みんなで止まれば、速くなる

これまでの記事について、ある企業からメールをいただきました。
「エスカレーターは2列で止まって乗る方が、片側だけを歩くよりみんなが速く移動できます。シミュレーションで検証してみましょう」ということで早速、取材に伺いました。

「エスカレーター、止まって乗りたい」
そう願う人たちの事情や思いを取材して、これまで2回にわたって紹介したところ、記事を読んだある企業からメールをいただきました。
「エスカレーターは2列で止まって乗る方が、片側だけを歩くよりみんなが速く移動できます。シミュレーションで検証してみましょう」
ということで早速、取材に伺いました。

登場!シミュレーションの専門家

協力を申し出てくれたのは、東京・中野区にある「構造計画研究所」。建物の構造設計から、それを利用する人の流れのシミュレーションまで幅広い業務を手がける企業です。

ここで人や車の行動モデルなどをシミュレーションしているチームの室長、北上靖大さん(左)と小川倫さん(右)の2人が、今回の検証の担当者です。

「エスカレーターで危ない思いをしている人たちがいる現実を知って、自分たちの知見を生かせるのではないかと思ったんです」

シミュレーションは
どうやるの?

エスカレーターは、関東の場合は左側に止まり、右側は歩いて上る人のために空けるという乗り方が広まっています。

シミュレーションでは、この「左停止・右歩き」と、誰もが止まって乗ることを前提とした「2列停止」の2通りの乗り方について、一定の前提条件のもとでコンピュータ上で再現して、決まった人数を運ぶためにかかる時間を比較します。

このように「ある幅の空間を、決まった時間の中で、どれくらいの人が通り抜けられるか」をシミュレーションする手法は、避難計画などにも用いられるそうです。

前提条件は?

今回のシミュレーションの前提条件は、以下の通りです。

1)エスカレーターは全長30メートル。
通常の商業施設にある1フロア分のエスカレーターは10メートル前後で、30メートル程度のエスカレーターは、地下鉄などで見られます。

2)利用客は350人。

3)このうち「歩く人」の割合は、駅のエスカレーターを利用する人の行動を研究した論文を参考に30%と設定。

4)2列停止は1段に2人が乗り、前後の間隔を1段空ける。

5)歩く人は、前後の間隔を2段空ける。

果たして結果は?

こちらが、シミュレーションの結果を示した動画です。
灰色で描かれているのがエスカレーターで、青は「止まって乗る人」、赤は「歩く人」
左側のエレベーターが「2列停止」、右側が「左停止・右歩き」です。
果たしてどちらが効率的なのでしょうか?(動画は時間を短縮しています)

40秒以上の差が。
その理由は?

350人が、エスカレーターを通り抜けるまでにかかる時間は、「2列停止」が6分49秒、「左停止・右歩き」が7分35秒。46秒も差がつきました。
これほどの差がつく理由は、渋滞の発生です。

「右側を歩く」シミュレーションの静止画をご覧下さい。

入り口付近の青い人たちの列が、1本の線のようにつながっているのがわかります。
歩く人のために右側を空けようとして、左側に人々が集中して渋滞が起きているのです。
利用者を1000人に増やした場合、その差は1分49秒にまで広がります。

ちなみにこのシミュレーションでは、単位時間当たりの輸送人員が変わらないため、エスカレーターの長さを変えても同様の結果になります。
ただ、エスカレーターが短い場合は歩く人の割合が増え、逆にもっと長いと歩く人は減ると予想され、それによってシミュレーションの結果は変わってくるそうです。

速いのはあなただけ

シミュレーションでは、全員がエスカレーターを通過するまでの時間を計算しました。
このため右側を歩く人だけを考えれば、止まって乗る人より速くエスカレーターを通過することが出来ます。

でも、一部の人のために多くの人が不便を強いられる結果になります。
さらに、歩くことで転倒や転落の危険性も高まります。

シミュレーションは、あくまで一定の条件のもとでの結果ですが、総合的に考えると、エスカレーターは「2列停止」で乗ることが、より速く安全だと言えるのではないでしょうか。

シミュレーションが
果たす役割

ここでシミュレーションを担当してくれた北上さんの事を少し。
妻の実家は宮城県気仙沼市で、東日本大大震災の時に家が津波で流されたそうです。

こうした経験から、徒歩や車、自転車などをどうやって組み合わせて避難したら津波から命を守ることが出来るのか、日々の業務でシミュレーションを行ってきました。

この中で見えてきたのは、ひとりひとりの人間は、局所的にしか物事を考えることが出来ず、それが全体のリスクを高める場合があるということです。

「人間は、自分の身の回りのことしか理解できないけれど、シミュレーションは、全体としてどこに問題があるのか、どうしたらいいのかを導き出してくれる。
エスカレーターの乗り方といった身近な課題から災害からの避難など命に関わることまで、シミュレーションを社会に役立てたい」(北上さん)

片側空けの習慣は大阪から

日本でのエスカレーターの歴史に詳しい江戸川大学社会学部の斗鬼正一教授は、「もともとは歩くものではなかった」と指摘します。

日本で最初にエスカレーターが設置されたのは大正時代の百貨店。
その後、昭和に入って広まりましたが、いずれも「楽に登り、楽しむ」ためのもので、昭和30年代くらいまでは「客寄せの道具」として使われたそうです。

状況が変わったのは、昭和の高度経済成長期。大阪の阪急梅田駅に動く歩道とエスカレーターが登場した際に、「先を急ぐ人のため、左側をお空けください」とアナウンスされたのが片側空けのきっかけだと斗鬼教授は指摘します。

その後、効率重視の世の中となり、大阪でも東京でも片側空けが広まったというのです。

「2020年の東京大会は、『速いことは良いこと』という価値観から転換する絶好のチャンスではないでしょうか」(斗鬼教授)

別の問題を指摘する
専門家も

「エスカレーターの入り口で発生する渋滞は、別の問題も生じさせている」

こう指摘するのは、渋滞学の専門家で、東京大学先端科学技術研究センターの西成活裕教授です。

駅のホームでは、混雑がひどい時ほどエスカレーター入り口の渋滞の列が伸び、電車の車両2台分もの長さになることがあると言います。
この渋滞の列が、電車に乗り降りする利用客の動きを妨げ、運行にも支障をきたすほどの状態になっているというのです。

その解決策の1つとして西成教授が提案するのが「2列で止まって乗ること」

西成教授は去年、鉄道会社などと連携し、混雑時の安全な誘導方法を模索する「群衆マネジメント研究会」を発足させました。この研究会で、エスカレータの渋滞解消についても提言していきたいと考えています。

2020の混雑緩和に向け

2020年のオリンピック・パラリンピックの期間中にはのべ約1000万人たちが日本を訪れると見込まれ、公共交通機関なども混雑が予想されます。

10月31日には東京都と大会の組織委員会が、何も対策を行わなかった場合の大会期間中の鉄道などへの影響を予測し公表しました。

それによると都内の競技場に向かう路線を中心に、通常のラッシュに加えて、観客の移動で大きな混雑が発生するということです。

こうしたことからも西成教授は、エスカレーターの渋滞対策を急ぐべきだと言います。

「エスカレーターの片側空けがこれだけ広まっているとすぐに変えるのは難しいかもしれないが、今、ホームは危険な状態にある。まずは朝夕の混雑がひどい時間帯から2列で詰めて止まって乗ることを電光掲示板でよびかけることなどが必要ではないか」(西成教授)

みんなで止まれば、
速くて安全

取材を進めると、ケガや障害でエスカレータに止まって乗りたい人のためだけでなく、日頃利用するより多くの人にとって、今の乗り方を改めていく必要があることがわかってきました。

「エスカレーター、みんなで止まれば、速くて安全です」