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19のいのち

43歳の男性

43歳の男性

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた母親の調書から

園では楽しそうに生活していていつも笑顔でした。今でも園で生活を続けていると錯覚することがあります。そのたびに「死んだんだ」「会えないんだ」と思い直します。火葬が終わり、お骨も家に戻ってきていますが息子の死を受け入れきれていません。

息子が幼い頃、医者からは障害を持っている子はどんどん衰弱し、命を落とす子もいる、治す方法はないと言われ、何で死ぬ前提で話をしているのかと思いました。死なせてなるものかと反骨心やエネルギーがわいてきました。息子は親や職員など身近な人の話は理解できるようで、2つ程度の単語を組み合わせて話すこともできました。歩くことも物を取ることも、状態がいいと走ることもありました。意思疎通ができないことはありませんでした。

最後に会ったのは7月10日でした。会うときはいつも食堂で食事をとることにしていたのでこの日もバスで食堂に行きました。息子はフライ定食と焼きそばを注文し1人ですべてを平らげて楽しそうに笑っていました。苦しい家計のなかでも息子との食事のときには奮発して注文したいものを注文させてあげました。帰りに駅前でバスを待っていると季節外れにツバメが巣をつくっていて、息子は興味津々でいつまでも見ていました。今となっては息子と一緒にいるときに神様が最後に美しい光景を見せてくれたのかなと思っています。今でも食堂やツバメのことを思い出して心が壊れてしまうような気持ちになります。

事件が起きた日、施設に着くと園長に誘導されて部屋に入りました。息子が生きているのかどうかと聞くと、園長は震える声で「申し訳ありません。亡くなりました」と言いました。突然のことで涙も出ませんでした。息子に会えて顔をのぞき込むと、口を少し開けて笑っているような表情をしていました。「いままでありがとうね。お母さんはあなたが生まれてきてくれて幸せだったよ」と話しました。息子は言葉も少しできたので、事件のときに「助けて」「お母さん」と叫んでいたのではないかと思うと耐えがたく、早く息子のもとにいってあげたいと思ってしまいます。

被告には自分がやったことでどれだけの人が苦しんでいるのか、自分の考えが間違っていたと気づいて欲しいです。私は被告に死刑を望みます。自分の罪に気づき、悔やみながら刑を受けてもらいたいです。被告が死刑になったという話をもって息子のところにいきたいです。

更新2017年01月 更新

元施設職員(男性・30代)

野球が好きな人でした。男性のタンスにはたくさんの野球のユニホームが入っていたのを覚えています。箸を使って食事もできるし、1人で風呂に入って体も洗えるし、しっかりと自立していつもニコニコしていた人でした。

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