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19のいのち

66歳の男性

66歳の男性

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた兄の調書から

弟は生まれつき知的障害がありました。身ぶり手ぶりで一生懸命何かを伝えようとしていました。他人のしゃべっていることを理解しているようで、嬉しそうな顔や嫌な顔をしていて、自分の気持ちを伝えることができました。活発な子どもでいつも走り回っていました。3年前からは車いすで生活するようになりました。それでも車いすは嫌なようで床をはって移動することもありました。食事や排泄は、時間はかかりますが自分でできました。

ラジオのチューニングが好きで、ダイヤルを合わせてきれいな音が出ると嬉しそうな顔をしていました。ラジオを分解して組み立てることも好きでした。うまく組み立てられたことはありませんでしたが、面会の際は「あー」と言って「ラジオを持って来たでしょ、ちょうだい」というようでした。人なつっこいのと寝起きが悪いのが特徴でした。

戦後の時代だったので弟は小中学校には通っていませんでした。私は弟と遊ぶことが楽しく毎日遊んでいました。両親も疲れつつも一生懸命育てていました。特に母は弟のことを溺愛していて、弟も母のことが大好きでした。役所の人に施設が出来たので入らないかと言われ、いつまでもこのままではいけない、集団生活に慣れさせた方がよいと考え、やまゆり園に入所させることにしました。やまゆり園は本当によくしてくれて、感謝しかありません。弟も本当に好きで楽しく過ごしていて、そのことは弟の表情からよくわかりました。

弟は面会を楽しみにしていました。特に母親が生きているときは、面会日だと分かると朝から玄関で座り込んで待っていることもあったと職員から聞き、みんなで苦笑しました。最後に会ったのは7月10日でした。いつもと変わることはなくお土産のラジオを渡し、一緒の時間を過ごし、「また来るな」と声をかけて別れました。最後の姿を覚えていません。それほど普通の日常でした。その日が最後なのに普通に別れてしまって思い出せません。「もっと話せばよかった」「大好きなラジオも、もっと大きなものを買ってあげればよかった」と後悔する気持ちです。だびに付すときはラジオのおもちゃを入れました。天国では大好きな母親を独り占めし、ラジオを分解して遊んでいる姿が目に浮かびます。

被告を許すことはできません。ただ病的な精神異常者なら憎むことができません。遺族としてはおかしいのかもしれませんが、一方で障害者の家族としての気持ちがあるからです。私は精神障害者、身体障害者に関わることが多かったです。知的障害や精神障害というのは奥深いもので、簡単に人が理解したり説明できたりするものではないと思います。ですので弟を奪ったことは決して許さないが、恨みきれる自信がありません。でもニュースを見ると病的な精神異常者ではなく、ただの殺人者という面も見えてきているので、そうであれば絶対に許すことはできません。裁判では家族の無念を晴らしてほしいという思いもあります。また被告1人を死刑にすることでは解決できない、障害者への差別が深まることがないように願うばかりです。

更新2017年01月 更新

元施設職員(男性・70代)

とにかくラジオが大好きで、小さな携帯用のトランジスタラジオをいつも手に持ったり、ポケットに入れたりして持ち歩いていました。音を楽しそうに聴いていたのを覚えています。家族が面会の時に新しいラジオを持ってくると、とてもうれしそうに新しいラジオをいじっていました。
言葉が不自由な面もありましたが、日常生活にはほとんど支障がなくて、時々、おちゃめないたずらをする姿を見ていると、ほっとして癒やされるような気持ちになりました。何かというとちょっと声をかけたくなる存在でした。そんな無抵抗の彼を襲った行為は、絶対に許すことはできません。

元施設職員(男性・70代)

ラジオにこだわりがあって、365日、散歩に行くときも、寝るときも風呂にいくときも肌身離さずに持っていました。だから壊れたり電池が切れたりすると大騒ぎしていたことが懐かしいです。とにかく明るい人で、いつもニコニコしていてみんなに好かれていました。亡くなったと聞いて、「なぜなのだ」と強い憤りを感じました。いまも信じられません。

元施設職員(男性・30代)

ラジオが好きで、いつもラジオを持ち歩いていました。どこかに遠出する時は、行った先でラジオを買うのを最も楽しみにしていました。ラジオだけではなく、ボタンを押したら光る機械も好きでした。男性との思い出で最も印象に残っているのは、夜勤で泊まっていた時、ホームの中から「ひー、ひー」といった音が聞こえてきて、恐る恐る部屋の中をのぞくと、当時流行していた、押せば「へぇ~」と鳴るボタンを連打して遊んでいました。こちらはすごく怖い思いをしていたのに男性はニコニコしていて、拍子抜けしたことを鮮明に覚えています。そんなおちゃめなところがある人で、いまでも当時の同僚たちと集まれば、このときのことが話題になり、皆で男性のことを思い出しています。

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