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19のいのち

46歳の女性

46歳の女性

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた母親の調書から

人生の中でこのようなことが起きると思っていなかったので、心がどこかに置き去りにされているような感じです。娘に線香をあげながら「痛かったね、怖かったね」と声をかける日々です。事件の日の朝、職員から「とにかく園に来てください」と連絡を受けて向かいました。家族控え室に通され、娘が怖い思いをしているのかな、早く抱きしめてあげたいと思っていました。集まったのは亡くなった人の家族だと言われ、震えて周りの音が聞こえなくなり、立っていられなくなり、いすに座りこんでしまいました。娘はベッドに横たわって寝ていて、何度も名前を呼びましたが返事はなく、ほおに触れると冷たかったです。

娘は長女で生まれながらに知的障害があります。一定の単語は発することができますが、意味のある言葉は話すことができません。身振り手振りをつかって伝えたものを、私が理解するという感じですが、感情や表情が豊かで本当にかわいい娘です。2歳か3歳の頃に医師から知的障害だと言われました。障害だと聞いたとき「何でうちの子が」という気持ちと「やっぱり」という納得の気持ちが同時にありました。娘は他の子に比べて言葉が出るのやハイハイが遅く心配していました。それでも初めての子どもで、他に代えがたいかわいさがあって、純粋に娘としてかわいがっていました。

幼稚園では友だちにもめぐまれ楽しそうに過ごしていました。小学校は特別支援学級に入りました。他の子よりもゆっくりでも、娘が成長していく姿をみるのが幸せでした。小学校の先生は娘の写真をいっぱい撮ってくれて、その写真がいまとなっては宝物です。中学校になると娘は学校に行くのを嫌がるようになりました。バスや電車に乗って遠くに行ってしまうようになり、新幹線で愛知県まで行ってしまったこともあります。遠くへ行く楽しみを覚えたのか、目を離したらどこかに行ってしまうようになりました。迎えに行ったら嫌な顔をして私を見ていて、そのしぐさをする娘が本当にかわいくて思い出すと温かい気持ちになりました。小さな喜びがいくつもありました。

娘が26歳の時に、さみしかったですが糖尿病などもありやまゆり園にお世話になることを決めました。入ったばかりの時は「ママ、ママ」と言って手を離さず身が引き裂かれる思いでしたがだんだんと職員さんに心を開いたのか、どこかに行くこともなくなりました。やまゆり園が外の世界より楽しい場所になったんだと思い、職員さんには感謝しています。会いに行くと「ママ、ママ、おはよう」と言ってにっこり笑ってくれました。今でもまぶたに浮かび、声が聞こえてくるようです。

最後に会ったのは7月12日でマニキュアを塗っていて、うれしそうに両手の爪を見せてくれました。娘はファッション誌を見るのが好きで、「8月6日はお祭りだね、浴衣が着れるからね」と話していました。娘は毎年、浴衣を着るのを楽しみにしており、満面の笑みで応えてくれました。娘と別れてから、もう1度浴衣を着せてあげたかったと叶わぬ思いを持っています。被告に対しては、私自身がこうしてほしいという気持ちを持つまではいっていません。「被告を許せるか」と聞かれたら到底許すことができませんが、怒りがわくとか、どうなってほしいとか、考える余裕はまだありません。それほど娘を失ったことがショックなのだと思います。娘が失ったことをどこかで認めていない、防衛本能が働いている気がします。娘がいない現実を見ると心が壊れてしまうと思うのです。

更新2017年01月 更新

元施設職員(女性・70代)

お話し好きで、人なつっこくて、よく職員の会話に入ってきました。中山美穂さんや工藤静香さんなどアイドルに興味があって、テレビを見たり、雑誌を見たりしていました。持病を抱え、つらい時もあったろうにすごく努力していました。ちゃめっ気があって本当にかわいい人でした。

施設関係者(男性)

おしゃべりと人が大好きな、にぎやかな人でした。彼女なりの理由があると思うのですが、集団でいると急に「怒るよー!」「何やってんのー!」と強めの言い回しで周囲を「えっ、なに?」と驚かせます。と思いきや、一瞬、間をおいて「……ごめんねーっ!」と言ったりで、その間の良さ、見事な緊張と緩和に吹き出してしまいました。
薄いピンク色が好きで、外出の訓練で一緒にカラオケに行ったときも薄ピンクのパンツに黄色いリュックを背負っていた姿が印象的でした。あんなふうに命を奪われるいわれは何一つない、楽しい人でした。

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