戦跡 薄れる記憶消える空襲の爪あと(2017/08/01 放送)

7月下旬。富山市内の、ある民家の土蔵が取り壊されました。空襲の爪痕が失われていくなかで、戦争の悲惨さをどう語り継いでいくのか。

空襲から奇跡的に残った

72年前の空襲の記憶を伝えてきた土蔵。アメリカ軍の爆撃で、辺りの住宅で次々に火の手が上がるなか、奇跡的に焼け残りました。土蔵は空襲で開いた天井の穴は当時のままで、雨漏りしないよう瓦などで塞いでいました。土蔵は建てられてから80年以上になり、老朽化が進んでいました。大がかりな補修を行える業者も見つからず、母屋の建て替えを機に取り壊すことになりました。

土蔵の所有者の親族の渡辺昭三さん(72)は、「焼い弾で裂けた天井など、戦争の悲惨さが身にしみて分かる。富山市の惨劇の生々しい記録だから残したいんですが」と話します。

大空襲を体験した金山敦さん(83)は、空襲があった夜のことを今もはっきりと覚えています。「西のほうが真っ赤、上にはB29があるから、ただひたすら逃げるだけ。意味のないことだが、上に飛行機がきたら軒先に入ったり、夏だから戸が開いているから玄関先に入ったりしていましたね」(金山敦さん)
当時、土蔵の近くに住んでいた金山さんは、空襲を生き延びた土蔵を「街の生き証人」と身近に感じていました。

懸命に守られた土蔵の記録を後世に

取り壊しが決まり、土蔵を片づけていた渡辺さんはある物を見つけました。大学ノートに記されていたのは、戦争中や戦後まもないころの出来事です。手記を書いたのは義理の父の岡田松之助さんでした。当時、旧制中学で国語を教えていました。手記には、土蔵を火から守る懸命な消火活動の様子も書き留められていました。

(手記より)「空襲がやがて襲ってきた。まず屋敷に火がついた。土蔵は立っていたのでほっとしたが下の空気通しの窓から薄い煙が出ている。夜、また壁に火が見えた。起きて皆で朝まで水をかけた」
「父の無念」を感じた渡辺さんは、歴史の記録として残そうと、手記の中身と土蔵の写真を1枚の紙にまとめました。

取り壊しを10日余りあとに控え、渡辺さんは地元の中学生を土蔵に招きました。その姿を若い人たちの記憶にとどめてもらおうと考えたのです。子どもたちの関心を集めたのは7段の書棚で、そこには焼けた本の跡がくっきりと残っていました。

土蔵の取り壊しが近づくなか、渡辺さんは書棚を取り外していました。中学生の感想を聞いて、授業で活用してもらおうと学校に寄贈することにしたのです。そして7月24日。渡辺さんたちが見守るなか、土蔵は取り壊されました。

「取り壊しの最中も父の顔を思い浮かべながら見ていて涙が出てきました。事実を見ることで平和のありがたさが分かる。われわれのメッセージということで、末永く代を重ねて伝えていってほしい」

今回の土蔵のように、戦争で被災した個人所有の建物はどれくらいあるのか、実は把握されていません。戦争で被災した建物の調査や保存の支援に取り組む団体、「戦争遺跡保存全国ネットワーク」では、個人所有の建物が人知れず取り壊されるケースもあるとみています。団体の共同代表を務める山梨学院大学の十菱駿武客員教授は「『戦争遺跡』の保存は費用がかかるため、国や自治体の関与なしではきわめて難しい。戦後70年以上が経過し、今後も貴重な建物が失われるおそれがある。どんな建物があるか調べて地域で共有し、保存や活用を図ることが必要だ」と話しています。