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「東日本大震災を思い出してください!」その時、ことばで命を守れるか。NHKアナウンサーたちの10年

「東日本大震災を思い出してください!」

「命を守るため、一刻も早く逃げてください!」

「周りの人にも避難を呼びかけながら逃げてください!」

平日の午後、東京・渋谷のNHKのニューススタジオに、この日もアナウンサーの緊迫した声が響きました。

地震と津波が発生したことを想定した緊急報道訓練。大津波警報や津波警報などさまざまな想定で、頻繁に行われています。

この日もアナウンサーは、目の前のモニターに次々に表示される地震や津波のデータを読み上げながら、とるべき行動や注意点などを呼びかけていきます。

災害の危険が迫っているときに、NHKのアナウンサーがスタジオからみなさんに呼びかける、

「一刻も早く逃げてください!」

「川の近くには近づかないでください!」

といったことばのもとになるハンドブックがこちら。

「命を守る呼びかけ」という冊子です。

地震や津波、豪雨などさまざまな災害に対応した100以上のパターンが掲載されており、大規模な災害などのたびに内容は見直されています。

アナウンサーたちはさまざまな呼びかけで感情に訴え、人を動かし、災害から多くの命を救おうと模索を続けてきました。

原点は10年前のあの日に直面した、厳しい現実でした。

「冷静、沈着なアナウンスメント」に感じた限界

2011年3月11日。

その日の正午ニュースを終えた横尾泰輔アナウンサーは、自席で次の特設ニュースの資料作りをしていた。荒れる国会の展開に思いを巡らせていた、午後2時46分。緊急地震速報のチャイムが鳴り響いた。

2階のニュースセンターまで階段を駆け上がる途中、強い揺れが襲ってきた。

(これは尋常じゃない)

このときテレビは国会中継の放送だった。

揺れ始めた国会の様子を現場から佐藤龍文アナウンサーが伝え、そのあと画面はスタジオに切り替わって特設ニュースが始まった。

「宮城県北部で震度7」

騒然とするフロアを走り抜けて横尾がスタジオに入ると、緊急時の備えで待機していた伊藤健三アナウンサーが第一報を伝えていた。

「東京・渋谷のスタジオも揺れています。強い揺れを観測した地域のみなさんにお伝えします。揺れが収まってから、火の始末をしてください。上から落ちてくるもの、倒れてくるものから身を守ってください。揺れがおさまるまで、安全な場所にいてください」

特集 地震発生から72時間|NHK取材ノート災害アーカイブス

NHK 東日本大震災アーカイブス--特集 地震発生から72時間--

www9.nhk.or.jp

午後2時49分、大津波警報が発表された。

伊藤と交代して横尾がキャスター席につくと、気象庁からの情報を表示する手元のモニターには、訓練でしか見たことがない数字が並んでいた。

「津波の予想高さ 岩手県3m 宮城県6m 福島県3m」

宮城は横尾の前任地でもある。親族や知人もいる。

(無事でいてくれ…)

そう願いながら、「ことさらに危機感をあおらず、とにかく落ち着いて伝えなければ」と自分に言い聞かせた。

どんな緊急事態でも冷静沈着に伝える。

それがNHKのアナウンサーに求められる姿だから。

これは「津波」なのか?

「警報が出ている海岸や川の河口付近には、絶対に近づかないでください。そして、早く安全な高台に避難してください。早めの行動をお願いします。揺れの強かった地域では、落ち着いて行動してください。この後も大きな余震があるかもしれません」(当時の横尾アナの呼びかけ)

大津波警報が出ている宮城県気仙沼市の港を映す中継カメラには、まだ特段の変化は見られなかった。横尾は冷静に避難の呼びかけを続けた。

そのうち東京の被害の映像が入り始めた。

東京都心では建物が激しく揺れ、物が落ちて散乱。

停電が発生し、街中では多くの人がおびえて戸惑っている。

臨海エリアでは高層ビルから黒煙が上がっていた。

都心でも多くの死者やけが人が出ているのではないか?

東北の沿岸に津波はいつ到達するのだろうか?

地震発生からの20分間、キャスターの横尾の意識は「東北」と「東京」との間を行ったり来たりしていた。

しかし事態は想像を遥かに超えていた。

最初の揺れから28分後の午後3時14分、東北の沿岸を津波が襲う最初の中継映像が入ってきた。

横尾は岩手県釜石市に押し寄せてきた津波の状況を、中継映像のモニターを見て、実況した。

「テレビの映像は、岩手県釜石市の現在の様子です。

海水があふれています。

海水があふれて陸上に上がってきています。

波が押し寄せています」

このとき横尾は「津波」ということばを使っていない。

「すぐには使えなかった」と、当時の心境を話す。

(横尾泰輔アナ)

「海水が静かにあふれ出るような映像で、それを『津波』と表現してよいのか確信が持てませんでした。過去に見た津波の映像と様相が違っていたからです。大津波警報が出ているのにも関わらず、『津波が来ている』という危機感を伝えられなかった」

これまでの経験にない、難しい判断の必要な局面が続くなかで、気象庁はこのとき、2つの重要な情報を更新していた。

ひとつは大津波警報と津波警報、津波注意報の対象地域が拡大したこと。

最も危険な大津波警報は、新たに青森県太平洋沿岸と千葉県の九十九里・外房と茨城県に発表され、津波警報も対象範囲が一気に広がった。

そしてもうひとつが、津波の予想高さの引き上げだった。

岩手県と福島県は「3m」が「6m」に。

宮城県では「6m」が「10m以上」に。

横尾はまず大津波警報の対象地域が拡大したことを伝えた。

「そこにいる人々にすぐに知らせる必要がある」と考えたからだ。

「新たな情報です。大津波警報が追加されました。

青森県の太平洋沿岸と千葉県九十九里・外房、茨城県に大津波警報が追加されました」

中継の映像にも明らかな変化があった。

津波が岸壁を乗り越えて港の中に流れ込んでいく。

横尾は大津波警報と津波警報の対象地域を全て伝えたあと、中継の映像を実況した。

ラジオの放送も意識して、状況を捉えて簡潔に、正確に。

「岩手県釜石市の現在の様子です。

岸壁と海面との境がわからなくなっています。

海水があふれ、港の中に流れ込んでいます。

今、トラックが少し浮きました。浮いて、流されます」

その時、東京のスタジオを再び強い揺れが襲った。

マグニチュード7.6の最大余震だった。

スタジオの照明器具がガシャガシャと音を立てて激しく揺れ、横尾自身も身の危険を感じた。

映像は揺れる東京に切り替わり、横尾は揺れから身を守るよう呼びかけた。

「今東京のスタジオが、再び、かなりの、かなりの揺れを観測、かなりの揺れを感じています。余震だと思われます。どうぞみなさん、引き続き揺れに注意して下さい。建物の倒壊、山崩れ、がけ崩れに警戒して下さい」

大津波警報の対象地域の拡大、沿岸に到達して高さを増す津波、そして身の危険を感じるほどの最大余震。

ニュースセンターの運用も困難を極めたこのときの状況を、横尾はこう振り返る。

「あのときは次々に入る情報と激しい揺れの中で、自分も、放送に関わっていたすべての職員やスタッフも、最大限の努力をして伝えていた。でも今振り返ると『もっと出来たことはあったのではないか』、そんな思いばかりが残るのです」

中継映像は再び岩手県釜石市の港に切り替わった。

数分前と状況は一変して、街は水没していた。

津波が市街地まで押し寄せ、

建物が破壊され、

大きな船や石油タンクも流され、

現実とは思えない状況が次々と映し出されていた。

横尾は実況と避難の呼びかけを繰り返した。

「海岸や川の河口付近の方は、早く安全な高台に避難してください」

(まだ間に合う。なんとかなる。逃げてほしい)

気持ちを奮い立たせて放送を続ける一方で、しかし横尾はこのとき無力感に近いものも感じていた。

(横尾泰輔アナ)

「言えることばが無くなっていく感覚でした。

少し前まで車が通っていた高架下の道路が水没し、建物が破壊されているのが見えたとき、無力感のようなものに襲われました。

この呼びかけに意味はあるのだろうか、と」

命を守るためのことばを見つけられなかった

映像が伝える巨大災害の猛威に対抗する力が、自分のことばにあるのだろうか。

そうした無力感に襲われたのは、横尾の後にキャスター席についた災害報道のベテラン、武田真一アナウンサーも同じだった。

阪神・淡路大震災の報道も経験して、災害報道をライフワークとする武田ですら、「ことばが出なかった」と話す。

それは仙台平野の上空を飛行するヘリコプターからの映像を目にしたときだった。

「仙台市名取川の河口付近。あ、これ、今陸上の様子ですけれども、家が津波で流されている様子が分かります。そして住宅や建物が津波で流されています。畑も飲み込んでいきます。黒い波が、住宅や畑を飲み込んでいきます」(当時の武田アナの実況)

武田の声はうわずっていた。

緊急報道の訓練を重ねて必要な準備はしてきたが、大津波がすべてを奪っていく映像を前にことばがうまく出てこなかった。「何を言えばいいのかわからなかった」と、現在は大阪放送局に勤務する武田は振り返る。

(武田真一アナ)

「黒い津波が家や車や畑を飲み込んで行く映像を前に、ことばを失っていました。実際には膨大な量のことばを発していたんですが、映像をひたすら声に置き換えているだけで、あの光景を呆然と眺めていたに等しかった。命を守るためのことばは、見つけられなかった」

このときもマニュアルであらかじめ用意されたことばはあった。

「川の河口付近から離れて下さい」と何度も伝えた。

しかしこのとき、河口から3キロ離れた学校も津波に飲み込まれていた。

「ビルの3階か4階以上に避難して下さい」と何度も呼びかけた。

しかし4階まで水に浸かって多くの人が亡くなった病院があった。

「どんな事態でも冷静沈着に」「放送で命を守る」

そう思って訓練を重ね磨き続けてきたことばに、このときどれほどの力があっただろう。

その翌日以降も数百人、数千人と増え続ける死者の情報を伝えるたびに、横尾には「自分の責任だ」という思いが募っていったという。

なぜあのとき、もっと強く呼びかけなかったのか。

なぜもっと人を動かすことばを発することができなかったのか。

後日ある新聞で、NHKのワンセグ放送を見た警察官が、電車から高台に乗客を誘導して多くの命が救われたという記事を読んだ。

横尾は切り抜いたその記事をスーツの内ポケットにお守りのように忍ばせ、壊れそうな心を保ちながらその後もカメラに向かい続けた。

NHKのアナが叫んだっていいじゃないか!

震災後にNHKのアナウンサーたちの証言をまとめた部内の冊子には、あのときに現場で抱いた悩みや葛藤が記されている。

「これまで僕らはマニュアルを作り、訓練を積み、相当程度、実践できるようにもなった。そしてそれで命が守れると思い込んでいた。そのことを、ひたすら恥じた」(冊子より・武田真一アナ)

「呼びかけは届いていなかった。後日知ったが、被災地では最初の地震で大規模な停電となり、テレビが見られない状況となっていた。初動対応した者として、大きな無力感を覚えた」(横尾泰輔アナ)

「悲しみを伝える先に何があるのか。その何かが、『何』だったならば被災地にとって最適なのか。それはいまだ判断できずにいます」(気仙沼・三條雅幸アナ)

「命を守るための呼びかけ」とは。

どう呼びかければ確実に逃げてもらえるのか。

震災から3か月後に東京で「震災報道を語る」会議が開かれ、全国から集まったアナウンサーたちを前に、武田は強い危機感を述べた。

「今回の震災を受けて、今、僕は焦っている。次の災害がいつ来るかわからない。私たちの放送がちゃんと命を守れるように、これまでのマニュアルを見直さなければならない」(武田アナの発言 議事録より)

横尾は地震が起きた直後の「初動」の重要性について語った。

「仮に放送で人の命を守れるということがあるとすれば、まずは初動の数十分だ。今回でいうと最初の津波が来る前の30分で、アナウンサーは何ができるか。津波が到達したときに何ができるかだ」

議論の中で、危険が迫っていることをアナウンサーの「姿の変化」から感じ取ってもらおうという意見が出された。

「ふだんは礼儀正しくしゃべっているアナウンサーが、突然モードを変えてことばを発し出す。本当にやばいときは、やばいんだとパニックにさせてもいい、というぐらいの強い表現も必要ではないか」

NHKのアナウンサーがふだんの「冷静沈着」さを捨てた「異常な姿」を見せることで、視聴者が「特別なことが起きている」と感じて、それが避難行動につながる。

「いつもは冷静なアナウンサーが、ある瞬間を境に叫び始める。だからこそ効果があるという考え方です。逆に言えば、アナウンサーは今が異常時だと、ピンと来なければならない。経験と知識がより求められる」(武田アナ)

この考え方は、実は現在のNHKの緊急報道にも取り入れられている。

議論をもとに災害時の呼びかけマニュアルの大幅な改定がはじまり、期限は震災から1年後、2012年3月11日となった。

「命を守ることば」とは?

議論は横尾と武田を中心に、アナウンサーや災害担当の記者、ディレクターや防災の専門家も加わって進められ、呼びかけのポイントは次の3つに集約された。

①確実に伝わること

「伝えた」から「伝わった」となるために、同じ呼びかけを何度も何度も繰り返し、続けていく。

②行動を促すこと

「逃げてください」と言われて実際の行動に移すには、誰にも一定のハードルがあるだろう。それをどう越えてもらうか。

ここで「インフォメーションからコミュニケーションへ」という考えが生まれた。

例えば「1メートルの津波が来ます」や「警報が出ています」という情報自体は「インフォメーション」だ。それだけでは切迫度はさほど伝わらない。

その情報とともに「逃げてください」という呼びかけを、それもふだんと違う強い口調と表現で、アナウンサーとしての態度をはっきり示して、視聴者に訴える。

情報を「伝える」だけから、「説得して訴える」呼びかけへ。

視聴者への「インフォメーション」だけでなく、視聴者と「コミュニケーション」を図る必要があるという考え方へ。

「ふだんのニュースは理性で伝える。緊急報道は感性に訴える」

行動を促すには「感性に訴える」しかないというのが、東日本大震災の経験と反省から生まれた実感だった。

③予断を与えないこと

災害などの異常な事態でも「自分は大丈夫」と思い込む「正常化の偏見」。

これをどう打ち破るかも大きな課題だった。

東日本大震災では、この心理傾向が原因で避難の遅れが生じた事例が数多く報告されていた。

「自分は大丈夫」という予断を与えないようにするにはどう伝えればいいか。

アナウンサーたちのワークショップの中で出たアイデアの一つが、この呼びかけだ。

「東日本大震災を思い出してください」

あの震災では多くの想定外が生じた。

「自分だけは大丈夫」「この地域は大丈夫」という思い込み、「正常化の偏見」を打ち破って避難してもらうには、あの震災のことを思い出してもらうのが効果的という考え方だった。

一方で東北に勤務するアナウンサーや、現地を取材したアナウンサーからは、「つらい出来事を思い起こさせ、被災者を傷つけないか」という懸念も出されたが、それでもこのアイデアは採用された。

命を守るために何が必要かを考えた結果だと、武田は話す。

「一番大切なのは、とにかく逃げてもらうこと。確かに、被災者の心を傷つけるかも知れない。しかし避難のトリガーとして、このことば以上のものはないと考えました。あの震災を思い出して逃げてもらうには、これ以上のことばはないと」(武田真一アナ)

ある自治体の取り組みも参考になった。

茨城県大洗町では、住民に「避難せよ」という命令口調で呼びかけたところ、避難行動への効果が確認されたという。

こうした事例から、NHK独自の「命令口調」が生まれた。

さまざまな意見交換や検証、考察を経て、東日本大震災から1年たった2012年3月11日、新たな表現を盛り込んだ呼びかけのハンドブックがまとまった。

このなかの「今すぐ可能な限り高いところに逃げること。」という呼びかけは、ハンドブックを象徴するような表現だ。

「可能な限り」という表現には、「大丈夫」という予断を持たないで、避難にベストを尽くしてほしいという思いがある。

そして「逃げてください」ではなく「逃げること」という命令口調には、異常な事態だと認識してもらうねらいがあった。

ようやくまとまった新たな呼びかけも、武田や横尾は「最低限のラインだ」と話す。

(武田アナ)

「これをやっていれば命を守れるわけではありません。マニュアルは成果ではない。次の災害でみんなの命が救われた、というのが“成果“となる。

そのためには情報を読み上げるだけでなく、人を動かすための効果的な表現力をアナウンサーが身につけ、人が伝える意味をしっかりと理解しなければならない」

東日本大震災の教訓から生まれた新たな「命を守る呼びかけ」を、実際の災害報道で使う場面は予想外に早く訪れた。呼びかけをしたのは武田や横尾とともに取り組んできた、高瀬耕造アナウンサーだった。

(聞き手)

栗原望 アナウンサー

平成22年入局。沖縄局、福島局を経て東京アナウンス室へ。

「クローズアップ現代+」のリポーターなどを務め、現在は「ニュース7」のキャスター。

栗原アナウンサーがこれまで担当した番組はこちらです

原発避難7日間の記録 ~福島で何が起きていたのか~

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(聞き手)

内山裕幾 記者

平成23年入局。さいたま局、大阪局を経て報道局社会部へ、社会部では災害報道の専門として気象庁や内閣府防災、消防庁を担当。日ごろの災害・減災報道に加え、現在は消防団の問題などを取材中。

内山記者の最近の担当番組や取材記事はこちらです。

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