残された課題

“がん後遺症” 社会復帰を阻む壁

2017/03/22

日本人の2人に1人がかかるといわれるがん。医療の進歩によって患者の生存率は飛躍的に向上していますが、がんが治ったあといざ社会復帰をしようとすると大きな壁に阻まれることが多い実態をご存じですか。”がんの後遺症”です。手術や抗がん剤などの治療を受けたあとに体が動かしにくくなったり、手足の激しい痛みやしびれが出たりして、仕事や生活に深刻な影響を及ぼします。後遺症の予防や治療には、「がんのリハビリテーション」が有効だとされていますが、医療の制度や態勢に課題があり、リハビリが必要なのに受けられない患者は少なくありません。がんを経験したいわゆるがんサバイバーは国内で推計500万人。がん経験者の社会復帰のために今何が求められているのか取材しました。

結婚指輪が着けられない

「外せなくなると指輪を切らなければいけなくなると言われたので、怖くなってしまって・・・」 千葉県に住む芹川和子さん58歳です。9年前、乳がんと診断されました。手術は成功しましたが、退院後、がんの後遺症の1つ、「リンパ浮腫」に苦しんできました。「リンパ浮腫」の症状は、ひどいケースでは手足が曲げられなくなるほど太くなる激しいむくみが特徴で、悪化すると痛みや高熱などの炎症反応が出ることもあります。がんの転移を防ぐために手術でリンパ節を切除したり、放射線治療の影響でリンパの流れが滞ったりすることで治療後しばらくしてからおこることが多いと言われます。

芹川さんもがんの再発を防ぐために抗がん剤や放射線治療を受けましたが、その後、リンパ浮腫の症状が出始めました。「リンパ浮腫」は、一度、発症すると治りにくく、悪化すると長期間安静が必要になることもあるため、退院後、社会復帰を目指そうとするがんサバイバーにとって、深刻な影響を与えるがん後遺症です。芹川さんの場合、左腕全体が腫れあがる症状が繰り返しあらわれるようになり、お風呂に入るとき以外は左腕の付け根から手のひらまで包帯などを何重にも巻いて過ごさなければならならなくなりました。英語の塾講師をしていた芹川さんは、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けてしまったつらい時期にもかつらをかぶり、英語の力を落とさないよう英会話学校に通っていました。

しかし、「リンパ浮腫」の症状がいったんあらわれると、1か月以上続くことも少なくなく、一時は仕事に復帰したものの、結局、辞めざるを得なくなったといいます。芹川さんは「当初は治療を終えることで頭がいっぱいで、後遺症のことまで考えていませんでした。治療が終わり、仕事ができるかもしれないと思って復帰したら症状が出てしまいました。いろいろなことにだんだん消極的になってしまいとてもつらいです」と思いを語ってくれました。

リハビリが拠点病院でさえ受けられない

がん患者の社会復帰を妨げるがん後遺症。実は、退院後にリハビリテーションをしっかり行えば、症状が出るのを大幅に抑えることができるとわかってきています。日本リハビリテーション医学会が4年前の平成25年にまとめた国内初のガイドラインには、がんのさまざまな後遺症にリハビリがどの程度効果があるか紹介されています。例えば、芹川さんが苦しんでいる乳がんのあとのリンパ浮腫については、柔軟体操やマッサージなどのリハビリを継続して受ければ、発症のリスクを7割以上減らせる事が紹介されリハビリの実施が強く推奨されています。

また、肺がんや大腸がんなどの患者も退院後のリハビリを継続的に行うことで手術後に続く手足の痛みやしびれを抑えたり、治療後に起こる肺炎などの合併症の発症リスクを下げたりする効果があることも紹介されています。しかし、日本ではこの社会復帰に重要なリハビリがなかなか受けられない実態が初の調査でわかってきました。慶応大学の辻哲也准教授ら日本医療研究開発機構の研究班は、がんのリハビリの実施状況を調べようと、全国に427あるがん拠点病院を対象にアンケート調査を実施しました。がん拠点病院は、全国どこでも質の高いがん医療を提供できるよう国と都道府県が設置したもので、地域のがん医療の中心となっている医療機関です。

ところがアンケートの回答を寄せた188のがん拠点病院のうち、退院後、外来でリハビリが行われていたのは45病院のみ。4分の1しかありませんでした。実施できない理由として最も多かったのは、保険診療の対象外となっているで65.5%、次いで、担当する医療スタッフの不足が56.4%、などとなっていました。がんのリハビリを巡っては去年12月のがん対策基本法の改正でも、患者の状況に応じた良質なリハビリを提供できるよう、国や自治体に求める内容が新たに加えられています。

調査を担当した辻准教授は「拠点病院であっても態勢が十分でないことは重く受け止めるべきだ。がん患者の社会復帰には、外来での長期的な支援が重要で国は早急に診療報酬など制度を改善してほしい」と話しています。

患者独自の取り組みも

こうした状況の中、自らの力で少しでもがん後遺症をよくしたいと取り組みを始めた患者たちがいます。

東京・江東区にある、がん研有明病院。ここでは、手足の痛みやしびれが何年も続くなどがんの後遺症に苦しむ患者らが患者会を作り、定期的に集まっています。この日は、リンパ浮腫のむくみを抑えるために腕や足を上げ下げする体操などをゆっくりとした動作で30分ほどかけて行いました。会を立ち上げたのは、9年前に乳がんと診断されたあとリンパ浮腫の後遺症に苦しみ続けてきた広瀬真奈美さん(54)です。

医師からは、後遺症の予防には適度な運動が有効だと言われたものの、どんな運動をどれくらいすればいいのかわからず途方に暮れました。専門家の元でリハビリを受けたいと病院を訪ね歩きましたがいずれも「がん患者のリハビリはできない」と断られたといいます。広瀬さんは「がんは治っても後遺症があると社会復帰が難しいのに、そのための支援が無い状況に愕然としました。仕事も子育てもあるのにどうやって生活していけばいいのかと本当に不安に感じた」といいます。

このままでは、同じような悩みに直面するがん患者が増えるばかりだと、広瀬さんは、医師や看護師それに理学療法士などに協力してもらい、がん患者のための運動プログラムを作成。現在は、患者会の集まりのほか、都内のスポーツクラブなどでがん患者のためのさまざまな運動教室を運営するようになっています。

広瀬さんは今、がん患者がリハビリを受けにくい実態について次のように訴えています。「患者さん個人の症状に合わせた運動プログラムを組むことができないなど私たちができることは限られています。がんサバイバーは今後も増えていきますし、私たちはがんが治ったあとも生きていかなければなりません。治療のあともがんサバイバーの社会復帰を支えてくれるよう医療が変わってくれることを願っています」

がんのリハビリの実態調査を行った慶応大学の辻准教授の研究班では、全国にがんのリハビリが広がる下地を作ろうと、がんの種類ごとにどんなリハビリの効果が高いか具体的なプログラムを検証する研究を始めています。がんサバイバーが急増する中、がん対策基本法の基本理念である「がん患者が安心して暮らすことのできる社会」を実現するために国をあげた取り組みが求められます。

辻准教授らの研究班 ホームページ
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