戦跡 薄れる記憶政宗に届いた赤紙(2017/08/10 放送)

仙台市のシンボルとなっている伊達政宗像は全国から観光客が訪れる人気のスポットですが、この像が実は3代目であることは、あまり知られていません。初代の銅像は太平洋戦争に巻き込まれ、数奇な運命をたどりました。

大名のように歓迎された初代政宗像

初代の伊達政宗像が完成したのは昭和10年。政宗の没後300年を記念し、青年団が寄付を募ってつくりました。制作を任された宮城県柴田町出身の彫刻家、小室達は、4メートル以上ある大きな銅像をつくるため、東京の自宅のアトリエを新築し、およそ2年かけて、甲冑や馬などを忠実に再現しました。

完成を伝える当時の新聞記事には、東京からトラクターで運ばれてきた政宗像が宮城県に入ると、大名行列さながらの歓迎を受け、中には「感激のあまり土下座して拝んでいた人もいた」と記されています。

政宗像にも「赤紙」が

完成した政宗像にも、戦争の勃発による暗い影が忍び寄っていました。戦時下には金属が不足し、家の門や料理のなべ、子どものおもちゃまで回収されましたが、とうとう昭和19年、戦況が悪化するで制作した小室の元へ1通のはがきが届きました。

「伊達政宗公像には悽愴苛烈なる決戦下愈々出陣せられることに相成候」。伊達政宗像の「出陣」を知らせるものでした。「政宗さん」も出陣するんだからみんなのうちでも金物を出しなさい、という意識高揚のねらいがあったとみられています。

出陣式を伝える新聞記事には、銅像にたすきがかけられ「万歳」で見送られたと書かれています。政宗像を制作した小室のこの日の日記には、悲痛な思いが綴られていました。「玉串を捧げて再度、像を見上げた時、感極まり胸が裂ける思いだった」。

2代目は「平和像」に

仙台城に再び伊達政宗像が戻ってきたのは昭和28年でした。物資が不足する中、セメントでつくられた真っ白な像でした。戦後に進駐軍の拠点が置かれた仙台城で、戦争を連想させないようにと扇子を手にした裃姿で「平和像」とも呼ばれました。

それからおよそ10年がたち、高度経済成長期に入ると、仙台市の観光協会が初代の政宗像の復元に乗り出しました。完成したのは昭和39年、前回の東京オリンピック開幕の前日でした。3代の政宗像を見つめてきた仙台市の中嶋忠一さん(90)は、政宗像の歴史を通して、多くの人に平和の大切さを考えてほしいと願っています。

「戦争から平和な時代まで、政宗像がここで眺めていたんだな、平和な時代だからこそ、こうやって遠くから観光客として訪れる人もあるんだなと思います。伊達政宗に、今後もここから仙台を守って、何十年も何百年も頑張ってもらいたい」(中嶋さん)
出陣した初代の政宗像はその後、金属集積場でバラバラの状態で見つかり、仙台市博物館の近くで、いまもその一部を見ることができます。また、2代目の政宗像も、宮城県大崎市にある岩出山城に移され、見ることができます。