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羽ばたけブータンシボリアゲハ!「好き」を追い続ける記者の夢とともに

ブータンの秘境探検の末に幻の「ブータンシボリアゲハ」をついに発見した調査隊と斎藤記者。次のミッションは幻のチョウの保護につなげるための、生態の解明だ。許された滞在期間は残りわずかしかない。

はいこちら、斎藤です。

成虫の確認に成功した調査隊の次のミッションは、幻のチョウの生態を解明することです。具体的には、

・ブータンシボリアゲハの「卵」を確認する。

・「ウマノスズクサ」に産卵するかどうかを確かめる。

古希にもなる原田基弘隊長は、木によじ登ったりブッシュに深く潜り込んだりと、まるでブータンシボリアゲハの生態解明を果たせずに亡くなった、師匠の五十嵐邁博士が乗り移ったかのような迫力でした。

まずウマノスズクサの葉に産みつけられた卵の塊を2つ、発見できました。

でもこれは本当にブータンシボリアゲハのものなのか? という疑問が出されました。塊の卵の数が200個を超えていて、「多すぎる」のです。

故・五十嵐博士の研究によると近縁種のシボリアゲハの場合、塊の卵の数はもっと少なくて、しかも平面に並べたように産卵します。

あまりに数が多いので「カメムシじゃないの?」という声も出ました。

答えが見つからないままついに迎えた調査の最終日。

タイムアップギリギリに原田隊長の執念が実を結びました。メスがウマノスズクサに産卵している、まさにその場面を発見したのです。

小雨の中、葉に止まったメスがお腹を曲げて産卵する姿を、みんなで息を殺して見守りました。

1卵また1卵、メスのお腹から黄色い卵が絞り出されていきます。ブータンシボリアゲハは200を超える大量の卵を、山盛りに産み付けるという、世界中のあまたのアゲハチョウの中でも類をみない生態を秘めていたのです。

幻のチョウが森の中で、密やかに次の世代につなごうと卵を産む姿を見守る隊長の表情には、亡き師匠に報いることができたという安堵が浮かんでいました。

幻のチョウは「里山のチョウ」だった

当初抱いていたイメージは、原生林の奥深くに潜む幻のチョウ、でした。

しかしブータンシボリアゲハの幼虫が食べるウマノスズクサは、森の中ではなく日当たりのよい伐採地に好んで生えます。

この場所は村落の住人が耕作のために森を切り開いたもので、森林の適切な管理が行われていたことが、ブータンシボリアゲハにとって良い環境を作り出していたと調査隊は結論づけました。

意外にも集落に近いところに棲む「里山のチョウ」だったのです。

リターン・トゥ・ブータン

500キロの険しい道のりを戻って首都ティンプーにたどり着いた私たちを、農林大臣も国家環境評議会の次官もねぎらい、報告会ではみな初めて見るブータンシボリアゲハの艶やかな姿に驚いた様子でした。

熱かった夏は終わり、帰国後は番組の放送に向けた編集や追加取材に追われる毎日でしたが、「番組の後半で現地のその後の様子を紹介しよう」ということになって、9月末、取材チームだけがもう一度現地に、強行日程で入りました。

確かめたかったのは、ブータンシボリアゲハの卵のその後の状況です。

天敵に喰われないようにネットをかぶせておいたウマノスズクサには、果たして小さく育った幼虫の群れがいました。今から厳しい冬を越すのです。

その後の観察は、現地のブータンの共同調査隊メンバーに任せることにしました。

2度目の訪問では、夏には悪天候で飛べなかったヘリコプターによる空撮も行いました。

当時ブータンには民間で山岳飛行ができる安全なヘリコプターはほとんどなく、わざわざネパールから高い技量を持ったクルーとヘリコプターをチャーターしました。

ふだんヘリコプターなんて飛んでこない山の中の町はもう大騒ぎ。

学校の授業をサボったのか、先生があきらめて休校にしたのか、ヘリコプターが着陸したグラウンドには、町じゅうの児童や生徒たちが集まりました。

生徒だけでなく大人もお年寄りたちも取り巻いて珍しそうに眺め、ちゃっかり操縦席に座って記念撮影している人まで。

人々の好奇の視線を受けながら優雅に空の散歩を楽しもうと思った私に、また無慈悲な宣告がありました。この男、内山ディレクターです。

「すまん斎藤、乗員制限で俺と森山(カメラマン)しか乗れない」

それだけならまだ私も寛大な心で許したのですが、

「すまん斎藤、俺と森山はそのままティンプー(首都)までヘリで帰るわ」

何ということ!私は荷物の番をしながら独りで1泊2日かけてティンプーまでのあの危険な悪路を帰れというのです。

「ヘリで帰るのはじゃんけんで決めよう」と言うまもなく、2人は飛び立ってしまいました。

同期の友情は空気よりも軽かった。あきらめてブータン人スタッフと共に悪路を500キロ、きっちり1泊2日かけて何とか無事に首都ティンプーに帰ったのでした。

帰る前になぜか村の小学校で授業をしました。「キミたちの家のすぐそばにはすごい宝物があるんだよ」という私の話を聞く子どもたちの目のきれいだったこと。

「あのチョウは“伝説の聖杯”だ」

 取材ではロンドンの大英自然史博物館に、世界でここにしか所蔵されていないブータンシボリアゲハの標本の撮影に行きました。

世界的なチョウの権威で、元大英自然史博物館のヴェーンライト博士もブータンシボリアゲハの再発見には驚き、「あのチョウは“伝説の聖杯”(holy grail)みたいな存在だ」とインタビューで語ってくれました。

「君に見せたいものがある」と博士が博物館の図書室で見せてくれたのは、あの五十嵐邁博士の大著、「世界のアゲハチョウ」でした。

遠方から来た孫のような年代の私を、同じチョウ好きと認めてくださったのか、五十嵐博士との思い出を楽しそうに語ってくれました。

幻のチョウが結んだ国の友好

苦労を重ねた番組は2011年10月30日、NHKスペシャル「秘境ブータン 幻ののチョウを追う」と題して放送されました。

その2週間あまり後の11月15日、この年に就任したばかりのブータンの若き国王夫妻が、就任後初めて日本を訪れました。

東日本大震災の被災地を訪れて被災者に温かい励ましをされた国王夫妻は、あるプレゼントを持参されていました。

この夏に合同調査隊が採集して現地に残してきた、ブータンシボリアゲハ5頭のうち2頭の標本を、日本国民を励ますため、友好の印として贈ってくれたのです。

精緻な装飾が施された標本箱には「ブータン国民から」というメッセージが彫られ、後にいくつかの展示会で一般公開され、ヒマラヤの秘宝ともいえる高貴な姿を見ようと多くの人で賑わいました。

その翌年にブータンシボリアゲハは正式にブータンの「国のチョウ」に指定されました。ブータンの国の動物ターキンや国の花ブルーポピーと並んで、ヒマラヤの豊かな自然の至宝として未来永劫、愛されることになるでしょう。

さて話はもう少し続きます

年々気力も体力も目減りしていく中年の私ですが、取材の意欲だけは衰えません。どうしても実現させたい夢があるんです。

夢の1:世界の果てまでチョウを追って取材したい

まだまだ世界には「スクープ級」のチョウがいます。例えばパプアニューギニアの極めて狭い範囲だけに生息する世界最大のアゲハチョウ、アレクサンドラトリバネアゲハです。

熱帯ジャングルの樹上高くを鳥のように雄大に舞うため、散弾銃で撃ち落として採集されたという逸話のある巨大なチョウの姿と生態を、ぜひ多くの人に伝えたいのです。

巨大といえば南北アメリカ大陸で最大のチョウ、ジャマイカ特産のホメロスアゲハ。

カリブ海のあの島にだけどうしてあんなに巨大なアゲハチョウが生きているのだろう。コーヒーの名産地として知られるブルーマウンテンの森で、どんな出会いが待っているのか。

目新しいものとしては2018年に新種として発表され、世界を震撼させた南太平洋・フィジーの新種のアゲハチョウがあります。

こんなに目立つ大型のアゲハチョウがいまだに見つかるのは驚きでした。初めて生きた姿が撮影されて極秘で一部の研究者に画像が送られたときは「画像処理ソフトで作成された”人工種”だ」という噂も流れたそうです。

遠く離れたアフリカ大陸にも2種類の不思議なアゲハチョウがいます。まずは奇妙な細長い翅をもったドルーリーオオアゲハ。

まばゆく青い光沢のザルモクシスアゲハ。

アフリカを代表すると言える、この2種のアゲハチョウも幼生期が未だに分かっていません。どんな形態の幼虫なのか解明できれば、これも世界的なスクープになるでしょう。

ミステリーというなら未だに世界のどこで採れたのかすら分からないまま、150年もの間、謎めいた伝説と共にイギリスとスウェーデンの博物館に標本が保管されているチョウがあります。

この「ポンテンモンキチョウ」を追い続けている日本人、原弘さんから提供されたチョウの標本と生息しているかもしれない南米フェゴ島の画像です。

ここにあげたチョウの生態を解明し、自然の美しさや神秘と、そこで生きる人々や生き物たちの営みなどもお伝えしたいというのが私の夢、「その1」です。

夢の2:再びのミャンマー取材

21年前の2000年、私が大学5年生(当時25歳でしたが)の夏、19歳の青年と2人でミャンマー最北部のカチン州を3か月にわたって旅したことがあります。

東は中国・雲南省、西はインド・アルナチャールプラデシュ州のそれぞれ国境まで、熱帯低地ジャングルから富士山よりも高い4000メートルを超える高山帯まで、毎日毎日チョウを採りながらひたすら歩きました。

何せ交通手段が全く無く、平地で「車」と言えば、「牛車」という世界です。ガイドやポーターとキャラバンを組んで少数民族の村から村へ泊まりながら進みました。

夏にチベット人が放牧する高山帯にようやく到達したのは、歩き続けて1か月も経ったころでした。

雨期のまっただ中の旅は困難を極めました。

増水して濁流が渦巻く川を頼りなげな吊り橋(中にはワイヤーすらなく「ツタ」だけで編んだエコロジカルな橋も)で渡り、山の斜面が丸ごとそっくり崩れ落ちるような危険な場所を進みました。

それでもわずかな晴れ間には一気に飛び出すチョウの群れにおぼれて過ごし、新種を含めて数多くの貴重な種を得ることが出来た旅でした。

帰国後に三日熱マラリアを発病して入院してしまいましたが、あの旅で出会った深い森の中に暮らす少数民族の皆さんに、20年余の歳月は、どんな変化をもたらしたのか。気候の変化は、森の動植物の生態にどのような影響を与えたのか。

ミャンマーでは軍によるクーデターが起きて政治的な混乱と民主的なデモに対する軍による弾圧が続いており、取材や研究、調査も今は限りなく困難な状況ですが、いつか再訪の機会を願ってやみません。

夢の3:ブータンにチョウの博物館をつくりたい

これは取材ではありませんがブータンは九州ほどの面積に、驚くべき多彩な生態系が息づいています。まだまだ未知の種が見つかるに違いありません。ブータンの人たちと協力して国内のチョウの全貌に迫るコレクションを作り上げ、最終的に博物館というかたちで後世に残したい。

博物館には国のチョウ、ブータンシボリアゲハを人工飼育して飛ばす温室を併設すれば、観光資源になるのではないでしょうか。

年をとってフィールドワークが厳しくなった私が、博物館の片隅に用意された小さな机に座って標本の整理をしながら余生を送る日々を夢想しています。

最後にもう一度、40年以上前の幼き日の夕方に戻ります。あの時、幼かった私の前に1頭のモンシロチョウが現れなかったら、その後のミャンマーでの旅も、幻のブータンシボリアゲハを追う取材も、なかったかもしれません。

でもきっとあの出会いは偶然にして必然だったのでしょう。

このあと、ちょうちょ記者はどこへ飛んでいくのか?またみなさんに取材の成果をご報告できる機会を楽しみにしてください。ここまで長い文章をお読みいただきありがとうございました。みなさんからのメッセージをお待ちしております。

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