、これまでの東京大学の研究不正への対応が十分だったのか改めて問われる事態にもなっています。

「これまでの不正事案は“ひと事”だったか」

今回の問題について、研究不正に詳しい大阪大学の中村征樹准教授は、「研究の現場ではこれまで不正の問題が取りあげられても、ひと事として受け止めてきた実態があるのではないか」と話します。

そのうえで中村准教授は、「研究成果を求めるプレッシャーを最も感じているのは研究を重視する東京大学などの研究機関だろう。そこでは、これぐらいは許されるだろうという考え方が時間の経過とともに一般の感覚からだんだんとずれ不正に踏み込んでしまう『逸脱の常態化』と呼ばれる現象が起きているのだと思う」と分析しています。

学会もコメント「大変遺憾」

今回の調査結果に対し、渡邊教授が過去に理事を務めたことがある日本分子生物学会は、次のようなコメントを公表しました。

「学会として研究倫理問題および研究不正防止に積極的に取り組んできたにもかかわらず、本学会の理事経験者である東京大学の教授が不正行為を行ったと認定されたことは大変遺憾に思います。また、調査結果報告ではねつ造あるいは改ざんと認定されなかった論文の一部にも『不適切な加工』や『ケアレスミス』が多数存在したことが報告されています。これらの行為も研究者の信頼性を損なうものであると考えます」

Ordinary Researchersはどう受け止めたのか

告発した匿名のグループ、「Ordinary Researchers」は大学の調査結果をどう受け止めたのでしょうか。送られてきたメールには、不正認定された項目については妥当な判断がなされたとした一方で大学の調査結果の公表のしかたに疑問を呈しています。東京大学の調査では、渡邊教授を除く5人の教授については不正はなかったと認定しました。すべての論文について実験は実施されたいたほか、告発で指摘された図やグラフの不自然な点は、雑誌社の編集の過程で生じたものもあり、不注意やミスはあったが不正とは認められないとしました。

この調査結果について告発したグループは、「どのような検証が行われたのかが具体的にはほとんど公表されておらず、科学コミュニティの第三者が疑義について検証することができない」としています。

Ordinary Researchersが突きつけたもの

告発者は長いメールの最後で次のように述べています。

「学会、研究資金の配分機関、掲載誌、著者などの反応については、少なくとも現時点までに十分なとるべき対応がなされたとは思っていない。東京大学からの正式な報告がなされたことをきっかけに不正防止に向けて今後、議論が深まっていくことを期待している」。

そして「問題を黙殺あるいは矮小化する研究機関・研究者が得をし、問題に誠実に向き合う者が損をする現状がある。東京大学は我が国の最高学府として、研究不正の問題に勇気を持って向き合い、この現状を率先して是正していく重責を担っている」と結んでいます。

告発者が名乗る、「Ordinary Researchers」は、直訳すれば「平凡な研究者たち」。名前に込められた告発者たちの強い思いが感じられました。

科学文化部記者

稲垣雄也

平成16年入局。奈良局を経て、平成22年から科学文化部で、主に医療分野を担当。医療事故や感染症のほか、薬や科学論文のデータ改ざんなどの研究不正の問題を継続的に取材。

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記事の内容は作成当時のものです

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