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19のいのち

山本利和さん(49歳)

山本利和さん(49歳)

更新2021年07月 更新

元職員・原田隆彦さん(献花時の話)

山本さんとは津久井やまゆり園で6年間過ごしました。今回、鎮魂のモニュメントができ、名前が記されたことで、亡くなられた方に対して、強く思いを伝えられる場所がようやくできたと思いました。そういう意味では、すごく大きな一歩かなと思います。5年経ってはじめて本当に亡くなられた方の御霊にお祈りが捧げられた気がして胸がいっぱいです。

本当に様々な関わりがありました。生活するところにずっと一緒にいたわけですし、ご本人が笑っているところも、怒っているところも、落ち着かないときも、落ち着いて楽しそうにしているときも、常にいっしょにいた感じがします。今となってはいい思い出しか出てこないです。

名前が記されたことについては万感胸に迫る思いがあります。家族の決断もそうですし、これまで5年間誰からも知られることのなかった亡くなられた方のことを、ようやく知ってもらえたことに大きな意味があると思いますし、障害者だからこそ、障害者であるという理由で名前を隠された方もいらっしゃる中で、よく名前を出す決断にいたって下さったなと、ご家族には感謝しかありません。

名前が刻まれたモニュメントは、共生社会を実現するために我々は何をするべきなのかを常に問うている場所だと思っています。自分自身がちゃんとした福祉職員であるためにも、どんなことがあっても、福祉に携わる人すべてが事件を忘れてはいけないと思いますし、風化させてはいけないと思います。私自身もそのことを忘れないようにするために、これからも訪れて手をあわせていくと思います。

更新2020年07月 更新

法廷で読まれた母親の調書から

息子が亡くなったと聞いて、息子との思い出が次々とこみ上げてきて、自然と涙が出てきました。息子は本当に手のかかる子でしたが、私たちにとってはかけがえのない子でした。その命を事件で奪われました。

息子は初めての子どもで、2歳から4歳くらいのころに同年代の子どもより言葉の発達が遅く、病院で診察を受けて障害があることがわかりました。夫は不安がらず「障害があってもなくても、自分の子どもは見捨てない」と語っていたので、私の不安も和らぎ夫と同じ気持ちになりました。息子は夫と囲碁を打ったり外出したりすることが好きで、特に囲碁を打っているときは、障害があるとは思えない様子でした。

グラタンが好きで、喫茶店でグラタンを食べているときはいい笑顔をみせていました。車に乗るのも好きで、夫と旅行するときは助手席に乗って安全確認をしてほめられると、うれしそうにしていました。成人を迎えたときは、本人の希望で当時はやっていたパンチパーマにしてスーツを着てうれしそうにしていました。私は「格好ばかり立派になって」と軽口を言いました。

息子は人に物を「ちょうだい」とか「貸して」とは言うものの、相手の意思を確認せずに行動することがあり、トラブルになる場面がありました。近所の友達にいじめられて逃げる際に、走って人にぶつかってけがをさせることもありました。私たちが年老いたときのことを考えて不安になり、私たちが亡くなっても安心して暮らせるように、入所させることにしました。私は息子を自立させることができなかったことを後悔していました。

園に行ったときには部屋で息子との時間を大切にして過ごしていました。5年くらい前に私が関節を痛め、2か月に1回のペースで施設の職員が自宅に連れてきてくれました。その時は亡くなった夫に線香をあげてしばらくその場に座っていました。その姿を見て本当に夫のことを大切に思っていたんだなと思いました。誕生日に施設に電話して本人に「おめでとう、何歳になったの?」と聞くと「49歳になった」と返事をし、照れくさそうにしていたのが最後の会話になりました。

動かなくなった姿を見たとき、息子の必死に生きてきた人生は何だったんだという気持ちになりました。息子は必死に生きていました。私は、息子が生きているだけで幸せでした。被告には極刑を望みます。

更新2017年01月 更新

元施設職員(男性・70代)

10年以上担当させてもらいました。すごく元気が良くて、散歩で外を歩くのが好きでしたね。散歩の時に少し足が遅い人と手をつないで引っ張っていってくれました。
少し手がかかるところもありましたが憎めない人でした。悪いことをした時には叱ることもありましたが、信頼関係が築けていたので、自分で悪いことをしたなと思った時には必ず報告にきてくれたことが懐かしく思い出されます。
囲碁が好きで、日曜日の囲碁の番組を見ながら、いろいろと囲碁のことを話していたことをよく覚えています。ご両親は「子どもの頃から囲碁が好きだった」と言っていました。囲碁の月刊誌を買ってあげたらとても喜んで、よくベッドの上で雑誌を広げて「お前がこうなら俺はこうだ」などと、夢中になって囲碁の手を考えていました。「先生は囲碁は知らないんだよ、残念ながら」って言ったら、「今度、僕が教えてやるよ」なんて話をしたこともありました。天国で、楽しく本物の囲碁をやってこいよって伝えたいです。

元施設職員(男性・50代)

囲碁や将棋がすごく好きで、毎週日曜日になると囲碁や将棋の番組をみていました。眉間にしわをよせて、じーっと真剣に見ていたのを覚えています。どういう手を打てばいいか自分なりに勉強しているようでした。将棋の相手をしたことがあるのですが、なかなかの腕前でした。ルールもちゃんと頭に入っていたので、お父さんから教わったのかもしれませんね。普段はにぎやかなのですが、そういう時はすごく集中して静かでした。
電車も好きで、「ドアが閉まります。ドアが閉まります。ご注意下さい」と大きな声で言いながら廊下を何往復もして楽しんでいました。彼がそれをやると、他の利用者はみんな道をあけていて、その真ん中をうれしそうに歩いていましたね。とにかく元気な方で目立つ存在でした。あんなに元気な方だったのに、何でこんなことになってしまったのか、本当に悲しいです。

元施設職員(女性・70代)

囲碁が大好きで、日曜日の囲碁のテレビの時間になると必ず自分の部屋に戻って、かじりつくように放送を見ていました。買い物を体験する訓練で行ったデパートでは、プラモデルを買って自分で作ってもいました。精神的に落ち着かない時に手がかかる時もありましたが、ふだんは人なつっこく甘えてくる憎めない人でした。お父さんからとても大切にされていて、施設の運動会では一緒にご飯を食べたり、競技に参加したりと仲良しでした。

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