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19のいのち

65歳の女性

65歳の女性

更新2020年03月 更新

弟(2017年8月の手記に追記)

姉が私にとってどんな人か、と問われれば「姉は姉でしかない」と答えます。姉は知的障害があり、言葉を発することはできませんでしたが、両手の指を使い、ジェスチャーや表情で意思の疎通ができました。私にとって、大切な姉であり、大切な家族でした。

姉が施設に入ったのは、小学校3~4年生頃のことです。離れて暮らすようになるまでは、両親は、普通に私と一緒に外を連れて歩いていました。
姉は気が強いところと優しいところがある人で、気が強いところは父親似、優しいところは母親似です。一緒に電車やバスで出かけた時、お年寄りや子連れの人を見つけると、席を替わってあげていました。少し離れたところにいる人にも、わざわざ手を引いて連れてきて、替わってあげるのです。母がそうするのを見て、覚えていたのだと思います。
他方で、気が強いところもあり、幼い頃は物の取り合いなどでよくケンカをしていました。施設に入ってからも、帰宅訓練といって家に帰ってくることがあるのですが、ひっかき傷を作って学校に行くと「またお姉ちゃんにやられたの?」と先生に言われていました。姉の気が強いところは、父が意識してそう育てたところがあると思います。施設で離れて暮らさざるを得なかったので、一人でも泣かないように、強く生きられるように、との想いからです。

気が強いところもあった姉ですが、言葉が話せず、近所の子から、からかわれたり、いじめられたりすることがあったのは事実です。こんなことがありました。何歳のときだったか、記憶がはっきりしませんが、私がまだ小学生のとき、姉が何人かの子にからかわれ、いじめられているのを見つけたことがあります。私は怒って、怒鳴りながら彼らに向かっていきました。そして、逃げていく彼らに向かって石を拾って投げたら、一人の頭に当たって、怪我をさせてしまいました。
そのあと、母から「怪我をさせた子のところに行くから、ついて来なさい」と言われました。怒られるんだろうなぁ、と思っていましたが、母は私のことを怒りませんでした。母は、怪我をさせた子の家に行き、その子のお母さんに言いました。「怪我をさせてごめんなさい。治療費は払います。だけど、この子のしたことは、怒ることはできないんです」。その子のお母さんも「娘さんをからかってごめんなさい。許されることではないことをしました」と言って、怪我をした子を連れてきて、頭に包帯を巻いているその子にも、私たちに謝らせてくれました。

姉のやまゆり園での生活は、約40年に及びます。ここ2~3年は病気のために体が不自由でしたが、それまでは支援員の指導のもとで、組紐の絨毯編みやビーズ細工を楽しんでいました。
月に一度の面会には、必ず行っていました。姉も面会を楽しみにしてくれていて、ちょっと遅れたりすると、他の家族に、まだ来ないのかと聞いたりしていたそうです。入所していた人たちは、みんな、家族との面会を楽しみにしていて、家族が来れない時には不機嫌でしたし、来ると本当にニコニコしていました。被告人は、家族からの愛情がないなどと言っていましたが、そんな家族は一つもないと思っています。

今回、匿名で報道されたのは、障害のある姉を恥ずかしいとか、知られたくないと思ったからではありません。最初、匿名を希望している人がいると聞いたとき、私は「なぜ?」と思いました。けれども、私自身、今は乗り越えたものの、妻と結婚することになったときに反対する人がいた経験もあり、家族に障害者がいることで差別を受けることがある現実を知っています。各家庭でいろいろなご事情があるのは察することができたので、全員について匿名報道にすることに同意しました。
事件後、記者の人が家に来るたびに、今は亡き母は「なぜウチがこういうことを聞かれなければならないのか」と怒っていました。葬儀では、静かに姉を見送ることができ、自宅に大勢記者が押しかけるということも避けられたので、そういう意味では匿名報道をされて良かったと思っています。

今後も静かな生活を乱されたくありませんし、凄惨な現場や、遺体袋に入れられた姉の姿を思い出すだけで、胸が締め付けられます。
姉は、子どもの頃、障害のせいでいじめられていました。姉にはハンデがありましたが、私たちにとってかけがえのない家族でした。その姉が、このような形で命を奪われることになり、本当にかわいそうでなりません。被告人のことは絶対に許すことができません。

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた母親の調書から

事件のことは思い出したくもありません。何を話しても娘が戻って来るわけではありませんが、思い出はたくさんあって、あの子の気持ちの優しさが印象に残っています。障害はありましたが、すごく優しい子で電車やバスに乗ると、立っている小さい子どもを連れた人やお年寄りに席を譲ることができました。常に弱い人や子どもに思いを寄せることができる子どもでした。

しゃべれなくても私には娘が何を考えているか分かりましたし、私の思っていることを理解していたと思います。何の罪もない娘が事件で殺害されたことは、悔しくて悔しくて受け入れられません。親より先に逝ってしまったと思いたくもありません。被告がどんな罰を受けても娘は生き返りませんが、最も厳しい罰を与えていただきたいです。

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた弟の調書から

両親が年をとってきて支えられないことや姉の将来を考え、やまゆり園に入所するという苦渋の決断をしたと聞きました。私が会いに行くと唯一動く左手で手招きしたり、母を示す小指を使ったりして母を案じ、一生懸命気持ちを伝えてくれていました。私たちは姉をずっと見ているので、思っていることはなんとなくわかります。意思疎通が全くできないわけではありません。

事件の当日、園から連絡がなかったので無事だと思っていましたが、何かやらなくてはいけないことがあるかもしれないと思い向かいました。施設の部屋に入ると名簿があり「○」や「×」が書いてありました。姉は無事だと思っていたのですが、名前を見ると「×」が書いてあり、姉が何かの被害に遭ったかもしれないと思い、名簿を改めてみると死亡確認と書いてありました。一瞬目を疑いましたが、書いてあることに間違いはありませんでした。姉の顔は青白かったですが眠っているようでした。「お姉ちゃん」と声をかければ起きるのではないかというくらい穏やかな顔で、声をかけましたが反応がありませんでした。涙が止まりませんでした。即死ではなかったと聞き、絶命するまではどれほど痛くて苦しくて、地獄の数分間を耐えていたかと思うと、かわいそうでなりません。

最後に会ったのは7月10日のことでした。ホームを訪ねると嬉しそうに寄ってきて、私の姿を見るやにこっと笑って喜んでくれました。いつも私が帰ろうとすると泣いてしまって、この日も「じゃあ帰るね」と言うとすぐに泣きだしてしまいました。まさかこの日が姉と会う最後の日になるとは想像もできませんでした。

姉は純粋で優しく、その優しさを人に分け与えられる人でした。被告には姉の命が家族にとってどれだけ大切で、どれだけ尊いかを知ってもらいたいと思います。遺族の苦しみ、その人がどんな思いで絶命したかを考えてもらいたい。もし被告を私の前に連れて来てくれるのなら自分の手で命を奪ってやりたいと思います。現実にはそれはできませんが、それぐらい被告には憎しみを持っています。司法の判断で罪を償ってもらいたいと思います。

更新2019年07月 更新

やまゆり園元職員(60代・女性)

高齢の方が多かった施設の中で、同年代の入所者は少なかったのですが、私よりもちょっとお姉さんの彼女は、私にとって頼りになる存在でした。ぞうきんを縫ったり、一緒に洗濯物をたたんだりして、元気に作業していた姿を思い出します。わざとお腹を出して叩いて、みんなを笑わせてくれるひょうきんな面もありました。言葉で伝えることは難しかったのですが、私たち職員が話す内容は理解してくれていて、よく気配りができる人でした。何か周囲でまずいことが起きると、合図をしてくれたり、私の体を叩いたりして、私たちの気が付かないことも教えてくれました。自分の働きかけに対して、何らかの反応を返してくれ、自分自身教えられることも支えられることも多くありました。

事件から3年。彼女には「一緒に生活する中で、あなたが元気に頑張る姿を見て、私自身成長させてもらったり、支えてもらったりしました。3年が経っても、まだ事件は終わっていないように思いますが、私に何ができるのか考えています。安らかにお眠りください」と改めて感謝の思いを伝えたいです。

更新2017年08月 更新

姉は知的障害というハンデがありましたが、私たちにとってかけがえのない家族でした。姉は気が強いところと優しいところがある人で、気が強いところは父親似、優しいところは母親似です。一緒に電車やバスで出かけた時には、お年寄りや子連れの人を見つけると、席を替わってあげていました。少し離れたところにいる人にも、わざわざ手を引いて連れてきて、替わってあげるのです。母がそうするのを見て、覚えていたのだと思います。
被告人は、障害者は生きている意味がないなどと言っていますが、そんな風に思っていた家族は一つもないと思います。今回、匿名で報道されたのは、障害のある姉を恥ずかしいとか、知られたくないと思ったからではありません。最初、匿名を希望している人がいると聞いたとき、私は「なぜ?」と思いました。けれども、私自身、今は乗り越えたものの、妻と結婚するときに反対する人がいた経験もあり、家族に障害者がいることで差別を受ける現実があることは知っています。各家庭でいろいろなご事情があるのは察することができたので、全員について匿名報道にすることに同意しました。
葬儀では静かに姉を見送ることができ、自宅に大勢記者が押しかけるということも避けられたので、そういう意味では匿名報道をされて良かったと思っています。今後も、静かな生活を乱されたくありませんし、凄惨な現場や、ストレッチャーのうえの遺体袋に入れられた姉の姿を思い出すだけで、胸が締め付けられます。自宅への取材・訪問はやめて頂きたいです。
子どもの頃、障害のせいでいじめられていた姉が、このような形で命を奪われることになり、本当にかわいそうでなりません。被告人のことは絶対に許すことはできません。

更新2017年01月 更新

元施設職員(女性・70代)

明るくて世話好きな方でした。洗濯物を畳むのが大得意で、ほかの入所者の衣服やタオルを畳んで、決められたタンスにしまってくれるなど、よく私たちを手伝ってくれました。うれしいことがあると声を出して楽しそうに笑っていたことを思い出します。
積極的で行動力もあって、遠足ではどこに行くにも先頭でした。職員を「急いで、急いで」と、ひっぱる姿が目に浮かんできます。話すことが少し苦手でしたが、言葉はちゃんと理解していました。ふだんから、利用者さんが転んだり困ったりしていると職員のところにきて、手を引いて連れていってくれました。ご家族との関係もすごく良い方でした。

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