1. トップ
  2. 記者たちが3年かけて厚労省の壁に挑んだ「作戦」とは?

国の「不都合な真実」を暴いた報道の裏側を公開します!記者たちが3年かけて厚労省の壁に挑んだ「作戦」とは?

こんにちは。

NHKでデスクをやっている熊田といいます。

テレビのニュースって、1分半ほどの短い時間でいわば要点を伝えているだけなので「それって何を根拠に言っているの?」という声を最近よく聞きます。「どうせ当局のリークでしょ」と言われて、いやいや違いますよと、ガックリすることもしばしば。

ならばと、この「NHK取材ノート」で、私たちがどんな取材をして、何を根拠にどう発信しているのか、報道の裏側を公開するシリーズを始めることにしました。

第1回目に登場するのはこちら、木村真也デスクです。

彼がリーダーとなって報じた「戦没者遺骨取り違え問題」は、国にとっての不都合な真実を暴き、再発防止策を打ち出させるなど国を動かした報道として、ことしの新聞協会賞を受賞しました。

木村くん、相変わらず資料いっぱいで汚い机ですね…ちょっと記事を書く手を止めて、取材のヒミツを明かしてくださいな。

「厚労省は引き返せない」その一言から

「…冬の時代だったんですよ」

実は木村記者、警視庁クラブの2課担(贈収賄など知能犯事件を扱う捜査2課を取材)や、司法クラブのP担(東京地検特捜部を取材)、大阪府警キャップといった事件記者の本流を20年近くも歩んでいて、当時は司法キャップでした。

「でも、その頃の特捜部はあまり大きな事件を抱えていなかったんです」

そんな時、「ある霞が関周辺の人」のこんな言葉を聞いたことで、転機が訪れたといいます。

「お前、厚労省のタブーを知っているか。千鳥ヶ淵に戦没者墓苑ってあるだろ。あそこには海外で亡くなった日本兵の遺骨なんかが納められているんだが、実は日本人じゃない遺骨が眠っているんだ。遺族の手前もあって、厚労省はそれを明らかにできない。引き返せなくなっている。これは、厚労省にとっては開けてはならないパンドラの箱なんだよ」

戦争で亡くなった人たちを悼もうと、毎年たくさんの人が祈りを捧げている千鳥ヶ淵の戦没者墓苑。そこにある遺骨の中に、実は日本人ですらないものが含まれている…あまりにも衝撃的な告発でした。

「本当に大きな問題…まさに『事件』だと思いましたね。当局が手がけるものだけが事件じゃない。これをやらないでどうするんだと。まずは関心がありそうな少数の記者にだけ声をかけて、密かに取材を始めました」

戦没者の遺骨を収集する事業は、戦後の1952年から始まりました。厚生労働省の社会・援護局が所管しています。海外で亡くなった人は約240万人いるとされ、そのうち112万人が未だ日本に帰ってきていません。戦争に送り出した国の責任として遺骨の収集事業を行うこと、それは2016年に法律で明確に位置づけられています。

実はすでに報道されていた!?

しかし捜査当局の取材が中心だった木村デスク、遺骨収集のことなんて、門外漢でほとんど知識がありません。そこで、まずは過去の新聞や雑誌、厚労省の公表資料など、ありとあらゆるものを読みあさることにしたといいます。すると…あれ、なんだこの番組。

2010年10月にNHKが放送した「追跡AtoZ 疑惑の遺骨を追え」です。

フィリピンで収集される遺骨が急増。骨を見つけたという現地の人には「対価」も支払われていました。収集事業で取り違えが起きているのではないかという疑惑を報じた番組です。

「恥ずかしながら、自分の局の番組なのに知りませんでした」

いや木村デスク、当時はそれなりに話題になってましたよ…番組では、遺骨の専門家ではないフィリピンの博物館の学芸員が、科学的な鑑定を行わず、現地の人の証言を頼りに日本人だと判断しているということを報じていました。報道を受け、厚労省は調査に動かざるを得なくなりました。

しかし公表された調査報告書では、専門家のDNA鑑定で「日本人の蓋然性の低い遺骨も含まれていた」とされたものの、「フィリピン人の遺骨が混ざっているのは現地にあったもので、すでに日本に帰還している遺骨にフィリピン人の混入は認められない」と説明されていました。

「にわかには納得できないと思いましたね。しかも、厚労省は何事も無かったかのように、フィリピンでの遺骨収集事業を再開するというプレスリリースを2018年の5月になって出してきたんです。あの報道がうやむやにされてしまったのではないか。これは何としてでも、改めて取材しなければと思いました」

「日本人はゼロ」発見も、厚労省に逃げられる…

取材班が最初に目をつけたのは、根拠となった「DNA鑑定」です。そこに焦点を絞って取材することにしました。

報告書は1人の専門家による鑑定結果をもとにしています。しかし鑑定のいきさつを調べていくと、どうやら鑑定は3つの大学に依頼されていたことが分かりました。そこで大学の関係者を回って、実際に誰が鑑定をしていたのか割り出したところ、報告書には登場しない2人の専門家が浮かび上がったのです。

その2人を直撃。なんと2人とも、「日本人とみられる遺骨は1つもない」という驚くべき鑑定結果を提出していたのです。厚労省は6年以上もそのことを公表していませんでした。

取材班は、この専門家の「どうして公表しないのか、ずっと不思議だった。意図的に厚労省が操作しているんじゃないかと思った」というインタビューも撮影し、2018年8月16日のニュース7で報じました。

「さすがに『日本人ゼロ』を突きつけられたら、厚労省も取り違えを認めざるをえないだろうと思ったんですが…」

しかし木村デスクたちが思ったような効果はありませんでした。厚労省は「鑑定結果を隠したわけではない。日本に戻した分の遺骨は大丈夫」という従来通りの説明を繰り返すばかりでした。

「このニュースを出すのが精一杯でした。二の矢、三の矢と続報をたたみかけて、厚労省の説明を覆すことができなかったんです」

他社の「後追い」報道も、小さな記事だけ。このままでは、またうやむやにされてしまう…後に取材班の1人は「とても孤独な戦いだった」と打ち明けています。

彼らの取材の本当のスタートは、ここから始まったのです。

カギは「議事録」だ!

続報がなければ厚労省の言い分を覆すことができない。そう考えた木村デスクは、むしろ取材班を拡大することにしました。声をかけたのは、あの「追跡AtoZ」を取材・制作した内山拓ディレクター(現チーフプロデューサー)たちでした。このとき、内山ディレクターは遺骨収集の問題点を多角的に検証するドキュメンタリー番組の制作に向けてすでに動き出していたといいます。それならば状況を打開できるかも知れない。取材班は番組放送に向けて取材を加速させました。

彼らが新たな取材ターゲットとして注目したのが、「DNA鑑定人会議」という非公開の会議でした。この会議は遺骨の身元を特定することを目的として開かれていて、傍聴さえ許されていません。

その会議で語られていたことは、大きなヒントになるのではないか…

国の重要な会議ならば、「議事録」が作られているはずです。通常なら、ここで「情報公開制度」を使って、厚労省に資料を公開するよう求めるのが、いわば取材のセオリーです。

「でも、あえて情報公開は使わなかったんです」

仮に情報公開で議事録を手に入れられたとしても、重要なところが「黒塗り」で出てきてしまうのは必至だと考えたからです。それに情報公開をすると、何を調べようとしているかが筒抜けになって、議事録などの資料が隠されたり、破棄されたりするおそれだってあるのではないかと懸念しました。

そこで取材班がとったのは、むしろオーソドックスな取材によるアプローチでした。会議の中身は非公開でしたが、いつ、どういう人が参加して行われたか、概要はホームページで公開されていました。15年ほど前から行われてきたので、関係者は多数。取材班は出席者を全て洗い出して、一人一人に当たっていく地道で基本的な取材を展開していくことにしました。

「情報公開」より「ヤサ帳」

外部から参加した有識者は所属先などを通じて接触すればいいのですが、厚労省のOBを取材する場合はそうはいきません。そんな時に大いに役に立ったのが「ヤサ帳」でした。

ヤサ帳とは、記者が自分で作った住所録です。役所や当局の職員がどこに住んでいるのかは、ほとんど公表されていません。そこで記者は、独自の取材をもとに自分だけのヤサ帳を作るのです。「ヤサ帳の厚みは記者の腕に比例する」なんて言う人もいます。そして先輩記者から後輩記者に代々受け継がれ、さらに厚みを増していくのです。当然、社によってその内容は大きく違います。

「歴代の厚労省担当記者たちが、本当にいいヤサ帳を残してくれていました」

取材班の一人は、そう感謝していました。

いきなり会いに行くのではなくて「〇〇先輩がお世話になりました」とアプローチするだけで、随分と対応が違ってきます。こういう資産があるのも、組織ジャーナリズムならではですね。

「とはいえ、最初から一斉に当たりに行ったわけではありません。行き先は、かなり絞りました。この人なら取材に行ったことが当局側に漏れないという人を選んで、徐々に当たっていきました」

非公開の会議のメンバーで協力してくれる人はなかなかおらず、時間がかかりましたが、丸1年に及ぶ取材で遂に国の姿勢に疑問を持っている人に行き当たり、「議事録」を入手できました。

最初に手に入れることができた議事録は、ほんの一部だけでした。ただ、シベリアでの遺骨収集について書かれたその内容は、衝撃的なものでした。

2018年8月の議事録

「16人分の遺骨がすべて日本人ではない」

2017年12月の議事録

「70人分の遺骨が日本人ではない」

そういう発言が書かれていたのです。

いま書けばスクープ、でもやめた

「大量の遺骨を取り違えている。しかもこれまで明らかになっていない、シベリアでの遺骨収集も。普通ならここでいち早く記事を書くべきなんでしょうが、それはやめました」

木村デスクの念頭にあったのは、これまでの報道だったといいます。

「単発のスクープでは、必ず言い逃れされてしまいます。ずさんな遺骨収集を国に改めさせなければ、報道することに意味がないと思ったんです。報道で厚労省がどう言い訳をしてくるか、綿密にシミュレーションしました」

取材班が想定した厚労省の反応はこうでした。

・隠していたわけではない。公表するつもりだった。

・取り違えはレアケース。鑑定は適切だ。

・ロシア側と協議中だった。

・問題なのはシベリアだけで、他は大丈夫だ。

これらを言わせない、言われても覆すことができる準備をする必要があると考えていたといいます。

現場を示す「オープンデータ」を発見

それから最初に手がけたのは、遺骨収集の場所を特定することでした。

「いくら議事録に取り違えの記載があるといっても、やはり現場を取材しなければ説得力がないと思ったんです」

とはいえ、現場はどこなのか。議事録には場所がナンバリングしてあるだけで、何のヒントも無いように見えました。

どうしてもシベリアの収集場所が特定できない。そんな時、取材班の1人が、ある「オープンデータ」に目を付けました。

ヒントは「人数」でした。議事録には、そこに遺骨がある可能性があるのが「18人」で、実際に収骨できたのが「16人」だった、という情報が書いてあったのです。厚労省のホームページを丹念に見ていったところ、遺骨収集の場所と、遺骨を収集できる可能性がある数、実際に収集した数が一覧になっているデータがあったのです。「18人→16人」だったケースがないか…。

膨大なデータをチェックしていくと、「18人→16人」は、たった1か所しかないことが判明したのです。

「ここに違いない!」

場所は、「第24収容所・第13支部」と書かれていました。またしても数字…いったい、そこはどこなのか。

「行ってきます」

手を挙げたのは、シベリア議事録を入手した本多ひろみ記者。「言われなくても、自分が行くものだと思っていた」といいます。

そして彼女は、蜘蛛の糸のように細い手がかりをたぐって、現地に飛んだのです。

<後編に続く>

木村 真也 報道局 社会部

1998年入局。釧路局などを経て社会部では一貫して事件取材を担当。印象に残る取材は、株式市場に流入するブラックマネーを追って暴力団事務所に潜入したこと。事務所の片隅には何台ものディスプレイが並ぶディーリングルーム。一発勝負の撮影だったのに、驚いて声を上げてしまい、カメラマンに怒られたのが苦い思い出。高校、大学時代はラグビー部に所属。座右の銘は、当時の指導者の言葉「目の前に5億円積まれても、本能的に拒否できる人間になれ」

トップページに戻る