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19のいのち

67歳の男性

67歳の男性

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた兄の調書から

最後に弟に会ったのは平成28年7月10日でした。この日私は施設で20分ぐらい、弟の身の回りの世話をしました。弟は会話もできず、話しかけても理解しているのか理解していないのか分からないことのほうが多くありました。それでも弟は一生懸命伝えようとするので、何を言いたいかが何となく分かることもありました。帰り際、私は弟に「兄ちゃん帰るからな。また来るからよ」と言うと、弟はその言葉を理解したのか、右手をあげて「おー」と笑顔で挨拶をしました。その様子を見ていた職員は「1番いい顔をしているね」と言ってくれました。これが弟との最後になるとは夢にも思っていませんでした。

弟は生まれつき知的障害があったと親から聞いています。やまゆり園に入所した当初、弟は年に何度か家に帰省していました。弟はやまゆり園での生活が気に入ったようで、一時帰宅で自宅に来たときには、職員から着せてもらった服を見せながら言葉にならない言葉で「先生から着せてもらった」と話していました。私が脱ぐように言うと「これは脱げない」とジェスチャーしていました。弟は職員を本当に信頼していたのだと感じています。

職員は「意思疎通がしやすい」と話していました。弟は園では職員の手伝いもしていたと聞いています。草刈りが得意で、職員に草刈りの仕方を教えていたとも聞いています。誕生日に職員から腕時計を買ってもらったようで、その時計をいつもしていました。入所した頃は、食事も着替えも全部できていましたが、年を重ねるにつれ目が見えづらくなったり、耳が聞こえづらくなったりし、車いすで移動することも多くなりました。

弟は外で小さい子が1人で歩いているのを見ると「危ないよ」と話しかける心優しい人間でした。小さい頃によく山に遊びに行きました。ザリガニをとるなどして遊び、手にけがをして血を見るとすぐ泣き出してしまう、繊細な性格でした。私は家を出て働いていましたが、弟は家で両親と一緒に家事をしてくれました。両親と家を守ってくれていたと思っています。父が亡くなり仕方なく施設に預けることになると、母はさびしそうにしていました。

弟は足が悪く、とっさに逃げられなかったんだと思います。血を見るだけで泣き出してしまう弟がどれだけ怖い思いをしたのかは計り知ることはできません。弟は今は何も言うことができません。私は弟の面倒をみてきて手を焼くことがありました。それでも弟を人間としてみなかったことは一度もありません。どんな人間でも命は命です。被告にはとにかく起こした事件の罪を償ってほしいと思います。

更新2017年01月 更新

元施設職員(男性・70代)

10年以上担当させてもらいました。私をすごく慕ってくれて、シーツ交換や掃除などの仕事をよく手伝ってくれました。シーツは部屋の外にまとめて出してくれるなど丁寧な仕事ぶりですごく助けられました。草むしりや畑仕事もよくやってくれていて、以前、園で飼っていたヤギやニワトリの世話もしてくれました。いろいろと教わったり教えたり、今思えばいい相棒でした。
演歌が好きで、北島三郎さんのテープを100本近く持っていて、夜はいつもヘッドホンでテープを聴いていました。そのまま寝てしまうことも多く、夜の巡回の時にヘッドホンを外してあげたことを思い出します。一番思い出に残っているのは、横浜市のホールで行われた北島三郎さんのコンサートに2人で行ったことです。社会勉強のために電車を使って行き、切符も自分で買うことができました。会場で同じ湯飲みを2つ買うのでどうしてだろうと思ってみていると、そのうちの1つを「これはね、先生に記念にあげる」と言ってプレゼントしてくれて、本当にうれしかったです。その湯飲みを仲間にもうれしそうに自慢していました。私も、もらった湯飲みはそれからずっと自宅で使っていて、今も湯飲みを見ると彼のことを思い出します。亡くなったことを聞いた時には、まさかと思いました。なんで、あんないい人が亡くならなくてはいけなかったのか、今もわかりません。

元施設職員(男性・50代)

洗濯物をたたんだり、入浴の後に、利用者の脱いだものを洗濯物置き場に持ってきてくれたり、とてもよく職員を手伝ってくれたことが記憶に残っています。すごく助かっていました。外部から園に来た人だと、彼が職員なのか、利用者なのかわからないような感じで、私も最初は職員かと思ったくらいです。非常に温厚な方で入所者のリーダー的な存在でした。畑仕事が好きでイモ掘りで収穫したイモを調理して食べたりして楽しく過ごしていました。虫も好きで若い頃はよくカブトムシやクワガタを採っていたそうです。亡くなられたと聞いて、初めは、まさか、信じられないという気持ちでした。あんなにしっかりしていたのに、何でこの人がという気持ちです。

元施設職員(女性・70代)

職員から「準職員」と呼ばれるほど、本当に頼りになる人でした。入所者どうしのけんかがあっても、間に入ってやめさせてくれたこともありました。職員やほかの入所者たちからも一目置かれていて、私も本当に助けられました。演歌が好きで、特に北島三郎さんが大好きで、よくテープを聴いていました。

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