産後うつ 手遅れになる前に

増え続ける児童虐待。国の調査によりますと、去年(平成28年)3月までの1年間に児童相談所に寄せられた児童虐待の相談対応件数は10万3000件あまりに上りました。虐待をした人の半数が実母。一方、虐待を受けた子どものうち2割が3歳未満の乳幼児でした。





なぜ児童虐待が起きてしまうのか。その理由の一つに母親の「産後うつ」があるといわれています。
今、妊婦の10人に一人がかかるといわれている「産後うつ」。泣き止まない赤ちゃんをあやしたり、3時間おきに授乳したりと、出産後、特に初めての子育てを経験する母親にとっては生活が一変し大きなストレスにさらされます。また、産後すぐはホルモンバランスが急激に変化するため、精神の安定を崩しやすく産後うつの症状が出ることもあります。症状が悪化した場合、感情のコントロールが難しくなり子どもに危害を加えてしまう恐れもあるのです。
児童虐待を未然に防ぐために、母親の産後うつに早期に気づき、治療につなげる取り組みが全国に先駆けて東京・世田谷区で始まっています。

対策急がれる産後うつ

産後うつは、うつ病と同じ症状が現れる病気で、思いあたる理由もなく気分が憂うつになったり、感情のコントロールが難しくなったりします。また、やる気や集中力の低下を伴い、子育てにも支障が出てきます。

今回取材した母親の中には、もっと深刻な症状まで悪化したケースもありました。このうち、現在2歳の男の子を育てる母親は、出産直後から不安感やイライラを抑えられなくなりました。症状は日ごとに悪化し、一時は子どもを道連れに自殺することも考えたと言います。

実際にこうしたケースは珍しくなく、去年、茨城県では生後2か月の赤ちゃんが母親に殺害される事件が起きています。30代の母親は育児に悩んで産後うつの状態だったことがわかりました。

痛ましい事件が後を絶たない中、国や学会では産後うつへの対応策を盛り込んだ医療関係者向けのガイドラインの策定を進めていて、近く公表する予定です。

早期発見は産後2週間がカギ!

これまで産後うつの発症時期には個人差があるとされていました。しかし、近年の国の調査では、発症のリスクは出産から2週間後が25%と最も高く、産後1か月でも17.4%と、短い期間に集中してリスクが高まることがわかってきました。

そのため、策定中のガイドラインでも、出産まもない時期にうつの兆候を「早期発見」するよう求めることにしています。

東京・世田谷区の取り組み

母親たちの異変に早くから気付き、治療につなげていく先進的な取り組みが東京・世田谷区で始まっています。

まず、早期発見を担うのが産婦人科医院です。出産後の健診は生まれてから1か月が一般的ですが、こちらの産婦人科では2週間後に行っています。そこでは赤ちゃんの成長を見るだけでなく、チェックシートを使って母親の精神状態も確認しています。

チェックシートで尋ねるのは10の質問。例えば、「はっきりした理由もなく不安になったり心配した」ことがないかや、「悲しくなったり惨めになった」ことがないかについて、細かく回答してもらいます。健診にあたる助産師はこれらの回答内容を慎重に検討して、産後うつのわずかな兆候も見落とさないようにしています。

産後2週間の健診を受けた母親の1人は「出産して自宅に戻ってから、子育てなどについて聞きたいことが次々と増えてきました。2週間のタイミングで健診を受けられたことは、気持ちの面でとても救われたと思います」と話していました。

この産婦人科医院によりますと、2週間健診によって、母親の2割近くに産後うつの兆候が見られることがわかったということです。

精神科医師も巻き込む

では、兆候が見られた母親をどのように治療につなげていくのでしょうか。

世田谷区では精神科医との連携を強化して、母親をサポートしています。その足がかりとなっているのが毎月開催されている医療関係者の会合です。そこでは、産婦人科医や助産師、保健師に加えて精神科医も参加し、情報の交換や医療連携を深めています。

その結果、産婦人科では治療できない産後うつの母親を、精神科にスムーズに紹介できる枠組みが作られました。こうした異なる診療科がつながって産後うつのケアにあたるのは、全国的にも珍しい取り組みです。

病気の芽を早めに断つ

この取り組みに参加している世田谷区内の精神科クリニックには、産婦人科医院や保健師から紹介を受けた母親が数多く通っています。

毎週通っている女性は、初めての育児で家族からも全面的にサポートを受けていましたが、漠然とした不安感が日に日に増していきました。ついに耐えきれず、区の保健師に相談したところ、精神科クリニックを紹介されたということです。女性は正式に産後うつと診断され、授乳中でも服用できる薬を処方してもらったことで、今では症状を抑えることができています。


クリニックの生田洋子医師は「産後うつは時間がたてば自然に治ると思われがちで、医療関係者にもそうした誤った考え方が広がっていて対応が後手に回りやすい。早い段階から母親の不調に気付いて、治療につなげられれば、病気の芽が小さいうちに断つことができる」と話しています。

親子デイケアも併設

さらに、このクリニックでは、受診に訪れた母親が子どもと一緒に利用できるデイケアも行っています。常駐する臨床心理士や看護師にささいなことも相談してもらうことで、育児の不安を解消しようという狙いです。

さきほどの女性も「このクリニックに出会っていなかったら私は自殺していたのではないかと思います。今でももちろんイライラすることはありますが、元気に過ごしています」と気持ちの余裕を取り戻していました。

今後の課題は

この記事をご覧になって、「産後うつの兆候のある母親を精神科につなぐことがそんなに珍しいことか」と思った方もいるかも知れません。ただ、この取材を通して痛感したのは、うつの悩みを1人で抱えて悪化させたり、自然に治ると思って手を打たずに放置したりしたケースがあまりに多いということです。

また、助産師などに話を聞くと、精神科を紹介しても抵抗感を抱く母親が少なくないほか、育児を優先する責任感の強い母親ほど自分の治療を後回しにしがちだといいます。

家族など周囲の人は、精神科への受診を本人の意思に任せるだけではなく、一緒に受診することを促したり、場合によっては本人に代わって医師と面談したりすることも必要だと感じました。

現在、国や日本産科婦人科学会など関係機関が策定を進めているガイドラインにも、早期発見のための手引きや、専門医どうしの連携の在り方などが盛り込まれる見通しで、世田谷区のような取り組みがほかの地域にも広がることが期待されます。

  • ネットワーク報道部
    野田綾 記者

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