戦跡 薄れる記憶折り鶴がつなぐ平和への思い(2017/08/16 放送)

この折り鶴は、ことしの終戦の日に、神奈川県茅ヶ崎市に贈られました。幼いときに広島で被爆して、10年後に12歳で亡くなり、平和公園にある「原爆の子の像」のモデルになった少女が、病床で折ったものの1つです。茅ヶ崎市の市民からの希望に応えて、少女の親族が贈りました。折り鶴がつないでいるのは強い平和への思いです。

少女の祈りが込められた折り鶴

8月15日に茅ヶ崎市で「平和の集い」の中で、1羽の折り鶴が茅ヶ崎市に贈られました。菓子の包み紙のような紙で折られた3センチほどの小さなものです。

折り鶴を折ったのは広島で被爆した少女で、平和公園にある「原爆の子の像」のモデルにもなった、佐々木禎子さん。禎子さんは2歳の時に広島で被爆し、10年後に白血病を発症しました。回復を祈って折り鶴を折り続けながら、12歳で亡くなりました。

遺品の折り鶴は広島市の原爆資料館のほか、国内外各地に贈られ、原爆の悲惨さや平和の大切さを伝える役割を果たしています。

国境を越えた交流

小松眞知子さんは約40年前から、茅ヶ崎市など地域で子どもたちの平和学習を支える活動を続けています。折り鶴の寄贈を、茅ヶ崎市や禎子さんの親族に働きかけてきました。

昭和16年、真珠湾攻撃は太平洋戦争の発端となりましたが、真珠湾があるハワイ・ホノルル市は茅ヶ崎市と姉妹都市です。ホノルル市には4年前、平和や和解の象徴として、禎子さんの折り鶴が贈られました。ホノルルで折り鶴を見た小松さんは、茅ヶ崎からも、折り鶴を通して、戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えていきたいと考えました。

「昔で言ったら、敵でしょ。敵国に日本の一少女の鶴が置かれているっていうのは感動しましたね。アメリカと日本が、日本の中のこの茅ヶ崎が姉妹都市なんだから、もっと仲よくしたいなという思いもあって。命の大切さ、戦争はいけないもんだよということを伝えたい」(小松眞知子さん)

多くの若い世代にも

小松さんの近くに住んでいる樫村従子さんは、禎子さんと同じように広島で被爆しました。21歳だった樫村さんは当時、爆心地から2キロあまりの自宅にいました。樫村さんは小松さんの平和への思いに共感し、茅ヶ崎市内の小中学校で、被爆体験を伝えています。

樫村さんの思いを近くでずっと聞いてきた小松さんは、被爆者の願いが込められた折り鶴を、多くの若い世代に見てほしいと思いを強くし、「思いやる心や命の大切さを禎子さんが一生懸命折った鶴から感じ取ってもらえたらうれしい」と考えています。原爆投下から72年。折り鶴に込められた平和の願いが、世代や場所を越えてつながっていきます。